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あなたが綴る物語

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あなたが綴る物語
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●現代ヨーロッパ 1

「――というわけで、現校長は不在のため、元校長の私が一時的に代理を務めているのよ」
 御神楽 環菜(みかぐら・かんな)と名乗ったその若い女性は校長席をはさんで正面に立つ布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)に言った。直後、佳奈子が声も出ないほど緊張しているのを見てとって、安心させるようくすりと笑う。
「この学園にはあなたを取って食おうなんて人はいないから安心して。それに、あなたのように日本から留学している子たちもたくさんいるから、なんだったらあとでグランクルスに紹介してもらうといいわ」
 話しながら彼女は組んでいた指を解き、卓上ベルを鳴らす。
「グランクルス、さん?」
 カラカラののどからどうにか押し出した言葉に、隣室からのドアノックの音が重なった。
「お入りなさい」
「お話はお済みですか、校長」
 青年が入ってきて、佳奈子の隣で立ち止まる。ふわりといい香りがして、佳奈子の鼻腔をくすぐった。誘われるように盗み見た佳奈子は、やはり同じように横目で彼女をうかがっていた彼と視線を合わせることになった。
 彼のほほ笑みを見た瞬間、あせって目を前に戻す。
(こ、こら。静まってよ、心臓)
 好奇心で盗み見していたのがなんだか恥ずかしくなって、まるでお菓子のつまみ食いがバレたような気分で佳奈子はほおが上気するのを止められなかった。
 そんな彼女に気づいているふうもなく、環菜は紹介を続ける。
「佳奈子。彼はあなたが入るクラスの級長をしているノアール・グランクルスよ。学園生活に慣れるまでの間、彼があなたの世話役を務めることになっているわ。
 グランクルス、彼女が日本からの留学生布袋 佳奈子よ」
「よろしく、佳奈子」
 握手の手を差し出してくる彼を正面から見て。
 その、まるで飛行機の窓から見下ろしたときの海の色と同じどこまでも青く澄んだ瞳に、佳奈子は天使を見つけたと思った。




「あー、分かる分かる。ノアールくん、きれいだもんね」
 お昼休み。さっそく紹介されて親しくなったクラスメイトの芦原 郁乃(あはら・いくの)が、サンドイッチにかぶりつきながら同意した。
 ひょんなことからつい「ノアールくんって天使みたい」とつぶやいてしまった独り言を聞かれたと知ったときは恥ずかしく思ったが、そういうわけでもなさそうだとほっとする。
「金髪さらさらだし、真っ青な目してるし。うちのクラスだけじゃなくて別のクラスの女の子たち含めてみんなの注目のまとなんだよ、ノアールくんマジ天使って。
 あ、そーだ。知ってる? 肌もね、もっちりつるつるなんだよ。うぶ毛も金色で、光が当たるとキラキラして――」
「……ずい分詳しいんですね、郁乃」
 となりでショコラテを飲んでいた秋月 桃花(あきづき・とうか)がぽそっとつぶやいた。ちょっとすねたような、悄然とした声。
 郁乃はぎくりとなる。
「い、いやっ、ほらっ、この前のクラス対抗のバスケでさ、あたしボール顔に受けてぶっ倒れたじゃん? あのとき運んでくれたのノアールくんだったじゃん」
「そういえば…」
 そのときのことを思い出したのか、桃花の表情が深刻さを帯びて郁乃を見つめた。
「もう大丈夫ですの? またどこか――」
「へーきへーき。
 で、運ばれてる途中で目を覚ましたんだけど、お姫さまだっこして運ばれるのって初めてだったから、新鮮だなあって思ってたんだよ。そのときすぐ目の前にノアールくんの横顔があって、光を受けてきらきらしててきれいだなあ、って…」
 そこまで口にして、またも桃花の表情が冴えないことに気づいて、あれ? と郁乃は言葉を止めた。
 今度は何が桃花を不機嫌にしてしまったんだろう?
