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【四州島記 巻ノ三】 東野藩 ~解明編~

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【四州島記 巻ノ三】 東野藩 ~解明編~

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第六章  東野の大地

「今日は、いいお天気ですね。まさに山登りには絶好の天気です」
「うん。春の晴れ間っていうのは、なんて言うかこう、心躍るモノがあるな」

 春先のうららかな陽気に誘われるようにして、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)
は山中へと足を踏み入れた。

 これまでエースたちは、東野の山村に一週間以上に渡り逗留し、東野独自の植物や、その利用方法について調査を行なってきた。
 今までは村の周囲や山の麓を中心に調査してきたが、今日はより深く山に分け入ることになっている。


「これだけ天気が良ければ、お目当てのモノが見つかるかもしれないな」

 2人に先行する猟師の孫兵衛(まごべえ)が、朗らかに応じる。
 孫兵衛は、「この山の隅々を知り尽くしている」として、村の老薬師が太鼓判を押した人物である。
 薬師の孫娘鈴音(すずね)と幼馴染という猟師の若さに、初めの内こそやや、心配していた2人だったが、
今ではすっかり、案内人としての彼の能力に全幅の信頼を置いている。

「その『麟角(りんかく)』というのは、晴れた日にしか咲かないって話だが……」
「ああ、そうだ。折角苦労して行って、咲いてませんでしたじゃ笑うに笑えないからな。山の天気は変わりやすいとは言え、
この調子なら大丈夫だろう。あんたたち、運がいいぞ」
「そうなのですか?」
「この時期は、霧が出やすいんだ。山が丸一日晴れる事なんて滅多にないのに、この晴天だからな。あんたたちの花に対する情熱に、山が応えたんだろう」
「もし本当にそうだとしたら、大変光栄な事です。ねぇエース?」
「全くだ。まさに、身に余る栄誉だな」

 メシエとエースは、どこか面映そうに笑い合う。

「それにしても、ここは良い所だな。居心地が良くて長居している内に、あっという間に、一週間以上過ぎてしまった」
「そうですね。私も、この土地で出会う新しい知識には、魅せられっ放しです」

 この山村には、他の地域に見られる魔法がほとんど見られない代わりに、薬草治療が発達している。
 恐らく、村の限られた血統の中に魔法の才を持つ者が現れなかったのが原因だろうが、こうした社会的選択の実例を
間近に見ることは、メシエにとっても興味深い体験だった。

「そう言って貰えると、俺も鼻が高いよ。実際、鈴音や爺さんの持ってる知識ってのは相当なモンだと思うんだが、見た目が地味なせいか中々注目されなくってな。お陰で、跡継ぎも出やしない」

 孫兵衛が、残念そうに言った。

「でもその代わりに、あんたらみたいな他所の人がこんなに注目してくれるんだ。きっと爺さんも、喜んでると思うぜ」

 そういう孫兵衛の顔も、どこか嬉しそうだ。

 
 それから、さらに2時間程進んだ頃だろうか。
 前を行く孫兵衛の足が、急に止まった。

「あったぞ!見てみろ、あれが麟角だ」

 孫兵衛の指差す先に目をやる2人。
 するとそこに、高さ50cm程の見慣れない野草がある。
 細長い葉が幾つも対生したその上に、細長い釣り鐘型の花が幾つも咲いている。

「これが、リンカク……」

 そう言ったきり、一言も発することなく花に見入るエース。
 まるでその全てを己の目に焼き付けるかのように、ひたすら麟角を見つめている。

「ど……、どうした、オイ?」

 微動だにしないエースを、訝しがる孫兵衛。

「あぁ、気にしないで下さい。こいつのクセなんです。大丈夫、心配しなくても、満足すれば元に戻ります」
「そ、そうなのか?」
「それよりも孫兵衛。あちらの、あのまだ花の咲いていないモノですが、ねじれた角の様に見えますね?あれが名前の由来ですか?」

 日陰に生える麟角を指して、メシエが言う。
 その花の蕾は、ぱっと見はアサガオに良く似ているが、蕾の螺旋に沿って、縁がはっきりと隆起している。

「あぁ。麒麟の角のように見えるから、麟角だ。実際、『恨みを抱いて死んだ麒麟の生まれ変わりだ』っていう伝説も、
村には伝わってる。俺は良く知らないが、鈴音が詳しいはずだ」
「そうですか。それはゼヒ帰ったら聞いてみるとして……。しかし、『恨みを抱いて』っていうのは変わってますね」
「麟角には、毒があるからな」
「毒?」
「そうだ。そのせいで、麟角には『瘧草(えやみぐさ)』なんて別名があるくらいだからな――。ほら、全部で4つ、色があるのが分かるか?」
「色……ですか。ええと……白に黒。それに赤、青……ですね」
「そうだ。黒は『角端(かくたん)』。赤は『炎駒(えんく)』青は『聳弧(しょうこ)』白『索冥(さくめい)』って呼ばれている。
麟角には全て毒があるが、その強さは色によって違う。一番強いのが黒、次に赤、青、一番弱いのが白だ」
「なるほど……。しょうこ……、さくめい……っと。それで、毒にはどんな効能があるのですか?」

