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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―

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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―
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夢の中でも君が好き

 さて、心に作用するというのなら赤のエリアではどうだろうか。とくに花言葉では「情熱」など幸せなものが多いように感じるのだが……レオンハルト・ルーヴェンドルフ(れおんはると・るーべんどるふ)イリーナ・セルベリア(いりーな・せるべりあ)の仲睦まじい様子も今に始まったことではないが、ルイン・ティルナノーグ(るいん・てぃるなのーぐ)はドキドキしっぱなしだった。
「ふゎ、あゎゎっ! み、皆凄いんだねっ」
 初恋もまだなルインにとって、今回のお茶会の趣旨である「大切なもの」については難しいようで、なんとなく頭の片隅で理解はしているものの、恋に恋するような好奇心いっぱいの表情でキョロキョロしている。
 先ほどまではみんなが楽しそうだったのに、気がつけば覗いてはいけないような雰囲気。見てはダメだと思うものほど見たくなるのはどうしてなのだろうか。
「ルイン、探してる?」
 そわそわと落ち着きのない様子にシルヴァ・アンスウェラー(しるば・あんすうぇらー)が声をかけると、わかりやすいくらいに驚いて愛想笑いを浮かべている。
「さ、探してないよっ! ルインは隠れた方がいいのかなっ? 見ない方がいいのかなっ?」
「――ルイン、僕達は愛の雫を探すんですよ?」
 そんなことなどすっかり忘れていたのだろう。興奮気味に握られた拳をぶんぶん振りながら言う言葉には全く説得力がなく、チャンスがあれば物陰から様子を覗きたいのはバレバレだ。
「あ! えっと、レオン様にあげるのかなっ? でもレオン様、忙しそうじゃなかったかなっ?」
 キョロキョロと探し出そうとするので、邪魔しに行かないようにシルヴァはルインの目に手を当てて方向転換させる。
「そっちはもう探し終わりましたから、ルインはこっち。邪魔すると怒られますよ!」
(普段はダメライオンなのに、珍しく飢えたオオカミになって頑張ってますもんね)
 あんな顔をルインに見せるわけにはいかないと、出来るだけ遠くに連れて行く。それに、その方が雫探しもしやすいだろうというのも本音だ。
「雫探し、面白いかなっ? 頑張ったら、シルヴァ様が喜んでくれるんだねっ!」
 頑張る! と薔薇の花や葉を潤わす露を見つけては一喜一憂したりと真面目に探し始めたと思ったのもつかの間、すぐにその隙間から見える光景にあてられて振り出しに戻ってしまう。
 そして、そんな2人が邪魔しにこないことを確認すると、レオンハルトは白い薔薇を眺めているイリーナを後ろから抱きしめた。
「レオン……」
 そうされるのが嫌なわけじゃない。部屋の外という明るい場所で、こうしてくっついていられることが幸せな反面恥ずかしく、身を捩るようにして振り返った。
「まるでイリーナみたいな薔薇だな、肌も髪も雪のように白い」
「……私は消えない。だから手を繋いで、レオン」
 そっとレオンハルトの手に自分の手を重ねると、突然そのまま引いて体を半回転させられる。驚いてる間もなく唇を荒々しく奪われ、見つめ合う形となったのはいいが、どういう反応をすればいいのかわからず、イリーナは目を瞬かせるばかり。片眼のはずのレオンハルトの視線が痛いくらいに突き刺さって、その力強い瞳の中にはイリーナ以外の何も映していない。それはまるで、彼の世界を独り占めしているかのような気分にさえなる。
「放って置いたら消えそうに見えた……傍に居ろ。勝手にいくのは、許さん」
「私はレオンの右目だ、ずっと傍にいるに決まっている」
 命令されずとも、思いは変わらない。1度誓った忠誠を違えることなどありえないとでも言いたげに、凜とした瞳は訴える。けれど、レオンハルトが伝えたいのはそういうことではない。
