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リアクション
視点は渋谷から一気に、同年同日同時刻の横須賀まで移動する。
この頃横須賀には進駐軍、すなわち米軍の戦艦が数隻停泊していた。
巨大戦艦『メイン』はそれら艦隊を率いる中心的存在であり、船重量、武装、登場可能員数のすべてにおいて他を圧倒する。その異様は黒い要塞を思わせた。
メインには駐留艦隊司令部も置かれており、平時には駐屯艦隊に関する執務もここで行われている。名実ともに頭部といえる艦なのである。
艦長は名をカシミール・クラスニクという。階級は海軍大佐。フルネームはカシミール・アレキサンダー・クラスニク、彼のルーツであるポーランド読みにすればガジミェシ・アレクサンデル・クラスニッチとなる。アメリカ国籍だが、彼はポーランド系という出自を隠すことはなかった。
一見して受ける印象は、軍服を着た豹、といったところだろうか。それほどにしなやかで、それほどに野性的な外見であった。
それもそのはずだ。彼は170cmと決して大柄ではないが、26年前のアントワープオリンピック、22年前のパリオリンピック、18年前のアムステルダムオリンピックの三大会で全戦KO勝利を収めたボクシング競技バンタム級の金メダリストであり、24年のベルリンオリンピックが第一次世界大戦勃発に伴い中止となった為、海軍に入隊したという経緯を持つ。海軍に所属しながらボクシングを続けていた為、プロ転向はせず幻の王者と呼ばれていたという。
アムステルダムオリンピック後は本格的に海軍軍人として軍務を精力的に行い、フィリピンのアジア艦隊や東京の在日本アメリカ大使館付の駐在武官として度々極東に長期滞在している。そのため、日常生活レベルの日本語ならば不自由なく操る事が出来る知日派の側面を持つ。また、12年前の東郷平八郎提督の国葬の際には、アジア艦隊旗艦の重巡洋艦「オーガスタ」に乗り組み弔問に訪れてもいる。
第二次世界大戦中は一貫して最前線の海上勤務で日本軍――特に日本海軍とソロモン海を中心に幾度となく砲火を交わした。BB‐69『メイン』の艦長になる前はBB‐58『インディアナ』の艦長としてソロモン海の死闘で日本軍の艦を多数、撃沈した記録が残っている。
この頃、カシミールの指揮下で戦艦「インディアナ」に乗り組んでいた将兵は着任した際の第一印象を「寡黙だが優しい人だった。40代だろうけれど、とてもハンサムでもあった」と後に回顧している。
このときカシミール大佐は、司令官ウィリス・リー中将の呼び出しを受け、艦内の司令室へ急いでいた。
カシミールが通りかかると、多数の将兵が飛んで来て敬礼する。中にはわざわざ遠くから駆けてきて敬礼に加わる者もあった。
カシミールは元来寡黙で、喜怒哀楽をあまり表にする人物ではなかった。ゆえにこのときもにこりともせず、しかし美しい姿勢でそれぞれに敬礼を返していた。それは、彼からすれば駆け出しに等しいような下級の兵士に対しても変わらない。どの兵士の目にも、経緯と憧れの色が浮かんでいた。
分厚い扉の奥、革張りの椅子に中将が身を沈めていた。彼もまた半ば伝説上の人物であり、そうした人間が持つ気迫というかオーラのようなものをカシミールは感じずには射られなかった。
中将はすぐに人払いを命じた。そうしてカシミールと二人きりとなってから、ようやく彼は話を切り出したのである。
「早速だが、君にやってもらいたいことがある」
「何でしょうか。それは、私がこの艦を指揮することよりも重要な物ですか?」
中将は、直接その問いに答えなかった。
「君は、日本が様々な場所から財宝や秘宝を掻き集めていた事実を知っているかね? 古くはロマノフ王朝の遺産の一部、最近ではYamashita’s gold(山下財宝)と呼ばれる埋蔵金や満州帝国のラスト・エンペラーの財宝だ」
「……イエス」
カシミールは困惑せざるを得なかった。サンタクロースを探してこいと言われた気分だ。無論、そうした話は聞いている。ただし推測に基づく噂話であり、兵達の酒食の肴という域を出たことがない。仮に真実であれ、自分には関係のない話だと思っていた。それがいきなり飛び出したのである。
だが中将の顔は冗談を言っている人間のそれではなかった。
「最近、それらがブラックマーケットに出回っているとの情報をGHQが掴んだ――根も葉もないデマだとは思うが、君にはその調査をしてもらいたい」
カシミールは軍人である。骨の髄から軍人である。ゆえに彼は、瞬時にしてこれがデマの段階を超越した話であると理解していた。軍隊とは、無意味な憶測では動かないものだ。相当に信憑性の高い話であると見ていい。
されど疑念がないではなかった。カシミールは言った。
「このような案件はGHQの管轄では?」
すると中将は起こしかけた背を、再度革張りの椅子にもたせかけた。彼は眼鏡を取ると、これを布で拭った。カシミールがかつてオリンピックボクシングのメダリストであったように、彼もまた、ライフル競技で7つもの栄冠に輝いたメダリストであった。その鋭い視線は、現役当時から些かも衰えていない。
眼鏡を戻すと、リー中将はゆっくりと言った。
「……フィリピンでも巨大な利権を得ていた強欲なマッカーサーが、没収したそれらを自らの懐に入れたがっている、というのが本国の見方だ。これは、ホワイトハウスから海軍省を介して出された大統領直々の命令なのだよ。君の語学能力を見込んでの事でもある。よろしく頼む」
反射的にカシミールは敬礼を返していた。
「ハッ!」
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