天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

灰色天蓋

リアクション公開中!

灰色天蓋

リアクション






 
 亀裂の中の奥の奥。光の無い闇の中で、羽音を撒き散らすフライシェイドに集られながら「なるほどねぇ……これは興味深い」と、のんびりとした声を漏らす影一つ。
 エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)。子供たちの言っていた、亀裂が現れてすぐに、その中に入り込んで行ってしまった誰か、の正体である。
 痛みの無い体をした彼にとっては、フライシェイドの攻撃は、蚊に刺された程の感覚すらも無いようだ。ざらりと壁の表面をなぞり、その手触りが地上にあったストーンサークルと同じものであると気付いて、ふむ、と漏らす。
「ここから切り出して使ったのか、あるいは……」
 思索に耽るエッツェルだったが、そこで、ふと視界に変化があった。今まで周囲を飛び回っていたフライシェイドが、唐突に離れていったのだ。そして次の瞬間、パシン、という軽い音が弾ける。
「……おや」
 今まで光の一切が存在しなかった無明の闇が、僅かに薄れている。その理由に気がついて、エッツェルが首を回すと、その視線の先には、亀裂の奥を目指してやってきた、白竜たちの姿があった。どうやら、より強い熱源の接近に、フライシェイドは攻撃目標を変えたようだ。ただし、すぐに倒されてしまったようだが。
 白竜たちのほうも、モンスターの向かってきた方向を見やって、エッツェルの存在に気がついたようで、やや警戒を解きながら近づいてくる。
「あなたが、子供たちの言っていた「先客」ね」
「そうでしょうねぇ」
 セレンフィリティの言葉に、あっさりと頷いたエッツェルに、今度は白竜が口を開いた。
「一体何をされていたんですか?」
「調べ物ですよ。クトゥルフ魔術の研究者にとって、異空間に好奇心をそそられないはずがないでしょう。逆に聞きますが、あなた方こそ、ここに何をしに来られたんです?」
「私たちも調査に来たんです。大量のフライシェイド達がここに向かってきている、その原因を探りに」 
「そうだぜ。外はもう、大変なことになってんだ」
 羅儀が大げさな身振り手振りで大雑把に説明すると、どうやら早くに亀裂に入ったためにその情報を知らなかったらしいエッツェルは、何を納得したのか「成る程、成る程そういうことなんですねぇ」とひとり呟いてうんうんと頷いた。その様子に思わず顔を見合わせた白竜たちに、エッツェルはすいっと奥に向かって指をさした。
「そういうことでしたら……恐らく原因はあれでしょう」
 そう指差された先を見て、セレンフィリティは思わず上がりそうになった悲鳴を飲み込んだ。
 そこに広がっている光景が、あまりに異様だったからだ。

 エッツェルの指差した先は、通ってきた通路よりやや開けたドーム状の空間になっている。そして、何匹かのフライシェイドがその中で飛び回っているその空間の中心には、大きく腹の膨らんだアリジゴクに似た巨大な生き物が鎮座しているのだ。
 羽もなく、顎は発達し、低い唸り声を上げている。亀裂の外まで聞こえていた声は、この声だったようだ。大人二人分はあろうかというその巨体は、フライシェイドとは似ても似つかない。唯一の共通点として、視覚と聴覚はないようで、セレアナの光術による光が差し込んでいることに反応はない。フライシェイドと違って、攻撃性も低いようだ。
 皆が声を飲んで見ていると、その中央の生き物は、尾のあたりから細い管を伸ばしはじめた。攻撃か、と白竜達は警戒したが、それは壁のなかへと差し込まれる。よく見れば壁にはフライシェイドの胴体ほどの穴が空いている。そしてその穴は、このドームの壁一面に空けられているようだった。
「産卵……のようね。ということは、ここはフライシェイドの巣なのかしら」
 震えそうな声でセレンフィリティが言うと、けど、とセレアナが疑問を口にした。
「ここが巣で、産卵が行われているのだとしたら、おかしいわ。何故ここには、こんなにフライシェイドの数が少ないのかしら」
 この場所に来るまでの道は一本しかなかった以上、今まで巣は閉ざされていたはずだ。だとすれば、ここで孵ったフライシェイド達がいるはずだが、それにしては数が少なすぎる。その疑問に答えたのは、やはりエッツェルだった。
「まぁ間違いなく餓死したんでしょうねぇ。ほら、残骸もこの通り」
 ひょい、と出されたのは干からびたようなフライシェイドの死骸だ。
「壁の卵も、今しがた産み付けられたものばかりのようですから、何らかの理由で入り口が閉ざされてしまったことで、巣としての機能は止まっていたんだと思いますよ」
「それが、亀裂が生まれたことで、再び機能を取り戻そうとしている……ということですか」
 呟くように言った白竜に、エッツェルも頷いて、ほら、と指差した。その先では、フライシェイドが女王の口元にその頭を突っ込んで何かをしている。多分、女王へ栄養を与えているのでしょう、とエッツェルは説明した。
「どう見ても女王な「あれ」が、奴らに呼びかけているのでしょうねぇ」
「あの声?」
「でも、フライシェイドに聴覚はないはずでしょう」
 セレンフィリティとセレアナが意見を違えるが、エッツェルは「違いますよ」と訂正を入れた。
「あの鳴き声は、この岩壁に反響して、何らかの呪文的要素を発生させているようですが、仲間を呼ぶためのものじゃあない。フライシェイド達が呼びかけられているのは、彼らの生命的根源……本能ですよ」
 昆虫や動物が、遠く離れた場所からも異変を察知するように。海の底の生命が、月の満ち欠けを感じ取れるように。フライシェイドの本能が、女王の飢えを察知したのだろう。
「今まで帰り方の判らなかった巣穴が見つかったから、女王に食料を献上するために「帰ろうとしている」のでしょうよ」