「……それだけか?」
 自分から答えを教えるのではなく、あくまで待ちの姿勢で問いかける。彼女のあまりにもクールな振る舞いに「氷の女」などと忌み名で呼ぶ輩がいることに気がついてはいるけれど、自分の前では可愛い女であり、それを周りが知る必要性は一切無い。
 忠誠を誓ったから、相棒だからということで答えを期待しているわけじゃない。ただ1人の女として自分という男をどう思うのかを聞き出したいだけなのだ。最も、欲しい答え以外を口にすると言うのなら、プライドにかけてでも振り向かせるまでなのだが。
「……レオンのことが好き。多分、異性として」
 ポツリと呟くように答えた内容は、先ほどまでの思案がほとんど杞憂に終わったことを告げている。
(今に多分なんて言えなくしてやるさ)
 口の端を上げて笑うレオンハルトに捕らえられ、それでもなお真っ直ぐと見据えるイリーナの髪を掻上げる。
「1つきりの誓いで縛るつもりは毛頭無い。ただ必要だと思う人が傍にいて、誓いをたてたと言うだけのことだ」
 忠誠も愛も、その名を詠う飾りとなるなら必要ない。互いの信じる思いがそこにあり、目に見えぬ絆こそがあればいい。
 薄っぺらな言葉よりも、それを感じる心だけあればいいと、レオンハルトは言葉を飲み込むように深く口づけるのだった。
 それは、第三者から見れば魔力による昂ぶりなのか知る術はない。けれども、当人たちの幸せそうな顔はきっと、心からの想いが通じた証だろう。
 メラメラと野望に燃える宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)もまた、思いの丈を誰かにぶつけたいようだが、思い人との参加は叶わなかったようだ。
 しかし、そういう寂しい思いを抱える者の前に青のエリアでは具現化して参加者を惑わせたものだが、赤のエリアではどうなのだろうか。
 男性陣がすっかり色気より食い気で意気投合してしまったことで暇を持てあましていたアメリアマナはあまり遠くまで行かないように気をつけながら一緒に薔薇を見て回っていたのだが、まさかそこで新たに誰かが合流するなど思ってもみなかった。
「蒼空学園の方が羨ましいわっ!」
 白い薔薇の前の休憩スペースから聞こえる声に振り返れば、祥子が1人紅茶を飲み干して叫んでいる。先ほどまでは、想いをノートにしたためていたのだろう。乙女らしい和歌があり、夢見る走り書きがあり……そして今ではあの有様。魔力のせいとも考えられるが、あまりに思い詰めてヒートアップした可能性も否定できない。いや、いっそ両方かもしれないが……。
 そんな祥子の様子を遠目から伺っていたマナは、何度も蒼空学園の名を出すのが気になって、何があったのか尋ねてみることにした。
「私、蒼空学園の生徒なんだ。それってシャンバラ教導団の制服よね、一体どうしたの?」
「蒼空学園の生徒ですって!? あの人と同じ学舎で……羨ましいわ!」
 話し込んで十数分たった頃、身を乗り出したのはアメリアだった。
「同じ学校も同じなりに苦労はあるのよ? ずっと人目はあるし、相手に気付いて貰えなかったら空回りだし……」
 今頃くしゃみの1つでもしているかしらと、誰かさんを思い浮かべながら吐いた溜息の前では、祥子がメモを取る。恋する女の子のアドバイスはしっかりと耳を傾けながら、対策を練っているようだ。
「みんな大変なのね……」
 1人平和なマナは、余計な口を挟まないよう、静かにやりとりを聞く側に徹していた。身近な男性であるパートナーは兄のように慕っているし、恋愛のアドバイスとなっては的確に答えられそうにない。
 クッキーをつまみつつ、まるで他人事のように傍観していたが、そうはいかないらしい。
「マナの話も参考にしたいわ、何かない?」
「ええ!? 私は特に何もないよ、蒼学の地理には協力できるけど」
 きらりと祥子の目が輝いた。相手はこの薔薇の学舎ではなく共学の蒼空学園にいるのだから、プレゼントなど差し入れを持って行きやすくなる。内部の事情に詳しければ、ライバルに差を付けて届けることも可能だろう。
 ……そのライバルがいるかどうかは別として。
 こうして女の子同士の恋愛談義に盛り上がっている様子は、まるで昼休みや放課後の風景のようでとても平和だ。彼女たちが3人とも別の学校の生徒であるというのも不思議だが、他校への侵入経路の相談をしているなど誰も思わないことだろう。
