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木蔭のお茶とガーデニング

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木蔭のお茶とガーデニング

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第3章 ハーブティーをどうぞ


「この辺の日当りが良さそうだね! 水はけもよさそう」
 きょろきょろと辺りを見回していた遠野 歌菜(とおの・かな)は、月崎 羽純(つきざき・はすみ)を振り返った。
 歌菜の手には黒いポットに入った苗が並ぶコンテナがあり、羽純はスコップやジョウロ、剪定鋏などの道具が入ったジュートの袋を抱えていた。
 歌菜はコンテナを地面に降ろすと、腕まくりをして羽純が隣に降ろした袋の中から、手袋を取り出してはめていく。
「その花は何だ?」
 苗には花がまだついていない。一直線に伸びた茎から放射状に伸ばした葉っぱがあるだけだった。
「キンギョソウだよ」
 ポットに付いた小さなネームプレートを、歌菜は示して見せた。
「羽純くんは見たことない? 咲いた花の形が金魚のように見えるんだよ♪ だから金魚草」
「金魚みたいに咲く花か……どんな風に咲くのか、楽しみだな。色はやっぱり赤いのか? 黒……ってことはないか」
 一匹の金魚か、大勢の金魚か。羽純が想像を巡らせる。
「色々あるよ。本数を沢山植えて、賑やかに美しくしようと思って。花の色は、紅、紫、橙、黄、白」
「ああ、色は花の色か。思ったよりいろいろな色があるんだな。一面に咲く姿は、きっと凄く美しいものだろう」
 二人で土を柔らかく耕して、ポットから取り出して値をほぐした苗を植えていく。
「花言葉も素敵なんだよ! おしゃべり、大胆不敵、清純な心……ぴったりだと思うんだ♪」
「ぴったり……歌菜にか?」
 楽しそうにガーデニングに励む歌菜に、羽純は真顔で訊ねたものだから。
「違うよ、もう!」
 歌菜は頬を紅潮させた。違うけど嬉しい。羽純はそんな歌菜に軽く謝ると、彼女に教えてもらいつつ丁寧に苗を植えていった。
「健やかに育ってくださいね!」
 植え終ってから、二人は苗の前で記念撮影した。
「次は花が咲いた時、またここで記念撮影をしよう」
「うん。……ね、喉が乾いちゃった、ハーブティー頂きに行こう♪」

 ピンクのレース模様のような細工のされたテーブル。二人分のお湯の入ったポットで運ばれてくるハーブティー。
 ガラスのティーカップに注いで口を付けようとした羽純は、だがふと目の前の歌菜を包む空気が変わったことに気が付き、直前でソーサーに戻した。
「うーん、美味しい♪ ねぇ、羽純くん、お花が咲いたら、また記念撮影に来ようね!」
「あ、ああ」
 歌菜は羽純の提案をわざわざ繰り返す。瞳がキラキラとしている。声も大きく弾み、マシンガントークを繰り広げている。
「そうだ、キンギョソウに合わせた服装で来るっていうのはどうかな? 金魚柄の着物とか素敵。魔法少女の衣装にキンギョを盛り込めないかな?」
 そうだな、似合うんじゃないか? ……と、羽純は返したが、歌菜はものすごく楽しそうにとんでもないことを言った。
「勿論、羽純くんだって、キンギョな服を着るんだからね」
「は? 俺も? ……歌菜?」
 金魚な服って何だ? と思うが、聞くとヤブヘビになりそうだった。
「ね、絶対だよ!」
「……考えておく」
 保留。拳を伸ばして軽く額を小突いたが、にこにこ笑顔は相変わらずで全く効果がない。
 羽純は自分の前に置いてあるティーカップを避けると、新しく普通のお茶を頼み直した――歌菜の様子を変えたこのお茶のせいで、自分からヒラヒラ可愛い衣装を着る約束をしてしまわないように。
 陽気になりすぎた歌菜を、羽純は半ば心配し半ば呆れつつも、幸せそうに上気した頬をこれまた口元を緩めて眺めているのだった。





