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バレンタインに降った氷のパズル

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バレンタインに降った氷のパズル

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第三章

「あ、そっか……チョコってオトコの子だったんだね!」
 緊迫しているチョコ作り教室の一角で、柏原 祐子(かしわばら・ゆうこ)の、そんな可愛らしい場違いの声が谺した。チョコレート作り教室では、至る所から悲鳴が上がっている。想いのこもった手製の品、あるいは技巧が凝らされ熱がこもった作品の数々が、唐突に固くなってしまったのだから仕方がない。
「ヴェルさんにはビターチョコで、ってうわー用意したチョコ全部凍っちゃってる!? これじゃ食べられないし、あげられないよ――!!」
 八日市 あうら(ようかいち・あうら)が、現在作成中の物の他、鞄の中に持参した他のチョコも確認しながら声を上げる。こうして参加している生徒達の混乱も大問題だったが、誰よりも焦燥に駆られて右往左往しているのは、教室の開催者でもあるレンナだった。
 オーナーである彼女は、今までに発生した事がないこのような出来事に、精神的な打撃を受けているようだった。あわただしく室内を、ひとしきり回った彼女は、三週目を終えたところで力尽きるかのように、そばにあった椅子に座り込んだ。崩れ落ちるようなオーナーの姿に、慌てて初花が駆け寄る。
「どうしたら良いのかしら」
 震える声を押し殺すように、レンナが両手で顔を覆う。
「た、確かにこれじゃあチョコレートは食べられませんし、教室だって二度と開けないかも知れませんけどきっと大丈夫ですよ!!」
 兎に角励まそうと声をかけた初花だったのだが、彼女の言葉は追い打ちをかけるものに他ならなかった。色白の頬を、レンナはどんどん青ざめさせていく。
「そうだよ! あ、そうだ、いっそこれからはチョコアイス教室にすればきっと!」
 場の空気に、祐子もまた歩み寄り、なんとか励まそうと口を開く。困っている人を見ると放っておけない彼女は、その薄茶色の髪を揺らしながら、レンナを覗き込んだ。なんとか教室の雰囲気を、元の明るく賑やかな物に戻したいと祐子は考えていたのだ。
「ゆうこおねーさんに、おまかせあれ。きっと大丈夫だよ」
 無根拠だったが明るいその声音に、初花が顔を上げる。視線と視線で互いに元気づけ合う二人。次第に嬉しそうな表情に変わった二人の姿を一瞥して、周囲の生徒の歯の損傷などを、イナと共に応急手当していたマクスウェル・ウォーバーグ(まくすうぇる・うぉーばーぐ)が、溜息をついた。
 麗しく美少女にも美少年にも見えるマクスウェルは、誕生日から十日後に当たる本日、趣味の読書用の本を借りに、この建造物へとやってきていたのだ。マクスウェルは、幼い頃から戦場にいた為、自身が結構世間知らずであると考えている。それを補うための読書でもある。そんな中で起こった騒動に階段を下りていて、教室の異変に気がつき、立ち寄ったところだった。
「そうですよね、きっと何とかなりますよね! チョコが固くなったくらい。きっといつか熔けますよね!」
 祐子に元気づけられている初花は、無意識とはいえ、更にレンナの動揺を煽るような逆効果な発言をする。その声に、とうとうオーナーは最早力尽きたかの様子で俯いた。『いつか』では、困るのだ。


 そんな彼女達の姿を暫し眺めた後、マクスウェルは静かに口を開いた。
「チョコが固くなった時点で、何か変わった出来事は無かったのか?」
 その声に、初花とレンナがほぼ同時に顔を上げる。
「まずは何らかの異変が起きていなかったか、調べた方が良いと思うぜ」
「なるほど!」
 初花がマクスウェルの声に感動したように頷く。そこへあうらが歩み寄ってきて、側へと立った。ツインテールの茶色い髪と瞳が揺れている。
「今までにこんな事無かったんだよね? ――だったら、急に凍っちゃったんだもん。何か理由があるはずだよ」
 あうらがそう告げた際、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とフラガもほぼ同時に歩み寄ってきた。そんな彼女を視界に捉えたまま、あうらが続ける。
「凍っちゃった時に、何か変わった事が無かったかとか、調べてみようか?」
「私に出来る事なら何でも手伝うわ」
 フラガがそう声をかけた。彼女は繊細で綺麗な手を頬へと宛がい、短く吐息する。自身が作成したチョコレートは、初めから食べられるものだったか疑問だとフラガは感じていたが、教室の一角でシュンとしているパートナーを一瞥すると、助力を申し出ずにはいられなかったのだ。
「せっかくのバレンタイン・ディ。楽しみにしていた人達が気の毒だもの」
「そうだよね。せっかく皆の分用意したんだから美味しく食べてもらわないとね」
 あうらがそう応えたのを見て、フラガが小さく頷いた。
「そもそもどうして凍ってしまったのかしら」
「チョコが大好物だから、チョコアイスも嫌いじゃないんだけど。確かに、あああ!? どうしてこうなったのよ。そうだよね、凍った理由、何かあるはずだもん」
 隣に立ったルカルカが声を上げる。するとフラガが小首を傾げながら、腕を組んだ。
「チョコレートに魔法がかかってしまったのかしら? ううん、それとも、魔法がかかった何かが誤ってチョコに入り込んでしまったとか……?」
 彼らがそんなやり取りをしていると、不意にレンナがよろよろと立ち上がった。慌てて初花が、オーナーを支える。
「ああ、どうしたら良いのでしょう。このままでは、このままでは――どうしましょう、どうしましょう、何の解決への道筋もありません」
 レンナが再び室内を巡回しようとしたその時、唐突に教室の扉が開いた。