 メモを取りながら、メシエが聞く。

「食べるとまず吐き気が襲い、ついで呼吸困難。最後には心の臓が弱り、死に至る事もある。特に角端は危険だ。一輪で、虎をも仕留める力がある」
「経粘膜性ですか……。触っても、大丈夫ですか?」
「少し触ったくらいなら大丈夫だが、長時間皮膚に接していると、やはり危険だ。昔、湿布に麟角を仕込み、毒殺したっていう話もある」
「それは――かなり使い勝手のいい毒薬ですね」
「多分、そうなんだろうな――って、オイオイ!くれぐれも、人殺しには使わないでくれよ!こっちはアンタたちを信用して、
案内してるんだからな!」
「いえいえ、それは大丈夫です。そんな事をしたら、折角の『山』の信頼を、損なってしまいます」

 慌てて手を振って、否定するメシエ。その脳裏には、暗殺された東野公の事が浮かんでいる。

「ならいいけどよ――。それで、なんの話だったっけ……そうそう、毒の話だ。麟角の毒の強さは色によって違うんだが、花以外に見分ける方法がなくてな――」

 孫兵衛が、既に花の散ってしまった株を指差す。

「だからコレみたいに、花の終わったヤツは使えないんだ。種類がわからないからな」
「――それは、角端だよ」
「「エッ!?」」

 突然の声に、メシエと孫兵衛が揃って振り返る。
 そこには、2人を――そしてその向こうの花の終わった麟角を――見つめるエースの姿があった。

「それは、角端。その隣のもそうだ。それから、あっちのはみんな索冥――」
「ちょ、ちょっと待て!なんでお前、そんなコトがわかるんだ?花の終わった麟角は、爺さんだって見分けられないんだぞ!」

 孫兵衛が、驚いた顔で詰め寄る。

「なんでって――。麟角が、教えてくれるよ」
「は?教えてくれる――?」

 ポカン、と口を開け、呆気に取られる孫兵衛。

「エースには、植物の声が聞こえるんです」

 メシエが補足する。
 【人の心、草の心】を持つエースは、植物の声を聞くことが出来るのだ。

「こう、耳を澄ませると聞こえてくるんだ。彼等は皆、自分の色に誇りを持っていてね。他のどの色よりも、自分が一番美しいと思っている。だから自分が何色なのか、口々に言い合っているんだ」
「へー……。こいつらがねぇ……」

 改めて、周りに咲く麟角をまじまじと見る孫兵衛。
 今まで見慣れていたはずの草が、突然まるで違ったモノの様に思えてくる。

「麟角だけじゃない。こうしていると、山の様々な植物が、語りかけてくる――俺は今まで色んな山に行ったけど、この山の植物たちは、特別お喋りでね。全然飽きないよ」

 目を閉じて、草木の声に耳を傾けるエース。
 そんなエースを、驚きと畏敬の念を持って見つめる孫兵衛。
 孫兵衛には、エースが、まるで山の一部になってしまったかのように見えた。





「これが、この寿々守村(すずもりむら)の特産。寿々守甘蔗(すずもりかんしょ)です。
どうぞ、お食べ下さい」

 酒杜 陽一(さかもり・よういち)フリーレ・ヴァイスリート(ふりーれ・ばいすりーと)の前には、皮を剥かれたサトウキビが置かれている。

「では、いただきます」
「……いただきます」

「ぱくっ」
「はむっ」

 と同時にサトウキビを口にする2人。
 途端に口の中に、これまで味わったことの無いような濃厚な甘みが広がる。

「ウグッ!……こ、コレは……!?」
「あ、甘い!アマすぎる!!」

 あまりの甘さに、慌ててお茶を飲み干す2人。 
 コレまで食べた、どんな食べ物よりも甘い。

「ハッハッハ!どうですか、甘いでしょう?」

 村長は笑いながら、2人にお茶のお替りを勧める。

「この甘蔗からは、普通のトウキビの2倍の砂糖が取れますからな。甘いのも、無理はありません」
「2倍!?そんなにですか……」

 陽一は、改めて寿々守甘蔗を見た。
 見た目は普通のサトウキビだが、滴る汁の量がすごい。
 サトウキビというより、ウリか何かのようだ。

「うちの村ではこのトウキビから砂糖を作った砂糖を、『寿々守糖』として売っとりまして、これがこの村の重要な
――というか、唯一の――産業な訳ですが、中々量が取れんで困っとります」

