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リアクション
第19章
「……あ……」
ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)と一緒に空京神社を訪れていたルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、おみくじ売り場の近くにいるサトリを見つけて足を止めた。ほんの数秒間だけ何かを考え、彼の方へと足を向ける。それだけで、ダリルには彼女がこれから何をしようとしているのかが解ったらしい。仕方ないな、という笑みを浮かべて後に続く。
「やっほー、皆、明けましておめでとう!」
明るく皆に挨拶したルカルカは、これだけ集まる中でピノの姿が無いことが気になってラスに訊ねる。
「ピノは今日、来てないの?」
「いや、今はちょっと離れてるだけだ」
諒と2人でおみくじを結びに行ったのだと聞くと、「おみくじを? 2人だけで?」と眉を顰めて確認する。夏にフィアレフトの話を聞いた彼女には、それが随分と無用心な行為のように感じられた。らしくないんじゃないの? という問いを視線に込めてラスを見る。ピノから目を離した故に彼女を危険に晒した経験がある彼が、今の状況で自由行動を許すとは考えにくかった。
「……1人じゃないしな。ああ見えて諒はいい歳だし……不審人物についてはお前んとこの仲間が目を光らせてるし大丈夫だろ」
仲間、というのは群衆整理をしている教導団員達の事だろう。確かに、彼等は神社に紛れ込む可能性のある不審者にも充分に気を配っている。それを考えると境内の中は安全だと思えるが、何事にも100%は無い。実際、そう答えるラスは多少不安そうにも見えた。
「というか、こいつに止められたんだよな」
そして、近くにいたフィアレフトに目を移す。ルカルカも彼女を見て、改めて訊いた。
「……大丈夫なの?」
「多分……こう人が多いと、“彼”も物騒な事は出来ないと思いますし。私と同じく、なるべくこの時代の人に知られないで事を済ませたいと考えている筈なので……」
無意識に口を滑らせたのだろう。『この時代』と彼女は言った。ダリルからミンツの件を聞いているだけに予測だけは立てていたが、聞き逃せない言葉であることは確かである。
ルカルカがそれを記憶に留める中で、フィアレフトは続ける。
「何か、覗き見しちゃいけないかなって気もして。……それに、ピノさんのおみくじには『願望は成就する』とありました。ピノさんの願望は、今日の時点でまだ成就されてはいません」
何かが起きるとしてもその後だろう――彼女は、そう判断したらしい。
「そう……」
ルカルカは少し考えて、本題に移ることにした。声を掛けたのは、ピノの安否確認のためだけではない。ラスとサトリに向けて、口を開く。
「それなら、ピノ達が戻ってくるまでサトリさんを借りてもいいわよね? サトリさん、ちょっと2人で話したい事があるんですけど、ご同行頂いても構いませんか?」
「俺と話? それは構わないが……告白か何かかな」
真面目な雰囲気にそうではないと確信しつつ、サトリは軽く笑った。一方で、ラスは少し不審気だ。
「別に好きにすりゃいいけど……何の用だ?」
「大した事じゃないわ。じゃあ、サトリさん、少しお付き合いお願いします」
「教導団の娘にこうして呼び出されるなんて、何だか連行みたいだな」
2人で人気の無い場所に移動すると、冗談めかしてサトリは言った。
「……サトリさん」
どことなく硬い空気を崩そうとしているのが何となく解ったが、ルカルカはそれに付き合うつもりは無かった。これから彼女は、彼と徹底的に話し合うつもりなのだ。
「私は、ラスの友人として貴方にお願いが有って参りました。ラスに母親を返してあげてください」
サトリは一瞬、何かに突かれたように目を見開いた。そして、また軽く笑みを浮かべる。
「……どういうことかな。俺は、自分がラスから母親を奪っているとは思わないが……。俺自身、もう何年もリンには会っていないし、俺達にはそれぞれ彼女と顔を合わしづらい理由があるんだよ。大体……君はどこまで事情を知っているんだ?」
柔らかい笑顔と柔らかい口調。だが、そこからは怒りの感情が見え隠れしていた。家族の問題に第三者が口を出すな――それが、彼の本音なのだろう。
でも、このままではいけない。ルカルカはそう思っていた。家族は、ちゃんと家族にならないと、と。おせっかいかもしれないが、誰かが言わなければいけないことだ。