 恋する女の子の行動力は無限大、相手を怖がらせない程度に頑張ってほしいものだ。
 けれども、最近の傾向なのか女の子がしっかり者だったり強かったりすることは多いらしく、シャーロット・マウザー(しゃーろっと・まうざー)渋井 誠治(しぶい・せいじ)の2人も、端から見れば誠治がエスコートしているように見えなくはないのだが……。
「渋井様、次はどちらに連れて行ってくださるのですかぁ?」
 手を繋いで恥ずかしそうに笑う彼女を格好良くエスコートしたい。それは、男の子なら誰しも思うことだろう。滅多に入れない大きな庭園、薔薇の香りに包まれてロマンチックさも増し、歩き疲れたときにはお茶のスペースだってある。困ることが少ない初心者向けのデートコース……の、はずだった。
「この道を道なりに真っ直ぐ行けば真っ白い薔薇のところに着くみたいだ。目印に、この辺りで左へ曲がれる道が――」
「右側には曲がれそうですけど……左は曲がれそうにないですねぇ」
「あ、あれっ? じゃあこっち向き、だとこの黄色い薔薇の位置が……えっと、ちょっと待ってな」
 あーでもない、こーでもないと地図をくるくるまわしながら必死に案内してくれようとする姿は、ちょっとだけ微笑ましいと思う。大きな道しか通ってきていないので、迷子になったとしても深刻な問題じゃないだろうとシャーロットが余裕のある考えをしているのに対し、誠治は格好悪いところは見せられないと一生懸命だ。
「よしっ! ここを曲がって突き当たりを右だ……多分。待たせてごめん」
 自分が不安になっては幻滅されるかもしれないと、爽やかな笑顔でなんとなく自信のある方向を指さすが、元々正直者な誠治は嘘をつくのが苦手なので、迷ってしまっているのは一目瞭然だった。
「たまには迷子も、良いかもしれませんよ?」
「ま、迷子じゃないから大丈夫だって!」
(なんでバレてんだ!? 取り乱してなんかいないのに!)
 クスクスと笑われてしまい、面目丸つぶれの誠治はシャーロットの手を引いて歩き出すと何か弁解出来る方法はないかと考えた。
「迷子じゃなくて……遠回り。その方が、ずっとこうしてられるから」
「渋井様……」
 照れ笑いのシャーロットに、慌てていたにしては中々の答えを出せたのではないかと再び格好付けてみるが、その自信はすぐに打ち砕かれてしまった。
「あのぉ、大変申し上げにくいのですが……そこに、見えているのはぁ」
「え?」
 少し進むと見えてきた、葉まで白い薔薇たち。このタイミングで見えてしまえば、先ほど言った言葉はむしろ逆効果ではないだろうか。
 落ち込みたいが、今は彼女の前。ぐっと我慢をするんだ男の子。何か誤魔化す会話の糸口でもないものかと見渡していると、ヤツと目が合う。
 こっちは会いたいなど微塵も思っていないのに、自慢のひげを揺らしながら「はぁい♪」とでも嘲笑っていそうな茶色い物体。
「ごっ……!」
 いつもなら真っ先に叫び声を上げるところだが、最初の1文字で思いとどまった。さすがは彼女前、やれば出来るじゃないか。
 なんて自画自賛している場合ではない。今すぐダッシュをすればきっと逃げ切れる、醜態を晒す前に急いでこの場から逃げようと、画策するのだが、目を逸らした隙を突いてアタックを仕掛けてこないかだとか、仲間を呼びにいかないだろうかと不安がつきることはない。
「渋井様、私……」
 繋いでいた手を引いて腕に抱きついてくる。誰も通らない静かな路地で嬉しい展開に胸も高鳴るが、いかんせん目の前にはコードネームGが! ヤツから逃げて安全な場所へ行くのが先か、彼女の期待に応えるのが先か。これは究極の選択と言っても過言ではない。
(いや、ヤツから逃げるのは俺のためだけじゃなくシャロの安全にも関わってくるはずだ!)
 答えが決まったところでシャーロットの顔を見ると、どうも様子がおかしい。寄り添うように腕に抱きついているというには力強すぎるし、目も虚ろになっている。しかしこの様子、どこかで見聞きしたような気がするのだが――。
「……まさか」
「おなか、すきましたぁ。いつもなら、もう少しだけは我慢出来るのですけどぉ……」
(吸血姫モードのご登場ですかー!?)
