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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

リアクション

(……うーん。どうしたものか…)
 装輪装甲通信車で北カフカス山へ向かう隊に同道しながら、新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は無表情に悩んでいた。
 シャンバラの闇医者としてアタシュルク一族にもぐり込み、けが人の治療でそこそこ溶け込んだまではよかったが、氏族長であるバシャン・アタシュルクと面会することはかなわなかった。
 そうこうしているうち、イルルヤンカシュが山で暴れていると報告が入り、氏族長じきじきに静めに向かうというのをリューグナーが仕入れてきて、これは彼女に近付くチャンスと同道を申し出ることにしたわけだが。
 よくよく考えてみれば、今燕馬は希新 閻魔としてフェイクバストとヒミツの補正下着で女医に変装しているのだった。
(……みんな、いるよなあ。見られちゃうなあ)
 内心では結構気にしたりしているのだが、表情は相変わらず起きているのか寝ているのか分からない、ぼんやり顔である。
「ツバメちゃん、何か困ってるですぅ?」
 キャットアヴァターラ・ブルームを用いての上空からの偵察から戻ってきたフィーア・レーヴェンツァーン(ふぃーあ・れーう゛ぇんつぁーん)が、他人には分からない、パートナーならではの直感で燕馬の気持ちを読んで言う。
「しっ。こういうときはほうっておいてさしあげるんですのよ」
 すでに察していたリューグナー・ベトルーガー(りゅーぐなー・べとるーがー)が答えた。リューグナーは装輪装甲通信車に入って以来、ずっと1人で何かしていて、その間も手の動きは止めない。フィーアの意識が静止した燕馬からリューグナーの方へと向いた。
「ウッソーは何してるんですぅ?」
「連絡と皆さんからいただいた情報のまとめですわ。運よくアガデの高柳さんと通信がとれましたので、ひと目のつかない今のうちにこちらの状況をお知らせしていましたの」
 なにしろリューグナーたちは単身アタシュルクへ潜入している。ここ以外の場所で何が起きているか、自分から積極的に動かないと知ることもできない。ヘタをすると、気付かないうちに仲間から裏切りの敵対者と見られることになるかもしれなかった。
 はたして敵対しているのかも不明だが、とにかく情報はないよりあるに限る。
「高柳さんたちも、こちらへ向かっているようですわね」
 情報交換をしている間じゅう、彼は不機嫌だった。隠そうとしていたみたいだけど、全然隠せてなかった。何があったのだろう? 対話の巫女を自称するハリールが襲撃され――これは昨日治療した男性たちによるものだと思う――、アガデでは始祖の書盗難が起きている。山では女性の入ったクリスタルが発見され、どうもそれはイルルヤンカシュにかかわりを持つ銀の魔女らしい。
 話してもらった限りでは、彼が個人的に不機嫌になる理由は思いつかないけれど…。
 そこで、じーーーっと見つめて自分が何か話すのを待っているフィーアの視線に気付き、リューグナーは銃型HCを閉じた。
「それで、偵察の方はどうでしたの?」
「あ、えっとー。竜さん、大暴れしてたですぅ。それで、みんなモンスターと戦いながら、声がけしてたですぅ」
 フィーアは今見てきた山での出来事を報告する。
「わらわたちが到着する前に静まりそうでしたか?」
「ううん」
「そうですの」
「あと、山の植物たちに竜さんについて訊いてきたですぅ」
 しかし残念ながら、ここの植物たちは2年前のネルガルの乱による荒廃で一度滅んでいた。今いる植物たちはほかの場所から植林されたり土に混ざって運ばれてきたものたち、新しく撒かれた種から芽吹いたものたちだ。イルルヤンカシュを昔から知る植物とは出会えなかった。
「もっと時間があったら見つけられたかもしれないけど、今は無理だったですぅ」
「そう…」
「でもうれしそうだったですぅ。竜さんが目を覚ましてから、大地の力が強まってるって。だからその竜さんがあんなに暴れてるの、心配してたですぅ」
 報告を終えたあと、フィーアは少しためらうような間をあけ、声を一段と落としてささやいた。