「リンさんについては、あの日……病院からパーティーに行くまでの道でラスから聞きました」
「あいつがそう軽々しく話すとは思えないが……」
「退院時に貴方が来ていたので『お母さんは来てないのね』と、軽い気持ちで聞いてみたんです。その時は、そこまでの事情があるとは思わなくて……申し訳ありません。そうしたら、言い難そうながら簡単に説明してくれました」
サトリの顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。素に戻ったらしい彼に、ルカルカは言う。
「娘は死んだと、リンさんに言うべきです。それは、夫である貴方の役目」
「…………」
難しい――ともすれば冷ややかとも感じられる表情で、彼は黙っている。一通りの話は聞く気になったらしく、無言のままに続きを促す気配を感じて一気に話す。
「リンさんがピノに会うと娘と思い込んでしまうと聞きました。リンさんが娘の死を受け入れられていないから会わせられないと。でも、リンさんは娘の死を認識している。分かっているから名前を聞くと取り乱して、分かっているから『死』を連想させるラスを意識から追い出してるだけです。まだ居るのだと思い込もうと、ピノだけを見てるの」
無遠慮だという事は自覚しつつ、あえて気にしなかった。今、自分はサトリが聞きたくない話をしている。けれど、ラスの友人として私は言う。
「このままじゃ”誰も幸せになれない”。その皺寄せをラスが受けているんです」
皺寄せ、という言葉にサトリはぴく、と反応した。何かしら心に影響があったのを確認してルカルカは続ける。
「自分を家族だと認識出来ない母親を避けるラスの気持ちは分かります。でも、親と一緒に過ごせる時間は思うほど多くは無い。父親なら、彼の時間をこれ以上奪わないで下さい」
「……俺の気持ちは考えないんだな。まあ、1度会っただけなのだから無理は無いか。老い先短いのは俺も同じなんだが……俺も、時間は奪われてるよ」
「でも、貴方は会いに行こうと思えば行けるでしょう?」
覚えてもらっているのだから。会いに行かないのは、ただ現実から目を背け、臆病になっているだけだ。
「俺の方が責任がある、と言っているみたいだな……」
「……はい。貴方は家長ですから」
「俺が全てを決めて、現状を壊して更に責任を取って、リンを元に戻して家族を幸せにするべきだと? それが出来ると思っているのか?」
「……リンを支えるのも貴方の役目、そして、家族であるラスの役目。喪った者は帰らないけど、乗り越えて人は前に進まなくては……。それが、娘さんの魂の為でもある。……ナラカで会う時に、叱られちゃいますよ」
最後に、少しだけ笑みを浮かべる。その表情をまたすぐに引き締め、彼女はサトリに告げた。今までよりも、僅かに強い口調で。
「家族の本当の幸せは、娘さんの死を貴方が妻に告げる事から始まるわ」
「…………」
「今日は元日。良い契機です。目先の苦しさから逃げてはいけない。それは、単に立ち直り難くするだけでリンとラスを苦しめるだけよ。……貴方も苦しいのは分かる。けれど何が本当の家族の幸せか、貴方にも分かっている筈です」
そして、彼に問い掛ける。
「貴方は何故パラミタに居るのですか。何故地球に帰り、愛する妻を救わないのですか?」
リンに娘の死を告げ、リンを支えて、リンと家族を救う。
「それができるのは、夫である貴方だけです」
「俺が勝手に動いたら、あいつは怒るだろうな……怒るなんてもんじゃないか」
サトリは呟き、小さく笑ってルカルカに言う。
「……君の言いたい事は分かった。一つの意見して、覚えておくよ」
「サトリさん……」
「他人にやれと言われて、すぐに決断出来るような事じゃない。それは、意思の無い奴がやる事だよ。……俺は確かに夫であり父であるかもしれない。だがその前に、人間なんだ。人間だから、怖いこともある。リンがピノに会いたがって発狂する姿を見ていられなくなって、俺は逃げた。一緒に居るうちに彼女への愛情が薄れていくんじゃないかとも思ったし、実際にそんな気もした。彼女の口から、一切ラスの名前が出なくなった事にも、耐えられなかった。だけど、今、一番怖いのは……リンが元に戻らなくなる事だ」
「元に、戻らなくなる……?」
「そうだ。真実を告げて、今度こそ決定的に心が壊れてしまったら――三度目は無い。彼女はきっと、死ぬまで夢の中から抜けられないだろう。そうなった時に、君は責任が取れるのか? いや……」
そこまで言って、サトリは少し目を伏せた。
「それは、言い過ぎかな。結局、行動を決めるのは君じゃないからね」
