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第12章 前半――紅の12番vs白の18番、最初の対決

 今のところ、パンダボールの主導権は白のFWが確保している。が、その進軍は遅々としていた。
 紅のディフェンスラインの固さ、手数や技の多さは想像以上だった。ステルスやフィールド凍結の他、パスコースの途中に氷術で氷の板を置く、ボールに火術を施す、ボールの幻を発生させて混乱させる、等々。
 それでもボールが奪われることなく推移しているのは、葛葉翔とレロシャン、ネノノ、凛シエルボを中心とするカバーリングの呼吸が合ってきているからだ。いずれもサッカー経験者だからこそ、と言えるだろう。秋月葵やイングリットの動きも上手い。
(この緋桜遙遠も何とかついていってる、はずですね)
 周囲を見渡す。固まっている白チーム攻撃陣内の連携は緊密で、そう簡単に紅チームは切り込めない。が、言わば堅陣であるその一方で、外郭は紅チームに包囲され、その戦況は籠城戦に近い。
(どうする……?)
 打破する方法は、ないではない。決定打と言っても良いかも知れない
 が、こちらの手札切り札は、できればあまり晒したくはないのだが……
 その時、後方から気配が迫る。翼を広げた守護天使。味方の9番、秋月桃花だった。
「18番さん! 緋桜さんはいらっしゃいますか!?」
「18番緋桜というのは自分ですが?」
「5番さんからの伝言です、『敵、ゴール前、アボミネーション』。これで分かる、と」
「……何だと!?」
 言われて緋桜遙遠は、観客席裏に建つ巨大モニターを見上げた。紅の12番が、身動きもしないで突っ立っている白プレイヤーの横を悠々と抜けていく様が映っていた。
(くそ……やはりみんな考える事は同じか!?)
「葛葉!」
 緋桜遙遠は呼びかけた。
「葛葉、うちのゴール前が非常事態だ、下がります!」
 返事を聞く前に、緋桜遙遠は後ろに振り返った。
「あの……私はどうすれば」
 訊ねてくる秋月桃花に、緋桜遙遠は答えた。
「9番さんはこのフォーメーションの中に入ってくれ。おそらく今自陣の方に9番さんが戻っても、何にもならない。後は頼んだ!」
 緋桜遙遠は「バーストダッシュ」を使った。さらにそこに「奈落の鉄鎖」を併用し、驚異的な加速で己が体を投げ飛ばす。空気が壁のように思え、息ができなくなる。
 途中、ラインを上げてくる白のディフェンスとすれ違った。全員攻撃――なんてカッコいいものではない。彼らの眼は敗残者のそれだった。
(……責められるものじゃない)
 緋桜遙遠は思った。
(彼らが弱いんじゃない……アボミネーションが危険なんだ)
 そして、これへの対抗を自分に頼んだ5番――確か、自分と同じ空京大学の虎鶫涼――の見識にも恐れ入る。アボミネーションには、アボミネーションを返すのが最良の方法なのだ。
 2000メートルもの距離を1分足らずで突き抜けると、緋桜遙遠は着地態勢に入る。慎重に足を降ろし、踵を地面に着け、減速をかける。立ち上る土煙。転ばぬように慎重に体のバランスを制御。制動距離100メートル以上。やっと止まる事ができた。
 止まった位置は、白ゴールペナルティエリア内。振り返る。ペナルティマークの上に、腕組みをしながら立っている紅のプレイヤーの姿。
「あら、今度はどなた?」
 視線がぶつかる。途端に、強烈なプレッシャーが緋桜遙遠の体の芯に襲いかかる。
 膝から力が抜ける。背筋に冷たいものが走る。邪悪な何かが、自分の心臓をつかもうとしているのを感じた。
 緋桜遙遠は、両足に拳を打ちつけた。冗談じゃない、膝を屈する為に戻ったんじゃない!
 紅の12番の眼を、真っ正面から見返し、腹の底から声を出した。
(どなた、だと――!?)
「我が名は緋桜遙遠! 紅の12番、『緋桜遙遠に頭を垂れよ!』」
 そして彼も、アボミネーションを発動した。
 白のペナルティエリアで、吹き出したふたつの気配がぶつかり合った。

