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退行催眠と危険な香り

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退行催眠と危険な香り

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139 :Ayaka:2020/05/19(火) 13:27:24 ID:yANaG1n
「マジカルみかん」については分かったが、セラピストの素性が謎だ。
なので、調べてみたいと思う。
男か女か分かれば、ここで議論する必要もなくなるだろう。

5.

「彼を診てほしいの」
 と、ステファニア・オールデン(すてふぁにあ・おーるでん)はトレルへ言う。彼女に袖をひっぱられたコンラッド・グリシャム(こんらっど・ぐりしゃむ)は、ただ苦笑している。
「えっと、じゃあまずはそちらへお座りください。あなたはこちらへ」
 トレルはコンラッドをソファへ座らせ、ステファニアも離れたところにある椅子へ座る。
「お名前をお聞かせください」
「えっと、コンラッド・グリシャムです」
「コンラッドさんですね」
「あの、僕は特に困ったことなんてないんですけど、ステファニアがどうしてもと言うので」
 と、コンラッドは言う。「ですが、何かあったんでしょう? 思い出せない記憶があるとか」
 トレルの問いに彼は少しの間、口を閉ざした。
「確かに、思い出したくないことならあります。けど、たまには娘にも会えるし、今のままで十分に幸せです」
 しかしステファニアはじっとコンラッドを見つめている。
「……では、一応やってみましょうか」
 と、トレルはアロマキャンドルに火をつけた。「リラックスして、目を閉じてください」
 納得がいかない様子でコンラッドが両目を閉じる。何か、胸騒ぎがする。
「数字を三つ数えると、あなたは記憶の世界へ移動します。いち、に、さん……」
 何かが見えた。暗い部屋、明かりのない場所。
「何が見えますか?」
「……誰かがいる。行って、しまう」――どちらが?
 彼の様子を見ていたステファニアがはっとする。
 コンラッドはうなされていた。額から汗を流し、言葉にならない声を出す。
「コンラッドさん? これから数字を三つ数えます。すると、あなたは元の世界へ戻ります」
 いち、に、さん……。彼の苦しむ様子に嫌な予感を覚え、トレルはすぐに彼を現実へと引きもどす。
「大丈夫ですか、コンラッドさん?」
「……ああ、はい」
 コンラッドの脳裏に何が見えていたのかは、ステファニアにも予想できなかった。けれども、少しでも彼が過去と向き合ってくれるなら、ステファニアにはそれで良い。
 全ての真実を知るのは、もう少し後のことになるだろう。

 そこは崩壊していた。まるで爆弾を落とされた後のように、ぽっかりと穴が開いている。
「何が聞こえますか?」
 苦しい記憶の中で如月正悟(きさらぎ・しょうご)は答える。
「俺を呼ぶ、声……」
 だんだんとはっきりしてくる。
『正悟っ!』
 はっとして我に返るも、両刃の剣は大切な幼馴染に狙いを定めてしまう。
 逃げ出すその後を追って、立ち止まり、そしてまた……飛び降りたその腕を、今度は放さなかった。重力に負けそうな重さに抗い、全力でその腕を引き寄せる。
 想像の中で幼馴染が笑う。『ありがとう』
「いち、に、さん……」
 目を覚ました正悟は、自分の手を見つめる。
 あの時、助けられなかった幼馴染を、今度はちゃんと助けられた。何故だか暴走を始めた光条兵器。俺は――。
「気分はどうですか?」
「……うん。良かった」
 現実は変えられないことを正悟は知っていた。そして過去に引きずられたままでいるのは良いことではないことも。
「一歩、前に進めた気がするよ」
 正悟がそう言うと、トレルはにっこり笑った。
「お力になれて良かったです」

