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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―

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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―
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心の中に、潜む陰

 薔薇園に満ちる魔力――それは、花言葉に由来する。品種改良の際に使用した魔力と同じ種類の物が、安定した成長を促すために薔薇園の土にも含まれているのだが、全エリアに共通するのは「愛」ということ。
 とは言え、メイン通路やお茶会を開くスペースには当然薔薇の成長には関係ない部分となるので、本来ならば参加者の安全は確保されているのだが、今回は防犯用の装置が作動してしまったために、どこにいようとも影響を受けてしまう。愛の雫探しに奥地へ行ってしまった人はなおさらだろう。
 魔力が作用するのは心。薔薇の花言葉に見立てたそれは、幸せになれるものもあれば辛く悲しいこともあるだろう。操られたように夢見心地になる人もいれば、そうならないよう理性で押さえ込んだ結果心にもないことを口にしてしまったり、心に住む思い人を具現化してしまったり……何が起こるかは本人次第だ。
 そうして錯乱している所を取り押さえるという装置が作動してしまった今、参加者はどうなっているのか。特にルドルフが危惧していた危険エリア、青色へと向かった人が心配だ。
 花なんかに興味はないのに、なんとなく申し込んでしまった永夷 零(ながい・ぜろ)は、1人薔薇園の中を歩いていた。珍しいものがあるならと気楽な思いで歩いていたのに、まさかこんなにも珍しいものを見つけてしまうだなんて思わなかった。
「……来てたのか」
 真っ白な薔薇を手に、高潮 津波(たかしお・つなみ)が甘い薔薇の前で佇んでいるのが見えた。いつも付きまとってくる彼女が、同じ場所にいながら別々の行動をしていたというのが不思議な気分だ。
「永夷さんが、2人……?」
「あ?」
 驚いたように瞬いている彼女に、寝ぼけているのかと言おうとしたが、その割にはハッキリとこちらを見据えている。訝しむように近づいて行くと、直がタイミングよく現れた。
「君たちは大丈夫か!?」
「大丈夫って……なんだよ」
 事情を飲み込めていない零に手短に話すと、精神状態が安定していることから津波のことを任せて先に行ってしまう。どうせならば、対策くらい教えて行ってほしいものだ。
「私、永夷さんに伝えたいことがありまして……でも、どうして?」
 未だ少し混乱している津波の視線の先。そこには霧の固まりのようなものがあって、どうやらあれが零に見えているらしい。そこから引きはがし、自分を本物だと気付かせることで我に返るのだろうが、問題はその方法だ。
(さすがに津波をぶん殴るワケにもいかないしな……)
 どうしたものかと考えながら間合いを詰めて、導き出した答えは1つ。とにかく危険な状態だというなら、その靄から津波を引き離すだけだ。
「俺の見分けもつかない?」
「……ごめん、なさい」
 大好きな人、大切な人。その姿も声も全く同じで、どうやって見分けたらいいのかわからない。落ち着いて考えなければと思うほど考えはまとまらなくて、手にある白さだけがハッキリとしている。せっかく心を決めて白い薔薇を貰ってきたのに、これでは意味がない。
「せっかく、永夷さんに会ったら渡そうと思っていましたのに」
「じゃあ、なんで隣のソイツには渡さずに持ってるんだ?」
 大切そうに握りしめられた薔薇。それに気付いて津波は隣を見る。
「あなた、永夷さんじゃないのですか……? そうね、私の夢が作った永夷さんは、あなたです」
 サァッと晴れる靄に目を瞬かせて驚く津波は、本物の零を見て微笑んだ。
「これ、どうぞ」
「……俺も偽物だったとしたら?」
 一瞬間があって、津波は零の手を取って白い薔薇を握らせる。偽物から無意識に守り抜いていた薔薇、自分も心のどこかで気付いていたのかもしれない。
「渡したいと思うのはたった1人です。守り抜いた私の白さ、全て差し上げるのは永夷さんだけですから」
「白さって……まぁいいか。物騒みたいだし、しばらく一緒にいてやるよ」
 花のことに詳しくない零には伝えたい気持ちの半分も伝わらなかったけれど、トラブルがきっかけで一緒にいられるならそれもいいかもしれない。
 津波が嬉しそうに笑う顔に目が離せなくなっている理由に零が気付くには、まだまだ時間がかかりそうだった。
 そんな状況になっているとも思わずに、1人黄昏れるように薔薇園を歩いている朱 黎明(しゅ・れいめい)は、変わった薔薇を見つけては足を止め、懐かしむように遠くを見た。
(キミが見たら、どんな顔をしただろうな)
 薔薇が好きだった妻。どんな花を贈るよりも、1番喜んでくれたから覚えている。差し出して驚いた顔も、手にして嬉しそうに笑った顔も……全部、心に焼き付いている大切な記憶。
 いつもはこんな風に思い返すこともないくらい騒がしい毎日を送っていて、すまないと謝るべきなのか元気な証拠だろうと言ってやるべきなのかはわからない。けれど、片時も心の中から消えていないと伝えるように、ポケットに忍ばせた結婚指輪を握りしめる。
「しかし、薔薇のお坊ちゃまも随分と酷な申込書を用意してくれたものだな」
(大切な言葉を告げたい相手だなんて、もうこの世には――)
 次の薔薇へ向かおうと踏み出した足を止める。数メートル離れた先に佇んでいる女性には見覚えがあったからだ。一瞬、その人に似た自分のパートナーかとも思ったが、連れてきてもいなければ似ていても見間違えるはずがない。
