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真夏の白昼の夢

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真夏の白昼の夢

リアクション

2)

 『夢』の影響は、タシガン市街でも同じように起こっていた。
 状況の説明はすでになされていたので、パニックはおこっていないものの、予期せぬ影響はやはり出ているようだ。
「びっくりしちゃいましたけど、さゆみさんたちにお逢いできて良かったです!」
 タシガンを訪ねていたタングートの料理人 花魄(たんぐーとのりょうりにん・かはく)は、偶然こちらは所用でタシガンに来ていた綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)と顔をあわせ、せっかくだからと一緒に行動しているところだった。
「花魄さんは、予定があったの?」
「はい。薔薇の学舎の方と約束をしていたんですけど…とりあえず、自力で行ってみようかなって」
「そう? じゃあ、そっちのほうまで行ってみましょうか」
「いいんですか?」
「これもなにかの縁だもの。えーと、そしたら、こっちかしら」
 歩きだそうとするさゆみの手を取り、アデリーヌはそっと首を横に振る。
「それは、今しがた来た方向ですわ。おそらくは、あちらの方ではないかしら。……でも」
「どうかしたの? アディ」
「いえ。たとえ事故だとしても、人様の夢の中に勝手に入っていいのかしら」
 逡巡するアディに、さゆみは「たしかに、私も筋金入りの方向音痴だとは思っていたけど、まさか人の夢の中に迷い込むほどとはね……」と難しい顔をする。
「で、でも今回は、さゆみさんたちのせいじゃないと思いますよ。あ、あの! それより、お二人のご用事はいいんですか?」
 慌てた様子で花魄が尋ねる。
「用事そのものは済んでるから、大丈夫よ。……ああ、そうだわ。それと、報告がまだだったわね」
 さゆみはそう前置きをして、花魄に、アデリーヌと結婚したことを告げた。
「ご結婚ですか!?」
「し−! 秘密よ?」
「あ、ご、ごめんなさい」
 唇に人差し指をあてて注意するさゆみに、花魄は慌てて侘びた。
 アイドルという立場の二人だから、結婚については公表していないということを、アデリーヌがかいつまんで説明する。
「それなのに口に出したりして……秘密を漏らしたからには、死んでもらうのだー!」
「えええっ!!」
「さゆみ、からかいすぎですわ」
「うふふ、ごめんね。だって花魄さんがあんまり素直に信じるものだから。あ、秘密なのは本当だけどね?」
 悪戯っぽくウインクするさゆみに、花魄は「びっくりしましたよ〜」と答え、三人は和気藹々と笑いあった。
 結局、アデリーヌがさゆみと手を繋いだまま先導する形で、三人は夢の中の道を歩いて行く。その間にも、突然大きな花が現れたり、そうかと思えば家の向こうに森が広がったりと、風景はくるくる変化している。
「それにしても夢の中って……けっこうブッ飛んでるわねえ」
「でも、なんだか楽しいです」
 どうやら花魄は少しこの状況に慣れてきたらしい。
 すると、そこに。
「え? ……かき氷!?」
 突然現れたのは、立ち並ぶお祭りの屋台と、子供用のプールサイズはあろうかというガラスの器にもられた、小山のような巨大かき氷だった。てっぺんからは、色とりどりのシロップが豪勢にかけられている。
「羽純くん、見て! 巨大なかき氷っ。凄く涼しげだよ♪」
 そのかき氷に駆けよって、用意されていたスプーンでさっそく一口ほおばったのは、遠野 歌菜(とおの・かな)だ。
「コラ、歌菜。いきなり食べて…毒でも入ってたらどうする気だ?」
 妻をたしなめて、月崎 羽純(つきざき・はすみ)は顔をしかめている。
「でも、全然平気だったよ! 羽純くんも食べよう♪ ここはイチゴだったけど、ブルーハワイにメロン、マンゴー味まで、盛り沢山っ」