「も、桃花…?」
「……あのとき、私、すっごく心配して後ろを追いかけてたんですよ? もしかしてまた発作が起きたんじゃないかって。なのに郁乃まは、彼の腕のなかでそんなふうに彼に見とれてたんですね」 
「えっ? いや、そんな! 見とれてたりなんかしてないって!」
「きれいなノアールくんの横顔を堪能できて、よかったですね」
 ぷい、とそっぽを向いてしまった桃花にすっかりあわあわして、郁乃は釈明に追われてノアールどころではなくなってしまった。
 どうやらこの2人、ただの友達同士というわけでもないらしい。
 そんな2人のやりとりをかわいいと思いながら佳奈子も食事を再開する。
(でも、そっか。やっぱりそう思うのは私だけじゃないんだ)
 あらためてそう思った。
 休み時間を使って学園内を案内してくれたり、こうして友達を紹介してくれたり。授業のノートも見せてくれて、彼女が少しでも早くなじむように心を配ってくれる。そんな彼だから、クラスでも頼りにされる人気者なのも当然といえば当然。
(やっぱり高嶺の花なのかなぁ)
 そんなことを考えつつ教室へ戻ると、ドアの開閉音を聞きつけてノアールが振り返った。それまで談笑していた友人にことわりを入れて、佳奈子へと近づいてくる。笑顔に、やっぱりどきどきしないではいられない。
「佳奈子。どこ行ってたの? 姿が見えなかったけど」
「郁乃ちゃんたちと中庭で食べていたの。ごめんなさい、何か用だった?」
「いや。一緒に食堂で食べようかと思ったんだ。でもそっちの方がずっといいね。さっそく仲良くなったんだ?」
「うん。ノアールくんのおかげね」
「そんなことないよ」
 ノアールはまた、あのやわらかくて中性的な笑みを浮かべる。今のように窓からの光を背中に受けていると、周囲で光の粒が輝いて見える分、本当に礼拝堂にある天使の像のようでどきりとしてしまう。
「次の授業は教室移動になるんだけど、場所分かる? あ、もしかして芦原さんたちと一緒に行くのかな? 班も一緒とか? もう僕が説明しなくても大丈夫かな?」
「ううん!」
 佳奈子は急いで首を振った。
「あのね、こんなに早く友達ができてすごくうれしいよ。でもね、ノアールくんがパリに来て一番最初の友達なの。それは特別で、何があっても変わらないんだよ!」
 力説してしまったあとで、はたと我に返った。
「あ、あのっ、特別っていうのはね、えーと、えーと…」
 とっさに英語が出てこず、しどろもどろになっている佳奈子にノアールはくつくつと口元にあてがった手の下で楽しげに笑う。
「ありがとう。僕も佳奈子のこと、大切な友達だって思ってるよ。
 さあ、行こうか」
「うん…」
 差し出された手を、少しほおを赤らめながら握る。
 そのひんやりとして気持ちのいい手と手をつなぎ、第三科学室のある東棟へ移動しながらもノアールは佳奈子に棟内の説明をしていく。それにあいづちを打ちながら、佳奈子は、このほおの赤味がさっきのやりとりによるもので、今手をつないでいるせいじゃないと思ってくれるといいな、とぼんやり考えていた。




「桃花ぁ、まだ怒ってるの?」
「……知りません」
 授業が終わり、学園から寮の2人部屋に戻っても、桃花の機嫌は損なわれたままだった。
 ベッドに座り、クッションの端っこをカジカジしながら机で予習をしている桃花の背中に見入る。
 話しかければ返事をするし、ほかの者たちの前ではにこにこと笑顔も見せる。でも郁乃にはそれが桃花の本当の笑顔でないのが分かっていた。なんといっても物心つく前からずっと一緒の親友だ。
 郁乃が幼くして心臓の病気を発症してからも、それは変わらなかった。
 若くして亡くなった母親の遺伝だったらしい。子どものうちは普通に暮らしていけたけど、体が大きくなるにつれて心臓への負担が大きくなり、やがて負荷に耐えられなくなって心臓は動きを止める――父が医者にそう説明されているのをドアの外で盗み聞きしたとき、郁乃は「ああ、そうか」としか思えなかった。まだ10歳で、あと数年しか生きられないなんて言われてもピンとこない。むしろその宣告を受けて取り乱した父親の方が心配だった。だから入院生活にも同意した。