(これは……趣味の悪い仕掛けだな)
 眉間に皺を寄せながらつかつかと歩み寄り、黎明は正面の人物に言い放った。
「……今はもう触れることも、話しかけることもできない。それでも私はキミを愛し続けているよ」
(だからこれは、どんなに似ていても私が求める人じゃないとわかっている)
 すると、正面の人物は悲しげに笑って霧のように消えるので、一瞬驚きながらもそれを追って空を見る。偽物だとわかっていても、同じ顔が消える瞬間というのは何度も見たい物ではない。
「誰かいるのか!? 無事なら返事を……っ!」
 呼吸を乱すことなく猛スピードで路地を曲がってきた直を見て、先ほどの現象はトラブルだったのだと悟る。ひとまずゆっくり話を聞かせて貰うかと溜息を吐きながら振り返った顔は、怒りを隠した好青年の笑顔。
「少し驚かされたけど、見破るのは簡単すぎるな。私の妻はもう1サイズ胸が大きいのでね」
 おどけた調子の黎明に面食らいながらも、直は参加者の無事に安堵の息を吐く。
(どんな薔薇がいいかわからないから、普通の薔薇をもらって帰るよ。……キミが笑っていられるように)
 たまには、切なく思い返す1日があってもいい。空を見ながら思いを巡らせる黎明は、約束するようにもう1度結婚指輪を握りしめた。
 青のエリアは危険とされているが、その被害に遭わない人もいる。それは、青い薔薇の花言葉の1つに「神の祝福」があるからだろう。
 クロス・クロノス(くろす・くろのす)カイン・セフィト(かいん・せふぃと)は、白い薔薇の近くにある休憩所でゆっくりとお茶を楽しんでいた。
「……なにやら、騒がしくはないですか?」
 喧噪を忘れてお茶会を楽しもうと思っていたのに、いつもほどではないとは言え騒がしさが気になる。そんなクロスの不安を拭うように、カインは持ってきてもらったポットから甘めのミルクティーを作って差し出した。
「いつも訓練で周りの様子を伺うよう鍛えられているから気になるのですよ。今日くらいは休みましょう?」
「そうかもしれないですね、ありがとうカイン」
 返事代わりに微笑んで、同じミルクティーを飲む。たったそれだけのことなのに、疲れた体に甘さが染み渡って心を解してくれるようだ。
「……記憶が戻らないこと、不安ではないですか?」
 忙しい毎日では思い返す時間もないだろうが、こうしてゆったりした時間を過ごしたり夜の静かな時間など、ふと思い返すこともあるだろう。決して他人が痛みをわかってやることも全てを埋めてやれるわけでもないが、強がってはいないか何か力になれないかとカインは心配でたまらない。
「無いといえば嘘ですが……カインが居るから大丈夫です」
 正直に心の内を吐露してくれるクロスに安心して、カインは笑いかける。自分にさえ遠慮されてしまったら、彼女は誰を頼ればいいのだろう。
「お前が契約解除を願うまで、俺は傍に居る」
 だから、その心に抱える負担を少しでも軽くさせてほしい。そう願いながら申し出た言葉には、そう言ってくれることを信じていたというような顔。
「カイン、今までありがとう、そしてこれからもよろしく」
 とても大切で、頼りにしている人だから話せる不安と救われている安心感。互いがこれからも唯一無二の存在でいられるように願いながら、2人はお茶を楽しむのだった。
 そしてここに、路頭に迷う少女が1人。嘉川 炬(かがわ・かがり)は幸い魔力の影響は受けていないようだが、素面にしてはテンションが高すぎだ。
「うがぁあっ! ここ何処だ――!? マッピング、マッピングしなきゃ!!」
 地図であり招待者の証明書にもなるカードを落としてしまったことに気付いた炬は、持ってきている鞄の中を探りまくった。最初は大きい道以外通らなきゃ大丈夫だろうと、RPG好きの性格が災いしてカードを見ずに歩いていたのだが、先ほどから同じ場所をぐるぐると回っている気がして現在地を確認しようとし、無くしてしまったことに気付いたらしい。
 けれども、どれだけ鞄を探ってみても、出てくるのは携帯ゲーム機やソフトばかり。今やっているゲームはもちろん、大切なレアソフトまで持ち歩いているので鞄の中は大変なことになっている。
「ふぅ、ソフトは全部ありますね……って、ちっがーう! あのカードがないとヤバクないですか? 通行証は捨てられない重要アイテムなのに……」
 落ち込む炬に、やっと1人の女の子に出逢えたことに喜んでいる久途 侘助(くず・わびすけ)は、身なりを整えて気障っぽく声をかけてきた。
「お嬢さんも1人か? 私でよろしければご一緒いたしませんか?」
「今取り込み中――って、あぁああ! 見つけましたっ!」
「積極的なお嬢さんだ、この俺が運命の――」
 せっかく見つけた獲物……もとい女の子だ。ノリよくお近づきになろうと芝居がかった喋り方を続けていると、彼女の手が制服のポケットに伸びてきた。
「拾ってくれてたんですね、ありがとうございます! ……で、誰でしたっけ?」
「……久途侘助。お嬢さんは?」
 華麗にスルーされたことに虚しくなりながらも、存在自体をスルーされたわけではないので、ぐっと堪えて名前を尋ねる。何も聞けずにさようならは、あまりにも寂しすぎるので、もしかしたらその表情は必死だったかもしれない。
「嘉川炬です。本当に助かりました、迷子だったんです」
「え、嘉川も?」
「………………」
 地図を持っていた侘助が迷子になるということは、もしかしたら自分たちは揃って迷子ということ。いや、そんな訳がない!
「マップ持ってて迷うとか、あり得ないですよ! マッピングは、RPGの基本です!」
 力強くゲームの話を交えながら先導してくれる炬を頼もしく思いながらも、この巨大ダンジョンをクリアするのは時間がかかる気がする……そう確信したのは、ゲームの話に夢中になりすぎて、地図の向いてる方角が間違っていたのに気付いてからとなる。



