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リアクション
牧舎のほうでは、鬼院 尋人(きいん・ひろと)を中心にして、乗馬体験が行われていた。すぐそばでは羊が草をはみ、乳牛の乳搾りもできる。レモたちが辿り着いた頃には、すでに食事を終えた参加者たちが、多く集まっていた。
「ああ、この手触り堪らな〜い」
羊を抱きしめて、うっとりと目を細めるレキ。ふわふわの触り心地は、このまま眠ってしまいそうなほどだ。
「たしかに、心地いいな」
「だよねぇ〜! あー、家に連れて帰りたいくらいだよ!」
きゃっきゃとはしゃぐレキに、「そうだね」とナンダ・アーナンダ(なんだ・あーなんだ)が微笑んで答えた。
……といっても、ナンダは偽名での参加だ。服装も、地味な色合いのインド民族衣装に、全身を覆うマントを重ね、顔を覆う仮面もつけている。
彼の正体について、おそらくルドルフあたりは気づいているに違いないが、あえて口にだすほど野暮ではない。ナンダは久しぶりの薔薇の学舎の雰囲気を、存分に味わっていた。そして、なにより。
(レモ様……お久しぶりです)
尋人に支えられ、馬に乗る姿を遠目にナンダは見つめる。レモに会うこともまた、ナンダのこの旅の目的のひとつだった。
「馬って、おっきいけど、優しいんだね」
レモは、尋人とともに馬に乗ると、あたりを軽く一周させてもらっていた。頬を撫でる風は心地よく、いつもより高い視点から見る世界は、また新鮮に思える。
「乗馬は初めて?」
「うん。でも、一度乗ってみたくて。薔薇の学舎の馬術部って、尋人さんもいるんだよね? 今度、遊びに行ってもいい?」
「それは勿論。歓迎するよ」
尋人はそう、心から答えた。
「あ! 今、鳥が飛んでいったよ。見えた?」
レモはなにか発見するごとに、嬉しそうに尋人を見上げて報告する。そんな彼に微笑みつつも、ふと、どうしても、思い出してしまう。
かつて、薔薇の学舎で、うり二つの少年とこうして過ごしたことを。
(レモはウゲンじゃない。……それはわかってる)
けれども、どうしても。
胸の奥が、微かに痛むのは、事実だった。
助けたい、というのは、おこがましいかもしれない。だけど、もう少し、『何か』をしてあげたかった。でも、できなかった。ウゲンは最後まで、尋人の手には届かない、虚無の向う側にいた。
ふと遠い目をした尋人に気づいたのだろう。レモは暫し黙り込み、じっと前を見つめている。
馬から降りると、レモは尋人の手を借りて、地面へと降りた。
「どうもありがとう」
「いいや。……そうだ、これを」
事前に頼んでおいた、栗毛の馬のたてがみ一房をを三つ編みにしたものを、尋人はポケットから取り出した。そしてそれを、レモの細い手首に結んでやる。
「記念の、お守りだよ」
「わぁ……! ありがとう!」
レモは瞳を輝かせ、尋人に礼を言う。そして、それから、やや逡巡しつつも言葉を続けた。
「あの、ね。ちょっとしか乗ってない僕が言っても、おかしいかもしれないけど……馬って、なんだか、言葉がなくても、心が通じる感じがするね」
「ああ……そうだね」
「でも、言葉が通じても、心が通じないこともあるし、……わからないってことも、あると思う」
レモは目を伏せた。おそらくはレモ自身、自らの創造主であるウゲンのことを、理解はしきれないのだ。忌避する想いと、それでもどうしても、鏡を見るたびに思い出さざるをえない存在。それが、レモにとってのウゲンだった。
「……レモ」
「でも、でもね。ジェイダス様が助かった時、みたいに、……想いは、なにかを変えられるって、……僕は、信じたいんだ」
レモはそう言い切ると、にっこりと笑った。
「オレもだよ」
尋人も同意し、レモの頭を軽く撫でる。
そうだ、色々なことはあったけれども。これから先の未来を、今の尋人には信じることができる。そう、言い切れた。
「わー、これ、今絞ったの?」
「そうじゃ。なかなか悪くなかったのぉ」
レキとナンダのところに、乗馬ではなく乳搾り体験を終えたミアと、アレフティナがやってきた。手には、絞りたての牛乳の入った瓶を持っている。
「美味しそう!」
「待て、どうせならこれでソフトクリームをだな……」
さっそく飲みたがるレキを押さえ、甘いもの好きのミアがそう提案する。そこへ、ルドルフが通りかかった。
「どうだい? 楽しんでくれているかな」
「校長先生! これ、絞りたてのお乳なんですよ。一緒に飲みましょうー!」
まだほんのりと湯気をたてているミルクを、嬉しそうにアレフティナが差し出す。
(え、殺菌なしで飲めたっけ? 絞りたては大丈夫なんだっけ? それともこのウサギなりの冗談か?)
