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リアクション
2.
それから、しばらくして。
「ふふ……」
登り立つ湯気の中、薔薇の香りが漂っている。
湯に浮かぶのは、色とりどりの薔薇。その花びらが時折白い肌を撫でる感触に、雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)はくすくすと笑みを漏らした。
「綺麗なお風呂で綺麗なものを楽しむ…女の夢が叶った上に綺麗になれるなんて最高よぉ」
うっとりと呟くリナリエッタ。
この薔薇は、彼女が先ほどのバラ園で入手してきたものだ。ホテルのスタッフに頼み、特別に彼女のため、本日の女性用風呂の一角は、美しい薔薇風呂となっていた。
やや白く濁ったお湯に、華やかな赤やピンクが浮かぶ様は、まさに夢心地といったところか。
「いい香りだわぁ」
リナリエッタの緑の瞳が、チェシャ猫のように細められる。
イケメンに囲まれるツアーと聞いて、期待をこめて参加をしたものの、到着したバラ園で花に囲まれた途端、リナリエッタの封印が解けた。すなわち、実は幼い頃に夢見ていた、これぞまさに、乙女の世界! と。
常日頃なら、イケメンをはべらせ、女王様よろしく君臨するのが彼女の夢だが、今日ばかりは違う。
「私の王子様は、来る? 来ない? 薔薇さん、教えてくれないかしらぁ?」
そう囁きながら、手元にあった薔薇の花びらを、一枚一枚湯へと落とす。まさに乙女チック全開! である。
だが、そこへ。
「……あら、どたなかいらっしゃいますの?」
タオルで胸元を隠し、風呂へとやってきたのは、ペルラ・クローネ(ぺるら・くろーね)だった。湯気とタオルに隠れてはいるが、相変わらずのナイスバディっぷりである。クリスタル・カーソン(くりすたる・かーそん)も一緒だ。
「あ」
先ほどの恥ずかしい呟きが聞こえてはいないかと、リナリエッタは珍しく頬を赤らめる。完全に自己陶酔の世界にいるところは、あまり見られたいものでもない。
「まぁ、薔薇のお風呂! 素敵ですわ」
「そ、そうねぇ。悪くないわぁ」
長い足を組み直し、リナリエッタはそう答える。ペルラとクリスタルも嬉しげに湯に入り、ほうっと一息をついた。
「なんだか、夢みたいですわね」
「ほんと、気持ちいいわ」
どうやらとりあえず、先ほどの乙女チック☆薔薇占いは聞かれずに済んだらしい。リナリエッタも別の意味で、ほっと息をついた。
一方で、ペルラはちらりと、男風呂のほうを見やる。露天風呂の部分にしても、どうやらここは男性用と女性用で、かなり場所が違う。よほどのことがなければ、のぞかれる心配はなさそうだ。そのことにほっとしつつも、男風呂のミルト・グリューブルム(みると・ぐりゅーぶるむ)の様子が気に掛かるペルラなのだった。
少し前、ミルトには辛いことがあった。ペルラは少しでもそんな彼を元気づけたくて、今回の旅行に誘ったのだ。今のところそれは功を奏しているようで、おそろいのカップを作ったときも、バラ園を歩いたときも、ミルトは楽しそうにしてくれていた。
(旅行は楽しんでいるようですけど、お風呂、一人で大丈夫かしら……?)