 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の座右の銘は「花より団子」ではない。
 しかし、本人が何を選ぼうと座左にその銘板が飾られたり椅子に刻まれたりしていそうであって、団子どころかあらゆる国のあらゆる状況の料理を多量に胃袋に収めるに躊躇しなかった。
 セレンフィリティはガーデニングをテキパキ済ませてしまった後、このオープンカフェで一番カジュアルなウッドテーブルで、スコーンだのクッキーだのケーキだのサンドイッチだのを次々と口に放り込んでいた。
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)にとってはいつもの光景だ。
(『花より団子』……ね。確かに花がないと比較対象もないわけだけど……)
 セレンフィリティも気にしているのか、自分からガーデニングをしたりもし、今も遠目に他の生徒たちの花を見たりしている――しかしそれも、別に食欲を比較して強調したいわけではない。
「ガーデニングですっかりお腹もすいたし、喉も渇いたわね。セレアナも食べなさいよ」
 もぐもぐしながら真顔で話しかけるセレンフィリティに、セレアナは殆ど減っていないストレートのアイスティーのストローを咥えた。
(してなくても食べるでしょうに。相変わらずの食欲魔人ね。まあ、食欲不振で何も食べないよりはマシね)
 それに実際、味は良い。
 ピーチメルバのバニラアイスが溶けないうちに、桃と一緒に口に運びながら、セレアナも静かに自然な甘さを堪能する。
「そういえば、アネモネとアイリスを選んだのはどうしてなの?」
 アネモネはセレンフィリティが、アイリスはセレアナが植えたが、どちらもセレンフィリティがこれがいい、と言い出したものだった。
 食べるのに忙しいセレンフィリティは、喉を鳴らしてレーズンスコーンの欠片を飲み込むと、
「彩り豊かでしょ。咲き乱れるって感じだし、少しでも庭が華やかになればって思って」
 力強いアネモネと、すっとした立ち姿のアイリスはそれぞれ植えた二人にも似ていたが、そういう意図はなかったようだ。
「被らなくて良かったわね。あっちはキンギョソウ……あっちは、百合かしら? 沢山花が集まるといいわね。……あ、これまだ飲んでなかったわね。アルなんとかいう守護天使が勧めてたやつ……」
 セレンフィリティは陽気に言って、薄ピンク色のアイスティーに手を伸ばすと、一気に飲み干した。
 セレアナは一瞬眉をひそめた後、セレンフィリティの姿を注意深く見守る。何故なら、身元不詳の自称守護天使の男が勧めて来たので、お断りしたお茶だったのだ。
「……変な味はしない?」
「ううん、甘酸っぱくて美味し……」
 慎重に訊ねるセレアナにそう返そうとしたセレンフィリティだったが、言葉が途中で詰まってしまい。
(何なのよ、これ……)
 自分の感情に起こったことに動揺した。
 それまでまったりとほのぼのしていた気持ちが、少しずつ不安と、何より心の奥に眠る寂寥感と言うか、悲しさと言うか、そういう感情が心に染みわたってきて──不意にその感情が瞳からとめどなくあふれる涙として零れ落ちた。
「あ、あれ……なんで……? やだ、涙が止まらない……それに……寂しい……どうして……なの……?」
 止めようとしても、止まらなかった。セレンフィリティは後から後からボロボロと零れ落ちる涙に戸惑いながら、隣に座るセレアナの身体にすがるように抱きつく。
 セレアナは、感情を抑えようとしているのか、その感情に翻弄されるのをこらえているのか、何かに耐えるように小刻みに震える最愛の妻の背中をさすった。大丈夫、大丈夫よと声を掛けながら視線を庭に巡らせ――。
(……どうシメてくれようか)
 テーブルの間で、給仕を手伝う元凶の守護天使を見付けた。仕事中のウェイトレスに呑気にもへらへらと話しかけている。
 セレアナの氷の視線が守護天使を射抜き、暴力的な意思を秘めた視線に気付いた彼はびくっと震えたまま硬直した。二人を見比べたウェイトレスは、そそくさと仕事に戻ってしまう。
「……いやこれは別にワザとではなくてですね、心の中に誰しもが持っている、眠っている気持を素直に引き出す作用がありまして、いわば親しくなるためのきっかけを作る――」
 空気に縫い付けられたように動けなくなった守護天使は、妙に角ばった動きで手を動かし、必死に口を動かして弁解するのだった。