 正悟と入れ替わりに入ってきたのはマリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)。連れのノイン・クロスフォード(のいん・くろすふぉーど)を待合室に残し、マリアはソファへと腰掛ける。
「お名前をどうぞ」
「マリア・クラウディエです」
「マリアさんですね」
 と、トレルが彼女へ向かい合う。するとマリアは聞かれる前に言った。
「私、火が怖いんです」
「火ですか?」
 先日も火が怖いと訪れた少女がいたが、邪魔が入ってきて大変だったことを思い出す。
「はい。でも、いつからそうなったのか分からなくて」
 トレルは納得すると、いつものようにキャンドルへ火をつける。「リラックスしてください」
 マリアがソファに座り直し、肩の力を抜く。「両目を閉じてください」「はい」
「三つ数えると、あなたは記憶の世界へと移動します。いち、に、さん……」
 目の前が真っ暗になる。いや、真っ白だ。
「何が見えますか?」
「……何も、見えない」
「では、何か音は聞こえますか?」
 マリアは耳を澄ませる。聞こえたのはノイズのような、何かが生まれて何かが死んでいくような音だけ。
「分からない」
 何も無い世界でマリアは走り出した。火を恐れる原因を知りたい。ただそれだけの思いで、駆け回る。
「何も無いのですか?」
「ええ、何も無い」
 トレルはふとひらめいて、彼女を眠りから覚ます。
「マリアさん、前世って分かりますか?」
 首を傾げるマリア。
「私たちは死んでも生まれ変わるんです。そして稀に、前世と呼ばれる、今の自分とは違う人生の記憶を持って、生まれる人がいるんです」
「前世の記憶……」
「きっと、あなたが火を怖いと思うのは、前世のトラウマです。私はまだ力がないから、あなたの前世を見ることはできない。けれど、あなたが怖がることはありませんよ」

「って、言われちゃった……」
 帰り道、マリアはノインへ言う。「でもやっぱり、火は怖いわ」
「……そうですね」
 元気のない彼女を励ましたくて、ノインは立ち止まった。気がついたマリアがこちらを振り返る。
「安心してください。マリアを守るのが私の役目ですから」
 街中で抱きしめあう二人を、遠くから見守る人物がいた。
「若いっていいのぉ」
 と、にやつく玄米(げん・べえ)。その手には何故かハンディカムがある。
「おじいちゃーん? 早く早くー!」
 遠くから呼ばれて、慌ててそちらへ歩き出す玄米。

 天璋院篤子(てんしょういん・あつこ)は勢いよく扉を開けて叫ぶ。
「同好会・監察部、24分間ー!」
 トレルはびくっとして振り返る。まだ催眠術をかける前だったので良かったが、また邪魔者が現れた。
「今回は巷で噂の催眠術師、トレル・ウォーカーさんへ突撃します!」
「何か聞いたことある名前に見たことのある顔だけど、気にしなーい」
 篤子の横に立ち元気な声を上げる白舞(はく・まい)。そして彼女たちを撮っている玄米。
「ちょ、と、突撃って何ですか!?」
 確かに見知った顔だと思いながら、トレルは篤子たちを外へ出そうとする。
「さあ、舞! 噂のマジカルみかんを探すのよ!」
「ありました、篤子さま!」
 ついさっき付けたばかりの火が揺らめくアロマキャンドル。
「あ、ちょっと、返してください!」
 舞が手にしたそれに手を伸ばすトレル。しかしわずか6センチの身長差にトレルは勝てなかった。手を伸ばしても、つま先で立った舞には敵わない。
「うふふ、この蝋燭、柔肌に垂らしたらどうなるのかな?」
 と、悪魔の笑みを浮かべる舞。トレルは恐ろしくなって背を向けたが、すぐに篤子へぶつかってしまう。
「ついに捕まえましたわ! ショートカット同好会にふさわしいゲストを!」
「は?」
 そしてトレルの顔をカメラへと向ける。「インタビューのお時間です!」
 舞がキャンドルを持ったまま、脅すようにトレルの横へ立つ。
「このアロマキャンドル、危険だって知ってます?」
「……き、危険って何が!? 知らねぇし!」
 予想外の状況に、ついに素が出てしまうトレル。
「掲示板では騒ぎになってましてよ? マジカルみかん」
「逆に売り上げも伸びてるみたいだけどねぇ」
「はぁ? ちょっと、マジで何なんですか?」
 催眠術師トレル・ウォーカーには似合わない顔で彼女たちを睨む。
「わたくしたちは同好会の監察部ですわ」
 と、篤子たちはにっこり笑った。