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あの頃の君の物語

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あの頃の君の物語
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あの時のロザリオ〜沢渡 真言〜

 長く生きられたらいいのに。
 そう思う人は幸せだ。
 その『長い時』が幸せな時のことだからだ。
 さぞ、長く味わっていたいと思うほどの幸福がそこにあるのだろう。
 友達と遊ぶ楽しい時。
 子供と過ごす優しい時間。
 恋人といる甘い時間。
 どれもマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)には無縁のものだった。
「ふ……ふはは…………」
 湖の乙女に閉じ込められてから、どれほどの時が経ったのか、もうマーリンには分からない。
 笑っていても、自分がなぜ笑っているのかすら分からない。
 この悠久の時の始まりが何だったのかも思い出せない。
 ただ、ただ、少しずつ狂っていく自分を感じていく……だけ……。


 ピピピ、ピピピ。
 沢渡 真言(さわたり・まこと)はめざましの音で目を覚ました。
「あれ……」
 執事の家系である真言は、普段は目覚ましが鳴らなくても自分できちんと目を覚ます。
 こんな風に目覚ましの後に起きることは珍しい。
「あの夢を……また見たからでしょうか」
 幽閉されてしまった人の夢。
 それは真言が時々見る夢だった。
 最初見た時に比べて、幽閉されているその人の精神が、段々と不安定になっていることが気になっていた。
 長い前髪の奥にある瞳の色がくすんでいっているようで……。
「……気にしても仕方ないのですけど……」
 夢の中の人を気にするなんておかしなことかも。
 そう思いながら、真言は御園女学園の制服に手を通した。


 御園女学園は真言の幼なじみの家が運営しているミッションスクールで、ミッション系の学校らしく、朝の礼拝や聖書の時間がカリキュラムに含まれていた。
 御園女学園では入学時に新入生にイニシャルが彫られた銀製のロザリオが贈られる。
 真言もそれを持っていた。
 でも。
「もう……これも返さないといけませんね……」
 真言はこの学園を退学する予定になっていた。
 ここを出て、執事の修行をすることになったのだ。
 真言の家は代々執事の家系で、すばらしい能力を持つ執事の父に真言は憧れていた。
 ただ同時に執事になることに反発もしていた。
 憧れと反発。
 年頃らしいその悩みに苛まれ、思い悩む日々が続いた真言だったが、結局、真言は折れた。
 強引に手渡された執事服だったが、一度、袖を通してみると、自分でも驚くほどにしっくりときた。
 やはり父の子供なんだな……と鏡を見ながら、うれしいような残念なような複雑な気持ちになった真言がいたのだった。
 真言が折れてからはトントン拍子で話が進み、真言は日本に新しくできた執事養成学校に行くことになった。
 新しくできたといっても、イギリスの執事学校の日本校だ。
 礼儀作法からワインや食材の知識、来賓への対応など執事として基本的なことをまずは学ぶことになる。
 それらの授業に興味がないわけではなかったが、やはりせっかく出来た御園女学園の友達と、何より幼なじみと離れるのは、真言にとって残念であり、寂しい事だった。
「これを返して、次の学校へ行く準備をしないと」
 ロザリオを手で弄りながら、真言はそう呟く。
 口ではそう言っているが、気持ちはそれに全然付いて行っていなかった。
 父と約束もしたし、自分の将来にもある程度覚悟が出来たはずなのに、完全には断ち切れない自分がいた。
 この学園をやめて、執事学校に行く。
 幼なじみと遠く離れて。
 真言はぎゅっとロザリオを握り、幼なじみのことを考えた。
「……今日、習い事のある日なんですよね」
 離ればなれになってしまう前に、少しでも一緒に遊びたかった。
 でも、今日に限らず、最近は彼女の習い事が増えてきていて、その時間も少なくなっていっていた。
「これが大人になるということでしょうか……」
 真言は小さく溜息をつき、足を礼拝堂に向けた。
 礼拝堂の清掃を手伝おうと思ったのだ。


 掃除をするために動くたび、真言の長い髪揺れる。
 その姿を見つめる者がいた。
 否、今日になって現れた人物ではない。
 その人物は真言が生まれてからずっと、その姿を見守っていた。
 真言は寂しそうに礼拝堂の掃除をしている。
 掃除慣れしているので、その清掃は丁寧なものだったが、心が揺れていても、掃除が丁寧に出来てしまうところに、その人物……マーリンは悲しさを感じていた。
「……あの人はあれからどうなってしまうのでしょう」
 掃除の手を一瞬止め、真言は呟いた。
 マーリンは自分が気付かれたかと緊張したが、そうではなかった。
 真言は誰に呟くでもなく、口にしただけだった。
「ずっとあの中にいるみたいだけど、なんでそんなことになったんですかね……不思議……」
 何のことをいっているのか分からないが、マーリンは自分のことと重ねて考えた。
 なんであんなことになったのか。
 もう自分でも思い出せない。
 嫌われたから幽閉されたのか。
 それとも、想われたから幽閉されたのか。
 幽閉した本人も分からなくなっていたかも知れない。
「……時間が、止まればいいのに」
 大きくなって遊ぶ時間が減ってしまった幼なじみ。
 仲のいい幼なじみから、お嬢様と執事の関係になってしまう自分たち。
 転校しないといけない自分。
 時間が止まればそんなことにならなくて済むのに。
「…………」
 真言の言葉を聞いて、マーリンはぎゅっと自分の手を握った。
 様々に去来する思いがあったが、だが、小さな肩をすくめて寂しそうな真言を見て、何よりも真言を慰めてあげたいと思った。
 その頭をそっと撫でてあげたい。
 でも……触れることが出来ない。
(いつの日か、触れて撫でてあげられることが出来たら……)
 マーリンはそう思いながら、礼拝堂を去った。
 残された真言は、自分以外の誰かがここにいたことなどまったく気付かず、マリア様を見上げた。
「……お祈りすることか分からないけれど」
 真言は膝を折り、マリア様に願った。
「あの人がどうか……あの閉じられた世界から、救われますように……」