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春が来て、花が咲いたら。

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春が来て、花が咲いたら。
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リアクション



4


 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)には娘がいる。
 娘たちに、イルミンスール近辺とは違った花を店に連れて行ってやりたい。そう思ってはいても、色々と立て込んでいる現状がそれを許してはくれなかった。
 校長から離れるわけにはいかない娘や、旅に出ている娘たち。
 彼女たちに出来ることはなんだろうと考えていたところへ、クロエから貰った「おはなみにいくの!」という連絡。
「花見、か」
 行ってみようか。
 そう思った。
 せめて、写真を撮って見せてやろうかと。
 幸い、パートナーのエヴァ・ブラッケ(えう゛ぁ・ぶらっけ)が写真撮影の心得がある。彼女を連れて行けばどうにかなるだろうと、二人で家を出た。


 エヴァを連れて花見に出ると、驚いたことにクロエの傍にはリンスが居た。
「花見かね」
「花は好きですから」
「言ってたね、そんなことも」
 昔、授業以外の話もしようとして会話のボールを投げた時のことを思い出す。あの時はなんの感慨もなさそうにしていたけれど、今はどうだ。
「だいぶ良い方向に向かってきているようだな」
 表情も明るいし、声に抑揚もあるし。
「このまま、魔法学校の方にも顔を出してくれればいいのだが」
「店を空けるのも。能力については、自分の中で妥協できてますし」
「そうかね。まあ、知りたいことができたら遠慮なく来ればいい。
 君の力と似た魔術や事例などの知識から、そっくりそのままあてはめることはできないまでも、何かあったときなどの状況判断くらいには使えるだろう。
 類似する魔術であれば、君の力と似た感覚で使えて高い適正を示すと言う可能性だってある。
 でなければ、あのとき他の教師を紹介したりなぞせんよ」
「はい」
「まあ、気が向いたらまた暇なときにでも来てみたまえ」
「ありがとうございます。……ところで、先生? さっきから何を」
 頷くリンスの視線が、アルツールの手元に向けられている。知らん振りでぽいぽいと、鍋に浮かんだ脂を取り除いた。
 少し前。
 ヴァイシャリーの花見会場に到着してすぐ、エヴァは写真を撮りに行った。
 花見ということもあり、手ぶらなのも問題だと作ってきたスープを簡易コンロにかけてから。
 後はお願いね、と言った彼女の言葉に従って、鍋の中身を見ていたのだが。
 ――これは些かくどすぎる。
 ドイツ人であるアルツールから見てもくどいレベルの脂が浮いていては味も見た目も質が落ちると、エヴァから見えないところで脂を捨てていたのだ。
 説明するのも億劫だし、その間にエヴァに気付かれてもまずいというわけで、事情説明をするつもりはない。
「すまん、もう少し右に、向こうから鍋が隠れる感じで頼む」
 ただ、協力要請をするだけだ。
 追求することなく、クロエと二人で隠そうとしてくれたことに感謝しつつ。
「そういえば人形のことで言い忘れていたことがあったな。上と下の娘が、つい先日旅に出たんだ。まだしばらく帰っては来ないから、急がずゆっくり作ってくれ」
「わかりました」
「さて。スープもこんなものでいいかな。飲むか? 味は調節できた。心配いらないだろう」
 持参したカップに注いで渡すと、リンスとクロエが素直にそれを受け取った。
「どうかね」
「美味しいです」
「おいしいわ!」
「後でエヴァに伝えてやってくれ」
 ちらり彼女を窺うと、写真撮影に集中していた。
 あの様子なら、何枚か良い写真が撮れているだろう。
 娘たちが喜ぶ顔を想像して、アルツールは小さく微笑んだ。