「そうか………まぁ、問題ないなら、ふむ…食べるか」
 基本的に甘党の羽純も、歌菜の勧めを受けてかき氷を口にする。冷たい甘さが、喉の奥を滑り落ちていく。
「うーん、ちょっとお腹が冷えたかな〜」
 しばらくはその冷たさを堪能していた二人だったが、歌菜がそう呟くと、途端にかき氷の向こうに、テーブルセットが現れた。そこには、暖かい湯気をたてる大きな紅茶ポットと、やはり巨大な四段重ねのケーキがどーん!と用意されている。
「わーい♪ わぁ、すごいよ羽純くん! このポット、ティーカップに自動で注いでくれるの!」
「紅茶に……ケーキまで?」
 さすがに目を丸くする羽純をよそに、歌菜はさっそく二つ分のカップを用意する。
「お砂糖はなしで、ミルクは多めでっ。羽純くんも同じだよね」
「あ、ああ」
 きらきらの笑顔を向けられては、やめろとも言えない。一応先ほど、『夢』については説明を受けたけれども、ここまで都合がいいと逆にすごい。だがそれも、無邪気に喜ぶ歌菜のパワーなのかもしれなかった。
「ケーキも美味しい! ウェディングケーキよりも全然大きいっ! こんなケーキ食べられるなんて、幸せです♪」
「そうだな」
 んーっと幸せに頬を押さえて蕩けた表情を見せる歌菜に、自然と羽純の表情も綻んだ。
 紅茶とケーキも存分に食べたところで、歌菜ははっとしたように顔をあげて。
「私の願望が次々叶ってる…きっと夢に違いないのです。ならば…こんな願いも叶っちゃうかな?」
「どんなだ?」
「薔薇学の制服を着てみたーい! 羽純くんも一緒に!」
 某神様に願いを訴えるように歌菜が口にした途端、ぼぼんっと煙があがり、二人は見る間に薔薇の学舎の制服姿になっていた。しかも、歌菜に至っては、青年の体型になっている。
「着れちゃったー! 羽純くん、すっごく似合う!」
 歌菜はきゃっきゃとはしゃぐが、羽純は照れくさそうだ。
「せっかくだから記念撮影しようよ♪ えーと……あ、すみませーん! 写真、お願いできますか?」
「記念写真? 残るのか? ……まぁ、細かい事はいいか」
 こんなに嬉しそうなのだから、仕方が無い。
 持って来たデジカメを、通りがかった花魄に歌菜が手渡す。一部始終を見ていた花魄は、驚きつつも「は、はい」と快諾した。
「撮りますよー!」
「はーい!」
 笑顔の歌菜(青年姿)と、少し照れた顔の羽純が寄り添う。その姿を、花魄は微笑ましい気持ちで見守りながら、幾度かシャッターを切った。
「これで、大丈夫ですか?」
「ありがとう!」
 きゃっきゃと話す花魄と歌菜を見やりつつ、アデリーヌは半ば感心して呟いた。
「本当に、夢の中って自由ですわね。……さゆみ?」
「……あ、う、うん。そうね、アディ」
 数秒遅れて返事をしたさゆみが、笑う。
 なにか、考えてしまっていたのだろう。アデリーヌには、そうわかっていた。
 おそらくは、いつか消える『そのとき』のこと。
 今が幸せであればあるほど、別れが怖くなるのは誰だってそうだ。でもそれに怯えてばかりいて、手の中の幸福を壊してはいけないとわかっているから。
「アディ?」
 アデリーヌは無言のまま、さゆみの肩を抱き寄せた。
 限り無い、愛おしさをこめて。
「あ……」
 せっかくだから一緒にケーキを……と声をかけようとした花魄は、そんな二人の様子に、邪魔をするのはやめておいた。
「それにしても……薔薇の学舎はどっちなんでしょう」
 そう、花魄が呟いたときだった。
「おーい、花魄ー! アンタ、本物と夢とどっちだー?」
「え?」
 花魄には見慣れない、薔薇の学舎の制服姿の生徒が手を振っていた。
 レモに頼まれて様子を見に来た、スレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)だ。
 スレヴィは花魄とかなり昵懇の仲なのだが、本来男子禁制のタングートで無事に過ごすためにつけていた着ぐるみのため、花魄は未だにスレヴィの本当の顔を知らないままだった。