少し離れたところで羊をかまっていたスレヴィが、内心で焦る。
ルドルフがどうするかはわからないが、とりあえず腹を壊されても困る。なんたって、責任がこっちにきてはかなわない。
(気づくかな?)
その場でスレヴィは、とりあえず身振り手振りで「飲むな」とルドルフに伝えようとした。
「……なんか、踊ってる?」
ミアがスレヴィの怪しい動きに小首を傾げる。そして肝心のアレフティナは、無視だ。スレヴィのすることを気にしては、いつもろくな事にならない。
だが、ルドルフにはなにかしら伝わったらしい。優雅に右手を差し出すと、ルドルフは牛乳瓶を受け取った。
「ありがとう。せっかくだから、コーヒーと一緒にいただくよ」
なるほど、アレフティナの好意を受け取りつつも、その場では飲まないという方向でルドルフはあしらったわけだ。
(はぁ、そうきたか。……しかしストルイピンも、せめてチーズをプレゼントくらいにしとけっての。善意や好意が凶器になるって、こういうことかな)
ひとまず胸をなでおろしつつ、スレヴィは内心で呟いた。
「乗馬はいかがでしたか?」
「あ……、楽しかったよ」
ナンダに声をかけられ、レモは足を止めた。どこの学生かすぐにわからないのだろう。少しだけ、戸惑いの表情を浮かべた。
こうして久しぶりに対面しても、本当に良く似ている。姿形だけでいうならば、まさにクローンといっても差し支えはないだろう。
やや複雑な想いで、ナンダはレモを見つめつつ、話しかける。
「私も、久しぶりに安らいだ気持ちになれました。来て良かったです」
「そうなの? よかった!」
タシガンを褒めてもらえたことと、友人である薔薇の学舎の生徒たちの働きが認められたことに、レモが嬉しそうに答える。
「僕も、全然知らないことばっかりだから、すごく楽しいんだ。もう帰らなくちゃならないのが、残念なくらい」
「そうですね、ボクもですよ」
そこへ、レモが餌を持っていると勘違いしたのか、羊がすり寄ってくる。可愛らしいがそれなりにサイズの大きな羊に押され、レモは軽くよろけながら笑い声をあげた。
「大丈夫ですか?」
「うん、あは、びっくりした」
レモの身体を右腕一本で支え、それから、ナンダは思い切って尋ねた。
「レモ様、今、あなたは幸せですか?」
突然の問いかけに、レモはやや驚いたようだ。ぱちぱちと瞬きをし、それから、少しだけ、俯いた。
「うん。毎日楽しいし、充実してるよ? まだ、カルマをちゃんと起こせてはいないから、それは気がかりだけど、焦らなくていいって言ってもらえてるし。……でも」
「でも?」
やはり、ウゲンのことがあるのだろうか。そう思いながら尋ねると、レモの答えは、ナンダの予想外のものだった。
「会いたい人がいるんだ。僕が目を覚ましてから、すごく優しくしてくれた人。……ウゲンのこともあって、転校しちゃったけど……」
「…………」
レモは、目の前にいるのがその相手だと気づかずにいるらしい。
「会って、どうしたいのですか?」
「あのね、……うんと、うまく言えないんだけど。僕とその人は、似てる気がしたんだ。どっちも、あの人の影響は消えない。これからも、多分、ずっと。……だけど、それはそれでいいんじゃないかなって。そうであっても、『自分』は、『自分』だし、それ以外になんてなれないんだから」
「そう……ですね」
訥々と、しかし、おそらくこれは、今までレモがずっと考え続けてきたのだろう。口調は決して強くないものの、その奥には、硬い芯のようなものが感じられた。
「それと、謝りたくて。僕、……ウゲンと重ねないで欲しいって、なんか、その人のことを突き放しちゃったから。そうじゃなくて、自分が努力しなきゃいけなかったのにね。僕として、つきあって欲しいって」
「レモ様……」
私がそうです、という言葉を、ナンダはしかし飲み込んだ。そのかわり、レモの肩に右手を置くと、優しく口を開く。
「大丈夫ですよ。きっとその人にも、レモ様の思いは伝わっていますから」
「そう、かな?」
「ええ。ですからあなたは、今のあなたを取り巻く全てのものを大切にして下さい」
真心をこめて、ナンダはレモの瞳を見つめたのだった。
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