*...***...*


「なんか今年は沢山お花見してる気がするー」
 そう言って笑うヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)に、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は軽く首を傾げた。
「嫌か?」
「まさか。いろんなところがあって楽しいよ!」
 ヴァイシャリーの少し外れた場所に、呼雪たちは花見に来ていた。
 花見と言っても桜だけでなく、春花が咲く花畑を見、緑を見る、と言ったピクニックに近い雰囲気である。
「こんな素敵なところに連れ出してくれるなんて。嬉しいわ」
 呼雪たちの一歩後ろを歩くタリア・シュゼット(たりあ・しゅぜっと)が謳うように言った。タリアと手を繋いで歩くマユ・ティルエス(まゆ・てぃるえす)が、その言葉を聞いて嬉しそうに笑う。
「桜だけじゃなくて……いろいろみんな、綺麗ですね」
「そうよね。こんなに綺麗なものがたくさん、世の中にはあるのよね」
 感慨深げな呟きだ。何か、思い出しているのかもしれない。
「どの辺にシート敷こうね?」
 ぽそ、とヘルが問い掛ける。呼雪はゆっくりと辺りを見回す。ここいらで景色が一番綺麗に見える場所は? 花を余すことなく愛でられる場所は?
 見付けた。すっと手を伸ばし、指をさす。
「あの辺りなんていいんじゃないか?」
 そこは、桜も花畑も見れる原っぱ。
「いいね! さすが呼雪」
「さすがか?」
 持参したシートをヘルが手際良く敷いた。呼雪がシートの上に座り、隅に重りを乗せて風で浮かないようにしているうちにお弁当や水筒が出される。出し終える頃には、タリアとマユが正座して待っていた。
「空気も良い、景色も良い。こんな場所でお弁当を食べられるなんて本当に素敵」
「たまには良いよね、こういうの。
 ……あれ? ねえ呼雪、あそこにコンちゃんが居る」
「紡界?」
 ヘルに言われて見てみると、前方に写真を撮っている紺侍の姿を見つけた。
「コンちゃーん」
 やっほ、と手を振るヘルに気付いて紺侍が寄ってきた。
「ちわっす、ヘルさん、呼雪さん。花見っスか?」
「ピクニックみたいなものだけどね」
「初めまして。呼雪くんのパートナーのタリアよ」
「ドモ。写真屋の紺侍です」
「写真屋?」
 紺侍の自己紹介に、タリアがおうむ返しで呟いた。呼雪が頷く。
「写真を撮ったり売ったりしている奴なんだ。なかなか綺麗な写真を撮る」
「じゃあ私たちの写真とかも撮ってもらえるのかしら?」
 その提案は、とても素敵なものだと思った。特にタリアは最近パートナーになったばかりで、今日のピクニックが仲良くなるきっかけになればと思っていたから。
「コンちゃん、頼まれてくれない? お礼はー……そうだ、一緒にご飯食べようよ! 今日のお弁当は呼雪が作ったんだ〜♪」
 紹介しながらヘルがバスケットの蓋を開いた。メニューは、サンドイッチと唐揚げ、それからバランスを考えられたサラダだ。
「現像してもらったらちゃんと写真代は払うし。どうだ?」
「それならもォ喜んで。イイ仕事しますよー」
 紺侍も笑ってそう言ったので、さあ食べようかとお弁当を囲んだ。


「呼雪、呼雪。あーん」
 口を開けるヘルに、どうしたものかと呼雪は黙る。
「マユが見ているぞ」
「マユくんはコンちゃんに自己紹介しようとしてもじもじしてるから見てないよ。だからあーん」
「まったく……」
 餌付けするように、おかずをつまんで口に入れてやる。凄く嬉しそうな顔でヘルが笑った。この笑顔があるからダメだと言えないんだよな。そう内心で一人ごちていると、ぱしゃり、シャッターを切られた。
「仲良しっスね」
「紡界にも餌付けしてやろうか?」
「あーんっスか? ダメっスよ勘違いしちゃうから」
「ダメ。呼雪はやっちゃダメ。どうしてもって言うなら僕がコンちゃんにするから!」
「冗談だ。お裾分けに訂正する」
 皿に取り分けてやって渡すと、
「てゆーか。マジで美味ェ」
 感動したように言われた。
「美味しいわよね。どれも本当、美味しいけれど……このポテトサラダがまた絶品」
 さらにタリアも便乗。
「養母から教わったもので、隠し味が決め手なんだ」
「隠し味。気になるわね……ねえ呼雪くん、あとで教えてくれない?」
「ああ。構わない」
「ありがとう。代わり……っていうわけじゃないけど、私、チョコレートケーキを焼いて来たの。デザートに頂きましょうね」
 それは楽しみだと笑う中、タリアの背に隠れながら、マユが「はじめまして」と紺侍に挨拶していた。微笑ましい。紺侍も同じことを思ったのか、「はじめまして」と握手しながら写真を撮っていた。マユは撮られたことに対して赤面し、シートから降りて花畑へと走って行ってしまった。
「行っちゃったっス」
「じゃあ私、マユくんの傍に付いているわね」
 タリアがそう言って花畑に向かう。
「……ねえコンちゃん、いっぱい写真撮ってね。写真って、撮った時の気持ちも一緒に保存されてるみたいでしょ? だから、写真がいっぱいあるってことは、思い出も沢山あるってことだよね」
 思い出が沢山あるって、幸せなことだよね。
 しみじみと、ヘルが言った。
「思い出なら、いくらだって作れる」
「うん。呼雪、一緒に作って行こうね」
「ああ」
 ヘルの口元についたポテトサラダを親指で拭ってやって、柔らかく微笑んだ。
「あ。マユくんに見られちゃう」
 その言葉に振り返ると、花冠を頭に乗せたタリアと、同じものを持ったマユがこちらへ戻って来ていた。
「じゃあ、今日はもうあーんはおしまいだな」
「また今度だね」
 くすくす、ヘルが楽しそうに笑んだ。
 戻ってきたマユが、紺侍に花冠をプレゼントする。恥ずかしそうに、でも嬉しそうに紺侍がそれを受け取って笑う。
 同じく花冠を頭に乗せたタリアが、にこにこしながらケーキを出してきて切り分け振る舞う。
 パートナーや友人の笑顔を見て、呼雪もふっと微笑んだ。


