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 第15章 血を守るということ

「え? 地球に……?」
 空京にある喫茶店の席で、遠野 歌菜(とおの・かな)は掠れた声を洩らしていた。それとほぼ同時に、彼女から笑顔が消えていく。期待や希望、喜びを感じていた気持ちが、戸惑いと悲しみに変わっていく。月崎 羽純(つきざき・はすみ)が緊張を高める気配が、隣から伝わる。2人の正面にいるのは、雪花菜 美貴(きらず みたか)。母方の祖母だ。美貴は言った。
 ――家の跡継ぎにするから、地球に戻って欲しい――
 ――羽純と別れ、地球の同じ魔法使いの血族の人と結婚しろ――
 ということを。
 母の遠野 晃から、祖母がパラミタに行ったと連絡を受けたのは数時間前。それを聞いた時、歌菜は嬉しかった。
(話を聞いてもらえるんだって、思ってたのに……)
 だが、厳しさだけを目に宿した美貴は、話を聞くことなく一方的にそう告げた。晃と父の結婚を反対し、未だに認めていない祖母と会うのはこれが初めてだ。美貴の家系は、代々魔法使いの血を継ぎ、守ってきた。だからこそ、彼女は晃が同じ魔法使いの血族の男性と結婚することを望み、普通の人間である父と結ばれ血が絶えることを良しとしなかった。
 それを知っていたから、孫である歌菜は魔法使いになるため、パラミタに来た。
 そして、『契約者』として魔法使いになったのだ。
 ――『ママを許してください、パパとの結婚を、私を認めて下さい』
 そう手紙を出したのは、少し前の話になる。返事はなく、駄目なのかな、と諦めていたところで会いに来てくれたと知って。
 直接話ができれば、きっと分かってもらえる。分かってほしい。だから、両親の結婚を認めてもらおうと羽純と一緒に会いにきた。
 けれど、対面した祖母の口から出た言葉はともすれば羽純を傷つけるような、2人の意思を無視するようなものだった。
「待ってください」
「お祖母ちゃん」
 羽純と歌菜が声を発したのは同時だった。彼女達は目を合わせ、歌菜は羽純に頷きかける。それから、強い瞳で美貴を見詰めた。
「私、それは絶対に出来ない。私は地球には帰らないよ。ここで羽純くんと生きていく。地球に戻る事になっても、それは羽純くんと一緒に戻る」
 彼女の宣言を前にしても、美貴は眉1つ動かさなかった。もしかしたら、その答えは予想されていたものだったのかもしれない。予想し、全てを聞いた上で否定するつもりなのかもしれない。それでも多分、言葉が届く余地はどこかにある。
「そんなに『家』が大事なの? お祖母ちゃんにとって、家族って何? 家を守るだけのものなの? それは違うよ、間違ってる!」
 気持ちが昂り、声が高くなる。言い切ってから、少し俯く。一度小さく深呼吸して、一言一言に想いを込めて、これまでのことを思い返しながら歌菜は言う。
「上手く言えないけど……私は、パパとママの子に生まれて、育てて貰って、幸せだよ。そして、羽純くんと出会って、家族になって……毎日、本当に幸せなの」
 ――そこには、『好き』があるから。
 ――『愛』があるから。
「でも、お祖母ちゃんの示す道には、『好き』も『愛』もない。お祖母ちゃんの守りたい『家』って、人の気持ちを無視してまで守るものなの?」
「…………」
 羽純は、歌菜の話の一語一語を噛み締めるように聞いていた。美貴はどうだろうか。彼女の表情は、相も変わらず初めて会った時のまま。感情を殺して、とんでもない発言をした時のままだ。だが、その目が僅かに揺らいでいるのは気のせいだろうか。
 何にしろ、歌菜を渡すわけにはいかない。
「……歌菜は、俺の妻だ。俺は、歌菜を貴方に渡す気はない」
 その為には、歌菜だけではなく自分の考えも伝える必要があるだろう。事前に事情を聞いていた所為だろうか。直にその単語を使ったわけではないがつまりは離婚しろという美貴に、驚きと落胆はあっても腹は立たない。
