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雪が降るまで待ってて

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雪が降るまで待ってて

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第1章 冬が始まる

「うう、寒いな。まさか雪とか降らないよな」
 イルミンスール魔法学校学生寮の二階。和原 樹(なぎはら・いつき)はガタガタと身体を震わせながら空を仰ぎ見ていた。
 薄黒く、重そうな雲が低い位置でたれ込め、イルミンスールを圧迫している。
 ぶるる、と、樹はまたひと震い。
「手袋、持ってくればよかったか。フォルクス、手、貸してくれ……って、やっぱりいい」
「うん? いいのか? いくらでも貸してやるし、擦って暖めてもやるが?」
 フォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)は首を傾げた。
「……いや、やっぱりいい。考えてみたら、寮の廊下で手繋ぐってどんな罰ゲームだよ。恥ずかしい」
 樹が、わずかに頬を染めた。
「ふむ。だったら、動かないか樹? じっとしているのは、いかにも寒いし……何より、この間抜けな状況の方がよっぽど恥ずかしいが」
 二人は、一枚のコートに片方ずつ袖を通し、すっぽりとおさまっていた。
 暖かいにはそこそこ暖かいのだが、フォルクスはさっきから、複数の奇異の視線が、コートの背中を過ぎていくのを感じていた。
「なんとか部屋から出ては見たものの、こうも寒いとは……って言っててもしょうがないよな。行こう、フォルクス。えーと、俺は右足出すからあんたは左足な」
「いち」
 ヒョコ。
「に」
 ヒョコ。
「いち、に」
 ヒョコヒョコ。
「いち、に。いち、に……」
 ヒョコヒョコヒョコヒョコ……。
 二人三脚の要領で足を運ぶ二人。
 身長差のせいでコートがウネウネと波打っていることもあり、傍目には不定形生物の前進運動のようにも見える。 
 そのまま階段に差し掛かって――
 ゴロゴロゴロと、あっさり転げ落ちた。
「無理か。これ、やっぱり無理なのか……」
「というかだな……」 
 樹うめきに、身を挺して樹の下敷きになったフォルクスがうめき返す。
「別に足は固定していないのだから出す足を逆にする必要はなかったのではないか?」
 
「なんだかすごい音がしたのであります」
「しましたね」
 リリ マル(りり・まる)の緊迫した声に対し、一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)はあまり抑揚のない声を返した。
「だいじょうぶなのでありますかっ!?」
「少し危険かもしれません」
「――!」
「今のでだし汁が少しこぼれました。大根の煮え具合に軽度の影響が出る可能性があります」
 アリーセは、片眉だけ器用にクイッと上げてみせた。
「あとは――あなたの身体がしばらくおでん臭くなるかもしれません」
「マ、マスタァァァァァ?」
「ああほら、火力が落ちてきていますよ? 集中、集中です」
 一見横たわるアタッシュケースにしか見えないパートナーの身体をちょいちょいっと拭い、アリーセはその上で煮えているおでん鍋をかきまわす。いい匂いの湯気が鼻をくすぐった。
 寮の一室。アリーセの背後には、おでん種の他にも、鍋の具材になりそうな食材がまだ山と積まれている。
「マスター、自分、若干疲れてきたのでありますが」
「もう燃料切れですか? リチャージをしてあげますから頑張ってください。ちょっとびっくりするぐらいのいい出来になりそうなんですから」
 おたまを片手にアリーセはSPリチャージを発動させた。
「あの、マスター」
「なんですか?」
「自分、人型を目指して日々精進しているつもりでありますが、なんだかどんどんと人間離れしていっているような気がするのは気のせいでありましょうか?」
 アリーセは、感情の起伏が分かりにくい瞳でリリを眺め、ひとつため息をついた。
「いいですか、リリさん。人を暖めるのは実はストーブでもエアコンでもありません。『暖かい食事』です。どんなに厳しい環境にあっても、それがあるだけで人は驚くほど耐える事が出来るのです。それを用意する。そんな人間的な行為がありますか? 外見のことばかり気にしてはいけませんよ」
 ぱああ、とリリが表情を輝かせたように見えた。
 傍目には相変わらずアタッシュケースだったが。
「あ、ありがとうございますマスター! 自分、誤解していたであります! マスターはただご自分が空腹だったからだとばっかり……! 恥ずかしいであります!」
 リリの発する火術は、こちらは目に見えて勢いを取り戻し、めらめらと燃え上がる。
「……しかし最高傑作だ。どれだけおいしいんでしょう、これ?」
「あの、マスター?」