*...***...*


 桜色の生地にフォークを刺し、ぱくりと一口。
「う〜ん、この限定の桜のシフォンも美味しいわね〜」
 水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は幸せそうな顔でそう言った。
「ホント。何度来ても飽きないわ〜♪」
「緋雨ちゃんが常連さんになってくれて私も嬉しいよ♪」
 女性店員姿のフィルがカウンターから柔らかく微笑んだ。緋雨はそんなフィルをじっと見てから手招きする。
「フィルさん、ちょっと」
「? なーにー?」
 こちらに歩いてくる姿を観察した。
 可愛らしい顔、抜群のスタイル。声も少女らしく甘くて、歩き方も鮮麗されていて美しい。
 ――この間の、男性の恰好をしていたフィルさんと同一人物なのよね〜……。
「?? ねえねえ緋雨ちゃん、なーに? 私の顔に何かついてるー?」
「ううん、そんなことないわ。
 ……実は、情報屋なフィルさんに折り入って相談があって」
 相談? とフィルが首を傾げた。
 ごそごそと緋雨は自分の胸元をまさぐり、そこからとあるブツを取り出した。差し出す。
「胸パッド……?」
 きょとんとした呟きに、神妙な顔で頷いた。
「フィルさんって女装している時……」
 大きいわよね? と胸を見ながら言う。
「小さくもできるけどー」
「できるできないじゃなくて、今大きいのが問題なのよ」
「問題なの?」
「ええ。……コレって自前? それとも特注品か何か……?」
「あはは。そういうことかー」
「そういうことよ。私はこれなんだけど、合わないのよね……」
 高価なものだから品は良いのだけど、どうもバランスが悪くなる。
 そう悩みを打ち明けてから、
「何か良い情報ないかしら? お礼は弾むわ」
「そーだねー……良いパッドならこのお店に行くといいよ。品揃えもいいから自分に合った物が見つかるんじゃないかな?」
「愛用者の声?」
「やだなー緋雨ちゃん。私は情報屋だよ?」
 やんわりと否定されたのか、それともこの話題に触れるなという意味か。判断は付きにくかった。とりあえず、店の名前と住所の書かれたメモを仕舞い込む。ありがとうとお礼を言って、食べかけだったシフォンに向かった。


 緋雨の隣に座ってケーキを食べていた天津 麻羅(あまつ・まら)は、フィルの様子をじっと見た。
 フィルが情報屋である、というのは街の女子高生の間での噂だそうだが。
 ――あながち間違っておらんかものう。
 動作に、表情に、言葉に。
 それらひとつひとつに気を配っていると思った。
 ――まあ、だからどうしたという話じゃな。
 ――ここはケーキ屋で、ケーキが美味い。それが重要じゃ。
 ――緋雨も気付いておらんしの。聞けばなんでも答えが返ってくる程度にしか思ってなかろ。
 害はなさそうだと判断して、口を挟んだりといった無粋なことはせず。
 ただもくもくとケーキを食べて、それからリンスへこの間立て替えてもらったケーキのお礼も兼ねてケーキも買って。
「緋雨。そろそろリンスのところに行かんと遅くなるぞえ」
 適当なところでそう声をかけた。
「そうね。フィルさんのケーキが美味しかったからつい長居しちゃったわ」
「リンちゃん? リンちゃんなら今日は外で花見するみたいだよ」
「へえ、そうなの? 教えてくれてありがとう、じゃあ大回りして探しながら行くわね」
 ご馳走様、と緋雨が言って、ひらひら手を振った。