「父さんったら大げさなんだよ。なんともないのに」
 見舞いに来てくれた友達にそう言って、みんなで笑った。看護師さんたちの目を盗んで、屋上で追いかけっことかもしたりして。
 あのころはまだ自覚症状がほとんどなくて、ただ疲れやすいとか、ときどき息が詰まるなあと思う程度だったから。
 でも、入院生活が長引くと、だんだん友達は離れて行った。
 新しい学校、新しいクラス、新しい友達。病院に縛られた郁乃を訪ねてくれるのは最後には父親と、家庭教師と、従姉妹の桃花だけになった。
 そしてそのころには郁乃もかなり自分の病気について知り、深刻な自覚もできるようになっていて、復学の許可など望めないほど病状は進行していた。
「あたしね、どうやら手術できないっぽいんだよね」
 息ができない痛みに襲われ、廊下で倒れた翌日。見舞いに来てくれた桃花にそう言った。同情されないよう笑顔で、できるだけ軽く。
「まだ15じゃん? 体が成長しきってないから手術してもすぐまた手術が必要になるらしいよ。それに体力の方がもたないって」
 事実、郁乃の体は初めて発作で倒れた10歳のころからたいして成長しているように見えなかった。せいぜいが12歳だ。その体でさえすぐに息切れや目まいを起こして倒れてしまう。
 郁乃にとって成長することは死を意味した。
「ま、いーんだ。死んだって。どうせ生きてたってここから出られないし。いっつも申し訳ない顔した、あんなゾンビみたいな姿の父さん見るくらいなら、そっちの方がいっそせいせいするかなー? って。
 うん。べつに明日でもいーや。こうして寝てる間に死んでたら、看護師さんやお医者さん、ビックリするだろーなあ。あ、その顔見えないのはちょっと残念かもっ」
 きっと、桃花も笑ってくれると思ったのに。横を向いたら、彼女は顔を真っ赤にして声も出ないほど怒っていた。
 それから「何ばかなこと言ってるんです!」と爆発して。最初のうち、思ってもみなかった桃花の反応にとまどい、なだめようとしていた郁乃だったが、だんだんエスカレートしてきて、結局言い合いになってしまった。
 あることないこととにかくさんざん罵って、クッション枕まで投げつけて。あんなに興奮したのに発作を起こさなかったのは奇跡としか言いようがない。
「だって、そう考える以外何があるっていうの!? どうしようもないのに! 体は勝手に成長する! あたしが望んでいなくたっておかまいなしに! いくら生きたいって思ったって体が許してくれないんだ!!」
「……思ってください。お父さまも、私も、決してあきらめたりしません。ですから、あなたもあきらめないで……生きたいと思ってください」
 怒りながら、泣きながら。桃花は郁乃をそっと抱き締めた。桃花の涙が静かに肩を濡らし、触れ合った体がわななくように震えているのを感じて、伝わってきた桃花の思いに圧倒され、揺さぶられて、郁乃も泣いた。
(あのとき、桃花のことが好きだって自覚したんだよね)
 郁乃は当時を振り返って思う。
 あんなこと口にしてたけど、ただの強がりで、やっぱり痛くて苦しい発作はつらいし、死ぬのは怖いし。注射と点滴ばかりで病室からろくに出られない、無意味に過ごすだけの日々は精神的につらくて、何かとほかの者たちに当たり散らしていたんだけど、桃花がいてくれたから耐えられた。彼女が分かってくれたから……郁乃がどれほどつらくて、眠ったら目覚められないんじゃないかという恐怖におびえているかを理解してくれていると知っていたから、桃花にだけは素直になれた。桃花の顔を見ると、イライラとか胸のなかにたまっていたいやな澱(おり)がすーっと溶けてなくなっていくような気がして…。
 そして郁乃は手術を受けることを決めた。
 体が完全に成長しきるまで、数年ごとに繰り返さなければいけない手術。成長しきっても期間が長くなるだけで、結局手術は必要だ。新しい治療法が見つかるか、死ぬまで。当然死亡率も高い。生きている限り、ずっと痛みに耐え続ける一生。
 でもそのおかげで、こうして学校に通えるようになったし、最近では無茶しなければ運動も認められるようになった。
(全部桃花のためなんだけどな。絶対気付いてないよね、あの様子だと。――って、そうだ!)
