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十数年後


「シャンバラか……懐かしいね」
 世界各地を旅していた黒崎 天音(くろさき・あまね)がシャンバラの地を踏むのは、数年振りのことだった。
 そして以前ヴァイシャリーを訪れてから同じだけの年月が経過していた。
 風光明媚な水上都市ヴァイシャリーはその間もそこに当たり前のように在り続けていたが、その姿を見る前に風の匂いと土の感触が天音に幾度も訪れたこの都市の記憶を呼び覚まし、感傷的な気分にさせていた。
「天音、懐かしがっているだけでは本題のお茶会が終わってしまうぞ」
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に注意され、天音は止めていた足をまた動かし、馬車を拾って百合園女学院を訪れた。
 百合園の女主人・ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)は懐かしい顔を見つけるなり、桜井 静香(さくらい・しずか)と共に歩み寄ってきた。
 ラズィーヤの容色は未だ衰えず、むしろ大人の色香が増したかに思える。
 一方、静香は驚異的なことに、その容姿は最初に旅に出た頃から全くと言っていいほど変化を見せていなかった。天音の目から正直に言えば「全く変化がない」と言っていいが、それを変わっていないと口に出すのは憚れる程だった。
「まあ天音さん……お待ちしてましたのよ。今日はいらっしゃると伺っていましたから」
 天音がブルーズを見やると、彼は当然だという顔で天音に頷いて見せた。留守の間に届く招待状の処理や、今回の返事もブルーズが対応したのだ。
「こちらでお話を聞かせてくださいません?」
「ええ、喜んで」
 ラズィーヤに促されて、二人は奥の席に案内された。
「静香さん、あのコーヒーを持ってきてくださらない?」
 ラズィーヤに言われ、静香はタシガンコーヒーとティーハニーが入った籠を持ってきた。
 思わず天音の口元がほころぶ。
 ラズィーヤの帰還のお祝いに天音たちが持参した逸品のタシガンコーヒーとティーハニー。それはラズィーヤの元を訪れる度に出されたものだった。
 大分前に飲みきってしまったので今では別のものだが、彼女は天音たちとの再会には必ずこの組み合わせを出してくれるのだ。そしてテーブルには大抵、様々な花と共にゼラニウムが飾ってあった。
 高級なタシガンコーヒーをタシガン風に静香は淹れながら、
「どうぞ。本場には敵わないと思うけど……」
 四人分、テーブルに置く。
「お二人はこの間何をなさっていらしたの? 是非お伺いしたいわ」
「世界各地を周りながら、学校を……」
 天音は、訪れたあまり教育の行われていない地で子供達に勉強を教えたり、何度か通った地で人々からの希望があれば小学校卒業程度の学力を身に着ける為の教える側の教育の手伝いや、学校とは言えないまでも、私塾程度の開設に関わっていた。
 それと同時に、時には遺跡探索に参加したり、まだ古代地図のまま詳しい事が解っていない土地を訪れ、自分なりの地図を記している。測量まではしなくとも、これが新たな地図の礎になれるように、と。
「まあ、拝見してみたいわ」
「それでは……」
 コーヒーを飲み終えるとテーブルを片付け、天音は地図を広げた。
 それは空白の部分、あいまいな部分はあれど天音の筆跡で細かく書き込まれたものだった。かなり大事にされているのだろう、書き込みの量の割には地図自体は汚れ一つない。シャンバラでは知られていない部族などの情報などがびっしりと書き込まれている。
「世界は思った以上に広かったよ。初めにここに行った時には――」
 天音は思い出を話していく。
 旅の初めのトラブルや、旅慣れた頃に出会った思わぬ危機。異文化の習慣の違い。
 苦労は多いのだろうが、見知らぬ土地や人、文物と出会った驚きを話す天音はとても生き生きとしていた。
「とても興味深いお話ですわ。まだ暫くヴァイシャリーにいらっしゃるなら、またお会いしたいですわね」
 ラズィーヤの言葉にブルーズはやれやれと首を振る。
「全く、こうなると天音は止まらぬからな。……静香校長、これを」
 ブルーズは語り続ける天音をよそに、綺麗にラッピングされた四角い包みを静香に渡した。
 ずっしりとした重みのある固い四角の包み。丁度教科書くらいの大きさの……。
「これは……本? 開けてもいいかな?」
 了解を得て静香が包みを開くと、そこには予想通り本が収まっていた。
 ……と言っても。売っている本とはどことなく違う装丁や紙、印字。出版社名はなく。著者名にブルーズ・アッシュワースの文字。
「この旅をする前から、我も記録を付けていてな。既に数十冊ほどあるのだが、メモ書きではと、纏めようと思ったのだ」
「ということはこれは、ブルーズさんの本?」
「うむ、しかし子供向けのものなのだ。天音の関わってきた私塾の子供たちにも読めるような冒険譚だ。これは試作品第一号なのだが……桜井校長に、と。お子さんは……?」
 静香は頷いた。彼には既に子供が二人いる。
「うん、ありがとう。きっとすごく喜ぶよ! 僕も楽しみだなぁ」
 にこにこと笑顔で本を大事そうに抱きしめる静香に、渡して良かったとブルーズも微笑んだ。
 二人の隣では、天音がまだ冒険譚を話していた。
 あの調子では一晩かかっても話は終らないだろう。ラズィーヤの言う通り日を改めて……いや、通い詰めなければ話し終らないのではないか?
 ブルーズは楽しげな天音の様子にひとつ鼻息をついて、貴婦人に話す楽しげな声を聞きながら、横にキープしていたコーヒーを一口飲む。
 美味い。

「そういえば、お土産があったんだった」
 天音は、ポケットの中を探った。
 彼は旅の途中で一つの小さな石のようなものを手に入れた。地元民くらいしか知らないだろう、小規模な化石産出地で手に入れた花の化石を樹脂に閉じ込めたペンダントトップだった。
「ドレスには合わない色かも知れないけれど、なかなか綺麗でしょう?」
 掌に乗る小さなペンダントトップは、花の面影を残すのはその形しかない――いや、石となってもその花は咲き続けていた。
(さて、男の浪漫とか理解不可能かな?)
 と、天音が眺めると、ラズィーヤは細い指でそれを取り、胸元に当てた。
「このドレスには合いませんけれど、他のドレスには合うかもしれませんわ」
「なかったら?」
「なければ、作ればいいだけのことですわ。素敵な鎖も付けましょう」
 ラズィーヤは天音に微笑む。
「それに、旧友のプレゼントを身に着けるなんて素敵ではありません?」
 ――変わらぬ微笑に。
 ――変わらぬ友情に。
「そうだね」
 天音もまた、微笑を返す――。