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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

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●Π、Ρ(2)
 
「しっかりしてくれよ」
 柚木桂輔はグラキエス・エンドロアに呼びかけていた。
 出血は少ない。ダメージも、攻撃のすさまじさからすれば軽いほうだろう。それはグラキエスの体が、アウレウス・アルゲンテウスの献身に支えられているからなのだが桂輔にそれを知る術はなかった。
「ああ……」
 グラキエスは気丈に応える。
 現在、彼はローラ・ブラウアヒメルと桂輔、その両者に肩を貸され蒼空学園の校舎を歩いているところだった。
 先導は小鳥遊美羽がつとめた。そっくりに作られた蒼空学園、それだけに、構造を美羽は完璧なまでに理解している。ゆえに、Πcらとは簡単に距離を開けることができた。(Ρcは蒼学生の『ローラ・ブラウアヒメル』のコピーではあるが、ローラほどは学校のことを熟知していないようだ)
 一行の最後尾を護りつつ、切は思う。
 ――パティからすれば自分たちのクローンで、相容れないかもしれない。けど、相容れないから殺そうなんてのは違うと思うから、殺さずに負けを認めさせたい。
 それが難しいことは承知している。けれど、力づくでねじ伏せるというのは性に合わない。
 だからこの作戦に出たのだ。
 一人で勝てるなんて思っていない。
 ――このメンバー全員で、勝利をつかみ取ってみせる。
 その切の考えを承知しているかのように、先頭を行く美羽は巧みに校舎内を進んだ。
 ただ進むだけではなく、学校の構造を利用したトラップを仕掛けていく。
 化学実験室に寄り道して備品をバラ撒き、フラスコやビーカーでΠcを転ばせたり、
 ときには校舎と校舎の間を進んで、狭い小道でΡcを難渋させたり、
 体育用具倉庫の縄跳びでΠcとΡcの足を引っかけて転ばせたりもした。
 ひとつひとつは大したものではない。肉体的被害という意味にしぼれば、与えた影響はほぼ皆無だろう。
 だがしかし、この、一見地味な行動こそ、遠回りなようで勝利への近道となった。
「あっちの偽物が私だったら、もういい加減限界だと思うな」
 ぽつりとパティが言った。
「うん、もうずっとイライラしっぱなしのハズね! ちょろちょろされるの、パイ、嫌い」
「ちょっと、ロー……嬉しそうに言わないでよ」
 そう? とローは言う。
「ワタシいや、『ワタシそっくりのワタシ』ももう頭くたびれてヘトヘトなハズ」
「よし……じゃあ、いい塩梅だな」
 桂輔は美羽に声をかけた、美羽は「オッケー!」と言って、狙っていた場所へと移動する。

 この様子をモニターで眺めながら、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)は勝利を確信していた。
 ――確かにローラさんには、かつての怪力はないかもしれません。そしてパティさんにも、戦いに身を置いていたときのような勘はないかもしれません。
 けれど――ベアトリーチェにはわかっている。
 今のパティとローラには、信じられる仲間がいる。
 それは過去のΠとΡにはなかったものだ。
 すぐにその『差』は結果となって現れることだろう。

