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リアクション
翌朝。祥子に礼と別れを告げ、二人はヴァイシャリーを発った。
再び船で対岸に渡ると、今度はシャンバラ大荒野をぬけ、一路ツァンダを目指す予定だ。
「あの山岳地帯のほうだな」
「そうだね」
そんなことを話しながら、車に乗り込み、出発してすぐだった。
ふっと、足下が陰る。空は晴天で、雲一つないというのに。
次第に濃くなる影に、窓を開けて顔をあげると、ドラゴンが翼を広げてこちらにむかってゆっくりと降下してくるところだった。
「なんだ?」
カールハインツが車を停める。尋人かもしれないとちらと思ったが、そうだとしたら、姿をあらわすくらいの緊急事態だろうか?
「え、ドラゴン?」
驚くレモの側で、カールハインツは意識を集中する。しかし、着陸したドラゴンの背中から、転がるように降りてきたのは、小柄なお人形さんのような姿だ。
「レモせんぱーーい!」
満面の笑みで、手を振りつつ、南天 葛(なんてん・かずら)が駆け足で飛び込んでくる。
「葛さん! わぁ、どうしたの!?」
「ボク、今、ドラゴン牧場で、ファームステイしてるの。この子はね、キワノ!」
「そうなんだ……初めまして、キワノさん」
ドラゴンが、微かに低く鳴く。
「キワノも、せんぱいに会えて嬉しいって」
葛はそう言って、にっこりと笑った。
「すごいね、葛さん。もう立派なドラゴンライダーだね」
レモに褒められて、葛は嬉しげにぽっと頬を赤らめる。
「レモせんぱいは、旅行中ですか?」
「うん。昨日はね、ヴァイシャリーにいたんだ。あ、その前に、ハルディアさんたちと海で遊んだりもしたよ」
「わぁ、良いなぁ!」
「楽しかったよ、どこも」
レモはそう言うが、まだその笑顔はどこかぎこちなくも感じられた。
「……せんぱい!空からパラミタを見てみよう!?」
「え?」
「夏の空はすごく高くて蒼くて綺麗なの!」
レモの手を握り、葛は澄んだ青い瞳で、まっすぐにレモを見上げる。
「で、でも」
「いいんじゃないか?」
戸惑うレモの背中を、カールハインツが押す。
「葛。どうせなら、ツァンダまで連れて行ってやれないか?」
「うん、いいよ! ね、せんぱい。一緒に来て?」
葛にしては珍しく強引な誘いに、レモは驚いた様子だったが、「じゃあ、お願いするね」と頷いた。
「空の上は風が強いからしっかり掴まっててね、せんぱい!」
さっそくキワノに搭乗し、葛がそう指示をする。葛の背後に座ったレモは、緊張の面持ちだ。
やがてすぐに、ドラゴンは翼を広げ、地面を蹴って跳躍する。そのまま重力から解き放たれたように、大空へと飛び立った。
「わっ!」
思わずぎゅっと目を閉じ、衝撃と風をこらえる。葛に名前を呼ばれて目を開けるまで、レモはじっと固まっていた。
「レモせんぱい、見て?」
「…………」
ドラゴンの飛行が穏やかになり、レモはおそるおそる目を開ける。そして、声にならない感嘆をもらした。
眼下に広がる、赤茶けた大地。その時々に、美しく緑が映える。背後にはサルヴィン川と、湖の青がきらめいていた。そしてなによりも、一面の青空。葛の瞳にも似た、優しく爽やかな青がレモを包みこんでいる。
ああ、今。風になってるんだ。
わけもなく、そう感じた。風になって、空に溶け込んでいる、と。それはとても、自由な感覚だった。
「綺麗だね」
ようやっと、それだけ感想を呟くと、またしばしレモは眼前の光景に見入っている。
すると、ぽつりと葛は口を開いた。
「レモせんぱい、ボクね……」
ゆっくりと葛が語り始めたのは、葛がここにやってきた理由だった。
顔を見たこともない母親を、父の言葉とロケットの首飾りだけを手がかりに探しにきたこと。
首飾りに刻まれた古代の文字が、龍騎士に関係がありそうなので、ドラゴンライダーを目指したこと。