「そういうコトでしたら、ウチの調査団に農業の専門家が同行していますので、ご紹介致しますよ。具体的な数字は調べてみないと
わかりませんが、きっと収量を増加出来ると思います」
「本当ですか!?有難うございます!」

 陽一の言葉に、村長は嬉しそうに何度も頭を下げる。

「どれ陽一。折角だから、少し畑の様子を見せてもらおうじゃないか」
「そうだな――お願い出来ますか、村長さん」
「えぇ、もちろん構いませんよ」

 2人は、村長の案内で畑や、村の様子を見て回った。
 村は小さく、畑も小さいものが点在している。
 しかも、一歩村の外に出ると、そこには未開拓の荒野が広がっていた。

「ふむ……。この様子なら、少し人手と機械を入れて荒地を開墾して、大規模な農場を作るだけでも随分と状況は改善するな」

 フリーレが淡々と述べる。

「村長さん、あれはなんですか?」

 陽一が、畑の向こうから上がっている煙を指差した。

「あぁ。あれは砂糖を作っとる砂糖小屋の煙です。あちらも見に行かれますか」
「はい、是非」

 砂糖小屋では、数人の職人が全身から汗を滝のように流しながら、サトウキビを絞り、汁を煮詰めていた。

「砂糖作りの工程にも、効率化出来る所は沢山ある。サトウキビの収量が増えたら、こういった所も改善していかないとな」
「は〜、なるほど〜」

 一つ一つの工程について改善点を指摘していくフリーレに、村長はただただ感心したように頷いている。

「村長さん、あの薪に使っているのは、サトウキビですか?」
「はい。サトウキビの搾りかすです。とにかく大量に出ますので薪代わりにしていますが、あまり火持ちが良くないのが欠点です」
「村長、バイオエタノールというのを、知っているか?」
「は?ば、バイ……なんですか?」
「バイオエタノールですよ、村長さん。植物から作る燃料の事です」
「燃料……。菜種油のようなもんでしょうか」
「いえ、それとは違うんですが――」

 そもそも内燃機関の無い四州の人に、バイオエタノールを説明するのは難しい。

「分かりやすく言うと、飛空艇を動かす機晶石の代わりになるものだ。島の外では、大変な需要がある」
「そのバイオエタノールを、このサトウキビの搾りかすから作る事が出来るのです。上手く行けば、砂糖とは比べ物にならない
くらいの収入を村にもたらしますよ」
「は、はぁ……。こんな搾りかすから、そんなモノが出来るのですか……。なんだか、狐に摘まれたようなお話で……」

 もはや村長には、すっかり理解出来ない話になってしまっている。

「どうやら、面白い話になって来たようだな、陽一」
「そうだな。どうせ四州を近代化するんなら、最初からクリーンエネルギーを導入したいし、どうせ導入するなら国産品を使うに越したことはない。将来に向けたエネルギー産業の種を蒔く意味でも、寿々守甘蔗への投資を本部に申請してみよう」

「地方の一小村から島全体を変えるエネルギーが生まれるかもしれない」

 その可能性に、2人は胸踊らせるのだった。




「ちょ……!ちょっとダメよ!これはおもちゃじゃないの!だ、だからヤメ……待て……って!あっ、コラ!レンズペロペロしない!だぁ〜!もうアンタたちはっ!!」

 大声を上げて立ち上がる葛葉 明(くずのは・めい)に、無心にビデオカメラにじゃれついていた子ネコたちが、一瞬ビクッ!とする。

 明はその隙をついて子ネコたちの襟首を引っ掴むと、3匹まとめて巣穴に放り込んだ。

「まったく、油断も隙もありゃしない……って――!もう〜、レンズベタベタ!!さっきキレイにしたばっかりだったのに!!」

 子ネコたちから取り返した【デジタルビデオカメラ】を見て、ガックリと肩を落とす明。

「あの子たちったら、すっかりなついたのはいいんだけど、馴れ馴れし過ぎんのが困りモノよね……」

 巣穴の方を見ると、子ネコたちが首だけをチョコンと出して、こちらの様子を伺っている。

(か……カワイイ……!――ハッ!だ、ダメよ!ここでまた甘い顔したら、元の木阿弥だわ!!)