寂しがっていなければいいけど、という反面、はしゃぎすぎてまわりに迷惑をかけていないといいけど、という不安もある。
お湯に浮かぶ薔薇をすくいあげ、ペルラはふぅと息をついた。
男風呂のほうは、なかなかの満員御礼だった。
脱衣所でひとまず服を脱ぐと、レモはあたりを伺う。大人数でお風呂を使うのなんて初めてだ。さすがに気恥ずかしくて、タオルは腰にまいた。
「レモ!」
「わっ!」
突然背後から頬に肉球を押しつけられ、レモは驚きに目を丸くする。それから、白銀 昶(しろがね・あきら)の姿に嬉しげに笑うと、ぎゅうっと狼の首元に抱きついた。
「おっと」
「お風呂なの? 僕もこれからなんだ」
ふわふわの手触りを楽しんでいるところ申し訳ないが、するりと昶は人型に戻る。
「あ、戻るんだ」
「このまま入ったら、風呂が毛まみれになっちまうだろ? ま、もともと長湯は苦手だけど」
「僕、温泉って初めてなんだ。普通のお風呂と違うの?」
レモの問いかけに答えたのは、清泉 北都(いずみ・ほくと)だった。
「温泉は、普通のお風呂とは違って、天然の遊離炭素、リチウムイオンなどを含んだものを言うんだよ。ここのお湯は、切り傷とか打ち身にも良いし、飲むと胃腸にもきくって言われてるねぇ」
北都の説明に、興味深そうにレモは耳を傾けている。
「まずはお湯に入るまえに身体を洗ってね。後で背中を流しに行くから。あと、そうだ、これ」
北都が手渡したのは、黄色の『アヒルちゃん』だ。お風呂に浮かべて遊ぶ、ゴムのオモチャである。
「これは?」
「日本でのお約束かなぁ」
のんびりと北都は言うが、そのアヒルには念のため、クナイ・アヤシ(くない・あやし)の『禁猟区』が施してある。まさかこんなところで襲う人間もいないだろうが、念のためといったところだ。
「ありがとう!」
「あ、いいなぁ!」
ひょっこりと顔をだしたのは、ミルト・グリューブルム(みると・ぐりゅーぶるむ)だ。黄色の可愛らしい色に興味をひかれたらしい。
「よろしければ、どうぞ」
「え、いいの!? ありがと! あとでペルラにも見せようっと!」
ミルトがはしゃいだ声をあげる。
「ねぇ、お風呂一緒に入ろうよ」
見た目の年齢が近いため、レモがそうミルトにもちかける。混浴でなかったため、ペルラと離ればなれになってしまっていたミルトは、「いーよ」と快諾した。どのみち、一人じゃつまらない。
「温泉のお湯は滑りやすいから、足元に気をつけてねぇ」
……と、北都が言った側から、「よーしっ!」と勢いをつけて洗い場に飛び出したミルトが転びかける。
「わっ!」
その小さな身体を支えたのは、先に洗い場にいたニーア・ストライク(にーあ・すとらいく)だった。一応、腰にはタオルを結んでいる。
「おいおい、大丈夫か?」
「うん。わー、びっくりしたぁ」
ミルトは、そんなアクシデントも楽しいように笑っている。もっとも、転んだ先がペルラの柔らかなおっぱいでないのは、いつもと違うことだが。
「なに持ってるんだ? ……アヒルちゃんか、ひっさしぶりに見るなー!」
「日本ではこれを持って入るんですってね。お風呂の神様なんですか?」
レモの質問に、「まぁそんなもんかな?」とニーアが答える。
「ふぅん。じゃあ、身体を洗う間はここにいてもらおう」
レモとミルトが、洗い場の脇にアヒルちゃんを並べた。
二人が身体を洗う……というより、水遊びをはじめると、ニーアもそれに参加する。いつの間にか、昶もそれに混じっての大騒ぎだ。
「レモさん、背中をお流ししますよ」
泡だらけになっている四人に苦笑しながら、北都はさりげなく騒ぎをなだめた。
「ニーアさんも、よろしければ」
「や、俺はもうそろそろあがろうかなと思ってたから、いいぜ。ありがとな!」
泡を流しながら、ニーアは八重歯をちらりと見せて笑った。
(まぁ……レモ様たちでしたら、安心ですね)
その様を見守りつつ、クナイが内心で呟き、胸をなで下ろす。北都が執事として行動するのを押しとどめはしないが、あまり他人と裸のつきあいなぞして欲しいものでもない。
その点、レモやミルトといった少年であれば、心配もないというものだ。
(とはいえ……)
「背中を流してくれる? そうか、ならやって貰おうか」
先に洗い場にいたソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)が、北都にそう頼むのは、少しばかりカンに障るが……。
(気にしてんなぁ)
一方、ソーマはわかっていて、クナイの前で頼んでいるわけなのだが。
「流すよー」
暖かい湯を背中からかけてもらいながら、ソーマは小声で北都に尋ねた。
「で、お前等どこまで言ったんだ?」
にやにやとソーマの口元に笑みが浮かぶ。それに対し、呆れ半分、照れ半分で、北都は聞こえないふりをする。
