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【DarkAge】エデンの贄

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【DarkAge】エデンの贄
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リアクション


●間奏曲

 深夜。潮の香りがする屋外。
 小尾田真奈が厳しい目で、飛空艇を最終チェックしている。
 計器を調べ、コンソールを調べ、動力部を調べる。もう何度も調べたというのに。
 万が一の機能不全もあってはならない。復路のことは考えていないが、往路だけでも間違いなくこの飛空艇は正しく動かなければならない。チャンスは一度きりなのだ。
 計画通り行けば――真奈は思う――あと数時間で、世界は歴史的な日を迎える。
 決死の計画だ。世界にとって歴史的な日であると同時に、真奈にとっても忘れられない日になるだろう。たとえ命を失うことになったとしても、誰かが憶えていてくれるだろう。
 七枷陣の船には陣本人と真奈、それに仲瀬磁楠、リーズ・ディライドとファイス……ファイス・G・クルーンが乗ることになっている。
 真奈は振り返ってファイスを見た。ファイスは、九条ジェライザ・ローズに何か言い聞かされているようだ。

「餞別の言葉……なんて言うのは不吉だね。まあ、単なる思い出話ってことにしよう」
 ジェライザ・ローズは焚き火を眺めながら、ぽつりぽつり、言い含めるようにしてファイスに語った。
「助かったよ。短い期間だったけど、仕事の手伝いをしてくれて」
「本機にとっても有用な時間だったと認識している。人間と機晶姫の体には、驚くほど共通点が多い」
「ああ。そういえば、空京でも機晶姫技師……えっと、なんて言うんだっけ」
「調律師」
「そう、その調律師の下にいたんだってね。私の仕事ってのは万年不在だからありがたかったよ。私がしていることを見てきたら、大抵の人は吐くか辞めちゃうからね」
 ローズは顔を上げて、すこし先の救急車に目を止めた。
 それは救急車としての役割を終えた『診療所』だった。なぜなら救急車のタイヤはすべて外されていたからだ。車体そのものも大小様々な傷だらけだった。
 かつてローズはファイスに、自嘲気味にこう言ったことがある。この救急車もう動かないんだ、動いてたら死ななくてもいい人が沢山助かったのにね……と。 
 動かぬ救急車がローズの拠点である。少なくない者が眉をひそめるような『研究』もあの場所で行っていた。いつもは淡々と作業を行うだけの場所だったのだが、ファイスが滞在していたこの短い数日間、不思議とそこは『家』と呼ぶにふさわしい場所のようにローズには思えた。
「この恩は記憶として保存する」
「それって、『忘れない』って言ったほうが自然ね」
「そうか。訂正。本機はこれを忘れない。感謝の意を言語で表現する」
 ファイスの目はローズを見ていたが、その目はローズを通り抜けて、そのずっと先を見ているようだった。それでもファイスの口調が、本心であることをローズは感じた。
「感謝ね……お礼を言っていたのは私だったはずだけど?」
「忘れない。逃亡者の本機を匿ってくれたこと、レジスタンスに紹介してくれたこと」
 ローズはくすぐったいような顔をした。無意識のうちに左右の手を使って、自分の白衣の両袖を撫でつけていた。
「恩返しなら、戻ってきてからお願いね」
「了解」
「つまり、ちゃんと戻ってこい、ってこと。わかる?」
「了解。わかる」
 ファイスの口調は抑揚がなく石のように硬いのに、不思議と素直さを感じさせる。
「さあさ、そろそろ出発でしょ? さっさと行った行った。彼ら、待ってるよ」
「最後に、希望する」
「なあに?」
「知ることを希望する。診療所の壁に一丁だけ、銃が配備されていたことを本機は確認した。その使用目的は?」
「ああ、壁飾りにしちゃ殺伐としてるものね」
 ローズは立ち上がって、言った。
「あれは……私がまだ『人を守るんだ!』って意気込んでた時に使ってた銃だよ……弾が一発だけ残ってるんだ」
 ローズは焚き火に砂をかけて消す。
 ローズとファイスの間には、炭火のほの明るさだけが残った。
「叛乱が成功したら、あの銃をどうするか、今一番悩んでる。たとえ平和になったとしても、もう私は真っ当な道なんか行けないし」
「平和。字義通りならば『もう銃を使う機会がない』という意味と推察する」
「そうね。でも、吹っ飛ばすことのできる頭はある」
「理解不能。説明を求める」
 ローズはこたえず、静かに微笑してファイズに背を向けて歩き出した。
「あの人……いつか大いなる禍根となるかもしれない」
 会合の日、サビク・オルタナティヴが口にした言葉をローズは聞いていた。
 ――わかってる。それは私が、誰よりもよくわかってる。
 ふと両手に目をやる。『彼』のものだった浅黒い手が小さく震えていた。
 片手を上げて左右に振ると、ローズはファイスに顔を見せることなく、動かぬ救急車に姿を消した。