「こりゃ確かに、お寒いねぇ」
 学生寮の玄関をくぐった東條 カガチ(とうじょう・かがち)は凍てついているとすら言ってもいいその空気に、思わず感嘆の声を漏らした。
「カガチ、カガチ。ほら、まだ荷物盛りだくさんだよ。運んで運んで」
 椎名 真(しいな・まこと)の声に振り返れば、玄関には厳重に梱包された荷物が小山を形作っている。
「どこかに空き部屋ってある?」
 真は近くにいた生徒に確認し、空き部屋に次々と荷物を運び込むと、さっさと梱包を解いていく。

「あのぅ……何が始まったんですか?」
 物珍しそうに様子を見に来ていた生徒の一人が、おずおずと口を開いた。

「ん? こいつは、古くから伝わる暖房の道具って訳でね」
 答えながらもカガチの手で枠木のやぐらが組み上げられ、ふわさと布団が掛けられる。
 五、六人は優に入れそうな炬燵の完成だった。
「後は、さっき起こしてきたこの炭を……」
 暖かそうな赤色に染まる炭を陶器の容器に移して炬燵の中へ。そのまま自分も一緒に潜り込んだ。
 カガチの身体をじんわりとした暖かさが包んでいく。
「あ〜」
 思わずため息が洩れた。
「さぁそんなとこに立ってないで、みんなで暖まろうじゃないですか」
 カガチの声で、遠巻きにしていた生徒達は先を争って炬燵に滑り込んだ。
 そのどの顔にも次々に幸福そうな笑みが広がっていく。
「炬燵に入れなかった人にはどてらも」
 部屋の隅の包みを指差しながら、真は目の前の炭を真剣にかき混ぜている。
「火鉢ももう少し。もっとあったかくなるよ。そしたら、こいつの出番!」
 真が取り出したのは四角い切り餅。
「みんな、何味で食べる?」

「そうよね、暖かくしちゃえばいいのよね。結局」
 おでんを煮る部屋と餅を焼く部屋。
 二つの部屋の様子を眺めながら、四方天 唯乃(しほうてん・ゆいの)エラノール・シュレイク(えらのーる・しゅれいく)は何かを考え込んでいたが、しばらくすると、そのまま寮を出ていった。

「寒いんです」
 寮の管理人室の前で。
 ヤジロ アイリ(やじろ・あいり)から、これ以上無いくらいにまっすぐ純粋に、真剣な眼差しで訴えられ、寮の管理人が出来たことと言えば「はあ」と気の抜けた返事を返すことぐらいだった。
「こんなに寒いのに、どうして人間ってやつは冬眠できねーんでしょう」
「……なるほど、独創的な意見だ」
 管理人は二度、三度と首を縦に振った。
「技術や知識の重要さは間違いなく把握しています」
「うん」
「しかし、想いの強さはすべてに勝ると聞きます」
「……」
「だったら俺でしょう? 俺に修理させてください」
「……ええと?」
 明らかに助けを求めて投げられた管理人の視線は、アイリのパートナーセス・テヴァン(せす・てう゛ぁん)が受け止めた。
「ああ、つまり私達は、一刻でも早く暖房装置が直るようお手伝いさせていただければと思う次第でして」
 若干早口気味に、セスが来訪の目的を告げる。
「……何となく熱意だけはよくわかった。まぁ人手はいくらあっても足りないところなんだが……その……」
 管理人の目がアイリを捉え、言外に「まかせて大丈夫か?」と語っている。
「いやあ、私がついてますので大丈夫です。是非、是非に修理を手伝わせて下さい! ははあ、なに、動力室の鍵を職員室から取ってこい? ええ、ええ。もちろん、完璧にやってみせますとも」
 アイリを抱え上げ、そそくさとセスは管理人室を後にした。
 唖然とする管理人だけが残された。
「職員室だ? ばか言え! この寒い中外になんか出られるかっ! 死ぬ! 確実に凍え死ぬ!」
 バタバタと暴れるアイリ。構わずセスは外へ駆け出していく。
「あはは、動けばすぐに暖かくなりますとも。ほら、私なんかもうすっかり暖まって来ましたよ」
「人間一人抱えて走ってりゃそうだろうよっ! 俺はどうなるっ!」
「いやあ、君は人肌で暖かいというものでしょう? あはは、しかし本当に寒がりなんですねぇ」