 つまり、こうして腕に抱きついているのも恋人らしいラブラブな展開が待っていたわけではなく、ただ単に血に飢えていただけというのが寂しいが、こうなってしまうと手におえない。性格が豹変してしまうことから逃げ腰になってしまうが、どうにかして飢えを誤魔化さなければいけない。
「輸血パック……なんて持ってきてないよな。お茶菓子で吸血鬼用とか……も望み薄そうだし」
 休憩所までの道のりを無駄だと思いつつ確認しながら、本人の希望を聞いてみようかと思ったときふと思い出す。
「そういやアイツは……いないっ!? うあああ、マジかよ!」
 少し目を離した隙に居なくなってしまったG。そして、じりじりと自分の首元を狙うシャーロット。どちらにしても、この場でじっとしていて得策があるとは思えない。
「だ、誰か−! 輸血パックか何か持ってませんかー!?」
 引きずるわけにもいかず、ひとまず彼女を腕に抱えて走り出す誠治。しかし、魔力にあてられたシャーロットがいつも以上に凶暴さを増して手がつけられなくなっても、泣き叫びながら懸命に説得していたらしい。
 彼らが走り去った後では、Gと失礼な誤解を受けた秋の虫が涼しげに歌い始めていた。
 そうして、じわじわと魔力が空気を蝕んでいるのに気がついてイエス・キリスト(いえす・きりすと)……もといヨシュアは心配そうに隣を見る。けれども、手を引く綾瀬 悠里(あやせ・ゆうり)はなんの変わりもないように微笑んでいるから、安心してついて行くことにした。
 白い薔薇の休憩スペースで、1番落ち着けそうな木陰の席へと導かれ、優しい香りに包まれる。人気のエリアだからか、楽しそうにする人が何人も目に止まり幸せな気分を分けて貰えるのも確か。けれどやはり、目の前で大切な人が穏やかな顔をしているのが1番幸せなのだろう。
「ヨシュアに誘って頂いて良かったです。こんなところでお茶をする機会はあまりないですから」
 ゆったりと遠くを見つめる悠里に、疲れの色はない。休みのときくらい家でのんびりさせるべきなのかとも思ったが、このように言われては誘ってみて良かったと心底そう思う。
 綺麗な景色と持て成されるお茶の美味しさから、普段より口数が増えてくる。他愛ない日常のことから、いつもは話さないようなことまで話題に上り、ヨシュアは意識せずに次の質問を口にした。
「そういえば、悠里さんの故郷はどんな所なの?」
 英霊と呼ばれる自分の過去を少なからず悠里は知っているはず。けれど、ヨシュアはこのパラミタで出逢ってからの悠里しか知らない。
 別にそれを不公平だとか言うつもりはないのだが、懐かしい思い出話の1つや2つ聞ければと思っただけで深く詮索するつもりもなかった。
「故郷、か……」
 はっきり言って良い記憶のない悠里にとって、それは1番答えづらい質問だった。普通なら、のどかだとか名産品とか、幼なじみや近所の世話をしてくれたおじさんなど、思い出話に花を咲かせるところだろうが、全くそんな気になれない。
「それが、今の自分にどれほどの意味を与えるというんですか?」
 酷く冷たい声音に、ヨシュアはびくりと肩を震わせた。少なくとも、自分に向かってこんなに冷淡な態度をされたのは初めてのことで、この話題が悠里にとって踏み込んで欲しくない領域なのだと知る。
(迂闊だったわ。今まで1度も聞いてないんだから、少し考えればわかりそうなことなのに)
 先ほどまでの盛り上がりが嘘のように静まりかえってしまったテーブル。どうやってこの空気を変えれば良いのだろうと、しどろもどろになりながら返事を返す。
「そうね、今の悠里が幸せなら……それでいいわよね」
 ヨシュアの怯えたような、引きつった笑顔。それを見て自分が思った以上に冷たくあたっている事に気付いた悠里は、慌てて話題を変える。別に話したくなかっただけで、怖がらそうなどと思っていないのに、あの頃の記憶は自分を冷徹にするのかもしれない。
「そうだ、大切なものは何を持ってきたのです? 任せてくださいと言われていたので自分は何も用意していないのですが……」
「はい。悠里さん、こちらを受け取ってください」
