校長室
【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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第10章 北西地区にて アガデの都で比較的火災と破壊をまぬがれた場所が北西だった。 全く被害を受けなかったわけではなかったが、それでも全損している区画はほとんどなく、補修工事をすればまだ使える場所が大半だった。そのためわりと早期のうちに修復が完了し、人々が住める状態になっていた。 ただ、ここは北西という立地条件から想像できるとおり、夜の顔を持つ場所である。酒場、花宿がひしめく歓楽街であり、そこに暮らす人々に富裕層はまずいない。 現状、都のほとんどが壊滅していることもあり、ほかの地区からの避難民も大勢流入していて一概にそうとは言えないが、中流階級以下であるのは間違いなかった。 「…………」 広場の一角に張ったテントの中で、笹野 朔夜(ささの・さくや)はカルテの束を覗き込んでいた。はらりとめくって次のカルテを見、1〜2分考え込んだあと、めくって次を見る。 カツカツとペン先が机を打っていた。 「どうした? 朔夜」 垂幕をくぐって中へ入った笹野 冬月(ささの・ふゆつき)が、難しい顔をして考え込んでいるふうの朔夜に問う。 少し休憩しろと言って出たはずなのに、とわずかに眉を寄せた冬月を、朔夜は疲れた笑顔で振り向いた。 「ああ、冬月さん」 冬月が心配げに見ていることに全く気付かない――もしくはわざと気付かないフリをしている――朔夜は、再び机上のカルテに目を戻す。 「いえ、朝からずっと診察していた人たちのカルテを見ていたんですが……皆さん、問診でかゆみや痛みを訴えられていたでしょう? 手足や背中、胸元と、部位は違っていますがどこも腫れたり熱をもったりしていて…。根本的に原因は同じかもしれないと思って」 はっきりと病気と分かるものとは別により出していたカルテの束を差し出す。 それを受け取り、冬月はめくった。 「衛生面だな。ネズミ、ダニが原因だ」 「俺もそう思います。乳幼児を担当してもらっている九条さんの意見もお聞きしたいところですが、まず間違いないでしょう」 うわさをすれば影。 テントの垂幕をめくって、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が朔夜たちのテントへ入ってきた。 「すまないが、こちらに咳止めシロップの予備はあるか? あったら分けてもらいたいんだが」 「九条さん、いいところへ」 朔夜は自分の推測をまじえながら、手早く自分のした男たちの診察結果の報告をした。 「ふん…」 ジェライザは冬月がシャンバラから持参してきた薬箱の1つから出してきた咳止めシロップを手の中でくるくる回転させながらうなずく。 「間違っていないだろう。私のところの幼児たちもかなりかぶれが出ていた。湿疹やかさぶたが重症化しているケースもあった。喘息、アトピーも考えられるが、母親が軽いうつにかかっていて、無気力状態で幼児の世話を怠ったのが原因だろうな。そしてその大元は、やはり自身の体調不良、衛生面だ」 念のため、と彼らは別テントでやはり子どもの診察をしている六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)を呼び出して意見を聞いた。 「あー、うちはそうでもないですけどね。……いや、そうだったのかな?」 「なんだ、はっきりしないな。どっちなんだ」 シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)があきれたように腰に手をあてる。 鼎はその態度に多少ムッとしながらも答えた。 「子どもは手足に擦り傷切り傷をつくるのは当たり前ですからね。虫さされも日常茶飯事。かゆけりゃボリボリ普通に掻くし。今だってホラ、私のサシャをジャングルジムみたいに登ってるじゃないですか。シルバーウルフに抱きついたりして。あれはおとなしくて我慢強いからいいですけど、普通の馬や犬でしたら噛みつかれたり振り落されたりするでしょう? それで負った傷と一緒くたに診るんですから、判別つきませんよ」 鼎の指差した先で、子どもたちはペガサスと狼にむらがって、きゃあきゃあ声をあげながら遊んでいた。 