「行ってくれるってんなら、大助かりよっ」
 職員室。無造作に放られた寮の動力室の鍵を手に、本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)は慌てた声をあげた。
「ちょっと、これ、大事な物なんじゃ!?」
「そりゃもうこの上なく大事。間違ってもなくさないでね。それから――」
 教師は声をひそめた。
「開けるときは十分に気をつけて」
「な、なにかあるの?」
 クレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)が怯えた声をあげる。
「……」
 その若い女性教師は切れ長の目をじろりとだけ動かす。
「も、もしかして……なにか、いるの?」
 沈黙。
 ごくりと、クレアは喉を鳴らした。
「……わからないわ」
「あ、あなたたちなぁ!?」
 呆れたように天井を仰ぐ涼介。
 教師はそれを手で制して続ける。
「わからないことが問題なのよ。わかってればそれは問題じゃないのよ?」
 涼介はグッと言葉を詰まらせた。
 そこへ、女性教師を呼ぶ声がかかり、涼介との会話はそれきりになった。
「とにかく、警戒するに越したことはないから。ああそれから、何かあったらよろしくね。キミ、医者でしょう?」
「まだ卵です!」
 叫び返しておいて、涼介は肩を落とした。
「ケイン先生と言い、この学校の教師は放任主義者だらけだな……まぁ、もしかするとあっちは放任されている側なのかも知れないが……」
「どうしよっか、おにいちゃん」
「とりあえず行こう。鍵はいいとして……後は見取り図か。まったく、とんだ出目になりそうだな」

「ははあ〜。皆さん、お忙しそうなのですねぇ」
 バタバタと教師が右往左往する職員室を眺め渡し、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)はコクコクと首を振った。
「うむ。よってお主ら存在は大変助かる次第だが……ああ、次はその右の書類を頼む。終わったらすぐ横のじゃ」
 その老齢の教師は、節くれ立った指で、遠慮のない指示を飛ばす。
「ああ憎い! 散らかっているのが許せない自分の性格が憎い!」
 泣き笑いの表情で頭を抱えながら右に左に。
 セシリア・ライト(せしりあ・らいと)がこれ以上ないくらいにテキパキと、騒然とする職員室を片付け回っている。
「わぁぁ、頑張ってくださいね〜」
「だ、だったら手伝ってよ!」
「あらあら。わたくし、お役にたてますかしら?」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が少し困った顔でセシリアの後ろに付いていく。
「助かる次第だが……別に掃除をしに来たわけでもあるまい」
「そうですねぇ〜。結果的には職員室のお掃除でもよいのですがぁ……こんなにバタバタしているのは、どうしてなのですかぁ?」
 老教師は眉根に皺を寄せた。
「他でもない。学生寮の暖房の件じゃ」
「ではもう三日間もこの状況なのですかぁ!?」
「いや、さすがにそれはないのじゃが……どうもおかしなことがわかっての。寮の動力室からの魔力の反応が、いつもとまったく違うんじゃ」
「あら? だってそれは当然のことじゃありませんの?」
 もう片付けは終わったのか、メイベルの後ろからフィリッパがひょっこり顔を出した。
「そうだよ。だって暖房の完全停止でしょ?」
 同じようにセシリアの顔も覗く。
「いや、反応が弱々しいならわかるんじゃが……まったく異質というのはおかしな話じゃ。しかも相変わらずの原因不明。それでみんな騒いでおる」
「なるほど」
 セシリアが腕を組んで頷いて見せた。
「おまけに、動力室の扉が凍り付いてしまっとる」
「そこまで、寒かったでしょうか?」
 首を傾げるフィリッパ。メイベルは、グッと唇を引き結んだ。
「いずれにしろ、行ってみるしかなさそうですねぇ」