 ――頭を垂れよ。
 ――ひざまずけ。
 ――従え。
 ――額づけ。
 ――怖れよ。
 ――怯えよ。
 ――去れ。
 ――失せろ。
 ――消えろ。
 ――なくなれ。
 ――崇めよ。
 ――屈せよ。
 ――……。
 ――……。
 ――……。
 ――……。

 どさっ、と音がした。
 ペナルティマークの上で、紅の12番が倒れていた。
(……勝った……か……?)
 緋桜遙遠の脚からも力が抜ける。両膝をつき、彼は息を荒げた。
(……恐ろしい相手だった……)
 顔中にいやな汗が浮かんでいるのを手で拭ってから、今さらのように思い出した。
「……何でこんな事しなきゃいけないんでしょうね?」
(自分達がやっているのって……確かサッカーだよな?)
 背後で物音がした。
 振り返ると、ヴァーナーと白のゴールキーパーとが、並んで腰を抜かしていた。
「……すまない、大丈夫ですか」
 声をかけると、ふたりしてビクン、と体を震わせた。
 アボミネーション合戦の巻き添えを受けたのだ。怯えられても当然だろう
「……その、分かっていると思いますが、こちらは味方です。あなた達を傷つけるつもりはありません」
 腰を抜かしたふたりは、ゆっくりと頷いた。
(……今やってるこれ、本当にサッカーだよな?)
「しばらく休憩したら、この遙遠は前線に戻ります。白の攻撃は、膠着してて……正直、苦戦しています」
 再びふたりは頷いた。
「キーパーさんには負担をかけてますが、その、先取点を取るように頑張ってますので……」
 無駄な事をしている、と緋桜遙遠は思った。「畏怖」の効果は、時間が経てば勝手に消える。彼女たちがこちらを見て怯えているのは、あくまで一時的なものなのだ。無理に気遣う必要はない――
「緋桜せんぱい」
 ヴァーナーが初めて名前を呼んできた。
「何でしょう?」
「こ……ここに来るまで……疲れた?」
「……えぇ、まぁ」
 ヴァーナーが立ち上がった。
 ゆっくりと歩み寄ってきて、手を伸べた。
 伸べられた手から暖かい光が洩れる。「ヒール」。緋桜遙遠の体は癒された。
「あ、あと……」
 唇が寄せられた。頬に触れる。「アリスキッス」。
「その……怖くないんですか」
「せんぱいは、ボク達を助けに来てくれたんでしょう?」
 ヴァーナーの小さな手が、緋桜遙遠の手を取った。
「ありがとう。今はまだ嬉しいって思えないけど……助かったのは、分かるから」
「ヴァーナーさん」
 ヴァーナーは頷いた。
 緋桜遙遠は立ち上がった。そして、彼方の紅の陣地を見据えた。
「それでは、戻ります」
「……ひざくらさん、って言いましたっけ?」
 今度はキーパーが呼びかけてきた。確か名前は、赤羽美央と言った。
「お願いがあるんですが」
「何でしょう?」
「先取点」
「はい?」
「先取点、お願いします」
「……任せて下さい」
 赤羽美央の、未だ怯えが残る顔が、笑顔を作った。
 そして、親指が立てられる。
 緋桜遙遠も、親指を立てて見せた。
 彼は飛んだ。来た時と同様に、「バーストダッシュ」と「奈落の鉄鎖」を併用。爆発的な加速で、前線に戻る。
 何としても点を取らなければ。そう思っていた。

「エル、白ゴール前に負傷者がいるわ。回収してきてちょうだい」
「了解なのです」
 四方天唯乃の指示を受け、エラノール・シュレイク(えらのーる・しゅれいく)は救護用ソリつきの空飛ぶ箒にまたがり、飛んだ。
「……ったく、みんなしてムキになりすぎだわ」
 少しは戦闘じゃなくて一応スポーツをやっているっていう自覚を持ちなさい――四方天唯乃はやれやれ、と頭を振った。

《ただいま救護用テントから、救護者運搬用ソリが飛び出しました。本大会要救護者第一号は、紅の12番・藤原優梨子》
《真正面からのアボミネーション対決でしたからね。藤原選手、トラウマを残していなければいいのですが》