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始まりの日に

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始まりの日に
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 イベントの一つが終わり、コア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)ラブ・リトル(らぶ・りとる)がハインリヒとツライッツのもとへやってくる。彼等は友人の高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)と同伴してやってきていたのだが、咲耶は親友のミリツァ・ミロシェヴィッチ(みりつぁ・みろしぇゔぃっち)を見つけて話に夢中なようで、先に二人で挨拶にきたらしい。
「はろはろ〜ん♪ 教導団のNO1アイドル(自称)ラブちゃん、結婚式に遊びに来たわよ〜♪」
「素晴らしい式だ。皆嬉しそうで私も嬉しい」
「ありがとうございます。来て頂けて、嬉しいです」
 常の社交辞令的なそれではなく、心底、と言った様子でツライッツはぱっと笑顔を浮かべた。先日の一件以来、どこか彼に懐いた風のツライッツの笑顔を見て、ハインリヒの中の警戒レベルが一段階上がるものの、メカ的な何かが通じ合っているのだろうと流す事にした。実際湖には流したし、もう良いだろう。
「やー、めでたいめでたい!」
 佐々良 縁(ささら・よすが)と袴姿の東條 カガチ(とうじょう・かがち)とも挨拶を交わして、ハインリヒはカガチへパートナーの東條 葵(とうじょう・あおい)の不在について尋ねる。招待状は彼にも出していて返事も貰っていたのだ。
「今日は葵さんは、ご用事でした?」
「あー、急にごめんねえ。葵ちゃん調子悪いみたいで。
 『フランツィスカに会いたかった』って言ってたよ」
「そうなんですか、姉も会いたがっていたものですから……」
「それ聞いたらケロッと元気になるんじゃねえのかな」
 そんな話をしている間に真と京子もやってくる。
「今日は招待ありがとうございます!」
「ご招待ありがとう! そして……おめでとうございます!」
「おめでとうございます」
 揃って祝いの言葉を口に出し、真からは花束が、京子からはウエディングテディベアとハーブティーのセットが送られる。
「有り難う真君、京子さん」礼を言ったハインリヒは、花束をメイドに渡して二三申し付ける。
「寝室に飾って貰うように頼んだんだ。お茶はシャンバラの家に持って帰ってゆっくり頂くよ」
 ハインリヒの発言を待ってから、ツライッツが口を開いた。
「ありがとうございます……可愛いですね」
 一般的には片方が花嫁衣裳であるのに、京子のプレゼントは揃いの衣装を着せ付けられている。受け取ったツライッツが小首を傾げると
「えへへ、実はこの服手作りなの。気に入ってもらえて嬉しいな!」
 と、京子がはにかんだ笑みを見せた。特別な贈り物にツライッツのきょとんとした表情は直ぐに嬉しげな微笑みに変わった。その反応に、京子の顔も綻ぶ。
「私もお二人へ――」
 歌菜が続いて羽純と持って来た贈り物は、欧米の結婚式の習慣であるサムシング・フォーだった。
「それってなぁに?」とジゼルが質問すると、ハインリヒが口を開く。
「Something Old,Something New,Something Borrowed and Something Blue.四つあるからSomething Four.
 ……だったかな」
「はい!」と答えた歌菜は、それから一つずつプレゼントを贈った。
「何か古いものは、6ペンスコインです」
 古いものは多くの場合伝統にのっとったものになるが、友人であるためこの習慣の由来となったマザーグースの歌を引用したのだろう。
「“and a sixpence in her shoe.”」
「その通りです」
「6ペンスコインって今はもう作られてないんだ」
「だから古いものなんですよ」
 ハインリヒと歌菜の解説を聞きながら、皆は次のプレゼントはどんなものかと見つめる。
「何か新しいものは白いものが多いので絹のハンカチにしてみました。
 それから何か借りたものは、私が結婚式に使ったベール!」
 歌菜が言う間に羽純がベールを広げると、くるりと輪で囲んでいた友人達が一斉に湧いた。歌菜らしく華やかで可愛らしいベールだ。
「最後に何か青いもの、青い薔薇のイヤリングです」
 四つの贈り物を全て見て、ジゼルはあれ? と首を傾げた。詩に因んでプレゼントするのは分かったが、これらには真や京子の贈り物のように飾るなど明確な目的が見当たらない。
「これはどうするの……?」
「結婚式で花嫁さんが身につけると幸せになれるっていうものですよ。
 だから……」
 歌菜の笑顔が、次いで皆の顔がじっとツライッツを見つめた。ハインリヒが可愛いベールと薔薇のイヤリングをつけてもげんなりする何かが出来上がるだけだと誰もが瞬時に判断したからだ。高身長より平均身長、筋肉質より普通体形以下、ショートヘアよりセミロング、公平な判断である。
 だが皆の期待の眼差しを受けたツライッツは堪った物では無い。「美しいんだもの、もっと派手なものを着ましょう!」とドレスやらヒラヒラのシャツやらで押し切ろうとする義姉フランツェスカ・アイヒラーの猛攻を逃れ、漸く落ち着いたシンプルなタキシードなのに、これにベールやらをつけたら元の木阿弥ではないか。