 ひとつ確実に感じるのは、美貴の考えが誤りであるということだけだった。
「俺は誓ったんです。歌菜が俺に幸せをくれたように、俺が歌菜を幸せにする。貴方の言う幸せは、歌菜の求める幸せじゃない」
 美貴のやり方では、歌菜を幸せにすることは出来ない。
 そう思うから、あくまでも真摯に、羽純は言った。
「俺からもお願いします。歌菜にとって、貴方はかけがえの無い家族だ。同じ過ちを繰り返さないで下さい。俺は、歌菜を……そして貴方も悲しませたくない」
「お願い、お祖母ちゃん。……お祖母ちゃんと、喧嘩、したくないよ。だって、家族だもん!」
「……家族……」
 悲痛ともいえる歌菜の声に、美貴は小さく呟いた。それは、無意識のままに口から滑り出たもののようにも見えた。
「貴方は歌菜の祖母です。俺にとっても、家族だ」
「…………」
 歌菜も羽純も、美貴から目を逸らすことはない。濁りのない瞳から、それぞれの言葉が上辺だけのものではない、嘘偽りないものだと分かる。
 自分はどうだろうか。孫達から見て、自分の瞳はどう映っているだろうか。
 毅然とした態度を崩さないままに、美貴は考える。濁りがあるわけはない。これまで――60年間という長い間守り、信じてきた理から導き出した結論。それを告げに来ただけなのだから。
 だが――迷いは見えるかもしれない。
 契約者となった歌菜に力があることを知り、血を絶やしたくない思いに駆られてパラミタに来た。歌菜を跡継ぎとし、連れ帰ることを目的に。跡継ぎを絶やさぬよう今は養子を取っているが、魔法使いとしての力は消えずともそれはもう純粋な『血』とはいえない。
 2人の気持ちを無視していることは理解している。憎まれるであろう可能性も。それでも、構わないと思っていた。憎まれるのも、必要なことなのだと。
 それなのに、歌菜もその夫も美貴を憎もうとはしない。
 ただ、とても悲しい目をしている。
 それは、跡継ぎとすべく教育した晃が駆け落ちし、家を出て行った時と同じ。
 晃が恋人と結婚の許しを求めに来た時、美貴が酷い言葉を投げて反対した時と同じ。
 羽純の顔を改めて見る。
 無理矢理引き離すのだ。憎んでもいい筈なのに、悲しませたくないと彼は言った。
 吹っ切ることができないのは、その為だろう。
 不意に、彼の目が見開かれる。背後から声が掛かったのは、その時だった。
「……お母さん、もう止めましょう」
「……ママ……」
「お義母さん」
 驚きを隠せない娘と羽純に、晃はそっと笑みを向けた。歌菜達の話は聞いていた。旧知の魔法使いから情報を流してもらっていた晃は、美貴のパラミタ行きを歌菜に伝えると、話し合いに使う店を聞いて急いでパラミタへやってきた。到着したのは、ちょうど歌菜が『地球に帰らない』と言った時だった。それからは、ずっと盗み聞きしていたのだが歌菜達が気持ちを全て伝えたと感じた頃合で出てきたのだ。
「……私もあの人も、歌菜も羽純くんも、お母さんと喧嘩なんてしたくないわ」
「あなた達は……私を、憎んだりはしないの?」
 先程までより厳しさの抜けた表情で、美貴は言う。晃は微かに笑い、緩やかに首を振った。憎んでなんかいないし、できない。
「私達は……私はただ、分かり合えない事が、一緒に家族らしい事が出来ない事が……悲しいだけ」
 だから、通じ合うことができれば。こうして顔を合わせ、気持ちを伝え合うことが出来れば。
「私達、家族に戻れるわ。……そうでしょ?」
「私は……」
 何故だろうか。頑なになっていた心が、枷が外れたように解れていく。理屈を、しきたりを超えたところで、本当の自分が“もう良いんだ”と囁いてくる。
「同じ過ちを、繰り返す所だったわね……」
 そして美貴は、パラミタに来て初めて、その口元に笑みを浮かべた。