 明は思わず駆け寄って、「ハイハ〜イ、もう大丈夫よ〜♪ちっとも怒ってないからね〜♪」などと言って抱きしめたい衝動をぐっとこらえ、カメラの掃除に取り掛かる。

 明が、この東野の地でシシュウオオヤマネコに出会ってから既に一週間以上。
 彼等の生態を記録するべく、こうしてカメラを構えるようになって3日が過ぎた。
 元々人懐こいコトで知られるシシュウオオヤマネコだが、この一週間でネコたちはすっかり明を警戒しなくなっていた。
 親は子供を放り出して――というか、面倒を明に押し付けて――狩りに行ってしまうし、残されたネコたちはネコたちで、
「こいつら実は、ネコじゃなくてイヌなんじゃなかろうか」という勢いで明に甘え倒してくる。
 それはそれで、明としては好きなだけモフモフ出来て願ったり叶ったりなのだが、子ネコ共はこちらの顔を見ると、
撮影中だろうが何だろうが、お構いなしにじゃれついてくるのには、流石に閉口させられた。

「良い事、お前たち」

 明は、必死にレンズを拭きながら、子ネコに向かって語りかける。

「これはね、遊びじゃないのよ。ましてや、私個人の趣味でも無いの。こうしてお前たちの生態を記録するのは、学術的に非常に
意味があることなのよ! そう、いわば『パラミタジオグラフィック』とでもいうべきものなの!わかる?」

 顔を舐めたり手を舐めたりと、毛づくろいに余念のない子ネコたち。
 明の話を聞いているような様には、まるで見えない。

「はー……。どうしたもんかしらねぇ……。巣穴の撮影はこの間したし、オス探しに行くにしても、かーさん帰ってこないと
出かけるに出かけられないし……。全く、あの不良ママどこほっつき歩ってんのかしら……」
 
 もちろん明も、母ネコがただ遊び歩いている訳ではないのは知っている。
 恐らく、狩りに手間取っているのだろう。
 シシュウオオヤマネコといえども、常に狩りに成功する訳ではない。
 明の観察によれば、シシュウオオヤマネコの狩りの成功率は1/4から1/5といったところだ。
 まだ獲物が少なく、そもそも狩りのチャンス自体も少ない春先には、狩りは、一日がかりの仕事なのだ。

 かと言って、いつまでもここでこうして子ネコとじゃれあっている訳にはいかない。
 東野での調査に充てられた時間はもうほとんど無いし、出来れば新しい画(え)を撮りたい。

(ま、ウダウダ考えててもしょうがないか……。取り敢えずかーさん帰るまで、編集でもして時間潰しますか……)

 明はよっこらせと立ち上がると、巣穴から少し離れた自分のテントへと戻っていく。
 幸いさっき叱ったのが効いているのか、子ネコたちも後をついてくる様子はない。

 明は巣穴の方にカメラを固定すると、もう一台のカメラ取り出した。
 予備兼編集用として使っているモノだ。
 最近のデジタルカメラは優秀で、簡単な編集であればPC無しで出来る。

 編集しながら、改めてこれまでの撮影を振り返る明。
 
(あー……。この巣穴の撮影は大変だったわね……。まるで無警戒で、巣穴までホイホイ入れたのはいいんだけど、
まさか中があんなに臭いなんて……。結局、5分と入れなかったものね……)
 
 最終的にはカメラだけおいてそそくさと逃げ出したのだが、お陰でいい画を撮るには随分と苦労した。

(何回も出たり入ったりして、カメラの位置を調整したのよね……。ま、そのお陰で、素敵なアングルで撮れたけど♪)

 母ネコのおっぱいに無心にしゃぶりつく子ネコの姿が、画面いっぱいに映る。
 口をいっぱいにおっぱいをほうばりながら、絶えず両手をムニムニしているのが無性に可愛らしい。

 続けて映しだされたのは、シシュウオオヤマネコのオス。
 この子ネコたちの父親……らしいネコである。

「らしい」というのは、オスは常に単独行動を取っていて、子ネコたちのいる巣穴にやってくる事は、ただの一度もなかったからだ。
 地球のネコ科の動物でも、トラのオスは繁殖期以外は常に単独で行動し、子育てには一切関与しないというが、シシュウオオヤマネコもそれに近いのかもしれない。

(このオス猫、一日中狩りをしてたから、ついてくのに苦労したのよね……)

 木に登ったり、崖を降りたりとそれはもう大変な一日だったが、それだけに満腹になったオスの腹をモフモフした時には
正直エラく感動したものだ。

 撮り貯めた映像を見るたび、その時の苦しかったこと、楽しかったことの一つ一つが思い出される。

(こんなにカワイイんだもの。きっとみんなも、シシュウオオヤマネコのコト、好きになってくれるよね……。
それでみんな好きになって、パンダブームじゃなくて、ヤマネコブームとか来ちゃうかも……)

 そこまで考えて、明は、ふとあるコトに気がついた。
 
(でも、そんなブームとかになったら、みんなココに殺到してくるんじゃ……?このビデオ、巣とか丸写りだし、
マニアとかがみたら、巣の場所なんかすぐに特定されちゃう……!)