 やがてΠcとΡcは立ちつくした。
 校舎の玄関付近で一行を見失ったのだ。
 周囲には、壁かと見紛うほどに背の高い靴箱が並んでいる。ロッカー状の靴箱が積み重なったものだ。地を這うような低位置の箱、身長2メートルはないと手も届かないような高い位置の箱、それが積み重なってずらっと並んでいる。一体何人分あるのか見当もつかない。
 クラスや入学年などできっちり区分けされた無数ともいえる靴箱は、それぞれに名札がつけられてはいるものの、慣れぬ身にはまったく同じに見えるだろう。
 そんな箱がひとかたまりになったものが壁状になっているのだが、その壁がこれまた無数にあるのだ。蒼空学園の名物的光景であろう。玄関先は、そんな靴箱の数々が複雑に入り込んだまるで迷路のような構造なのである。
 知らず、ΠcとΡcはこの迷路に誘い込まれた格好となっている。
 こういった場所特有の、土臭く黴臭い匂いが鼻をついた。
 この状況に、Πcはもう癇癪を爆発させる寸前であった。
「なによこれ! こうなったら何もかも吹っ飛ばしてやる!」
 と大きく息を吸い込んだときである。
 後方の下駄箱がにわかに崩れた。
 そこから、
「まだ私たちを追っているつもりでしょうけど、おあいにくさま、追いつめられたのはそっちよ!」
 斬音剣を大上段に構え美羽が飛び出してくる。
 美羽は気合もろとも剣を、ΠcとΡcの間に振り下ろす。
 空気が両断され冷たい感覚が走り抜けた。
 Πcはスクリームを発するを忘れよろめき、これでΡcとの距離は開いてしまった。
 そこに、
「……見切った」
 グラキエスが飛び込んだ。
 彼はもう、最前の負傷から回復している。
 その背には、三対の黒い翼が生えていた。夜よりも闇色なる羽毛は、その尖端の息づかいまで聞こえそうなほどの生命感を持ってはいるが、実態はグラキエスの魔力が具現化した魔法的存在であった。
 六熾翼を羽ばたかせグラキエスは舞う。
 迅い。
 これまでよりも明らかに迅い。
 反射的に拳を振ったΡcだったが、めりっという感覚は標的をとらえた手応えではなかった。
 Ρcの拳は鉄板を突き破って埋まっている。
 彼女が殴りつけた場所は靴箱の中央だった。自分で自分の攻撃手段を封じた格好だ。
 その腕、両脚に、グラキエスは躊躇亡く弾丸の雨を見舞った。
 一方、七刀切はブレードを使い、パティとともにΠcに迫っていった。
「ワイが知りたいのはな……もう一人のΠ! どうして君がΔに従ってるのか、ってことだ。パティ……Πは、組織への忠誠とかで動くタイプじゃなかった。ただ大切なΡと一緒にいるために戦っていた」
「うるさい!」
 Πはソニックスクリームを放射するが、集中力が足りないのか威力は弱く、パティによって簡単に打ち消されている。
「今もΡと一緒にいるために戦っているんなら、俺らの手を取ってほしい。そうすればもっと笑顔になれる、もっと笑いあえるはずだ。それは君たちの未来が証明してる!」
 この切の言葉を聞くと、美羽はパティの眼前に出るのをやめ、切を横から支援するだけに行動を切り替えた。
 ――そういうのって甘いと思うけど……私は好きだよ。
 彼に任せてみよう、そう決めたのだ。
 切のフェイントでバランスを崩し、Πcは転倒してどっと尻餅をついた。
 Πcはパティと同じ顔をしたまま、切を宿敵のように睨みつけている。
 だがその首には、切の剣の切っ先が突きつけられていた。
「なあ、この状態で頼むのも筋違いとは思うけど……俺の言葉、もう一度考えてみてくれないか?」
 いつの間にか切の一人称は『俺』になっている。
 だがΠcから返ってきたのは意外な言葉だった。
「違う……! あたしたちは……もう一人の自分を殺して本来の姿に立ち戻るのが目的! あたしたちが、本物の『パティ』と『ローラ』になる……!」
「なにをふざけたことを……!」
 パティは腹を立てたが切は逆だった。
 彼は穏やかな表情でパティの体を腕で遮ると、もう片方の腕に握った剣を下ろしたのである。
「それは間違ってるな。君はパティでもないし、本物のクランジΠでもない。でもさ、Δの人形でいる必要だってないんだ。だから、なろうぜ、他の誰でもない自分自身にさ」
「自分自身……?」
「そう。だから俺たちと……」
 しかし切がこれを言い終えることはできなかった。
「他の誰でもない……か……いい言葉ね…………」
 ふっとΠcの表情が緩むのがわかった。
 それは切のそばで、くつろいでいるときのパティの表情そのものだった。
 そして、その言葉を最後に、Πcの姿は一瞬で泥となってしまった。
「もしかしたら」
 美羽は言った。
「もしかしたら……いや、きっと、彼女とも、友達になれたと思う……」

 そのころ、少し離れた位置ではローラ、桂輔、グラキエスを相手にしつつもΡcは奮戦している。罠に掛かった虎のようというか、うかつに手を出しづらいものがあった。ダメージはそれなりに通っているはずなのにまるで衰えを見せない。
 ――まずいな、このままじゃ、Ρcを殺す以外の結末が見えない……。
 桂輔は唇を噛む。
 桂輔としては、最愛の人と同じ顔・姿をしたΡcを手にかけるのは心苦しいものがあった。一方で、グラキエスにはそうした加減をする気配がない。勝つことはできたとしても、他の結末は予想できなかった。
 このとき唸りを上げ、Ρcがローラを狙った。
 今しかない――桂輔は心を決めた。
「ローラ!」
 呼びかけてローラを自分に向かせるや、飛びつくようにしてその唇を奪った。
「……!」
 まさかの展開! さすがのΡcも固まってしまう。それでいい!
 そしてダメ押しだ。唇を離すと桂輔は叫んだのである。
「ローラ! 俺と結婚してくれ!!」
 ローラも状況を忘れて、桂輔を思いっきり突き飛ばしていた。
「ちょ、ちょっと、いきなりそんなこと言われると、困るね!」
 顔は真っ赤だ。まさしく電撃的なプロポーズであったから。
 さしものグラキエスも驚いた。桂輔とローラのやりとりに、ではなく、Ρcの反応に。
 なんと彼女は、しばし呆然とするもすぐに気を取り直したか、
「おめでとう……!」
 パチパチと拍手して、笑ったのだった。
 照れるローラと笑うローラ(Ρc)……なんとも奇妙な場面が生じたに見えたが、それもつかの間、
「なんだか、もういいかな、って気になったね……」
 言い残すと、シュッと小さな音を上げて、Ρcの姿は泥と水に戻ってしまった。
「えっと……」
 気まずいように後頭部をかいて、桂輔は言ったのである。
「祝福してもらえて嬉しいよ……本当に」
 Ρcがこんな結末に終わったことは残念だったが。