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思い出のサマー

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思い出のサマー
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●あなたを想って

 カフェというより喫茶店と呼びたい、そんなオールドファッションな内装。
 板張りの壁は琥珀色にくすんで、よく磨かれているがテーブルも少し年代がかっていて、壁に貼られている演劇関係のポスターも、どことなく古びている。耳障りにならない程度のBGMすら、なんとなく歌謡曲のような響きだ。
 それでいて、母の懐に抱かれているような、故郷に帰ってきたような、そんなノスタルジアと安心感を与えてくれる珈琲店だった。
 そのテーブルの一つに頬杖をつき、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)は水色のグラスを見つめていた。
 ソーダフロート。
 透き通るようなソーダの蒼と、雪のようなバニラアイスの白が目に優しい。
「もう洒落たモノ頼むの疲れちゃったね」
 そう言って笑いあいたかった。
 吸血鬼の少女 アイシャ(きゅうけつきのしょうじょ・あいしゃ)と。
 アイシャはまだ難しい状態で、残念ながら外出はおろか、自由に行動することすらできない。
 運命というものの残酷さを感じる。ふたりを阻む壁のようなものが見える気がする。
 しかし嘆いたところで同じだ。
 だからこの場所で詩穂にできるのは、
 ――アイシャが戻ったら……。
 と独り、想像することだけだった。
 溶け始めた氷がアイスをささえきれなくなり、カランと音を立ててグラスの中身が、八分の一回転ほど動いた。
 ここでようやく、思いだしたように詩穂はひとさじ白い雪山をすくった。
 銀のスプーンの中に、蒼と白、半分ずつ。溶け合って、マーブル模様を描いている。
 詩穂は、どこにいてもアイシャのことを考えている。
 ふらりとそぞろ歩きをしていても、その場所をアイシャが好むかどうか、そのことばかり気にしてしまう。
 確証はないものの、いま、詩穂がいるこの町はアイシャも気に入りそうだった。
 騒がしい土地ではない。最先端の場所でもない。
 むしろその逆で、いわば下町、古い町並みが残るレトロな区域である。静かで人通りもまばらだ。
 建物は鉄筋コンクリート建てが目立つが、ちらほらと煉瓦造りのものも混じっている。全体としては、赤茶けたようなイメージ。名所旧跡があるようには見えず、目立つランドマークがあるわけでもない。
 乗り物ならば意識にも残らず通り過ぎてしまうような、そんな町だった。
 すぐ近くには繁華街があり、不夜城のように賑わっている。それだけに、灯台もと暗しとでもいうような、この落ち着き具合は逆に新鮮といえようか。有名人の詩穂が、お忍びで訪れるには丁度いい。
 たまたま歩いていて見つけたこの店に、詩穂は吸い込まれるようにして入っていた。
 夏の夕方、その陽差しが苛烈で、暑気逃れのためというのが理由のひとつ、もうひとつの理由は、アイシャと来たい店だと、そう直感的に思ったから。
 よく効いた冷房は、肌よりもむしろ詩穂の、かけている眼鏡にまず作用した。何気なく触れたツルが、ひんやりと気温の変化を教えてくれた。
 他に客の姿はない。
 口髭を生やした紳士然としたマスターが、カウンターで黙々とグラスを拭いている。マスターは背筋を伸ばしているつもりなのだろうが、悲しいかなやや腰が曲がっていた。顔つきは若々しいが、髭にも髪も半分以上白いものが混じっている。彼ならば、急にテレビをつけたりしてこの静謐な雰囲気を壊すことはないだろう。そもそも、店内にテレビはないのだし。会話を楽しむには最適の店と思えた。
 アイシャとこの店に来ていたら、なにを話しただろうか。
 詩穂は考える。まず、一時間程度に時間を区切っただろう。
「五時前くらいまで休もうか」
 そんな言い方で。
 そうやって時間に価値をもたせ、お互いに敬意と集中力をその時間にそそぐようにしたと思う。
 それでも最初は単なる雑談、世間話が続くかもしれない。パラミタの命運や世界情勢など、そんな大きな話をする気にるとは思えないし、そういう話が似合う場所ではないだろう。
 むしろ何気ない、いつでもできるような話こそ交わすべきで、価値がある。アイシャはそういった話に、飢えているはずだから。自分からはあまり話を振らず、聞き役に徹したい。
 薄紫の前髪を揺らしてアイシャは話すだろう。ときどき、きめ細かな白い肌を桃色に染めて、笑ったりもするだろう。
 詩穂はそんなアイシャの姿をありありと想像しながら、ストローでソーダを飲む。
 溶け始めたアイスクリームが蓋のようになっていて、炭酸はまだ活発だ。詩穂の下の上で、甘い味がうっすらと弾けた。
 アイシャと雑談を交わしていても、やがて話題は尽きてくるはずだ。
 そうなればやがて、これからのことに話は移るかもしれない。
 詩穂と、アイシャの、これからのことだ。
 もう少し厳密に言うなら、これからにかかわる気持ちのことだ。
 詩穂の気持ちはアイシャに伝えた。伝わったはずだ。
 ならば語られるべきは、アイシャの気持ちということになるだろう。
 あのときの笑顔と涙が本物ならば――。
 アイシャは約束を果たすはずだ。みずからの、胸の内を明かしてくれるのではないか。
 押しつけるようなことはすまい、そう詩穂は決めている。
 アイシャのことを尊重するのであれば、無理に言葉を引き出すようなことはすまい。
 ただ、もし、許されるのならば、これだけは言いたい。
「窓の向こうで陽炎に揺らめく夏の花なんかじゃないよ……私はここにいます」
 と。

 目を閉じれば、外で鳴く蝉の声が聞こえる。
 同時に、目の前にアイシャが座っていて、その息づかいすら聞こえるような気がする。