 カメラから顔を上げ、巣の方を見る明。
 そこでは子ネコたちが、もう明のコトなどすっかり忘れて、しきりにじゃれあっていた。

 明は、カメラを手に立ち上がると、イキナリそれを力一杯放り投げた。
 木にぶつかったカメラのレンズが、ガシャン!という音を立てて砕ける。
 明はもう一つのカメラも手に取ると、三脚ごと地面に叩きつけた。

 突然の物音にびっくりした子ネコたちは、慌てて巣穴へと逃げこんでいく。

「オラッ!オラァ!!」

 鬼気迫る勢いで、カメラを踏みつけ続ける明。

「ハアッ、ハアッ、はぁ……」

 元の形が残らなくなるまで徹底的に破壊した所で、明は踏むのを止めた。
 そして、やおらテントを片付け始める。

(そうよ、ココの事は、誰にも知られちゃいけないんだわ……。こんな撮影、しちゃいけない……)

 子ネコたちには目もくれずに、撤収を続ける明。
 ちょうど作業が全て終わった時、母ネコが姿を現した。
 満ち足りた顔をしている。
 きっと、狩りが上手く行ったのだろう。

「おかえり、かーさん」

 明は、母ネコの頭を撫で、首の下を撫でる。

「私、もう行くね」

 目を細め、気持ち良さそうな顔をする母ネコ。

「また、モフりに来るからね」

 どこか寂しげな表情の明。

「次に会う時までに、もっと数を増やしておきなさいよね。私のために」

 明の話をわかっているのかいないのか、ウナ〜ッと、小さく鳴くネコ。
 最後に、ネコの頭を軽くポンッと叩くと、明はもう振り返る事無く、その場を後にする。
 その後ろ姿を、ヤマネコの母子は、いつまでも見つめていた。




「あ、これは矢野さん。見回り、ご苦労様です」

 工場の廊下の向こうから来た工場長が、矢野 佑一(やの・ゆういち)に声をかける。
 
「工場長さんこそ、遅くまでお疲れ様です。今日はもうお仕事は?」

 祐一は、すっかり馴染みになった工場長に、気軽に応じた。
 祐一達が、三益(みます)にある東洋縫製の工場の警備を買って出て数日が過ぎたが、今のところ平穏そのものだ。
 
「はい。工場業務の方は、滞りなく終了しました。後は残務処理だけですから、ゆるゆるやりますよ」
「と言う事は、工場長さんは今日もお泊りですか?」
「はい。印田(いんでん)の方はとうとう暴動にまで発展したっていう話ですし、まだまだ安心は出来ませんから」
「そうだ。工場長さん、もしお時間あるようでしたら、少しお伺いしたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「えぇ。構いませんよ。それじゃ、事務所まで行きましょうか」

 連れ立って、廊下を歩いて行く2人。
 途中、部屋部屋をそれとなく覗いて行くと、幾つかの部屋にはまだ灯がついている。
 工場長が、その一つの前で立ち止まり、祐一に示す。
 中ではミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が、工場に務めている女の子と何か話しあっていた。


「今、地球の服――洋服っていうんですか?――のデザインを勉強してるんですけど……。こんなのはどうでしょうか?」
「わあ、カワイイね〜!これ、自分で考えたの?」
「ハイ!工場の人からみせてもらった本とかで、勉強したんです」
「スゴ〜い!やっぱり、興味がある人は違うね〜!」
「そんな、私なんか全然です……」

 ミシェルに手放しに褒められ、女の子はすっかり赤くなってしまっている。

「へぇ〜。工場の女の子にも、デザインに興味のある子はいるんですね」

 感心したように、祐一が言う。

「はい。結構やってる子がいるのは、知ってます。恥ずかしいらしいのか、私等にはちっとも見せに来ませんが。
やっぱり同じ年頃の女の子の方が、気安いんですかね」
「いっそのこと、デザインコンテストでも開いてみたらどうでしょう?」
「コンテスト?」
「そうすれば、みんな堂々と作品を持ってくるようになるでしょう?」
「なるほど」
「直に生地に触れて縫っている人なら、機能性や着心地にも詳しいでしょうし、いいものが生まれそうな気がするんです」
「ははぁ。確かに、面白いかもしれませんね。落ち着いたら、やってみましょうか」
「はい!きっと、盛り上がりますよ」
「その時は、皆さんにもゲスト審査員で参加して頂きましょう」
「し、審査員ですか!?」
「えぇ。是非お願いします」

