天御柱学院

リアクション

市民を救出せよ　４



「そいっと」
　リカイン・フェルマータ（りかいん・ふぇるまーた）はゴブリンを三つまとめて、今は留守の白熊の展示檻に投げ込んだ。倒すたびに投げ込まれて、檻の中には倒されたゴブリンで山積みになっている。
「こんなちまちまやってないで、一気にばーっとやっちゃおうよ」
　ミスノ・ウィンター・ダンセルフライ（みすのうぃんたー・だんせるふらい）が不満顔だ。
「だめよ」
「だめだとさ、周りを見る余裕ができるようになるまでは我慢だな」
　キュー・ディスティン（きゅー・でぃすてぃん）が笑って宥める。ミスノは訓練の一環として、一部の技を使わないよう厳命されているのだ。
　井の頭自然動物公園の辺りは、教導団の学徒は少なく、またそれだけダエーヴァの攻撃も少ない。主力は、井の頭公園駅から向かってくる軍勢の為に持っていかれたのだ。
　この地点に残ってるのは、少数の契約者だ。
「いいじゃん、ちまちまやるの疲れたよ」
　駄々をこねるミスノに、リカインはぷいっとそっぽを向く。
　リカインのつれない態度にミスノが詰め寄ると、どんと突き飛ばされた。尻餅をついたミスノの周りに、何本もの矢が降り注ぐ。
「おおう」
　もしも突っ立っていたままなら、何本かはミスノの身体に突き刺さっていただろう。
「気を抜いちゃだめよ」
「あ、うん」
　弓を撃ってきた連中がぞくぞくと顔を出す。何度か繰り出した戦力を、悉く迎撃していた彼女達に、少し本気を出してきたというところだろうか。数は、十数体はいるようだ。
　敵の数がこちらの三倍以上居るのを見て、リカインは大きく息を吸った。
「わ、ちょ、ま、耳だ、耳を塞げ」
　止める間もない。キューは慌てて自分の耳を塞ぎ、唾を飛ばしながらミスノに忠告した。すんでのところで、ミスノも間に合う。
「――――ッ！」
　リカインの咆哮だ。こんな近くで聞いたら敵よりも自分達が被害を受ける。両手で耳を塞いでも、鼓膜がびりびりと振動した。

「ここまで聞こえるもんだな」
　源　鉄心（みなもと・てっしん）は聞こえてきた合図に、すぐに対応した。動物公園の防衛にかけている戦力は少ない。普段は分散した戦力を散らして広い範囲を監視し、個人で対応できないと判断したら仲間を呼んで戦力を集中させることにした。
　当初はちゃんとした防衛戦力を用意していたのだが、井の頭公園駅の敵主力に対抗するためだいぶ持ってかれてしまった苦肉の策である。
「咆哮って事は、リカインの所だな……あっちに呼ばれるって事は、敵も雑魚じゃないな」
　スレイプニルの手綱を引き、空へと飛び上がる。見下ろすと、地上では同じく咆哮を耳にしたティー・ティー（てぃー・てぃー）が、レガートを走らせていた。
「要領はさっきと同じだ」
「はい！」
　リカイン達の戦場に到着する。敵は、弓兵を歩兵が守るように展開していた。弓の援護を受けて、リカイン達は動きをだいぶ制限されているようだ。
「敵の陣形を崩します！」
　ティーは歩兵を飛び越え、そのまま弓兵を切り崩しにかかる。彼女のエバーグリーンに植物が応え、弓兵の足を絡め取る。足を掴まれたゴブリン達を、レガートが轢いてゆく。
「羽飾り、あいつか」
　ゴブリンよりも一回り身体の大きい牛頭を、鉄心が発見する。
「これでも、くらえ！」
　スレイプニルの稲妻が、羽飾りの牛頭を直撃する。指揮官を失ったダエーヴァは、行動に精彩を欠き、逃げ出す者も現れるようになった。
　戦闘は間もなく終了した。

「これ、どうしましょう？」
　白熊の展示檻の中には、ダエーヴァのゴブリンが山積みになっている。みんなの治療を終えたイコナ・ユア・クックブック（いこな・ゆあくっくぶっく）は、首を傾げた。
「こっちでもこんなんって事は、本陣の方は大変な事になってるだろうな」
「サンプルはあるだけあって問題ないとは思いますが……さすがにこれだけあると……」
　ダエーヴァを研究するための検体はある事に越した事ないが、あり過ぎても処分に困る。
「治療ありがとう、それじゃ私達は見回りに戻るわ」
「ちょっと待ってくれ」
　リカインを鉄心が呼び止める。
「なにかしら？」
「本部から連絡があった。防衛ラインを縮小するそうだ」
「そんなに向こうは危険な状態なのかしら？」
「えっと、動物公園の方は明かりを確保できないから、との事ですわ。それに、向こうのコリマさんが、夜戦に注意するように、と」
「そんなとこらしい。別に、皆で整列して戦うわけじゃないし、こっちの人手不足は深刻なままだ。ただ、行動範囲は狭めて密度を上げて夜を乗り切るってわけだな」
「わかったわ。それで、私達はどの辺りに居ればいいのかしら？」
　夕暮れの赤い光が、彼らの影を長く伸ばす。