 守護天使の弁解は単に言い訳ではなくて、本当の事だった。
 そして、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)にもまたその効果は及ぶのである。
 今日、コスプレアイドルデュオ<シニフィアン・メイデン>と、空京大学の大学生という二つの顔を持つさゆみとアデリーヌは、久々のオフだった。先日まで夏休みだったはずだが、アイドルと学生の両立で全く休む暇がなく、さゆみはよく「夏休みってどこの都市伝説よ」こぼしていたものだった。何しろコスプレイヤーなのに今年は海やプールどころか、コミケにすら行けなかった有様。
 奇跡的に取れた一日のお休みを、癒しの場を求めてここに乗り込んで来たのである。
 それにどんなことだって思い出になるけれど、非日常のイベントになればまた特別なものになる。
「今日はガーデンシクラメンを植えるわよ。何を植えるか考えたんだけど、初心者向けがいいと思って」
 さゆみとアデリーヌは、出始めたばかりの苗を持っていた。
「冬の花が少なくて寂しい時期に、凍らない限りずっと咲いてくれる、というところも気に入ったの。冬は本当に花が咲かないから」
 これで冬の間も少しでも彩り豊かな庭になってくれれば、さゆみはと思っていた。
「他にも冬に咲く花があれば植えたいところだけれど、ガーデニングは初心者ですものね」
 枯らしたら元も子もないし、花も可哀そうだった。そしてこの花は、二人の思い出のひとつとして、残って欲しかった。
「土は水はけが良くて栄養がたっぷりあって……掘るのはこれくらい?」
 さゆみはガイドブックと苗、土や道具とにらめっこしながら苗を一つ一つ手順を踏んで植えていく。
 穴を掘って、苗を入れて、土をかけて、水をやって……。馴れないからこそ丁寧に。
「こっち持ってて、アデリーヌ。そう……」
「さゆみ、このくらいでいかが?」
(これからもずっと華やかに咲き誇ってほしいですわね)
 アデリーヌも願いながら苗を一緒に植えていった。
 さゆみもまた、最愛の人への思いを込める。
 植え終えると、二人は他の生徒たちと同じように喉の渇きを潤すためにオープンカフェに立ち寄った。
「お疲れ様です」
 普段と違う筋肉を使った心地良い疲労感。
 運ばれてきたハーブティーを二人で飲みながら、花を話題の中心としたたわいもないおしゃべりに興じる。
 アデリーヌの穏やかな笑顔を久しぶりにゆっくり見た気がして、さゆみは何となく安心した。
(自分はどんなに長く生きても百歳前後。吸血鬼のアディは千年以上の時を生きて、自分はと言うとその十分の一しか生きられない。
 だからせめて、生きている間はずっとアディと一緒に思い出を作ることにしている。永遠に忘れることのない思い出をふたりで……)
 さゆみは次第に重くなる瞼を閉じる前に、恋人の――いつの間にか隣で同じように、テーブルに横たえた腕の中に突っ伏すようにして眠る彼女の顔を見た。二人とも、日頃の多忙に加えてガーデニングの疲れが出たのだろうか。
(アデリーヌ……安心した顔してる)
 花が咲いて、種ができ、子孫を残して、冬には枯れているように見えてもずっとそれが続いていく。アデリーヌとの思い出が残っていく。
 それはもしかしたら残酷なことかもしれない。
 アデリーヌはでも、共に生きることを選んでくれたのだ。
 思い出を植えて、増やしていく。アデリーヌの中に、さゆみが死んでも残るように……。
 さゆみはもう強い眠気に抗えなくなくなって、瞼を閉じた。
 突っ伏してそろそろと伸ばす手の先に、柔らかい恋人の手が触れた。
 さゆみは手を重ねて頬を合わせるように、夢の中に落ちていった。