 ハッハッハ、と笑いながら廊下を歩いて行く工場長。
 少し進むと、今度は廊下の先からミシンを踏む音が聞こえてきた。
 プリムラ・モデスタ(ぷりむら・もですた)が、ミシンの練習をしているのだ。

「どうですか、プリムラは?少しは、上手くいっていますか?」
「一生懸命ですよ、プリムラさんは。千鶴も、楽しんで面倒を見ているようですし」
「千鶴?」
「ほらあの子。小桜 千鶴(こざくら ちづる)。プリムラさんと、仲良くしている子ですよ」
「あぁ。あの子、千鶴ちゃんって言うんですね」

 見ると、ちょうどプリムラが何かを縫い上げたところだった。


「千鶴が作ったものと比べたらまだまだだけど……。良かったら受け取ってほしい」

 真っ赤になってうつむきながら、千鶴に何かを差し出すプリムラ。
 千鶴はそれを受け取り、そっと広げてみる。
 それは、キレイな桜色のハンカチだった。
 真ん中に、生地の色に合わせた桜の刺繍が入っている。

「わあ、これを私に?」
「う、うん……。ミシンを教えてくれた、お礼……」
「ありがとう!大切にするね!」

 パッと花が咲いたような笑顔を浮かべる千鶴。
 しかしプリムラの方は、その千鶴の様子にも表情を変えない。

「うん……。ど、どうかな。少しは、上手くなったかな?前よりはミシンの針を折らなくなったし、少しはマシになったと思うのだけれど……」
「うん!プリムラ、とっても上手になったよ!縫い目の飛びもないし、曲がってもないよ!」
「そ、そうかな……?」
「そうだよ!頑張ったね、プリムラ!」
「あ、ありがとう……!」

 自分の努力が認められ、プリムラは、初めて笑顔になった。
 

「ね!頑張ってるでしょう?」
「はい。安心しました。見られるのが恥ずかしいのか、プリムラは僕が見に行くのを嫌がるので、どうなってるのかと思ってたんですが……」

 祐一は嬉しそうにそう言うと、気付かれないようにそっとその場を離れた。


「それで、お話というのはなんですか?」
「はい。以前、『日本から色々な企業が見学に来てる』っていう話がありましたけど、どんな企業が見学に来たのか、
ちょっと調べてみたくって……」
「と、いいますと?」
「いえ。見学に来た企業の中に、注意しないといけない会社があるかもしれないので、今のうちからチェックしておきたくて。
また、印田のような事になっても困りますから」
「なるほど……。そういう事でしたら、お教えしましょう」
「有難うございます」

 工場長はカタカタとPCを操作し、プリントアウトした一覧を祐一に渡した。

「何もないといいんですけどね」
「僕も、そう思いたいです」

 表情を引き締めて、書類を受け取る祐一。

 その後祐一が、【ユビキタス】で企業や投資家の情報を調べてみたが、幸い見学者の中に怪しい者はいなかった。
 祐一は、ほっと胸を撫で下ろすのだった。




「え〜っと……、ひなさん?私は翠なの。どうして、こんなところに封印されてたの?」

 及川 翠(おいかわ・みどり)は、目の前の少女に矢継ぎ早に質問を浴びせた。

 彼女の名はひな。
 水分村(みずわけむら)の忘れられた祠の中に封印されていたのを、翠たちが開放したのだ。
 本当はもう一人、地祇が一緒に封印されていたのだが、「自分を封印したヤツをとっちめに行く」と言って、
止める間もなく何処かに飛んでいってしまった。

「実は、私もよくわからないんですけど――」

 こう始まったひなの話は、確かに要領を得ないものだった。
 それによると、元々彼女は、この村の上流にある「鏡の滝」に棲んでいたのだという。
 それがある日、突然邪禍々しい気を纏った導師に術をかけられ、抵抗する間もなく封印されてしまったのだった。

「それではひなさんは、封印される理由も、封印した導師にも、全く心当たりが無いというんですね?」
「はい。突然の事だったので、導師の顔は見ていません。とても禍々しい気だった覚えはあるのですが……。それと、私は近隣の方々とは大変仲良くしていましたから、封印されるような理由は何もないんです」

 ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)の問いに、ひなは「さっぱりわからない」という風に頭を振る。

「そうですか〜。身に覚えのない理由で百年以上も封印されるなんて、あんまりですぅ〜」

 スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)が、心底同情した顔をする。

「それでひなさんは、これからどうしたいのですか?」

 徳永 瑠璃(とくなが・るり)が質問する。

「私ですか?私はこれから、鏡の滝に帰ろうと思っています」
「ひなさんは、一人で帰れるの?」
「はい。滝はこの川の上流にありますから、川沿いに行けば着けるはずですが……」
「でも、何年も昔の事よね?もしかしたら、その滝がもう無くなってるかもしれないわよ」
「エェッ!そ、それは考えませんでした……」

 ミリアの指摘に、動揺するひな。

「どうでしょう、翠さん。このひなさんに付いて行ってあげては?」
「えっ!?」
「はい。それは良い考えですの」

 瑠璃の提案に、一も二も無く賛同する翠。
 他のメンバーも、一様に首を縦に振る。

「そ、そんな……。封印から解いて頂いた上に、そんな事までお願いする訳には……」
「そんな事、気にしないでくださ〜い。ここまで来たら、乗りかかった船ですぅ〜」
「そうですの。もしご迷惑でなければ、私たちもひなさんとご一緒したいですの……良いですの?」
「皆さん……。有難うございます……!」

 皆の申し出に、ひなは目に涙を浮かべながら頭を下げた。


「ここが、「鏡の滝」ですか……。確かに、美しいですね」

 東 朱鷺(あずま・とき)は、そっと滝壺を覗きこんだ。
 そこに、自分の姿が映っている――しかも、水の中は一切見えない。
 この滝の水には単に澄んでいるというだけでは説明の付かない、不思議な現象がある。
 水面が、まるで鏡の様に光を反射するのである。
 本当に鏡と同じように光を完全に反射するので、水の中が全く見えないのだ。

 その神秘性から、近隣の村々には実に様々な伝承が伝わっていた。

曰く、「鏡の滝は、その者が求めるモノを映し出す」
曰く、「滝の水を飲んだ者のはあらゆる怪我や病をたちどころに治す力がある」
曰く、「滝壷には、鏡の精の宝が眠っている」
曰く、「滝壺の底には、滝の精霊に命を奪われた無数の屍が沈んでいる」

 いずれ根も葉もない風説の類だろうが、そうとはわかっていても、やはり惹かれるモノがある。
 己の内から湧き出る飽くなき探究心に、我と我が身を捧げている朱鷺の場合には尚更だ。
 また古くからの伝承以外にもう一つ、今回は特に、確かめたい事があった。
 この滝に、亡霊が出ると言うのだ。
 山中に篭っている間、この滝の水を良く利用するという猟師が見たというのだが、その話には単なるデマとは思われない、
確かなリアリティがあった。

(《レッサーダイヤモンドドラゴン》の背中から、【ホークアイ】で確認してみた所、それらしい姿は見えなかったが……)

 もっとも、亡霊なんて言うものは、生身の人間がやって来て初めて姿を現す物と、相場は決まっているが。


 朱鷺は、慎重に周囲を確認した後、滝壺の水を《水筒》に汲んでみた。
 見た目や匂いは水そのものだ。
 むしろ鏡のような反射が無くなったコトで、より一層水に近くなったといえる。
 そっと滝壺に手を入れる。自分の手が見えなくなったこと以外は、やはり、何もない。
 一口、飲んでみる――以上無し。それどころか、すっきりとして、非常に美味しい水だ。
 ここまでは、猟師に聞いていた通りである。

「さて。これ以上は、入ってみないとわからないでしょうね」

 朱鷺はそっと物陰に身を隠すと、持ってきた《潜水スーツ》に身を包んだ。
 水面に豊かなボディラインを映し出しながら、朱鷺が滝壺に潜っていく。
 滝壺は想像以上に深く、10メートルはあるだろうか。
 しかし水の透明度が驚くほど高いため、底まではっきりと見通す事が出来た。
 時折、小魚や水に流された枯葉の類が、朱鷺の身体の側を通り過ぎる。
 朱鷺は、降り注ぐ滝の水を避けるようにして、滝に近づくと、滝壺の縁に沿うようにして奥へと進んでいく。
 胸一杯に息を吸って水に潜ると、滝の裏側目指し、最後の数メートルを一気に進む。

「プハァ!」

 水面に顔を出し、新鮮な空気を吸い込む。
 上手いこと、滝の裏側に出られたようだ。
 激しい水音に思わず耳を塞ぎながら周囲を確認する朱鷺。
 その目に、小さな穴が飛び込んでくる。
 滝壺の裏に、洞窟があったのだ。

