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木蔭のお茶とガーデニング

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木蔭のお茶とガーデニング

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第2章 花に託す想い


「……ね、ちょっとお茶でもしない?」
 百合園女学院の非常勤講師祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)は、アナスタシアをお茶に誘ってオープンカフェまでやってきた。
 素材も形も色もとりどりのテーブルから――各国のガーデン用テーブルとチェアを取り揃えているそうだ――重厚な、花模様の細工が施されたテーブルを選ぶと、ティーセットとティースタンドを注文する。
「リーブラ先生はガーデニングはなさらないの?」
「うん? そうね、この時期にまくならお約束的にスイートピーかしら」
「……お約束ですの?」
 訝しげなアナスタシアに、冬に咲く種類があるのよ、と祥子は答える。
 程なくして目の前に置かれた、お茶菓子というにはちょっと重ための二段のティースタンド。……お菓子を食べに来たわけじゃないけれど、これがなくるくらいまで、時間がかかる話になるだろうから。
「苗木でも大丈夫ならさくらんぼの苗でもなんて思ったけど、さすがに果樹は虫を呼ぶから他の草木によくないわねえ」
「そんな気を遣ってくださってありがとうございますわ。それにしても、さくらんぼというのは、何故……?」
 何か問いたげなアナスタシアの視線に、祥子は軽く息を吐いた。どこかしんみりした表情だ。
「なんでさくらんぼかって? そういう名前の歌があるのよ。儚い恋と失恋の悲しみを歌った歌なんだけどね。
 すみれでもいいんだけど……あれって原題だとライラックだったっけ? 一応春の花よね」
「ずいぶんたくさんの事をご存じなのですわね」
 祥子は懐かしいものを思い出すような――といっても、彼女自身が体験したというわけでなく、担当教科で得た知識と感覚である――口調で語り始めた。
「あなたはあまり意識してなかったと思うけど、ガーデニングとか家庭菜園って昔の子女教育では必修みたいな扱いだったのよ」
「……それは、存じませんでしたわ」
 お嬢様と土いじりが結びつかず、アナスタシアは再び驚いたように頷いた。魔法で何でも解決できるエリュシオン出身のせいか、余計に手を動かすことに疎いのだ。
「わざわざ菜園用の土地を調達した女学校もあったくらい。でも今からそれだけの土地を探してカリキュラムを組み直すのは骨になりそうねー……」
(温故知新っていうしプランター用意して生徒の自主管理と展示会くらいならなんとかできるかも……)
 考え込む祥子の横顔を、アナスタシアは大分教師らしくなったなと見た。
 二人は教師と生徒以前に、祥子が百合園に来る前からの顔見知りだった。
「ま。そのあと世界大戦が起きて色々台無しになっちゃったんだけどね……」
「日本も大変でしたのね……。パラミタも何度も戦いや争いを経験しましたけれど、虐げられるのはいつも戦う力の弱い方々ですわね……。
 こういっては何ですけれど、先生の歴史の課外授業は面白かったですわ」
「課外授業なんてものじゃないわよ。ちょっとしんみりしただけ。秋だからかしら」
 祥子はサンドイッチを摘まみ上げた。
 アナスタシアもお菓子を一つ食べる時間だけ沈黙すると、
「正式なカリキュラムというわけではなくて、時々ここや庭でガーデニングをする時間なら取れると思いますわ。ほら……あんなに花があるのですもの、花々にまつわるお話を生徒たちに発表してもらう機会もありますわよ、きっと」
 校長や生徒たちが植えている日本の花もヴァイシャリーの花も、エリュシオンの花もそれぞれにまつわるエピソードが。
「……そうね」
 祥子は涼しさの混じる風に髪をかきあげ、温かいお茶に口を付けた。