「私は本物ですけど、えっと……貴方は?」
「え、俺? 俺はスレ……じゃなくて、スティーヴっていうんだ」
 咄嗟に偽名が口をついてでた。この場に他の薔薇学生徒がいなくて助かったが。
「レモから聞いてる。今日はタシガンを案内するはずだったのに、こんなおもしろいことに……いや、とんだことになったな」
「そうですね、驚きました」
「不思議なことにちゃんと痛覚もあるみたいで、薔薇のトゲは普通に痛いんだ。いきなり薔薇園に突入したりするから、気をつけろよ。転んだ先に薔薇があったら悲劇だぞ。アンタやりそう」
「ええっ、そんな……」
 ことないです、とは言い切れずに、花魄はちょっとだけ拗ねた顔でスレヴィを見あげる。ただ、その態度は、若干のよそよそしさがあった。当然といえば当然のことだが、少しばかり、胸が痛む。
「その、薔薇の学舎に向かいたいのですけど、ご案内していただけますか?」
「あ、ああ。もちろん」
「よろしくお願いします、スティーヴさん」
 ぺこりと下げた花魄の頭には、白い花の飾りが揺れていた。
(言いそびれたなぁ……)
 本当は、そろそろ『嘘ついてましたごめんなさい』と言うつもりだったのだ。
 ただ、どうやって切り出せば良いものか、それが悩ましい。
 いきなり見慣れた着ぐるみ姿の頭をとってみせたら、花魄のことだ、ひっくり返ってしまうかもしれない。いや、たぶんそうなる。自分でもそうだと思うくらいだ。それから、その後、よく騙したなとブチ切れるだろう。
(花魄のあのフライパンでぶん殴られるか……。痛いのはいいけど、それはそれでマズイなぁ。あの癖がでるかもしれない。見られて困るもんでもないけど、トラウマになっちゃうかなぁ)
 スレヴィの困った癖…というか性癖は、女性相手にはSでありMであるということだ。今のところ別に花魄に対してどうこうという気はないのだが……。
 そんなわけで、独り悶々としているスレヴィをよそに、二人の足は気づけば、喫茶室の入り口へとたどり着いていた。
「ここは……?」
「ああ、薔薇学の喫茶室。彩々っていうんだ。普段は女性は入れないんだけど……まぁ、非常事態だし、いいんじゃないかな」
 スレヴィはそう言うと、慣れた喫茶室のドアを開いた。
「おーい、誰かいるのかー?」
「ああ」
 声に応えたのは、佐々木 八雲(ささき・やくも)だった。
「八雲さん! 今日はこちらだったんですね」
 たまにタングートで教師をしている佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)の助手もしている八雲なので、当然花魄にとっては知り合いだ。見慣れた顔に出会い、花魄はようやくほっとしたようだった。
「あれ、花魄さん?」
 台所から、弥十郎も顔をだす。
「弥十郎先生、なにか作ってたんですか? 見学してもいいですか?」
「ああ、いいよ」
 弥十郎が作っていたのは、パンナコッタだった。
 ちょうど作業中に異変が起こったものの、そのままマイペースに作り続けていたわけだ。
「これは、なんですか?」
「ブルーベリーソースのパンナコッタ。今がブルーベリーの旬だからねぇ」
 ふんふんと頷いて、花魄はさっそく弥十郎の手元に夢中だ。
 だが、その一方で。
(こんなところに花魄さんがいるわけないし、やっぱりこれは夢なんだろうねぇ)
 レモからの伝言を聞いていなかったこともあり、弥十郎は単純にそう思っていた。八雲も同様だ。
 出来たソースを容器の底に敷いてから、パンナコッタを流し込んで冷やす。その慣れた手つきは、無駄がなく、どこか指揮者のように芸術的ですらあった。
「「通常は上にかけるんだけど、それだとパンナコッタ本来の味がたのしめないからねぇ。コレだと味の変化も楽しめるかも」
「なるほど!」
「さて、これであとは待つだけ……だけど、これって夢だからねぇ。ま、いっかぁ。あ、そうだ。夢だから味とかわからないと思うけど、もう出来てる分もあるから、花魄さんも食べていってよ」