「体調ですが、あの歳なら母親にちゃんと自己主張しますから。子どもがおなかが空いたと言えば、親は自分が抜いても与えるものです。栄養失調の子は、軽度の者がごく一部にしかいませんでしたよ」 「そうか……それはそうだな」 ジェライザがほっとした顔でうなずいた。 「つまり、まだそこまではいっていないということだ。今のうちに対処すれば、回復も早い」 確認を求めるようにジェライザに見つめられ、朔夜もうなずきを返す。 「彼らの居住区の殺菌、殺虫ですね」 「地区全部の燻煙となると大がかりで私たちだけでは手が足りない。今夜の報告会議で出して、燻煙剤の取り寄せと兵の割り当てをお願いしよう」 「室内用消毒薬なら手配済みだぞ」 それまで聞きに徹していた冬月が言った。 「え?」 「昨夜ハワリージュに頼んでおいた。2時間ぐらい前に確認をとったら、向こうにあった在庫の分をアイランド・イーリで運んでくるとユーベルから連絡が入ったと言っていた。そろそろ届くはずだ」 「……すごいですね、冬月さん。気付いていたんですか?」 「いや。俺はみんなのように診察はできないからな。暇だったから掃除でもしようと考えていただけだ」 実をいうと昨日もそうしていたのだが、冬月はだれかに自分の行為を宣伝して歩くような人間ではないため、だれにも気付かれていなかったのだ。持参してきていた消毒薬はあっという間になくなってしまったため、その補充として大量に頼んだのが功を奏したというわけだ。 淡々と答えて、冬月はテントの入り口へ向かう。 「そろそろ届いていないか、聞いてこよう」 「あ、俺も行きます」 朔夜が腰を浮かせてあとを追った。 「とりあえずの対処には十分だな。シン、おまえも行ってくれるか? 私は午後の診察が残っているから動けないんだ」 「OK」 「では戻るとしよう。休憩時間もちょうど終わりだ」 2人はそんな会話をしながらテントを抜けて行き、中には鼎だけが残された。 急にしんと静まり返った中、鼎はふうと息を吐く。 「どうやらまだまだ終わりそうにないですねぇ」 こんなこと早く済ませて、さっさとこちらの研究に戻りたいのに。 鼎は白衣のポケットをがさごそ探って、小瓶を取り出した。以前、海辺の村で手に入れた「ドゥルジの石」だ。素手で触わると危険なため、こうして瓶に入れて持ち歩いている。 かつての戦い――あれは本当に1年半前の出来事だったのだろうか? もうそんなに経ってしまったとは。 (……コリマストーンですらない、「石」。なのに「意思」を持っている、「石」。あまつさえこれを手にした者はエネルギー弾を発射できるときた。悪魔たちの魔鎧技術にも似ていたが、やはり違う) これの集積体であるドゥルジは、全身をこなごなに砕かれようと再生した。ということは、この中にはナノ単位で膨大な情報が記録されているということだ。「ドゥルジ」を形成する全ての記録。でなければプラナリアみたいに頭部が2つ、足が4つある化け物になっておかしくなかった。 (これを研究すれば、「私たち」の命題である「魂とは何で、何処に宿るのか」にたどり着けるのだろうか…) それは、だれにも分からない。 そしてその時がついに訪れたとき、「鼎」に分かるかどうかすら……分からなかった…。 冬月たちがテントを出ると、広場の反対側に炊き出し班が来て準備を行っているところだった。 ハワリージュのほか、ジュンコ・シラー(じゅんこ・しらー)とマリア・フローレンス(まりあ・ふろーれんす)の姿もある。 「ハワリージュさん」 「あら」 近づく彼らに気付いて、ハワリージュが面を上げた。 「消毒剤は入りましたか?」 「ええ、入ったわよ。さっきオルトリンデ少女遊撃隊……だったかしら? その方が運んできてくれたわ。 えーと。メルキアデス……さん、でしたっけ?」 鍋の梱包を解いていたシャンバラ教導団制服の男性の背中に向かって声をかける。 ん? という表情でメルキアデス・ベルティ(めるきあです・べるてぃ)が振り返った。 「はい、俺様メルキアデスであってますよー。なんですか? リージュさん」 曲げていた膝をぱんぱんはたきながら立ち上がる。 