　日が暮れ、夜の闇が訪れると水生生物園に寄り付く怪物の数は、めっきり数を減らしていた。
「ひとまず、半分だな」
　視界の悪い園内では、ジェイコブ・バウアー（じぇいこぶ・ばうあー）とその部下達のゲリラ戦術は効果を発揮し、何度かここを訪れた怪物達は自由に動く事もままならずに撤退を繰り返す事となった。
「ダエーヴァは、行軍にコミュニケーションを必要とするのは間違いないみたいね」
　フィリシア・レイスリー（ふぃりしあ・れいすりー）が飲み物をジェイコブに手渡した。
「ああ、何度か言い争いをしているのを見かけたな。何を言ってるかまではわからなかったが」
　羽帽子を被ったゴブリンが、そうでないゴブリンを叱咤している場面をジェイコブ達は目撃していた。言葉は理解できないが、及び腰の兵士を叱り付けていたのだろう。
「となると、奴らにも居るはずだ。あの大軍を指揮する、総指揮官が」
「そういうのは、まだ見つかってないみたいだけど」
「こちらの羅団長補佐と同じように、本陣に居るのだろう。仕留めてやりたいところだが、遠いな」
　敵が物資を井の頭公園駅に集めているとの情報があるが、本陣に攻撃を仕掛けるための準備は整ってはいない。羅団長補佐も、道の防衛を最優先の目標に掲げている。
「これだけの戦力を持ち込める相手を、守り一辺倒でなんとかなるのかしら？」
「わからんな。だが、羅団長補佐は切れ者だ。考えがあるのだろう、あるいは俺達には知らされていない情報を持っているのかもしれん」
　二人の話は、そこで途切れた。
　駆け寄る足音は、怪物のものではなく部下のものだ。
「どうした？」
「防衛目標の橋が突破され、大軍が攻めてきています。こちらに来るにはまだ時間がありますが、用心を、と」

「はぁあああっ！！！！」
　島本　優子（しまもと・ゆうこ）のレーザーマインゴーシュが、ミノタウロスの横なぎの斧を受け止める。重いが、止められない程ではない。
　全身の力を込めて、斧を弾きがら空きになった胴を切りつけると、ミノタウロスはうめき声をあげて仰向けに倒れた。
「次っ！」
　勇ましく吼える彼女に、今度は二本の斧が振り下ろされる。ステップで回避し、後続のミノタウロスを睨み上げた。
　日が暮れる頃から、ダエーヴァはゴブリン程度では防衛陣の突破は不可能と考えたのか、ワーウルフやミノタウロスなど、これまで部隊の指揮を行っていた個体を前線に投入しはじめた。
　彼らのパワーや速度は、ゴブリンなんかとは比較にならない。
　斧を回避した優子に向かって、ゴブリンが一斉に銃の引き金を引いた。回避動作直後の彼女に、完全に回避する余裕は無い。
「させませんわ！」
　間に割って入った三田　麗子（みた・れいこ）が、身代わりに近くに倒れていたゴブリンの骸を差し出す。だが、二人を完全に隠すには至らず、二人の肌を銃弾が掠めていった。
　反撃にと麗子は弾幕を張る。ゴブリン達は自分達が用意した鉄塊の盾に見を潜めてこれをやり過ごした。
「厄介ですわね」
　雄たけびをあげて、ミノタウロスが二人に突進を仕掛けてくる。これを左右別々に回避し、優子は踵を返してその背中を切りつけた。こんどは浅い。倒すまでには至らない。
「これ以上防衛ラインを下げるわけにはいきませんわ」
「ええ、わかってるわ」
　撤退はできないと互いに確認する。立ち止まっていられるほど、この状況は甘くない。倒しきれなかったミノタウロスが、めちゃくちゃに斧を振り回し、地面を抉る。
　普通ならあまりの迫力に気圧されるだろうが、優子は自らミノタウロスに飛び込んでいった。当たればただでは済まない一撃を、髪一重で回避し、懐に潜り込む。
「はぁぁぁっ！」
　気合の篭った一撃が、ミノタウロスを切り伏せた。