 ファイスが飛空艇のところに戻ると、七枷陣はそのシートに背中を預けていた。
「よう。じゃあ明日……いや、もう今日か……は頼むわ」
「ファイスちゃんはボクの隣ね」
 リーズが手を引いて、ファイスを隣に座らせる。狭いながら四人席があるのだ。操縦席には真奈がついている。
「あいつはまだか?」
 陣は首を巡らせて磁楠の姿を探した。彼は飛空艇に乗り込んでいない。そればかりかまだ、近くに姿を見せてすらいなかった。
「もういくらか時間があります。あの方なりに集中力を高めているのかもしれません」
 真奈は操縦席を離れて陣の横に腰を下ろした。
「少しだけ……話をしませんか。作戦がはじまったら、もうそんな時間はありませんし」
 ――それに、これが最後の機会になるかもしれません……全員生き残れるとは限りませんから。
 陣は拒否するかと思われたがむしろその逆で、ふっと表情を緩めた。
 それは、真奈とリーズが知るかつての陣の顔つきだった。
「……たまにさ、夢を見るんや」
「夢か。知識としては有しているが、本機にその機能はない。トピックの継続を希望する」
 ファイスが言う。リーズと真奈も頷いたので、陣は続けた。
「ありえない夢やけど、夢は夢やからな……」
 陣は皮肉に唇を歪める。しかし、それは微苦笑しているようにも見える。
「クランジのパイやロー、ユプシロンやカッパが穏やかに暮らしている夢。それを遠くから見守ってたり一緒に笑ってるみんな、そこにはクシーやラムダ、ファイスはいなかったんやけど……夢にいたオレは納得してて楽しそうで、夢でそれを見ているオレも同じ気持ちになって……でもそれ以上に、オレが関わっていた三人がいないことが悲しかった」
 たしかに夢の話だった。しかし陣はこの夢を、何度か繰り返し見たのだった。まるでもう一つの世界が夢の中にあったかのように、細部までありありと。夢の世界にテレビカメラがあって、自分はそのカメラを通して眺めているような体験だった。
 そればかりではなくときとして陣は、夢の中の自分と一体化もしていた。直接その光景を眺め、直接、周囲の人間と言葉を交わした。夢と現実の境界は消え、現実のほうが夢ではないかと疑われる瞬間すらあった。
「夢の世界はそこそこ上手いこと回っていた。2024年になっても蒼空学園が実在してたし、教導団も魔法学園も百合園も、すべての学校が活動を続けてた。御神楽校長は蘇り、金鋭鋒団長やらたくさんの指導者も健在やったから、現状とはまるで正反対の世界といってええかもな」
 他のみんなにとってはそこが一番なんやろうけど……と前置きして、陣はきっぱりと言った。
「でも、オレがいるのはここの世界で良かったって思う。
 イプシロンたちを倒しても、もう人は滅びるしかないとしか感じられないこのディストピアでも、オレが生きていてほしいって思ったクシーやラムダや……ファイスが……ちゃんと生きていてくれてるからな」
 このとき陣の両手は、前の座席の背もたれに置かれていた。このとき彼は、その上に別の手が重ね合わされるのを感じた。
 ファイスの手だった。
「夢については本機には理解できない。しかし、その気持ちは……嬉しく思う」
 このときリーズが口を開いた。
「どうして……こんな風になっちゃったんだろうね、って考えることはあるよ。ボクたちはただ、クランジのみんなにも笑っていてほしいって思っていただけなのに……どうして……こんなことになっちゃったんだろう、ってね」
 そして彼女も、陣の手に重ねたファイスの手の上に、手を置いたのだった。
「でも、ボクは現状を肯定する。全肯定する。迷ってなんていられない。やれるだけ、やってみよう。それでオッケー。のーてんきさがボクの売りなんだしっ」
「私も。この状態を最良と考えます」
 と、真奈も手を重ねた。
「ファイス様やクシー様、ラムダ様とはたまたまうまく噛み合い、間が良かった。それ以外のクランジ様たちとはたまたまうまく噛み合わず、間が悪かった。それだけのものだったんです……でも、それだけでも良かったんです。私たちのやってきたことは、すべて無意味ではなかったと思いたいんです」
 四つの手が重なっていた。
 しばし四人は、そのまま無言を保った。
「さぁ、湿っぽい話はこれくらいにしとこう!」
 未練を振り払うように陣は、手を勢いよく上げる。ファイス、リーズ、真奈も同じ格好になった。
「抗うだけ抗って、イプシロンたちをぶっ倒して、やれるだけやりきったろうやないか! それでもダメだったならしゃあない。生きられるだけ生きて……そして死ねばえぇんや」
「やれるだけやりきる、か。陣らしいな」
 そのとき飛空艇を訪れた姿があった。
「俺も、その意気で行くとしよう」
 仲瀬磁楠だった。
 強さを増してきた風に髪をなびかせながら、彼は飛空艇の入口をくぐった。
 磁楠は座席に座ると体を背もたれに預けた。その姿勢は数分前の陣にそっくりである。
 ――確かに小僧は変わった。
 目を閉じて、磁楠は思う。
 この数年で陣がたどった道は、成長と一言で表現するにはあまりに痛々しいものである。
 陣は守るべきもの、切り捨てるべきものを明確にし、日を追うごとに険しい顔を貼り付ける時間が増えていった。
 ――だが少なくとも、負の感情にまみれた復讐鬼という変貌ではなさそうだ。
 少しばかり気付くのが遅すぎたのかもしれんが、と磁楠が幽かな声で呟いたとき、彼らを乗せた飛空艇が上昇を開始した。