 その頃のルドルフは、1番不安のある場所を真っ直ぐ目指していた。この青のエリアで長時間魔力に当てられてしまっては……ルドルフの不安は的中した。神無月 勇(かんなづき・いさみ)は、どうしても愛の雫を手に入れたいという思いから、薔薇園の奥まで踏み込んでしまったのだ。
 渡された地図にも載っていない細い路地。植え込みに気をつけて、薔薇をかき分けるように勇は雫を探す。
(私はあれを見つけなければ……彼女に合わす顔がない)
「……もう、2度と会うことなど叶わないけれど」
 寒くなってきた外気に身震いをしながしながら白い薔薇の中を見て回るが、どれも普通の露ばかりで特別な物は何も感じない。自嘲するように呟いた言葉でさえ吸い込まれそうな真っ白さは、罪を背負う自分には眩しすぎた。
 自分でもわかっている、これは罪滅ぼしなのだと。そしてそれが自己満足だということも。戻らない彼女に何を捧げたって、声を聞くことも笑いかけてくれることもない。ただ冷たい墓石がそこにあるだけだ。

 ――……?

 風の音に混ざって、何かが聞こえた。はっとして顔を上げると、薄ぼんやりとしたシルエットが浮かんでいて、勇は自分の目を疑った。

 ――……、…………?

「本当に、君……なのか?」
 青のエリアを選んだのは、その花言葉に「奇跡」があるから。幻であったとしても彼女に会いたいという思いでこのエリアを選んだのだが、まさか本当になるなんて。シルエットがどんどんはっきりとした色味となり、期待から確信へ変わる。
 その様子にいてもたってもいられなくなり、駆け出した。
「触れるなっ!」
 間一髪、というところでルドルフが飛び出し幻と勇の間に入ってきた。しかし勇は正気を取り戻すどころかルドルフを押しのけて彼女の幻の元へと向かおうとする。
「行かなきゃ、謝らなきゃ。私は、彼女に――」
「落ち着くんだ、今そこにいるのは誰だ?」
 品種改良のために用いられた魔力の中でも、青色のエリアに使用されている物は1番不安定なものだった。それ故に、捕らわれる前に正気に戻って貰おうと、ルドルフは酷なことを告げる。
「君が信じる想いなら、貫き通せばいい。けれど、君の大切な人はどこにいるのかもう一度よく考えるんだ」
「彼女が、どこにいるか……?」
 今、目の前で微笑んでいる。それだけでいい、それ以上は何も考えていたくない。なのに遺影が入ったロケットを握りしめたとき、自分の想いに違和感を感じる。
(幻でもいいって思えるほど会いたかった君と、罪滅ぼしをしたかった君。私が大切な人は――?)
 今この幻に捕らわれてしまっては、墓石の下で眠る彼女には謝ることが出来ない。目の前の夢に浸ることは、本物の彼女を裏切ることにならないだろうか? そのことに気付いた勇はロケットを握りしめたまま目を閉じて深呼吸する。
「すみません、私が大切だと思うのは……たった1人なんです」
 幻とは言え大切な彼女を見ながらその言葉を口にすることは躊躇われたのか、目を閉じたままはっきりとした口調で告げる。次に目を開いたときには、もう幻の姿はなかった。
「……謝ること、また1つ増えてしまったな」
 そのときに大切な言葉もきちんと告げよう。ロケットを開いて、写真を見つめる勇にはもう迷いの色は無かった。その様子を見たルドルフも、どうにか正気を取り戻すことが出来たと安堵の息を吐き、次の生徒のもとへ向かうことにした。