 悠里の表情が柔らかくなったので、先ほどのことは無かったかのように明るさを取り戻すヨシュアは、用意していたペンダントを2つ取り出す。同じデザインのそれは、微かな木漏れ日を受けてテーブルの上で静かに煌めいていた。
「お揃いだなんてよく探したね、ありがとう、大切にする」
「私が作ったのよ、悠里さんに似合う色を考えながら。……これからもずっと悠里さんのおそばにいてもいいですか?」
 お互いがいつでも傍にいるように。そんな想いをこめながら作られたペンダントを手に取り、どれだけの時間をかけて用意してくれたのだろうと感謝の思いを胸にその1つをヨシュアにかけてやる。
「もちろんですよ、だってヨシュアは自分の大切な人なんですから」
 そうしてすぐに、同じように自分もかけてお揃いになったアクセサリーに微笑を浮かべ、ゆったりとした時間を過ごすのだった。
 さて、初めてのデートという初々しい2人はどうだろうか。甘い薔薇の方へ向かった水神 樹(みなかみ・いつき)佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、手を繋ぐどころか緊張気味に間を開けて歩いている。
 せっかく2人きりなのだから1歩踏み出してみれば良いのに、互いに一緒に参加出来ただけで満足するくらい初々しい2人には無理な注文なのかもしれない。
 けれど、薔薇園中に高まった魔力がそんな2人を後押ししてくれる。
「樹さん、お疲れではありませんか? お茶もありますし、少し休みましょうか」
 和服は着慣れているとは言え、締め付けるその衣服は決して楽とは言えないだろう。小さなシートを敷いて樹を座らすと、弥十郎は手際よく持参していた紅茶やお茶菓子を用意する。
「凄い……私、甘いものが大好きなんです。弥十郎さんってお料理が上手なのですね」
「いやいや、何度も作り直しましたよ。樹さんに食べて頂くためですからねぇ」
 のほほんと笑っている弥十郎にはうっすらと疲れの色が浮かんでいる。謙遜ではなく本当に気を遣わせてしまったのかと、申し訳ない気持ちで樹は弥十郎の頬へ手を伸ばした。
「無理をなさっていませんか? ご病気で倒れられたりしたら、私――」
 そうして熱でも計るかのように近づく顔に耐えきれず、弥十郎は樹の肩を掴む。
「こ、これくらい大したことはありませんよ。ですから、その」
 真っ赤になる弥十郎を見てハッとしたように離れる樹は、同じように顔を赤くして俯いてしまう。顔色を見るだけのつもりが、何故あんなことをやってしまったのだろう。
(はしたないと思われたかしら。そうよね、いきなりあんなに顔を近づけたりしたら)
(近くで見てもやっぱり綺麗な人だなぁ、止めなかったら……少し、勿体なかっ……いやいや、初デートくらいは紳士に)
 お互いにぶんぶんと頭を振って仕切り直すように顔を見合わせるが、先ほどのことが頭から離れないのか再び顔を逸らして真っ赤になっている。どうやら、情熱の魔力を前にしても2人の初々しさは変わらないようだ。
「あ、あの、私もカントゥッチーニを作ってきて……弥十郎さんのお茶と合うかしら」
「ローズヒップティーを用意しました。美容に良いハーブですが、美しい樹さんには別のお茶が良かったかもしれませんねぇ」
「え……?」
 さらりと出た褒め言葉。言われるとは思わなかった樹と、そんなことを言うつもりのなかった弥十郎がまた恥ずかしそうに俯く。
 どうにもいつもと違う態度をしてしまうのは、デートとして意識をしているからだろうか。
「その、今日の和服もお似合いですよ。蘭になりたいくらいに」
「ありがとうございます。けれど、どうして蘭に?」
 薔薇園の中で佇む弥十郎には薔薇の花も似合いそうなのに。一拍の間を開けて、弥十郎は照れながら想いを告げる。
「花になるなら薔薇ではなく蘭になりたいな。蘭の咲く傍には何時も樹があるからね」
「……それなら私に、あなたが散らないよう護らせてください」
 お互いによろしくお願いしますと頭を下げて、何となく苦笑してしまう。むず痒い気持ちは変わらないけれど、大切な親友から何かが変わった日。薔薇の蕾に想いを乗せて、弥十郎は照れる樹を思い浮かべて微笑むのだった。