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砂上楼閣 第一部(第2回/全4回)

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砂上楼閣 第一部(第2回/全4回)
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第一章 嵐の予兆


「さて、そろそろ学舎に戻るとしよう」
 薔薇の学舎講師マフディー・アスガル・ハサーン(まふでぃー・あすがるはさーん)は、繊細なカップに入れられた紅茶を飲み干すと、彼の契約者であるアルフライラ・カラス(あるふらいら・からす)と、同行していた生徒アラン・ブラック(あらん・ぶらっく)に声をかけた。ジェイダスに事の次第を報告するためだ。
 マフディー達が飲んでいたお茶は、家主が饗したものではない。庭でリュートを奏でているシャンテ・セレナード(しゃんて・せれなーど)がイエニチェリディヤーブ・マフムード(でぃやーぶ・まふむーど)の指示で届けに来た物だ。マフディーの声に、シャンテの手から生み出されていた音が途切れる。
「お帰りですか、先生?」
「あぁ、上手い茶だったよ。ありがとう」
 イラク人であるマフディーは通常、紅茶よりも水から煮立て、その上澄みだけを飲むアラブスタイルのコーヒー<カワフ・アラビーヤ>を好んで飲んでいた。厄介な客との舌戦を繰り広げた後だけに「どうせならばカワフで一息つきたかった」というのが本音だが、そんなことはお首にも出さずシャンテに労いの言葉をかける。少なくともディヤーブやシャンテの気遣いが嬉しかったことは事実だったからだ。
「いえ、先生こそお疲れ様でした!」
 マフディーの言葉を素直に受け取ったシャンテがニコリと笑ったそのとき。客間から廊下へと続く扉が静かに開いた。
 不審に思った一同の視線は、自然と扉へ向かう。
 そこにいたのは、これまで「我観ぜず」とばかりに姿を見せることがなかったタシガン家当主アーダルヴェルト・タシガンだった。
「アーダルヴェルト卿!」
 突然の領主の登場に、シャンテとアランは慌てて背筋を正した。
 マフディーは失礼に当たらない程度の小さな会釈でアーダルヴェルトを迎え入れる。
「面倒な客が帰ったかと思えば、また珍客が来訪したものだ」
 アーダルヴェルトの視線は窓の外にあった。緊張の面持ちを浮かべたシャンテを通り越し、彼の後ろにいた吸血鬼リアン・エテルニーテ(りあん・えてるにーて)へと向けられている。
「まさかそなたが地球人と契約を結び、再びこの地に舞い戻ってくるとは思わなかったぞ」
 彼の契約者であるシャンテは驚きが隠せない。
「えっ、えぇ?! リアンってアーダルヴェルト様と知り合いだったんですかっ?」
「このタシガンでエテルニーテの一族を知らぬ者などおらぬ」
 無言でうつむくリアンの代わりに応えたのは、アーダルヴェルト本人だった。
「今から…200年ほど前になるか。互いの領地を巡り、こやつの一族が惨殺される事件がおきた。生き残ったのはリアンだけだ。それ故、事件の首謀者と見なされたリアンは、タシガンを出奔せざるを得なかったのよ」
 リアンの瞳は地を睨み続けている。言いたいことは山ほどあった。しかし、グッと奥歯を噛みしめ、ただ黙って、よく手入れがなされた芝生を見つめていた。
「そなたが何を思い、この地に舞い戻って来たのかは知らぬが。嫌疑は未だ晴れぬ。そのことを努々忘れぬな」
 用件は終わったとばかりに踵を返すアーダルヴェルトを呼び止めたのはシャンテだった。
「待ってください!」
 窓枠に手をかけたシャンテは、室内に身を乗り入れるようにして叫んだ。
「リアンは領地のためなんかに一族の人を殺すような人じゃありません!」
 アーダルヴェルトは足を止めた。背を向けたままシャンテに問いかける。
「何故、そこまでリアンを信じる?」
「リアンは僕を箱庭のような小さな世界から連れ出してくれました。僕にパラミタという広い世界を見せてくれました。それが僕の彼を信じる理由です!」
 アーダルヴェルトはその秀麗な顔に、皮肉げな笑みを浮かべた。
「地球人とは単純なものだ。パラミタに帰るためにリアンがそなたを利用した、とは考えぬのか?」
「例えそれが真実だったとしても…僕は、今のリアンを信じます!」
 臆することなく断言するシャンテの脳裏に、リアンと出逢ったときのことが鮮明に甦る。シャンテはフランス・アルザス地方の田舎貴族だった。先祖代々受け継がれてきた牧場や農園を次代へと繋げること。それだけがシャンテの使命だった。自分の中に眠る無限の可能性に憧れつつも、すでに決定づけられた己が未来を受け入れることしかその頃のシャンテにはできなかった。
 シャンテが近い将来、自ら継承するはずのささやかな領地の片隅で、行き倒れていたリアンと出逢ったのは、ちょうどその頃だ。それはシャンテの運命の歯車が回り出はじめた瞬間でもある。
「青いな」
 シャンテの主張をアーダルヴェルトは鼻で笑った。
 言い返そうとするシャンテをリアンが征した。
「…我はシャンテと出逢い変わった。シャンテは、我がそれまで知らなかったあたたかな感情の存在をたくさん教えてくれたのだ。タシガンの同胞にもこのことを知って欲しいと願い、我はこの地に戻ってきた」
 真っ直ぐにアーダルヴェルトを見返すリアンの目に迷いはなかった。
「かつて氷の貴公子と呼ばれた男も飼い慣らされたものよ。他人の領土を土足で踏みにじるような人間でも、そなたは信じると言うのか?」
「地球人とて悪い人間ばかりではない。共存共栄できると判断したからこそ、卿も薔薇の学舎を受け入れたのではないのか?」
「あくまでも奴らが勝手にラドゥが持っていた別荘へ居座ったにすぎぬ。役立つこともあるだろうと思い目零してはいるが。さて…後、どのくらい持つか」
 そう言うとアーダルヴェルトは、視線を移した。広大な庭と重厚な石造りの塀に囲まれて姿は見えぬが、そこには「警備」と称した薔薇の学舎の生徒達がいるはずだ。自らの足下が危うくなっていることにも気づかずに、熱心に見回りをしていることだろう。彼らの頂点に君臨するジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)が、タシガンの情勢を理解していないとは思えぬが。地球人である彼らが、タシガンの領主であり、反地球人派の盟主でもあるアーダルヴェルトの屋敷を「警備」しても、民の反感は募るばかりであろう。
 ジェイダスを通して、地球人が持ちかけてきた大量移民についても同様だ。タシガンを空京同様の結界都市にすれば、契約を結ばぬ者でも移民は可能である。しかし、只でさえ反感の気が高まっている中、強硬に実施すれば、民の感情は爆発する。地球の大臣とやらがアーダルヴェルトに対し、どのようなことをさえずる気なのかは知らないが。島を結界都市にする計画を手放しで受け入れるだけのメリットが、タシガンの民には見あたらない。
 何故、ジェイダスは火種に油を注ぐようなまねをするのか。その真意は何処にあるのか。アーダルヴェルトは思いを巡らす。これまでジェイダスと繰り返してきた対話の内容から考えてみても、結論はひとつしかなかった。
「…喰えぬ男よ、ジェイダス卿」
 思わず口から継いで出たアーダルヴェルトの呟きは、シャンテ達の耳には届かなかった。ただ、彼らは漠然と感じた。アーダルヴェルトの興味はもう自分たちにはないであろうことを。