「ウッソー……表のあのとってもとってもこわそうな幻獣……あれ、何か知ってるですぅ?」
「ああ、あれは――」
 リューグナーが答えようとしたときだった。
 外で激しく咳きこむ声がして、とたん燕馬ははっとなった。ハッチを開けて外を見渡すと、輿(こし)に乗ったバシャンが口を手でおおい、激しく全身で咳きこんでいる。
「バシャンさま…」
「……大丈夫。騒がないで」
 バシャンはかすれた声で側付きの手を押し戻したが、その手のひらには血がついているようだった。
 病人を目にした燕馬の表情が一変する。
「リューグナー」
「はいですわ」
 リューグナーも慣れた手つきで、差し出された燕馬の手に閻魔印のファーストエイドキットを握らせる。
 燕馬は装輪装甲通信車を出て、輿に走り寄った。
「氏族長どの」
「――ああ。シャンバラの客人ね」バシャンは燕馬をちらと見た。「何か用?」
「顔色がすぐれません。移動が身体に負担となっているのです。今すぐ引き返すべきです」
「それはできないわ」
「でしたら休憩をおとりください。せめて私があなたを診察する間だけでも!」
 バシャンは片眉を上げ、氷のような冷たい視線を投げた。並の者であれば凍りつき、蒼白する眼力だ。しかし見返す燕馬の視線が揺らぎもしないのを見て、ほうっと息を吐いた。結局、彼女も自分の体のことは分かっている。
「分かったわ」
 燕馬の意見を受け入れて、バシャンは隊を止めると彼を自分の輿へ上げた。
(これは…)
 診察を進めていくうち、燕馬は彼女の体の深刻さに内心であえぐ。今生きているのが不思議なほど、バシャンはぼろぼろだった。
 この女性は気力だけで生きているようなものだ。
「昨日は失礼したわね、客人。あなたは彼らを治療してくれたのに、追い払ったりして。ちょうど虫の居所が悪かったものだから」
 遠巻きに自分たちを盗み見ている若者たち――その興味のほとんどは、シャンバラから来た美人の女医に向かっている――に苦笑しつつ、バシャンは言う。
「気にしていません。それより、あなたは治療に専念するべきです。こんな場所ではなく、もっと設備の整った病院で、しかるべき治療を受けないと――」
「無駄よ。そんなことをしても何もなりはしないと、あなたもあたしも知ってる」
 そのとおりだ。燕馬は、多少なりとも医療に携わる者であればだれもが幾度となく突きあたる、あの限界の壁をひしひしと感じながら奥歯を噛み締める。
「ですが…」
「延命には興味ないのよ。300年近く生きたわ。この世界には100年しか寿命がない者だっている。もっと短い者たちだって。その人たちに比べたら、3倍も生きたんだから十分じゃない?
 明日さえ乗りきれれば、それでいいわ。だからあなたも、明日まであたしを生かしておくことに集中して」
「なら、せめてあの幻獣との契約を破棄してください」
 燕馬は隊の最後尾にいるバシャンの幻獣ジズを見た。その抜きん出た巨大さ、威風堂々たる姿は一族のほかの魔女たちの使役する幻獣や魔獣とははるかに格が違う。幻獣たちはジズを恐れるあまり距離をとっているが、ジズの方は全くこの状況に関心ないといったふうに大あくびをしている。
「あれは人が使役するには身にあまる幻獣です。あなたの命を縮めているのはあの獣です」
「それはできないわ。あれがいるからこそ、一族の者はあたしに希望を見ているのよ」
 これもまた、バシャンが正しい。
 ほぼ寝たきりで、自分の足で歩けないほど弱っていても一族の者がバシャンを氏族長と認め、頼っているのはあの幻獣がいるからだ。あれを使役できているバシャンの病がそんなに深刻なはずはないと。
 ジズが姿を消せば、一族の者たちは全員パニックを起こすに違いなかった。
「なぜ……そんなにも…」
 ハリールがいるじゃないですか、そう言いたかった。あなたは不服だろうけれど、彼女が姪で、アタシュルクの血を引いているのはたしかだ。彼女に任せればいい。なぜ自分の命を賭してまで…。
 それは、医療者だからかもしれない。けれど、燕馬が本当に親身になって自分のことを考えてくれていることを知って、バシャンは感謝するように薄く微笑した。
「そうね……何も成せなかったあたしが、唯一成せることだから、かしらね」
 ――石女がえらそうな口をきくな!