「さっき飛装兵の少女が届けてくれた箱がいくつかあったと思うんだけど」 「ああ、ありましたねえ」 「あの中に消毒液の箱があるはずだからより出して持ってきてくれないかしら」 「はいはーい」 ぴし! と敬礼をして、積まれた箱に向かう。 大股に歩いていくメルキアデスに、いちいち大げさなやつだな、と思いつつも冬月は後ろについて行った。 「ほら、これだろ!」 「ああ。ありがとう」 ダンボールに入った消毒剤1ダースを受け取って、冬月は礼を言う。 「こんなに大量にどうするんだ? 5倍希釈だぞ」 「……消毒をする」 「いや、そりゃそーだろーけど」 冬月の言葉数の少なさにメルキアデスは驚いたように目をぱちっとさせると次の瞬間プッと吹き出した。 「あ、いや悪い」 先から無表情なのは変わらないが、見つめる目があきらかに冷たくなった気がして、メルキアデスはあわてて説明をする。 「ほら! 俺様こんなだからさ! なんつーの? 新鮮だなあって」 「ああ。それは分かる」 わはははーーーっと満面の笑顔ではきはきとしゃべるメルキアデスと冬月は、あまりに対照的な存在だった。 それでも根気はあるらしい。冬月から少しずつ聞き出して、メルキアデスは彼らの目的を知ることができた。 「へー、衛生面の改善か! それ、いいな!」 「……いいな?」 反応の意味が分からず、小首を傾げる。 「美女の部屋入り放題だし? 美女のベッド触わり放題だし? 美女のタンスの中だって覗けるし!」 キラキラ目を輝かせて鼻息あらく力説する。 「その上すごい感謝されるって、まさに夢のような仕事じゃん!」 「……いや、大半は年寄り――」 「くーっ! しかし惜しいなあ! 俺様、水の改善に来たんだよ! ほら、井戸って、掘っても沈殿するまで飲めないだろ!」 水は命の生命線。そう考えたメルキアデスは、井戸水の濾過装置の設置に来たのだ。 装置といっても単純なものだ。土と枯葉と大小の砂利、ティッシュや炭等を漏斗(大)に入れ、上から水をくぐらせる。これを数回行い、煮沸消毒すれば飲めるようになる。――味は、多分おいしくないが、お茶とかにすればごまかせるだろう。 「それを目の前で行えば、きっと子どもの目を引く! なんたって子どもは理科の実験が好きだからな! 遊び感覚で飲み水作りができるってもんだぜ! そして親たちはそんな俺様の姿を見て感心する! 水は洗濯にも必需だからな! 母親なんか、特に感激してくれるに違いない! 感謝の言葉を12騎士や領主に訴えてくれりゃ俺様の株急上昇!! 東カナン領主名の感謝状の1枚も出れば、教導団での俺様の地位向上にもつながるってもんだ!」 「……すごいな」 よくそれだけ一気にしゃべれるものだ。 「俺様はシャンバラ教導団の希望の光! いや、いずれはパラミタの頂点に立つメルキアデス・ベルティ様だぜぇ!! これっくらいなんでもねえ!!」 なーーっはっはっは! 冬月の感心を別の意味に勘違いしたまま、メルキアデスは太陽の方角を向いて高笑った。 (ああそうか、こいつおつむが弱いのか) メルキアデスに対するいら立ちが同情に変わって、ふうと息を吐く。 だが、ばかではない。 おそらく感謝状は出るだろう。バァルをよく知る冬月は確信を持ってそう思う。名誉欲の強いメルキアデス自身の目的がどうあれ、することはたしかにここの人たちの役に立つし、そうなったらバァルは彼に感謝する。――ただ、感謝状が出るとしたら今回ボランティア参加した全員にか、あるいは学校単位だろうが。 そのほかせいぜい考えられるのは、復興が完了したあとで開かれる記念式典への招待ぐらいか。 「消毒に回るのは今すぐじゃない。今日だけで終わる話でもないからな。一緒に回ってくれるなら助かる」 (人手が必要なのはたしかだしな) 「おうよ! 任せとけ! じゃあちゃっちゃとこっちの濾過装置、組み立ててくるぜ!」 パチッとウィンクを飛ばし、メルキアデスは濾過道具の入ったダンボールを抱えて颯爽と広場の中央にある井戸へと向かった。 ダンボールから広げ始めた物に興味を示した子どもたちがバラバラ集まって、不思議そうにメルキアデスの手元を覗き込んでいる。取り囲んだ子どもたちから次々と飛んでくる質問に笑って答えるメルキアデスは、名誉のためにしていると言ったわりには心底楽しそうだった。 「なーっはっはっは! その顔、疑ってるなぁ? 今に見てろよ? すぐ飲ませてやっからなあ!」 