「なんとか、持ち堪えているか」
　クレーメック・ジーベック（くれーめっく・じーべっく）は飛び交う報告から、現状の把握に努めていた。新星として防衛をしている地点は、どこも大量の敵に押し寄せられている。
　予断を許さない状況ではあるが、この周囲を防衛しようとした判断は効果的であった事の裏返しでもある。あとは、守りきるだけだ。
「こちらから人員を貸し出します。はい」
　島津　ヴァルナ（しまづ・う゛ぁるな）は人員の移動の指示に手一杯といった状態だった。予備の兵員として、自分達の部下を各部隊に送り出しているのである。
「負傷者の運搬はこちらで、ええ、任せてください」
　ダエーヴァが本腰を入れてから、負傷者の増え方も著しくあがっている。羽付きゴブリンならまだしも、ミノタウロスやワーウルフが相手になると、契約者でなければ難しい。
「よし、島本と三田には下がるように伝えてくれ。部隊の再編成が終わった」
「はい」
　派遣していた予備部隊に撤退の指示を出す頃には、ひとまずの山場を乗り越えたといった空気が、彼らの駐屯地に訪れた。
　いつ入れたのかわからない、クレーメックぬるい水を口にした。
「まだ堪えられる。敵の主力はゴブリンだ。ミノタウロスもワーウルフも、決して数は多く無い。この状況を乗り越えられれば、むしろ敵の攻撃力は低下するはずだ」
「ええ、頑張りましょう」
「ああ」



　夜の闇はダエーヴァの黒い肌を覆い隠し、ぎらつく赤い瞳だけをぼんやり浮かび上がらせる。中でも、どの個体よりも姿勢を低く、素早く動くワーウルフは、暗闇の中では危険だった。
「くっ」
　突然、気配と共に赤い眼光がハインリヒ・ヴェーゼル（はいんりひ・う゛ぇーぜる）の眼前に現れる。咄嗟に身をよじる。胴体を貫くように突き出された腕が、わき腹を抉った。
「ヴェーゼル！」
　川原　亜衣（かわはら・あい）がリカバリを使い、傷口を治療する。痛みはすぐに取れないが、ハインリヒは気力で堪えた。
「うおおお！」
　ブーストソードを振るう。手ごたえは無く、気配も遠のく。乱れた息を整えながら、動き回るワーウルフの気配を手繰る。
「っ！」
　声を出したのは鶴　陽子（つる・ようこ）だ。だが、咄嗟の反応で爪をヒーターシルドで受け止めた。
「逃がさないよ！」
　舞い降りる死の翼を離れようとするワーウルフに向かって放つ。短く悶えるような声が聞こえたが、ワーウルフはすぐに立ち直って気配を殺した。
「浅かったみたいだね」
「気を抜くな、くるぞ！」
　タンッ、という軽い踏み込みの音。
　次に狙われたのは、亜衣だった。治療役を潰せば、戦力の差を大きく開かせる事ができる。
「かくれんぼは、私達だって得意なんだから！」
「それで隠れたつもりなら、残念だったな」
　姿を隠していた遠野　歌菜（とおの・かな）と月崎　羽純（つきざき・はすみ）がそれぞれワーウルフの左右から飛び出した。鏡写しような完璧な連携は、そのまま攻撃に移る。
　薔薇一閃だ。二人はそのままの勢いで交差し、着地。一方、ワーウルフは胸から地面に滑り込み、そのまま動かなくなった。
「援軍か」
　二人が頷くのを確認してハインリヒはその場に膝をついた。先ほどの一撃は浅くはなく、治療も完璧ではなかったのだ。
「すぐに直すわ」
　クリストバル　ヴァリア（くりすとばる・う゛ぁりあ）が駆け寄り、リカバリをかける。傷口が塞がっていく。治療の最中、ハインリヒの眼前をこもたん人形が通り過ぎていった。
　こもたん人形は、羽純の式神の術で偵察に出ていたのだ。
「何か運んでるみたいだな」
「運んでる？　何をだ？」
「武器だな、槍に剣に、斧もある。どれもこれも、他のが使ってる泥臭いものじゃないな」
「偉い人が使うものみたいな？」
　歌菜が尋ねる。同じ剣でも、偉い人が持つものは装飾が施されていたりするものだ。
「そうだな」
「そんなものを運んでるって事は、使い手も来ているって事ね」
「どちらにせよ、部隊の撤退を進めるしかあるまい。ヴァリア、この辺りにアシッドミストを撒いておこう。足止め程度には効果があるはずだ」
　ヴァリアは頷き、周囲に酸の霧を発生させた。
　ダエーヴァの皮膚を焼く濃度を保つ時間は短いが、彼らが扱う銃には効果的だ。
「私と羽純くんはもう少しこの辺りで時間稼ぎをするよ」
　暗闇の中で動く気配がする。敵ではない。二人を近くまで運んだ、炎水龍イラプションブレードドラゴンと聖邪龍ケイオスブレードドラゴンだ。ゴブリンの群れ程度なら、十分な時間を稼げるだろう。
「わかった。背中は任せる」
「部隊を再編成したらすぐに戻るわ」
　撤退するハインリヒ達を背中で見送り、二人と二頭は身構えた。もう遠くない位置に気配を感じ取っていた。
　井の頭公園の防衛線は、押し込まれて押し戻しを繰り返しながら、じりじりと狭まっていっていた。