「なるほどね。それで巣穴の近くにいる熱源、つまり生命を敵だと認識してた、ってわけだね」
 羅儀の通信経由でエッツェルの言葉を受け、天音は呟くように言った。
「原因と状況ははっきりしたみたいだし、封印を急ぎましょう」
 ルカルカの言葉に、皆が頷いて、すぐさま行動を開始しようとした、そのときだ。
「いや、ちょっと待った」
 止めたのはエールヴァントだ。
「封印するのは、フライシェイドをすべて通した後で、の方がいいんじゃないか?」
「何?」
 その意見に、皆の手が止まる。どういうことか、と説明を求める視線に、エールヴァントは続けた。
「あの大量のフライシェイドは、今も降下を続けてる。突然行き場をなくした彼らが、町に溢れ出す危険性がある」
 その意見に同調を示したのは、亀裂の中から通信を続ける、セレンフィリティだ。
「そうね……そうなると、こっちは数が足りないわ」
 現在も、迎撃は消耗戦と化している。今は規則性があるから押さえてもいられるが、これが法則性を失えば、混戦は必至だ。そうなると、この町に集まっている全員でも対応は難しい。こちらへ向かっているだろう増援も、間に合うかどうか。
「どうせなら全部通して、まとめてふっ飛ばしちゃうってのはどう?」
 爆弾投げ入れるのと同時に、封印しちゃえば表に被害は出ないだろうし、と機晶爆弾を示してそんなことを言う。
「後腐れなく吹っ飛ばすってのか?まぁ元を断つのは必要じゃあると思うが」
「確かに、住人の避難は完了しているようなので、民間人に危険は及ばないでしょうが……」
 アキュートが言うと、ルークが悩みがちに口を開く。ストーンサークルに向かう前に得ていた情報だ。
「でも、手持ちの爆弾で何とかなるのかしら?」
 疑問を口にしたのはセレアナだが、方法そのものには反対ではないらしい。ルカルカも頷く。
「やってみないと判らないわ。そもそも、封印をするんだもの。爆破は念のための保険としては有効じゃないかな」
 じゃあ、とエールヴァントの言葉が続きかけた所で「いや」と反論が上がった。
「戦闘も我々の人数も、問題じゃない」
 そう口を挟んだのはクレアだ。
「あの数を入れるとなると、町そのものの被害の予想がつかない。命が助かることは最優先だが、助かった人たちは続く生活がある」
 それに、と白竜が後に続く。
「女王は既に産卵を始めています。閉じ込めたとしても、あれだけの数のフライシェイドが栄養を運び終えれば、内側から封印を破る力を持たないとも限らない」
「ちなみに、爆破はしないほうが賢明でしょうねぇ。この場所が実際はどこなのかすらわかってませんから」
 思ってもみないところに、被害が及ぶかもしれない、とエッツェルが可能性を提示する。
 そうやって口々に意見を出しあう中、一人沈黙を守っていた天音が、不意に口を開いた。
「伝承には、後の様子はどうなってるんだい?」
「封印が行われた後の目立った被害は無いようだ」
 答えたのはダリルだ。パソコンを使って、当時の資料を引き出したらしい。
「記録を見る限り、封印と同時にフライシェイド達は散開したようだな」
 その情報に、ふむ、と天音が考えを纏めるように口元に手を当てる。
「巣への帰り道、いや巣そのものかな? それが無くなったせいで、周囲を敵と認識しなくなったってことかな。本来、人間を襲うような種族じゃないみたいだし」
「なら、今回も前例に従うほうがいいだろう」
 ブルーズが後押しし、「そうだね」と天音は頷いた。
「十分に検討している余裕は無いからね。前例があるなら、今は先ず目の前のことを解決するのが優先だと思うよ」
 その意見に、皆が頷く。
 そう、もめている余裕は余り無いのだ。対策を取るべくすぐに意識を切り替えると、白竜たちに後退の合図を送る。


 だがその時、女王の何かを捻り潰すかのような不気味な鳴き声が、亀裂の奥から響き渡った。