子どもたちの声にまじってメルキアデスの笑い声が広場に響いていた。 「大きな声ね」 調理用の台の上にガス台を設置しながらマリアがほほ笑んだ。 「そうですわね。少し大きすぎる気がしますけれど」 そのすぐ横でショウガをきざみながらジュンコが答える。 「にぎやかなのはいいことね。彼はおおらかで悪意がないから、見ているとこちらもつられて笑いそうになるの」 ふふ、と笑いが口をついて、マリアは手を添えた。 おおらかというか……あれは子どもと同じレベルなのだ、とジュンコは思う。だからああして子どもの輪にすぐなじむ。 だがたしかににぎやかなのはいいことだ。特にこういった、活気が足りない場所においては。 きざんだショウガをざっと横の鍋に入れて、高栄養野菜スープをかき混ぜた。城の厨房を借りて、下準備は終えている。ここではちょっとした味付けとあたためをするだけだ。 「ジュンコ」 「なんですか?」 「これが終わったら、私も朔夜さんや冬月さんたちと一緒に皆さんのお宅を回ってきてもいいかしら? あと片付けをあなたとリージュさんにお願いすることになってしまうけど」 「どうして?」 「私はまだ医学は学んでいる途中でまだまだそういうことでは力になれないけど、話を聞いてあげることくらいはできると思うの。愚痴でも何でも、体に溜めこんだりしないで、だれかに吐き出すことが必要なことってあるでしょ?」 彼らが午後からしようとしていることを知って、朔夜が訪問診察をしている間、そばにいて手を握っていてあげたり、冬月たちが掃除をしている間、別室で話し相手になってあげたいとマリアは考えたのだ。 「マリア…」 マリアが何を考えているかを悟って、ジュンコは表情を少し曇らせた。 彼女の考えていることはとても立派だと思う。反面、精神セラピーは、する方の精神負担が大きいのだ。まるで相手の吐露するものをすべてその身に受け取るように…。 マリアを愛するジュンコとしては、マリアが心配だった。 そしてマリアは、ジュンコの心配を察して、笑顔で首を振る。 「話を聞いても何もしてあげられないかもしれない。いいえ、できることの方がはるかに少ないでしょうね。でも、そうしたいの」 「……それならわたくしは何も言えませんわ。あなたには自分のしたい事をしていただきたいのですもの」 「ありがとう、ジュンコ」 感謝の気持ちが伝わるように、マリアはそっとジュンコの手に手を重ねた。 「わたしも、マリアさんの意見に賛成」 手製のピリンチリ・クルムズメルジメッキ・チョルバス(豆と米の粥)を椀に盛りつけながら、ハワリージュが言った。 「実はわたしね、ほんの数年前まで重い病気だったの。ほとんど寝たきりで、何度か死にかけたりもしたのよ?」 彼女の告白に2人は軽く目を瞠る。 男性のようなベリーショートの髪型で、準騎士の格好をして。活発に動く彼女のどこからもそんな過去は伺えない。 「18まで生きられないだろう、この冬は越せないだろうってよく言われたわ。今は笑い話だけど、当時のわたしは毎日毎日ベッドで寝ているだけ。会うのは父とメイドと薬師、あとはセテカぐらいで……とてもつらかった。体もそうだけど、精神的にね。自分が役立たずのバカに思えてしかたなかったわ。何のために生きてるのか、それすらも分からなくなるときが何度もあった。だからセテカにあたり散らしたの。ちょっとしたことで呼びつけたり、バカにした口をきいたり。ほんとに本をぶつけたこともあったわ。それでも彼、何も言わずわたしの呼び出しにいつも応じてくれてた…。 あの人、やさしいでしょ? 今思うと、わたしのぶつけるいやなもの全部引き受けて、吸い取ってくれてたの。それでわたし、病気に負けないでがんばれたんだと思う」 ハワリージュは手を止め、きちんとマリアたちの方に向き直った。 「わたしはあのころのセテカを尊敬してる。この感謝の気持ちは絶対に忘れないわ。 だから、同じように民たちに接しようとしてくれるマリアさんを、とても尊敬するわ。民たちのことをそんなにも考えてくださって、ありがとう」 それから彼らはテーブルの横に列を作った人々に、順番にスープや食料品、日用品を配った。用意してあったスープ鍋がすべてカラになり、ひと段落つくと、マリアは残った日用品の入った袋を両手に下げて、朔夜たちのテントへと向かったのだった。