 ジェイダスの行動を疑問視していたのは、アーダルヴェルトだけではなかった。
「貴様は阿呆かっ?」
 騒がしい音を立てながらジェイダスの執務室に駆け込んできたのは、彼の契約者である吸血鬼ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)だ。
 執務机の上に置かれたパソコンのモニターを覗き込んでいたジェイダスが顔を上げると、開け放たれた扉の外には倒れた彫像や割れた花瓶が見えた。慌てるあまりラドゥがぶつかったものなのだろう。
「どうした、ラドゥ? 騒がしいぞ」
 ジェイダスにはラドゥの来訪理由など分かりきっていた。
 十中八九、アーダルヴェルトの元にディヤーブ達を向かわせた件だろう。
「薔薇学生達がアーダルヴェルトの屋敷を包囲しているというのは本当か?!」
 案の定だ。ジェイダスは右手で顎をつるりと撫で、言い直した。
「包囲ではない警備だよ」
「私らにとっては同じことだ!」
 タシガンに住まう吸血鬼達にとって、永きに渡り人間は狩りや支配の対象でしかなかった。地球人と契約を結ぶ者達が増え、それなりの友誼が結ばれるようになったが、あくまでも表層的なものでしかない。どのような理由があろうとも、下等人種と侮る者達から上位種族である吸血鬼の長が「守られる」ことなど、許容できるわけがなかった。
「…暴動が起きるぞ」
 真剣な表情で詰め寄るラドゥを、ジェイダスは人を食ったような笑みで交わす。
「それも賑やかで良いかもしれぬな」
「冗談もいい加減にしろっ! 貴様、このタシガンを追い出されたいのかっ?!」
 ラドゥは怒りも露わに執務机を叩く。
 ジェイダスは一瞬、肩をすくめると、手を顎の下で組み直し?杖をついた。
「君ならば地中に埋められた地雷をどうやって処理する?」
「………」
「爆発させるんだよ。地道に探し出して信管を抜いても良いが、それでは時間がかかってしょうがない」
 何とも物騒な方法である。その上、失敗したら最後、地球とパラミタの間で戦争が勃発しかねない危険性すら多分に含んでいる。
 しかし、ジェイダスは「賭け金を吝嗇ったギャンブルほど、つまらないものはないよ」と取り合わない。
「場合によっては、タシガンを一時的に退去することも考えている。お主もそのつもりで用意しておいてくれ」