「いいんですか! ありがとうございます!」
「今作ったばっかりの新作なんだ。まぁ、夢の中だけどね。あとこの無花果のコンポートも試してみてよ」
「無花果、大好きです。嬉しい!」
 喜ぶ花魄と、せっかくだからスレヴィも相伴に預かることにする。
 八雲が整えたテーブルセットに、見た目も涼しげなスイーツが二皿、並べられた。
「美味しいです!」
 さっそく一口食べた花魄が、尊敬をこめて弥十郎に賞賛を送る。
「そう? よかった」
 にこにことパンナコッタを口にする花魄に、八雲が中国茶を差し出す。
「ありがとうございます、八雲さん」
「あのさ、花魄」
「はい?」
 まっすぐに花魄を見つめ、八雲はおもむろに口を開く。
「これ夢だから話すんだけどさ。実は妹とかいないんだよ」
「え?」
 ――かつて、弥十郎と八雲が初めてタングートで花魄にあったときは、二人は女装姿だった。単純で疑わない花魄なので、二人にその後「あれは妹だ」と言われて、そのまま信じ込んでいたのだが。
「タングートは男子禁制だったから、女装してもぐりこんでたんだ。今まで言い出せなくて、ずっともやもやしてたんだけどね。いやぁ、夢だけどやっと言えてすっきりした」
 爽やかに笑う八雲に、弥十郎が「えっ、今カミングアウト?」と突っ込む。
「こんな可愛い子に言い出せないのはさすがに胸が痛くてね。夢だしいいじゃんね」
「そう……だったんですか」
「ごめんね」
「いえ。事情はわかりますし。あの頃のタングートは、今よりずっと、男の人にはいられない場所でしたから……。話してくれて、ありがとうございます」
 にっこりと花魄は笑って、二人に礼を言う。
 いまいち笑えないのは、スレヴィのほうだ。
「私も、本当は男の人って怖かったから……今はもう大丈夫ですけど、最初は騙してくださったほうが、よかったって思います。それに、性別よりも、お人柄のほうが大事かなって、今は思うんです」
「そう。よかった」
 弥十郎もにこにこと頷いた。
(……うう。それなら、俺も今カミングアウトするべきなのか…?)
 スレヴィが、そう思い切ろうとしたときだ。
「スレヴィさん」
 突然名前を呼ばれ、スレヴィは仰天して目を見開く。だが。
「…って、私の大好きな人がいるんです。本当は、今日も一緒に来たかったんですけど、約束できなくて……。弥十郎先生のお菓子、きっと彼女も好きだと思うから、残念です」
 寂しそうに、花魄は目を伏せる。
 その相手が、目の前にいる男性だとは思いもせずに。
「大好き、なのか?」
「はい。とっても優しくて、心が強くって……情けない私のそばにいてくれる、とっても大切で大好きな人です。え、えへ。面と向かっては、うまく言えないんですけど」
(向かってるんだよ今完全に面と向かってんだよ花魄……)
 スレヴィとしては嬉しい反面、複雑極まりない。
「ん? けど」
 目の前にいるだろ、とあっさり言いかけた八雲を制し、スレヴィは席を立つ。
「あ、アンタが覚えて、また作ればいいんじゃないか? そっちのほうが、スレヴィ……さんとか言う人は、喜ぶかもしれないぜ」
 スレヴィの勢いに、花魄は一瞬きょとんとして、それから、はにかんだ笑みを浮かべて「そうですね。私、料理人ですもんね」と答えた。
「ああ」
 すとん、と椅子にまた座りつつ、スレヴィは内心で腹をくくる。
 夢の中ですら言い出せないなら、もう諦めるしかないだろう。花魄の前では、彼女の知っているスレヴィで通す。それもまた、一つの優しさかもしれないし……。
 美味なはずのパンナコッタは、少しばかり苦く、スレヴィの舌の上で溶けていった。

「そういえば、セレンフィリティさんもタシガンに来ていたはずなんですが……大丈夫でしょうか?」
 スレヴィの葛藤には気づかないまま、ふと、連絡をもらっていたことを思い出し、花魄はそう小首を傾げるのだった。