室内へとやってきたのは千歳と、イルマだった。その一歩後ろから詩穂も入ってくる。彼女達は、外の展示会場での事情聴取で足を止める事も無く、真っ直ぐこの料理教室へと向かって来たため、 貴瀬達よりも早く辿り着いたのだった。
「少し落ち着いてください。オーナーさんが、右往左往しても凍ったチョコが元に戻るわけではありませんわ」
 イルマが冷静な声をかけ、レンナへと歩み寄った。そうして再度椅子へと座らせる。大人びた様子のイルマは、知的な青い瞳をオーナーへ真摯に向けた。
「突然凍ったという事は、やはり精霊か魔法的なものが原因として考えられますわ」
 イルマの声に、聴いていたフラガが頷く。その正面で、千歳がイルマの顔を見つめた。
「ピースが落下しても砕けていない所をみる限り、凝固剤のようなものが入っていた可能性は高いように思いますわ――マタタビは兎も角」
「そうだな」
 イルマと千歳の姿を見守っていたセルファが首を傾げる。
「ピース?」
 ピースとは何だろうかと、セルファが千歳達をまじまじと見る。
「マタタビ?」
 いったい何の話しだろうかと、そばで聴いていた満夜もまた声を上げる。


「展示会場の裏手で、氷の肖像画が壊れてしまったんだ」
 千歳が告げると、呆気にとられた表情で、レンナと初花が顔を上げた。
「え!? そ、それってメインの展示物の、あの、パズルで出来た絵ですよね……一体どうして?」
 初花の問いに、千歳が頷く。
「その、ぬこたんが――猫が、だ。ぶつかったようだな」
「そんな!! では、肖像画の公開も諦めないとならないのかしら……っ」
 絶望的な顔をして、レンナが声を震わせる。
「現在修繕するために、情報を集めている。そちらは任せてもらって良い。傍にいた何人もの人間が、再構築を手伝っているところだからな」
 だが千歳は首を振る。そして彼女は、安心させるようにオーナーと視線を合わせた。正義感が強そうな端正な顔の千歳は、その瞳に、情に厚そうな優しげな色を僅かに宿した。
「確か、冬の女王の絵だよね? それって、モデルの人とかいたの? 一体どんな絵だったのか気になるよ」
 ルカルカがそう口にすると、静かにレンナが顔を上げた。
「私がイルミンスール魔法学校にいた頃から懇意にしていたメイガスの女性をモデルにしていました。――尤も彼女は、冒険の旅に出て久しく、現在どうしているのかは私にも分かりませんが……」
「冬の女王の肖像画が壊れちゃったのかぁ……じゃあその時に、冬の女王の心が凍っちゃったのかな。だからチョコも。――それなら冬の女王の心を融かして愛の女王に変える事が出来たら解決だね」
 ルカルカが一人頷きながら告げると、満夜が腕を組んだ。
「その冬の女王の事、もっと聴いてみたいです」
 満夜はどうやらオーナーにこのまま話を聴くらしい。そのことを悟ったパートナーのミハエル・ローゼンブルグ(みはえる・ろーぜんぶるぐ)は、静かに彼女へ、図書館へ行くと告げて踵を返した。彼もまた、冬の女王の事が気になったのである。
 その傍らでフラガが顎に手を添えた。
「その外の肖像画に猫がぶつかったという騒動は、怪しい気がするわね」
 頷きながらフラガが淡々と呟くと、イルマが視線を向けた。
「ええ。ですから――オーナーさん。落ち着かれましたか? いくつか確認させていただきたいのですが」
 フラガに頷いてから、イルマがレンナに向き直った。
「肖像画に何か魔法的な工作を施したりしてはいませんでしたか?」
 そこへ貴瀬や天音達も到着し、静かに教室内へと入ってくる。
「表では我が聞き及んだ限り、氷で出来たパズルのピースと共に粉が降ったと騒ぎになっている」
 ブルーズがそう告げると、レンナが膝の上で組んでいた両手をきつく握り直した。


「なんだか本当に困った事になっているみたいね。私はあなた達と違って、こう、ややこしい事件は苦手なのよね。――だからちょっと、こういうの得意なヤツに連絡してくるわね」
 周囲の話しを見守っていたセルファは、そう告げると静かに教室を後にした。冬特有の寒さが支配する回廊で、彼女は頭のサイドで一つに束ねた金色の髪を揺らしながら、一人呟く。
「道が無い? だったら作れば良いのよ!」
 先程のレンナの言葉を回想しながら、そう言った彼女は、おもむろに携帯電話を取り出してパートナーの御凪 真人(みなぎ・まこと)に連絡を取る事に決めた。
 ――どうせ鈍感なアイツは私がここに居る理由には気付かないだろうし。そこは安全。
 人助けなら喜んでやるお節介なパートナーの事を思い浮かべながら、適任だろうと静かに頷く。そうしながら、暫し応答を待っていると、電話が繋がった。
「もしもし、今どこにいるの?」
『急ですね。何かあったんですか? 今俺は、AMORというカフェの裏手にある私設図書館にいます』
「え、本当!? 丁度良かった。実は、大変な事になっていて――……チョコが固まったの、まず。それと、オーナーさんがパズルで出来た肖像画の公開を諦めようとしてるんだもん。壊れちゃったらしくって」