空京大学へ

天御柱学院

校長室

蒼空学園へ

2024夏のSSシナリオ

リアクション公開中!

2024夏のSSシナリオ

リアクション




夢の世界征服


 ここは地球。日本の神奈川県川崎市、新百合ヶ丘――。
 シャンバラ教導団所属の男性・戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)は新百合ヶ丘駅からほど近いショッピングモールセラフィックアベニューに、たまたま買い物に訪れていた。
 新百合ヶ丘は百合園女学院と……つまりパラミタと特別縁がある場所のひとつではある。しかしたまたま地球にいて、たまたま新百合ヶ丘にいて、そしてたまたま、このショッピングモールにいたことを、今の小次郎のように偶然と言うだろうか。
 それとも、あと数時間後の彼のように、定められた運命とも宿命とも、或いは必然とも呼ぶだろうか?
 彼は昨日、ここで天使と堕天使たちによる最後の審判と創世を巡る戦い(という妄想)が繰り広げられていたことなぞ知らない。
 故に、無防備に『それ』を手にしたのだ。
 彼の運命を変えた一日を告げることになる“神の涙”を――。


 小次郎が訪れたセラフィックアベニューの書店は、かの世界(のごくごく一部)を騒がせた黒史病を起こした『失われた物語』が丁度昨日、お腹を空かせた場所だった。
 小次郎が日本を離れている間、どんな書籍が出たのか。チェックするために本棚を眺めている時、きらりと光るものを見付けた。
 その小さな、どこにでもありそうなガラス球は、店員の掃除をかいくぐるように平台の本と本の僅かな隙間に挟まっていた。ストラップからでも取れたのだろうか、そんなさりげないものだった。
 何とはなしにそれを拾い上げた瞬間。
 ガラス球は強い輝きを放ったかと思うと、小次郎はまばゆい光に包まれた。
 ……それは、ほんの一瞬の事だった。
 だから小次郎にも何が起こったのか、すぐには理解できなかった。幻覚だったのか、単なる気のせいだったのか。知らず知らず疲労が溜まっていたのかもしれない、なんてことを思ったのだ――その時は。
 ……異変に気が付いたのは、その後すぐ後の事だった。
 幾つか気になっていた本を重ねて会計する際、側にあったポップが目に入った。サマーセールとかでいくら以上でくじが引ける、というものだ。ただし本や金券は対象外。書店では文具が対象になる。
(本買っても貰えたらいいんですが)
 と、ぼんやり考えていたら、レジのお姉さんが抽選券を渡してくれたのだ。
「こちらで一回くじ引きができます。会場は中央広場です! ありがとうございました!」
 元気よく見送られながら、小次郎はそのまま貰って来たことに気付く。
 ……まだここでは、小次郎はレジの間違いだと思った。
 しかし次に喫茶店に入った時、今度は注文したコーヒーに欲しいだけの砂糖が入っており、サービスにクッキーが付いてきた頃から変だな、と思い始める。
 もし思った通りの事が起こるなら、人が思うように動くなら……。
(絶対に起こりえないことが起こるはずですね。たとえば逆立ちをしながら片手でボクシングする人が笛を吹いて……)
 その時、目の前で大道芸をしていた男性が突如逆立ちすると、左手でジャブを繰り出しながら、笛を吹いてぴろぴろ紙の管を鳴らしながら彼の目の前を通り過ぎて行った。
 小次郎は確信すると、精悍な顔に野心に満ちた笑みを浮かべた。それは同時に、理性のタガが外れたものでもあった。


 籠手型HC弐式を起動。サングラスのつるを指先で調節しながら、同時に二か所に指示を出していく。
「新百合ヶ丘の警察署の支配は完了。こちらは……市役所からの報告書ですね」
 市議会議員や有力者の住宅や個人情報を見比べていると、携帯電話が鳴った。小次郎は送信主の警察署長の名を見て「馴れたような気だるげさ」で電話を取る。
 用件は新百合ヶ丘署が治安維持に乗り出した隣町で、暴走族の抵抗にあって小競り合いが発生しているという。
 契約者で教導団員でもある小次郎にとっては大した障害ではない。
 彼は「重い腰」を上げると、パトカーで抗争の現場に乗り出した。
「おい……お前は誰だ!?」
「戦部小次郎。これから日本の総理大臣になる男ですよ」
 警官隊を後ろに残し、飛んでくる銃弾もボディスーツで弾き飛ばし、金属とペイント、そして音で攻撃的に飾りたてたバイクの群れに一人立ち向かっていく。
「……物騒なことはなしですよ、ねえ?」
 振り下ろされる金属バットや鉄パイプを軽くいなしながら、小次郎の目が相手の目を捕え――暴走族のヘッドは軽く仰け反ると、項垂れるように頭を下げ……そのまま跪いた。周囲の子分たちも次々に同じ姿勢をとる。
「何なりとご用命を、小次郎様」


 こうして新百合ヶ丘は次々と近隣自治体を「征服」していった。
 警察は治安維持を、逆らう少数の者は彼の直属の部下たるバイク隊が駆け回って「説得」し、網の目状に張り巡らされた政治家のネットワークは次々に情報を広げ、また彼に連絡を取ろうと競った。
 関東、本州、そして日本全土に広まった影響は昼前には戦部小次郎を名誉市民、親善大使とし、更に様々な特権を各自治体の議会で可決していき、その三時間後には小次郎は国会議員として国会議事堂で答弁していた。
 そして与党の最大会派のトップと言われるまでになり、三十分後に行われた内閣改造により官房長官に、そして次期首相を望む声が最大まで高まり、一時間後には戦部小次郎特別法が可決、全会一致で彼が総理大臣となった。
 小次郎は就任後初の所信表明演説を行った。
「日本はこの混迷とした社会をよりよく発展させるため、人々を導いていく必要があります。そして日本の首相こそが世界の指導者、世界の大統領なのです。戦部小次郎は、日本の皆さん、そして世界の皆さんに幸せをお約束します――」
 投票終了と同時に、小次郎の大量の荷物は首相官邸に運び込まれあっという間に住まいが整えられた。
 もうポケットに財布が入っているかどうか心配する必要も無い。名刺も必要がない。もう彼の顔はメディアを通じて全世界を駆け巡り、赤ん坊さえ知っている。
 今身に着けているものは仕事用のタブレットくらいだ。必要があれば数十人の秘書とSPがハンカチでも何でも揃えてくれる。
 ただ一つ、これを除けば。
 小次郎は夜中になってようやくベッドに仰向けに寝転がると、指先でガラス球をいじりながら長い一日を思い返していた。
「思えばこのガラス球が全ての始まりでした……もしやこの世界が平和にならない、と神が流した涙だったのでしょうか?」
 県知事との会談、国政選挙、そして各国首脳との会談……。とても一日の出来事とは思えないことを思い出しているうちに、疲れたのだろう、うとうとと眠ってしまっていた。


 ――翌日、小次郎が目を覚ましたのは首相官邸ではなく、ホテルのベッドの上だった。
「あれは、全て夢だった……?」
 けれどしっかり右手には、あのガラス球が握られていた。
 魔道書『失われた物語』がお腹が空きすぎて、欠伸と共に流した一粒の涙。
 涙が見せた、一日の夢。