「きゃっ! いきなりどうしたんです? 郁乃さま」
 突然ばっさばっさ服を脱ぎだした郁乃に桃花は目を瞠った。驚く桃花の前、郁乃は脱ぎっぷりよくどんどん脱いで、あっという間に上半身裸になる。そして胸を張って、胸の中央を横切る手術痕を見せた。
「見て、桃花。これはね、あたしが桃花と一緒にいたいって思った証なんだよ。だれのためでもなく、桃花と――って、桃花?」
 そこでようやく郁乃は桃花が真っ赤になって手で顔をおおっていることに気がついた。
「早く服を着てください。は、はしたないですよ」
「何を今さら。お風呂でいつも見てるじゃん」
 ただし、このかなり派手な傷を見たほかの者が見せる反応や説明がもううんざりなので、いつも入る時間はずらして桃花とだけにしている。
「お風呂と部屋は違いますっ」
「えー? どこがー?」
 ふっといたずら心が沸いて、郁乃は桃花に飛びかかった。
「んじゃー桃花も脱いじゃえっ。そしたらあいこでしょ?」
「きゃあ!」
 そっくり返って床に倒れた桃花の服を脱がしにかかる。抵抗されるのもなんのその。ポイポイ脱がしていて、はたと我に返った。
 押し倒した腕のなかに桃花がいて、しかも上半身裸で、恥じらうように胸を隠して、でも肌がほんのり赤く染まってて……それが電灯の下ではっきり見えたりしたりなんかしちゃったら。
 いやもうほんと、全然お風呂なんかとは違う!
「うわ! ごめ――」
 あわてて飛び退こうとした郁乃の胸の傷に、桃花の指が触れた。
「本当……ですか? 私のために…」
「……うん。ほかのだれでもない、桃花のためにしたんだ。桃花とずっと一緒にいられるなら、何度裂かれたって耐えられる」
 事実、そうなるだろう。そのたびに死ぬかもしれない恐怖と戦い、胸を裂かれる痛みと戦うことになる。
 だけどそのかわりに桃花と一緒にいられる。
「これまでもいろいろあったよね。楽しいこともつらいことも……きっとこれからもいろんなことがあると思う。その全部をあたしは桃花と2人で体験したい。2人でいろんな所へ行って、いろんなことをして、同じものを見て、笑いあいたい」
「私も、です。1人はいやです。私が笑うとき、あなたにも笑っていてほしい……一番近くで」
 傷をなぞった指がのどを上がり、ほおに触れ、包み込む。その上に郁乃の手が重なった。
「桃花。大好き」
「はい……私も大好きです」
 桃花はほほ笑んだ。あらわになった胸を隠そうともしない。
 彼女の豊満でみずみずしい果実のような胸に目が釘づけになった。熱い欲望が鋭い鉤爪で内側の肉壁を引き裂きながら駆け上がってくると思った瞬間、焼けつくような、痛みを伴うほどの衝動が郁乃の脳を直撃した。
 そっと、畏敬の念をこめて触れる。桃花は払いのけたり、体をねじっていやがる素振りは見せなかったので、もう少し手に力を入れて包んだ。
 小さな小鳥のつくため息めいた声が桃花の唇から洩れる。それを受け止めるように唇でふさいだ。
 初めてのキス。真珠でできているような桃花のかわいらしい歯が開いて、その奥の舌が郁乃の訪れを歓迎する。
 長いキスのあと、郁乃の唇が離れて、桃花はキスの間じゅう自分が息を止めていたことに気付いた。はふ、と呼吸する肺の動きに合わせて上下した胸になだめるようなキスをする。
「いい?」
 胸に唇をつけたまま、郁乃は問うた。
 何より桃花がほしい。全身が叫び、熱く脈打っている。もし拒まれたら死んでしまうんじゃないかと思うくらい。でも身勝手に奪いたくはなかった。自分が欲しいと思うくらい桃花にも求めてほしい。捧げたいと思ってほしい。
 そんな郁乃の耳に、かすれた小さな声が届いた。
「……郁乃…。抱いて……ください…」
 顔を上げると情熱にうるんだ目が郁乃を見下ろしている。
「……うん。抱くよ。だから桃花もあたしを抱いて?」
 桃花は何も言わず、身を起こした。互いに互いの残った衣服を静かに脱がしあう。先に終えた桃花がそっといつくしむように郁乃の胸の傷に舌を這わせていき……2人は手足を絡ませあいながらベッドに転がった。