 かつて彼女の夫と呼ばれた男は、愛人との醜聞を叱りつけたバシャンを嘲笑した。
 もともと打算と妥協で結ばれた婚姻だった。蔑視こそすれ、愛情などかけらもない。アタシュルクの権力を手に入れるつもりだっただろうが、バシャンがそれを許さなかったことに腹をたて、バシャンの顔に泥をぬるために彼は幾度となく女性問題を起こした。
 その行為自体はどうでもいい、愛人など何十人持とうが勝手にすればいいが、発覚してアタシュルクの名を傷つけることは許さない。そう告げたバシャンに、彼は言った。
 ――跡継ぎ1人つくれない女が四の五の言うな。俺の方がよほど一族に貢献しているというものだ。まったく、とんだハズレくじだ。妹の方にしとけばよかった。獣と子を成すような賤しい女だったとはいえ、子どもを産んだあの妹の方がよほどマシだった。

 直後、夫は愛人とともに消えた。世間的にはそうなっている。愛人のうわさが絶えなかった男だから、だれも失踪を不審に思ったり、行方を尋ねたりはしなかった。
 消えたのはたしかだ。今、あの男がどこにいるかは知らない。獣の腹がどこに通じているか分からないように。
(あの夢といい、最近は昔のことを思い出す…)
 やはり自分もいよいよということか。
 そのとき、山の方からこだまが届いた。
 ――ルルルルルルルロゥーッ! ルルルルルッ

「あれは何です?」
「イルルヤンカシュの声よ。たしかに混乱しているわね。
 さあ、休憩は終わり! みんな、出発するわよ!」
 バシャンの言葉に、男たちが立ち上がって戻ってくる。
「あなたも戻りなさい。治療をありがとう」
 燕馬は何も言わなかった。ただ、残念そうにバシャンを見つめ、鎮痛剤をその手に握らせると離れて行った。
 先に口にしたように、死ぬことにためらいはない。イルルヤンカシュさえ鎮めることができれば、一族は安泰だ。イルルヤンカシュの目覚めの周期はどんどん遅くなっている。今度鎮めてしまえば、おそらくもう二度と目覚めないに違いない。
 自分は地獄に落ちるだろう。これまでの対話の巫女たち同様に。
 それこそ本望。報いを受ける覚悟はとうにある。
「出発!」
 バシャンの輿を先頭に、隊は再び山を目指した。



「何者かの集団らしき熱源が南西にあるわね」
 森を歩く足を止め、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がつぶやいた。
 彼女が持つ銃型HC弐式のモニターには、先まではなかった点が映っている。その大きさからして20人程度の隊のようだ。
 残念ながら弐式では熱源探知しかできず、相手が何者であるかまでは分からない。しかし、相手がセレアナから半径10メートル以内に入ったことはたしかで、その動きからして野生動物の群れといったものではないとの推察はついた。
(……? 何か後方に大きな物体があるみたいだけど。これ、人間じゃないわよね?)