「これは……。盛り上がって来ましたね」

 沸き上がってくる喜びに思わず顔をほころばせながら、ゆっくりと洞窟へと足を踏み入れる朱鷺。
《試作型式神・壱式【黒麒麟】》と、懐中電灯代わりのケータイを手に、慎重に奥へと進んでいく。
 程なく洞窟は、行き止まりになった。

「もう、終わりですか……?」

 そんなコトはないだろう、と辺りを照らす朱鷺。
 思った通り、突き当りの壁に、小さな壁龕(へきがん)が幾つも穿(うが)たれている。
 そっとその穴にケータイを近づけると、中に小さな御幣(ごへい)が置かれているのが見えた。

「まだ、新しいですね……」

 手に取って見ると、湿気でふやけてこそいるものの、御幣の紙自体は真新しいモノだ。

「どうやら、一杯喰わされましたかね」

 背後から伝わる幾つもの気配に、勢い良く振り返る朱鷺。
 果たしてそこには、ゆらゆらと揺らめく亡霊が、ひしめくように立っていた。
 【見鬼】を身につけた朱鷺には、亡霊の姿がはっきりと見える。

「首塚明神で、御幣のトラップが仕掛けてあったという話がありましたが……これも、同じ人物の仕業でしょうかね」

 誰に言うでもなく独りごちながら、黒麒麟を構える朱鷺。
 亡霊は、声にならない声を上げながら、その虚ろな手に朱鷺を捕らえようと、ひたひたと近寄って来る。

「――ドコからでもどうぞ。今度こそ迷わぬように、ナラカに送って差し上げます」

 朱鷺が、ゆっくりと身構えた、その時――。

「ヒュン!」

 と空を裂いて飛んできた光の矢が、亡霊の背を貫いた。
 苦悶の声を上げながら、消散していく亡霊。

「助けに参りましたの!」
「大丈夫ですか?」
 
 光条兵器を構えた及川 翠(おいかわ・みどり)たちが、洞窟内に雪崩れ込んできた。

「あなたたちは!?」

 突然の乱入者に、驚きの声を上げる朱鷺。

「話は後!今はこいつらを倒すのが先よ!」

 ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)の振るう《大魔杖バズドヴィーラ》から放たれる眩い光が、次々と亡霊たちを焼いていく。

「とても、私の手が必要とは思えませんが……まぁいいでしょう。お手伝いしますよ」

 すっかり主客転倒してしまった状況に気を削がれつつ、戦いに加わる朱鷺。

 亡霊たちは、見る間にナラカへと送られた。



 短い戦いを終え、お互いに自己紹介をし合い、ここに辿り着いた経緯(いきさつ)を語り合った後――。

「なるほど……。あなたが、この鏡の滝の元々の住人ですか……」

 朱鷺は、改めてしげしげとひなを見た。

「ハイ……。まさかあの方たちが、また亡霊になっていたなんて……」

 ひなは悲し気に、壁龕へと歩いて行くと、そこにあった小石を手に取った。

「『また』?キミは、今の亡霊の事を知っているのですか?」
「はい。あの方たちは、その昔、この滝壺に身を投げて死んだ方々です」
「身投げ……ですの?」
「はい。何かの戦いに敗れてこの山に逃げ込んだものの、この滝に追い詰められ、止む無く身を投げたとか……。
私がこの滝に住み着く、少し前の事です」
「そんな、悲しい事があったのですか……」
「このお墓はみんな、私が作ったものです」

 壁龕に目をやりながら、ひなが言う。

「私がここに来た時には、この方々はあまりの口惜しさにナラカに逝く事が出来ず、苦しんでいました。それでお墓を作って、
冥福をお祈りしたのです。それから、この世に彷徨(さまよ)い出る事は無くなったのですが――」
「誰かが、その眠りを妨げたと言う事です」

 朱鷺が、壁龕で見つけた御幣を示す。

「私が封印されていた間に、そんなコトになっていたなんて……」

 ひなも、驚きが隠せないようだ。

「首塚明神であったことが、今またここで起こった。と言う事は、今東野各地に現れている亡霊の多くが、同じように何者かによって喚び覚まされていると言う事です」
「一体誰が、何のためにそんなコトを!?」
「ひどいですの……」

 朱鷺の言葉に、顔を曇らせる翠たち。

(『一体誰が、何のために』か。面白い……。全くもって面白いな……)

 一様に慄然とする面々の中で、ただ一人朱鷺だけが、口元に笑みを湛えていた。