どこか突き放すようにまた笑い、彼は言う。
「ちなみに、俺は三が日が過ぎたら地球に帰るよ。母親と、仕事が待っているからな」
「! 貴方は母親と暮らしているんですか?」
「酷いと思うか? ……そうだな、酷いかもしれない。だから、酷いと思いながら暮らしていくよ。ただ……」
サトリは、口調を和らげてルカルカを見る。その視線には、先程までの棘も、壁も薄れているように感じられた。
「覚えておく、と言っただろう? 君の言葉の全てを否定するつもりも、拒否するつもりも無いよ。何より、そこまで息子を心配してくれているというのは……素直に嬉しいからね」
「…………」
ルカルカはサトリと目を合わせたまま、僅かに逡巡した。そして、彼に近付いて神社で買ったばかりのお守りを差し出す。
「今日の非礼をお詫びします。……そして家族が元に戻れますように、祈っています」
「……ああ、ありがとう」
彼は笑って、それを受け取った。
「ミンツ、先日は体を見せてくれてありがとう」
「ん? ああ、まあフィーが良いって言ったからな」
その頃、ダリルはラスとフィアレフトに年始の挨拶をしたダリルは雑談の後にミンツに礼を言っていた。持っていた機晶音叉を彼に見せる。
「不調を覚えたら相談してくれ。ファーシーも俺が診ているし、遠慮は要らないさ」
「……ダリルさん、私の存在を忘れてませんか? 私が解らない事態になったら相談しますから!」
プライドを刺激されたのか、むおおん、という空気を纏ったフィアレフトがむくれて言う。その傍で、ラスは彼等には目もくれずに人混みの中を注視していた。
「遅いな……」
「遅いって、どっちのことだ?」
「どっちもだ」
短く答えるその声からは、確かにどちらへの心配も含まれているように感じた。ダリルはルカルカ達の消えた方を見て、考える。彼女のおせっかいは、今に始まった事ではない。だが、他人の為に何かをしたいという彼女の気持ちを、今のダリルは少し実感できる。……あの真っ直ぐさは真似できないが。
心の中で苦笑しつつ、もしラスが様子を見に行くようだったら止めよう、と彼は思う。
「迷ったのか? それとも……。おいイ……フィー、本当にピノは安全なんだろうな」
「はい。おみくじが当たっているなら……」
「それが根拠って、心許なさすぎだろ。そんなにおみくじに信頼性があるならこの大凶もマジって事に……ああいいや。それじゃあ、親父の方を見てくる。何か、ルカルカのやつ変じゃなかったか?」
「いつも通りのタンポポ頭に見えたが」
そしらぬ顔でダリルは答える。やはり、ルカルカが正月らしからぬ心境であった事はバレているようだった。
「何となく、あんまりいい気がしないんだよな……」
「息子の不甲斐なさについてでも話しているんだろう。ちゃんと教育し直すようにとな」
「……はあ!? 何だそれ」
冗談めかしたダリルの言葉に、だがラスは多少リラックスしたようだった。「有り得そうで恐いな」と言う彼に、「少し話でもしよう」と誘って皆から離れるように歩き出す。
「話? ……何だよ」
「そうだな……。……人間のピノが生きていた時の家族の話を聞かせてくれないか……」
「人間の? ……もう随分、誰にも話してないな。何でそんな事聞きたいんだ?」
当然の疑問に「いや、何となくだ」と答えると、ラスはしばらく黙考してから話し始めた。
「健気で、素直で……大人しいけど、よく笑うやつだったよ」――
◇◇◇◇◇◇
「よいしょっ……と。結んだよー、諒くん」
結び木におみくじをぎゅっと結び、ピノが楽しそうに振り返る。その彼女に、諒は「うん、ありがとう」と笑顔を向けた。ここまで来るのに、結構時間が掛かってしまった。それというのも、所々のお店でピノがお菓子だったりキーホルダーだったりを欲しがったり興味を持ったり、と色々と寄り道をしたからだ。
「皆を待たせちゃったかもだし、早く戻らなきゃね! あたしが言うのも何だけど。あ、メールしておこうかな」
そう言いながら、ピノは途中で買ったぐるぐるキャンディーをなめつつ携帯を出す。その彼女に、諒はちょっとだけ勇気を出して向き合った。
「ピノちゃん」
「何ー? 諒くん」
「今年もよろしくね」
「うん。……って、え?」
何となくいつもと違う声の調子に、ピノはメールを打つ手を止めて顔を上げた。
「僕、今年はもっとピノちゃんと仲良くなりたい、と思ってるよ」
精一杯の気持ちを込めて、諒は言う。きょとんとしていたピノは、数秒間そのままの表情でぱちぱちと瞬きしていた。そして、嬉しそうにぱっ、と笑う。
「うん! あたしもだよ!」