 彼らが何者でそれが何か、確認するのはセレンフィリティの役割だ。
 だが振り返ると、すぐ後ろを歩いていたはずのセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の姿がいつの間にか消えていた。
「セレン?」
「ちょ、ちょっと待って、セレアナ。
 いい? ここは危険だから、早く離れるのよ? あ、でもあせって走っちゃ駄目よ? けがしちゃうから」
 子どもに噛んで言い含めるような言葉遣いで話している声がしげみの向こうからしていた。覗きに行こうとする間もなく、がさがさしげみを掻き分ける音がして、セレンフィリティが現れる。もう1つしげみを分ける音がしていたが、それはだんだん遠ざかって行った。
「どうしたの? だれかいた?」
「うん。子ども連れのツアー客が隠れてた。こわくてすくんじゃったんだって。この辺なら大丈夫とは思うけど、念のためね」
「そうね」
 セレアナはセレンフィリティの頭上を越え、木々を越えて見えるイルルヤンカシュに目を向けた。直線で300メートルはありそうだ。今のところ進路からははずれているが、いつ気を変えてこちらを向いてやってくるとも限らない。
「それで、何を見つけたって?」
 ひょい、とセレアナのHCを覗き込む。そして彼女が見たものを見て「ああ」と察した。
「じゃあちょっと行ってこようか」
 言うが早いか、セレンフィリティは道に平行して森のなかを疾走した。
 もしかしたらツアーガイドや客から通報を受けたこの地にいる東カナン軍駐在兵士かもしれないし。イルルヤンカシュがあんなふうに暴れる原因となったやつらかもしれない。もちろん、事態を聞きつけたただのやじうま集団という可能性もあるから、一概には不審者と言い切れないけど、警戒するに越したことはない。
 障害となる岩やしげみを飛び越え、着地する。ほとんどあるかなきかの音しかたてないのはさすがだった。全身をおおう、柔軟な筋肉のたまものだ。収縮し、衝撃を吸収して瞬発力へと変える。豹のごときしなやかさ。
 その美しくも類いまれな肢体を、彼女は惜しげもなくさらしていた。まとっているのはメタリックブルーのビキニと薄手のコートのみ。黄色の肌が太陽の光を浴びて健康的に輝いている。
 いつもに増してしっとりとしたつややかさを帯びているように見えるのは、昨夜恋人のセレアナと存分に愛しあい、気力体力ともに充実しているためだろうか。
「この辺でいいかな?」
 モニターで見当をつけた辺りにさしかかって、セレンフィリティは足を止めた。
 もう大分接近しているはずだ。見渡し、身を隠すのに適した木を見つけると巧みに登った。人間は大抵の場合、上の注意を怠る。気配を殺し、遠くからだんだんと近付いてくる集団をうかがった。
 輿に乗った初老の女性を先頭に進む、組織立った集団。魔獣や幻獣を連れている。
(ということは、おそらくあれが昨日話に出ていた、この地方の権力者アタシュルク一族ね)
 セレンフィリティの目を引いたのは、中央から少し後方を行く装輪装甲通信車だった。馬を主な移動手段とする東カナンには存在しない物だ。あれを使用しているのは間違いなく他国人だろう。
(シャンバラ人が向こうにいるの?)
 そんな報告受けてたっけ?
 うむむ、と考える。しかし視線を最後尾に流した瞬間、セレンフィリティの思考は一瞬で砕けて消えた。
(……なに、あれ)
 数秒の空白ののち、ようやく働き始めた頭でのろのろと考える。
 少し先で同じように木に登っているセレアナに手と目で合図を送り、ひとまずその場を離れた。
「セレアナ、あれ見たっ? なに、あの化け物」
「ええ、まあ…」
 セレアナも驚きを隠せないようだった。とまどって、振り返っている。
 まだかなり距離があった。察知されていないとは思うが……念のためだ。
 まともに見たセレンフィリティは、完全に動揺していた。
「あんなの、あたしたちだけじゃ無理だって。もしかしてあれと戦うことになるの!?」
「そうならないように祈るしかないわね」
 彼らはハリールの死を望んでいて、コントラクターはハリールを守っている。
 かなり望み薄だと思いながら、セレアナはそっとため息をついた。