一人前になって絶対に母を探し出すのだという決意。
「葛さん……」
「そ、それとね」
はにかみつつ、葛は続けた。
「せんぱいに出会って、ボクはパラミタが好きになったの。……せんぱいに、会えたから」
本当は、不安もあった。知らない土地、知らない人たち。パートナーは皆葛に優しくしてくれたけれども、それでも、くじけそうな気持ちになったときもある。
だけど、葛は、レモと出会った。憧れる、という気持ちを知って、それから、それだけではなくて。レモの弱さをも、支えたいと願うようになったのだ。
「だ、だからね! せんぱいが行きたい場所があったら、世界の果てだって葛が連れて行くからね!」
「……葛さん」
小さく名前を呼び、そうっと、……レモは、葛を背後から抱き締めた。額を小さな肩に押しつけて。
「ありがとう」
ドキドキをこらえ、葛は背後のレモの表情を伺う。レモは、泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。
「みんなが僕の存在を許してくれるから、消えるのはやめようって思ったんだ」
「! やだ。消えるなんて、そんなこと考えちゃ嫌だよ!」
「大丈夫。もう、考えないよ。……ただ、それならせめて、もっともっと、強くならなきゃって。もう、二度と、誰のことも傷つけたりしないように」
「レモせんぱい……」
レモの声はいつになく低く、震えていた。その声が、空気だけでなく、直接葛の背中からも伝わってくる。
「でも、それだけじゃダメなんだよね。……僕も、みんなを、守れるようになりたい。まだ、どうすればいいのかは、わからないけど……」
「……ボクも、一緒に考えるよ。せんぱい。だから、ちゃんと……これからも、いて?」
「うん。ありがとう……葛」
葛は、ぎゅっと唇を噛んだ。そうでもなければ、泣いてしまいそうだったから。
少し前なら、きっと本当に泣いていたと思う。だけど、今は。レモを乗せて飛んでいる間は、我慢する。
「ね、せんぱい。ほら……雲海が見えるよ」
「ホントだ。……綺麗だね。すごく」
目元をこすり、レモは笑った。
きっとその雲海は、いつもよりずっと、きらきらと潤んで光っている。
この景色を、葛はきっと、ずっと忘れないだろうなと思った。
ツァンダには午後到着し、葛とはそこで一端お別れだ。タシガンでの再会を約束して、レモは手をふって葛を見送った。
その後、陸路を来たカールハインツと再び合流し、ツァンダの街を一通り散策する。
商業都市ツァンダは、タシガン空峡を隔てて、タシガンの隣だ。そのため、古くから交易が盛んだったが、街そのものの様子はかなり異なる。まわりを囲む田園風景とは裏腹に、街の中は近代的な設備が整い、道路を走る車やバイクも、地球風の最先端のものだ。
ツァンダの街を一通り車で見てまわり、軽く休憩をとると、そのまま彼らは空港へとむかった。各方面への飛空挺がひっきりなしに行き交い、物や人で溢れた、活気のある港だ。
ここから、今度は葦原島へと移動する。
「…………」
ふと立ち止まり、ぼうっとしているレモに、カールハインツが立ち止まると振り返る。
「レモ? どうした?」
「あ、う、ううん。ちょっとぼんやりしちゃっただけ」
「そうか?」
「ほら、あの飛空挺に乗るんだよね? 行こう」
レモは荷物を抱えなおすと、大股に歩き出す。とはいえ、強行軍で続けている旅だ。そろそろ疲れがでてきてもおかしくはない。
(少し、葦原島では滞在を延ばすかな……)
ぎりぎり、空京での花火大会には間に合うようにしなくてはならないが。
「カールハインツさん?」
「そう急かすなよ。わかったから」
わざとけだるげに答え、カールハインツは数歩で一気にレモに追いつく。
葦原島行きの飛空挺への搭乗を告げるアナウンスが、ごった返す空港に響いた。
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