「ありがとうございます……タキシードの上からだと可笑しいですかね?」
 とは言いつつも、ドレスは着たくない、と顔に書いてある。歌菜達からの贈り物を無碍にしたくはないが、ツライッツはドレス――と言うよりスカートなものを履きたくないという頑なな意思がある。間を取って、と言うと可笑しいが、これならどうだろう、とツライッツはハインリヒへ伺いをたてる。
「折角頂いたんだから披露したら。誰も僕には期待していないようだし」
 態とらしく肩を竦めてみせるハインリヒに、皆の笑い声が響いた。

 それから歌菜や京子、写真を撮ろうと駆けつけたフランツィスカらのきゃいきゃいと小鳥がさえずるような反応をたっぷり貰ったツライッツがベールを外していると、挨拶の輪が入れ替わった。
「色々大変だったみてえだけど……、っていうか今も大変みてえだけど」
 やってきた壮太はからっ笑って祝いの言葉を述べる。
「なんつーかまあ、良かったよ。おめでとうな」
「おめでとうございます。末永くお幸せに」と紺侍が続いた。
「ありがとうございます」
 壮太と紺侍の祝いとその後に続いた託ののんびりとした口調に、ツライッツはほっと溜息を吐き出すように、どことなく感情の置き場のなさそうだった表情が僅かに和らぐ。それにつられるようにして、周囲の空気もまた柔く和んだ。
「ハインツさん、ツライッツさん、ご結婚おめでとうだよ〜」
 互いに挨拶を済ませると、ハインリヒが少し屈んで琴乃の腕に抱かれて眠っている赤ん坊へ笑顔を向ける。
「やあ、君が奏詩くんだね。ジゼルから聞いていた通り琴乃さんそっくりだ」
「あ、そうそう出産祝い有り難う!」
「疎くて、人気だってものを選んでしまったけれど、どうだったかな。使えました?」
「うん! ふかふかしてるから奏詩もお気に入りで――」
 そこでハインリヒと琴乃が会話をする流れとなった為、託はツライッツへ向き直った。
「そういえば僕は、ツライッツさんとも特に話す機会もなかったんだよねぇ」
「そうですね……」
 頷いたツライッツに、託は首を傾げてみせる。
「どういう馴れ初めだったのかとか、二人はお互いのどういうところに惹かれたのかなんて聴いても良いかなぁ?」
 良いかなという問いかけだが、こういう場では必ず答えなければならないそれだ。
 皆の期待を受けて、ツライッツは一度ハインリヒの方を見て、躊躇いがちに――僅かに頬が染まって見えるのは皆の錯覚ではなかったろう。馴れ初めについてはごにょごにょと言葉を濁す風だったが、もう一度ちらりと横目でハインリヒを見やったツライッツは「最初は……エラーかと思って、悩んだのですが」と気恥ずかしげに微笑んだ。
「俺は、そういう感情にとても疎く出来ているので、何処が、何が、とは暫く判らなかったのですが……俺が――矛盾なく俺で居られる、と言うのでしょうか」
 最初は傍からはスピード狂と呼ばれる一面の共通の感覚。続いては居心地の良さで、彼の作る絶品のスイーツや食事に嵌り、優しさにのめりこんだ。自分の中に欲求と言うものがあると自覚した後は、それだけではないハインリヒの部分を知る度に、自分の中で色々なものが塗り替えられていくのを感じた。と、聞いているほうも照れ臭くなるような言葉を続けたツライッツは、とどめに、はにかみながら口を開いた。
「今は、ひっくるめて全部のハインツに、惹かれてると……思います」
「わあ…………
 どうなのハインツさん、すごく愛されちゃってるみたいだよぉ?」
 質問者として託がハインリヒにツライッツへの答えを促してみるが、彼からの答えは無い。ハインリヒは片手で額を抑え俯いていたが、視線が低い子供にはその顔が見えるらしく、その場に居た姪のうち一番幼い子が声を上げた。ただ拙いドイツ語は皆に聞き取れるものではない。
「叔父さま、お顔が真っ赤よ」
「……大丈夫だよアリーナ、ちょっと暑いだけで」
「あらハインツ、あなた今朝は寒い寒い家なんか帰るんじゃなかったって大騒ぎしてたじゃない」
 フランツィスカが周囲を囲むハインリヒの友人達の顔を見て、弟の腕を抓る。
「きちんと皆さんにも分かるように、向こうの言葉で話すのよ」
 姉という存在には弱いようで、ハインリヒは溜め息をついて託の質問に答え始めた。
「馴れ初めはさっき彼が話した通り、仕事だよ。
 惹かれたのは……僕が体調を崩していた時に、家にきた彼が子山羊達の世話をしてくれたからだ。冷蔵庫にあるもので料理作って、食べさせて、寝かしつけてくれて――」
 周囲に浮いていたトリグラフが「めめー!」と声を上げている。ハインリヒの事はただの相棒だとしか思っていない彼等がツライッツの事を『お母さん』と呼ぶのは、クローディスを立派な女性に育て上げたツライッツの性格や行動に理由があったようだ。
「子連れ鰥夫(やもめ)のような理由ね」
 的確な発言をしたのは、何時の間にか輪に加わっていたミリツァである。
「……そのあとライスポリッジ作ってくれて、僕の額に手を置いて、『熱は下がったみたいですね』って微笑んでくれたんだ。それからずっと好きだ」
 非常に分かり易い展開に託らがそれぞれ感嘆をあげていると、「案外チョロいね」とトゥリンが言い切る。身内は辛辣だ。皆が苦笑しそうになると、ミリツァとジゼルが口を開いた。
「でも寂しい独り身の男が如何にも嵌まってしまいそうなシチュエーションなのだわ」
「『男は胃袋と母性で掴め』って、あおぞらの女将さんも何時も言っているの。
 あれって正しかったのね!」
 女性陣が計算高くインプットし始めたのを見て、ハインリヒはまだ内容を――外国語も――理解しない幼い姪を見下ろしながら、微妙な笑顔を浮かべた。