「ああ、それと……」
「なんだい?」
「レモは、あれ……まぁ、いいか」
「?」
思わせぶりなソーマの言葉に、北都は小首を傾げた。
「あっちは賑やかですねぇ」
エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)が洗い場の騒ぎにくすくすと笑う。
露天風呂のほうは、今はエメとジェイダス、そしてリュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)の三人の貸し切り状態だ。
夜も更けて、冷たい風が火照った頬に気持ちが良い。
三人とも、髪は湯に入らないようにまとめている。ジェイダスの分は、北都からヘアゴムを預かって、エメがやってあげたものだ。
金のピアスはそのままで、髪だけを結い上げたジェイダスは、またより一層雰囲気が違う。幼さというより、むしろ色気が増すようだった。しかもなお。
「私たちは、あちらへはもう少し後にしましょうか」
「ああ。今はまだ、この湯を楽しんでいたいしな」
ジェイダスの指先が、エメの膝のあたりをくすぐるように撫でる。その感触に、エメは思わず肩を揺らしてしまいながらも、動かないようにじっと辛抱した。
「ジェイダス様……」
もう、と思っても、強くは出られない。今、ジェイダスはエメの膝の上に乗っているのだ。お湯の中だから、浮力もあり、ほどんど重さは感じない。漆黒の濡れた肌と、エメの白磁の肌がコントラストを描いている。
もともと、露天風呂の底が深めで、リュミエールが「エメ、温泉深すぎるみたいだから、ジェイダス様に膝に座って頂いたら?」とすすめ、ジェイダスが当然のようにそれに乗ったが故の状態だった。おそらく、実際には膝立ち程度でなんとかなるのだろうが、ジェイダスとしては硬い石よりも滑らかな膝の上のほうが良いに決まっている。
「ふぅ……」
ジェイダスが息をつき、甘えるようにリュミエールの首筋に額を寄せる。誘いかける仕草に、思わずエメはますます頬を赤らめてしまった。
(なるほど。身体が小さくなって、ハーレムのお小姓たちとはどう楽しむのかと思ったけど……自分が膝にのって悪戯をするというのもありってわけか)
リュミエールは、妙な感心をしている。
「でも、ジェイダス様……」
「どうした?」
「本当にご無事でよかった、もうあんな決断を一人でなさらないで下さいね」
エメはそう呟くと、細い両腕でもって、ジェイダスを柔らかに抱きしめた。
「そうだな。ラドゥにも、心配をかけたようだ」
「そうだよ。……あーあ、旅行、ラドゥ様も一緒なら良かったのにね」
留守番のラドゥのことを思い、リュミエールが唇を尖らせる。しかし。
「たまにはな。……寂しがる様を見るのも悪くない」
ジェイダスがそう答え、口元にやや意地の悪い……それでいて誘惑的な笑みを浮かべる。その分、帰ってからはたっぷり可愛がってやるとでもいわんばかりに。
「あのお土産、喜んでくれるといいな。僕も明日コーヒーを買うつもりだから、帰ったら四人でお茶でもしたいね」
ジェイダスが昼間、陶器のティーセットを買ったとき、一緒に選んだのはリュミエールだ。そのカップでお茶をする時のことを想像し、リュミエールは楽しげに笑った。
「へぇ、こっちが露天なのか」
そのうち、ソーマがレモたちをつれて、露天風呂へと出てくる。ジェイダスが二人に目配せし、リュミエールとエメは風呂から立ち上がった。
「ジェイダス様、いらしたんですね。あ、これ、いただいたんです」
レモが嬉しげに、アヒルのおもちゃをジェイダスに見せる。その横から、ソーマがふと悪戯心をおこし、ジェイダスに問いかけた。
「少し気になったんですが、……その体だと、夜の営みもままならないのではないですか?」
「いとなみ?」
きょとん、とレモが目を丸くするのを、昶が「こっち」と手を引いてやった。なにもオトナの話をあえて聞かせることもない。ミルトのほうは逆に興味津々の態だが、ついでに腕をひいて風呂に引っ張っていった。
その間に、ジェイダスはふっと微笑み、ソーマを見上げて答える。
「どうかな。試してみるか?」
「いえ、それには及びません。俺はされるよりする方が好みですし、今は可愛い恋人もいますので」
丁重に辞退をしつつ、ソーマもまた妖しい笑みを浮かべる。
「そうか、それは残念だな」
軽くそう答え、ジェイダスはエメを伴い、洗い場へと歩いて行った。
「ジェイダス様、お背中をお流ししますね。さっき、薔薇の石鹸を買ってきたんです」
「じゃあエメは僕が洗おうか。……全身くまなく直接掌で」
「……もう、金剛力で背中流しますよ」
からかってきたリュミエールには、照れつつも呆れて返すエメだった。
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