 小ぶりな温室は水晶宮のような雰囲気があったが、骨組みとガラス張りの似た外観というだけでなく、中は暖かく各国の異国情緒あふれる花々が集まっていたからだろう。
「この花とこの花の相性は……あっ、この辺の土はね……」
 静香はその中で、ポケット図鑑とにらめっこして、花を抱えた生徒たちの相談に乗っていた。
 百合園のシンボルの一人であるからして、彼もまた温室に咲く百合の花……と言いたいところだったが、今日は例ピンクのドレスではなく、長袖長ズボンにエプロン手袋、というガーデニングスタイルである。
「校長、沢山のお花が集まって良かったですね」
「うん」
 村上 琴理(むらかみ・ことり)フェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)は、元気な静香の笑顔にほっとしていた。
 五年前初めて会った時よりも、随分としっかりして見えた。無論、五年という歳月は彼女たちも、パラミタも変えていったのだが……。
「ゆっくりしてらしてください。今日は遊びにいらしたのですから」
 琴理が言う。企画は白百合会、静香はあくまで参加者の一人で……そして今日は誘われて来たのだった。だが校長ということで、生徒たちについ頼られてしまっていたのだという。
「うん、なんか準備があるっていうから、その間だけね? ――あっ、戻って来た」
 静香がぐるりと辺りを見回していると、恋人のロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)が、気心の知れた友人たちとやって来るところだった。
「お待たせしました、枝を頂くのに遅くなってしまって……」
 静香は笑顔で待ってないよ、と彼女たちを迎えると、
「今日は誘ってくれてありがとう。うん、僕も植えたいな。どんな花?」
「カランコエっていうんです。毎日手入れに来れるかどうか分かりませんですし、育てやすい花にするのがいいかな、と。
 実は、歩さんに選んで貰ったりしていたので、私には可愛い花が咲くことぐらいしか分からないのですが」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)がロザリンドの隣に立ち、両手に抱えた剪定された枝を持ち上げた。
「多年草で、秋頃から蕾を付けて、気温次第ですけど冬から春の間に開花するそうです。種植えなら春頃みたいですけど、挿し木とかが簡単な種類みたいなんですよ」
 秋に植えるには適した、そして冬から春に小さな花をたくさんつける植物だ。寒さに弱いので温室で育てるといいらしい。
「私はやっぱり百合の花外せないと思いますけど、可愛らしいのいいですよね」
 橘 舞(たちばな・まい)は、その後ろから幾つかの球根を手に、にこにこと顔を出す。
「あら、舞さんもいらっしゃってたのね? ごきげんよう」
「ええ、だってガーデニングなんてアナスタシアさん、それはとても素敵で麗しいアイデアだと思います。もちろん私も大賛成ですよ。ですので、私たちもお手伝いを……」
 “たち”のもう一人の方、舞のパートナーのブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)は不機嫌そうな表情で、薔薇の苗を持って立っていたが、これはアナスタシアの前ではいつものことだった。
「ガーデニングとかアナスタシアにしてはずいぶん普通よね。説明くどいけど。琴理もはっきり言ってやればいいのよ、ウザイって。
 あの方に送るってどの方よ? ま、いいけど」
 いつものごとく遠慮のないライバルの舌鋒に、アナスタシアは見る間に機嫌が悪くなる。
「……ウザイ……?」
「……まぁまぁ、せっかく来てくれたんだから。ね? ……ほら、一緒に植えようよ!」
 静香たちは花の植え替え、植え付けを行いながら(時々トラブルがありながらも)たわいもない雑談を続けていった。
 そして、最初は「えーと、歩さん、肥料はこれぐらいでいいですかー?」と、ロザリンドがひと袋ぶんの肥料を、丸ごと注ぐ勢いで土の上にさかさまにぶちまけかけ、「リンさん、だ、ダメ! 出し過ぎ!」と慌てて歩が袋を両手で抱き止めたりもしつつ、作業に慣れて繊細さが必要なくなった頃――雑談の中で、ロザリンドは将来の話を話題に出した。
「皆さんはこれからどうされますか? 私は宮殿の女官としてお仕事できるよう頑張ろうかなと思っていますが。
 静香さんは校長として頑張ってもらいまして、後輩を沢山女官として送ってもらいませんと」
「そうだね、これからの世界はどうなるか分からないけど……仕事、頑張るよ」
「あたしは旅に出るよ」
 歩は答え、ブリジットと舞も続けて答える。
「私は舞と会社作るつもり」
「ブリジットがパウエル商会から製菓部門の一部を譲渡してもらって事業やろうっていうので、そのお手伝いですかね。世界の人たちに笑顔とカエルパイを」
 舞も昔はカエルパイに抵抗があった筈だが、もうすっかり慣れて――むしろ好きになってしまったようだ。
 応じる間も手は休めず、百合の球根に土をかぶせる。舞がふと横を見ると、ブリジットは薔薇の苗を一生懸命植えていた。
「さて、私は折角だから、この青い薔薇を植えるわ」
「あら、貴方が薔薇を? 棘で指を刺して奇声を上げたりしないでくださいませね? 枝が上から来ますもの、気を付けていただかないと」
 アナスタシアはさっきの「ウザイ」のお返しか憎まれ口を叩きながら、舞と一緒に、自分も持って来たエリュシオン産の白百合の球根を植えた。
「百合にも色々な種類がありますね。花が咲く日が楽しみです」
 琴理はここにソメイヨシノを持ち込むのは今回は諦めて、こちらも日本原産の白百合を持ち込んでいた。フェルナンもヴァイシャリーに自生していた白百合を植えている。


