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34


 柚木 瀬伊(ゆのき・せい)柚木 郁(ゆのき・いく)に着付けをしている間に、柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)紡界 紺侍(つむがい・こんじ)に電話をかけた。
 四回ほどプルルルル、という無機質な音が鳴った後、『もしもーし』という間延びした紺侍の声が聞こえてくる。
「や、紺侍。元気? 夏ばてとかしてない?」
『丈夫なのが取り柄なンで。貴瀬さんこそ大丈夫っスか?』
「うん、平気。……ところでさ、急なお誘いなんだけど……紺侍、祭り行かない?」
 八月中旬、お盆。
 世間では、死者が蘇るなどと面白いことになっているようだけど、例年通りにお盆祭りは開催されるらしいし。
「どうかな? みんなで行こうと思ってるんだけど」
『いいっスねェ。オレ今年夏らしいことしてなかったンで。お誘い嬉しー』
「本当? なら夏らしいことのついでに、浴衣、着てみない?」
 背が高く、スタイルの良い彼だからきっと似合うと思うのだ。
 ――だけど自分じゃ着なさそうだし。
 そもそも、
『浴衣ねェ。着てみたいのはやまやまなんスけど、持ってないんスよ』
「だと思った」
 余分な私物を持ってなさそうなイメージが、紺侍にはあった。だから、もしかしたら持ってないんじゃないかと。
「でも平気。瀬伊が用意してあるから」
『なンつー準備万端加減。素敵ィ』
「惚れちゃだめだよ」
『気をつけます。……で、どこで待ち合わせます? 浴衣着る場所がありゃァいいけど』
「じゃあ俺の家まで。いい?」
『了解っス。では後ほど』
 つー、つー、と一定の間隔で音を立てる電話を切って、つけっぱなしのテレビから流れるニュースに目をやった。
 死者が蘇る現象。
 一日限りの、会いたい人に会える日。
「…………」
 貴瀬には、会いたい人が居る。
 けれど。
 ――まだ会えない、かな。
 寂しさを誤魔化すために笑顔を作ったら、とんと背中を叩かれた。
「祭りに行くのだろう。支度しろ」
 着付けを終えた瀬伊だった。
 うん、と頷くと同時に、腰元に衝撃。
「郁」
 視線を降ろすと、郁がぎゅーっと抱きついていた。ぽんぽんと頭を撫でる。
「あのね、あのね」
「うん?」
「いくも、瀬伊おにいちゃんも、貴瀬おにいちゃんとずーっと一緒だよ?」
「……うん。ありがとう」
 こんな小さい子にも見透かされてしまったことを、なんだか恥ずかしく思いながら。
 紺侍を待つ間に、貴瀬は自分の着付けを済ませることにした。


 浴衣を持っていないといったわりに、紺侍はひとりで着付けてみせた。
「紡界が着付けを出来たとは……意外だな」
 心底そう思っているような言い方で瀬伊が言った。
「母親がね。いろンな服を着たがるタチでして。で、和服にも手ェ出したんスよ。でも自分じゃ着付け覚えねェの。それでオレが覚えさせられまして。その名残っスねェー」
 会場までの道を、下駄を鳴らしながら四人で歩く。
「紺侍のお母さんってどんな人?」
 ふっと疑問に思い、貴瀬は問う。
 そっスねェ、と一瞬考えてから、
「自由な人っスかね? そこが困りものなんスけど」
 思い出して懐かしむように、紺侍が言った。
「あ、屋台見えてきた。ほら郁さん、屋台ですよー」
「はゎ……おみせ、いっぱいっ!」
 目をきらきらと輝かせた郁が走り出す。はぐれないように郁と手を繋いでいた瀬伊も、必然的に走る形になった。
 走ると危ないよ、と声をかけつつ、貴瀬も追いかける。
 郁が足を止めていたのは、射的屋だった。台の上に玩具の銃が置かれ、その奥の階段状になっている場所に様々な景品が並べられている。
「貴瀬おにいちゃん、クマさんほしいの」
 追いついた貴瀬に、郁が言う。
 クマさん? と景品を見たら、
「随分大きなクマさんだね」
 郁ではしっかり抱けるかどうか、というほどに大きいクマのぬいぐるみ。
 落とせるかなと不安に思いつつも、お金を払って挑戦。ふと横を見ると、瀬伊もお金を払っているところだった。
「やるんだ?」
「銃の扱いは得意だからな。それに郁の頼みだ」
 コルク弾を込めながら瀬伊が言う。
「ンじゃ、微力ながらオレもお手伝いしましょうか」
 貴瀬の隣に紺侍も並んだ。
「紡界はこういう遊びが得意そうだな」
「射的はね、巧いっスよ。阿佐ヶ谷ののび太くんとはオレのことです」
「なんだその微妙に情けない通り名は」
「えっ情けないスかね。オレは好きなんスけど」
 雑談交じりに弾を込めて。
 三人で一斉に、クマを狙う。
 同時に当てられれば、いくら大きな獲物といえどひとたまりもなく。
 コルク弾を半分も使わないうちに、落とすことができた。
 残りは郁に撃たせてあげたりしながら消化して、
「はい、郁。どうぞ」
 クマのぬいぐるみを手渡す。
「えへへ、ありがとー」
 クマをぎゅーっと抱きしめる。やっぱりクマは郁には大きすぎて、むしろクマに抱っこされているように見える。
 微笑ましいなと笑っていたら、瀬伊も紺侍も笑ってた。


 一通り祭りも楽しんだことだし。
 貴瀬は紺侍の手を引いて、賑わう場所から少し外れた場所に出る。
「人混み、疲れました?」
 気遣いの言葉に、ううんと首を横に振る。
「賑やかなのも楽しいけれど、……ほんの少し、静かなところに来たかったんだ」
 ついてきてくれて、ありがとう。
 小さくお礼を言って、繋いだ手をきゅっと握った。握り返された手が、優しくて暖かい。
 ――訊いても、いいのかな。
 浮かべた質問を口にする前に、悩んで視線を迷わせた。
「……紺侍は、誰か会いたい人、いる?」
 視線を迷わせたまま、問いかける。
「幸いにして、誰も」
 心のどこかで、やっぱり、と思った。
「そっか。俺は……いたよ。会わなかったけれど、ね」
 だって、もし今会ったら甘えたくなってしまう。
 そうなったら、俺が俺でなくなってしまう。
 苦笑交じりに語った言葉を、紺侍は静かに聞いていてくれた。
「でも、やっぱり少し寂しいや。
 ……ねえ紺侍。前にお願いしたご褒美、覚えてる?」
「お薬飲めたら、ってアレっスか? もちろん」
「そっか。じゃあ、背中を向けて」
「へ?」
 この話の流れでどうして? とでも言いたそうな彼に、いいから、と促して背を向けてもらい。
 背中にぎゅっと抱きついた。頬を寄せる。
「……なんだか落ち着く」
 ほっと息を吐いて、目を瞑った。祭囃子の音や、人々の楽しそうな声が今までよりもはっきりと聞こえてくる。だけどそれは遠い。
 今一番感じているのは、夏には少し暑いくらいの紺侍の体温。汗の匂い。鼓動のリズム。呼吸するタイミング。
 それら全部が、妙に落ち着いて。
 こんな風に抱きつかなくても、それは前々から思っていたことで。
 ――どうして紺侍の傍は落ち着くのかな……?
 自分自身に問いかけた。
 答えはまだ、見つからなかった。