 幾らか時間が経って後、ふいにロザリンドは顔を上げた。
「……あれ? 歩さんは?」
「歩さんは琴理さんとフェルナンさんと一緒に、白百合会のお茶のお手伝いに行くって仰ってましたよ」
 隣で、舞が何かを察したのか、妙に遠慮がちに言う。
「私たちも終りましたので、行ってきますね。ブリジット、アナスタシアさんも一緒に行きましょう」
 アナスタシアが何も分っていないようで、わかってなさそうで、ブリジットは肘で小突いてジト目で合図すると席を外してカフェに立ち寄った。
「ブリジット、青い薔薇植えてましたね。本当に青好きですよね」
「なんでそんな満面のスマイル?」
 ブリジットは訝しむ。これは、舞が盛大に好意的な勘違いをしている時の顔だ。
「……思い出したんです。青い薔薇が大好きな人がもう一人いたのを」
 ――ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)
「青い薔薇はラズィーヤさんの好きな……思い出の花……。ブリジット、ラズィーヤさんを口ではドリルとか呼んだりしてましたけど、ちゃんと好きな花を覚えてたんですね……」
 慈愛と親しみに満ちた無垢な笑顔を、ブリジットは誤解だとはねつける。
「えっ? 青い薔薇がドリルの好きな花? なに言ってるのよ、私が青好きだからに決まってるじゃない」
「なんかいいですよね、そういうのも。私まで嬉しくなってしまいました」
「ドリルが青薔薇好きとか忘れてたって。いや、本当だからね?」
 勝手に解釈して盛り上がる舞と、勝手に解釈されまいとするブリジットだったが、今回は舞の勝ちのようだ。
「否定して黙ってしまいましたけど、私には分かりますよ。それがブリジットの一つの愛情表現なんだって。だって、私はブリジットのパートナーですからね」
 ブリジットは口でいう気分ではなくなって、ボブ(仮)のハーブティーの入ったカップを持ち上げた。
「そうよね、あなたは私のパートナーよ。いつも考えがお花畑なところも含めてね」


 ――さて。白百合会のお手伝いをする、と言って温室を抜け出した歩はといえば、
「今日までお手伝いしなくて大丈夫よ。お手伝いをするにしても、少し休まない?」
 と琴理に言われ、お茶をしているのだった(フェルナンは守護天使を手伝いに行った)。
 ……何しろ、歩が席を外したのは、あの二人に時間を作ってあげるためだったから。
 歩は紅茶に特別なオーダーをして、濃いめの紅茶の強い香りを楽しんだ。
「静香さんなら花言葉詳しそうだけど、カランコエは『あなたを守る』っていう花言葉があるそうです。これはリンさんにぴったりだなぁって」
 暖かな紅茶に隠れるブランデーのほのかな香りと味に、歩の頬がうっすらと赤く染まる。
「……ただ、別の花言葉がすごく素敵で、今回カランコエ植えたいなぁって思ったのはそっちの理由だったり。『たくさんの小さな思い出』っていう
の。
 映画みたいな壮大な恋愛も良いですけど、きっと長続きするのって小さな思い出の積み重ねだなあって。だから、二人もそんな感じで長く付き合って行ってくれたらいいなぁって」
「友達思いね。きっとそうなると思う」
 軽く頷いて、琴理は恥ずかしそうに微笑んだ。
「私も今日はいい思い出になったわ。ロザリンドさんや歩ちゃんがいない間は、私もお花の世話をしに来るね」
 ヴァイシャリーに残ればこれから旅に出る友人と会える日は少なくなる。寂しくけれど、思い出があればきっとまた違うだろう。


 一方その頃、温室ではロザリンドが静香と将来の……今よりももう少し先の話をしていた。。
「何年か後には子供をここに連れて、私達や皆で最初に植えたのですよと校舎を回る事ができたらいいですね」
「……う、うん」
 頬を染めて軽く動揺する静香だったが、ロザリンドは穏やかな、少しだけ夢を見ているような瞳で、静香が支えるカランコエに少しずつ土を被せていた。
「その時は男の子と女の子1人ずつはいて欲しいなー」
 夢を膨らませて語るロザリンドは、全身鎧を着こんでランスを振り回しているようには見えない。どこにでもいる女の子だった。
 どこにでもいる男の子……でもない静香は、でも、どこにでもある夢も見る。
「それだと遠距離通勤になるのかな。僕は両親と仲が良かったから、子どもが小さい頃は、家族はみんな一緒にいたいなって思う」
 これからそれぞれの道を、空京とヴァイシャリーという離れた場所を歩いていくけれど――それでも道はこの水の都に、百合園女学院に繋がっている。過去も、未来も。
 ただ、声はちょっと遠くなるから……同じ夢を見るために、今のうちに話しておこうと。
 静香は小さめの声で、話を続けた。
 どんな家族にしたいか。どんな家に住みたいか、どんな家具を置きたいか。
「これから……たくさん話をしようね。目を開けてる時も、閉じる時も、同じ景色を見られるように」