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消えた愛美と占いの館

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消えた愛美と占いの館

リアクション


未来予想図3
「いらっしゃい」
 湯島 茜(ゆしま・あかね)が暗幕をくぐると、闇の中で蛍光グリーンの瞳がかすかに微笑んだ。
「お一人?」
「いや、パートナーも一緒なんだけれど」
「本当? 足音がひとつしか聞こえなかったけれど」
「ああ……」
 茜はちょっと口ごもって、暗幕の前から退いた。
 ぺたぺたと雨音に似た音がして、暗幕が揺れる。
 育ちすぎたねずみのような、短い体毛に覆われた生き物が、天地逆の格好で部室の中へと入り込んできた。
「!?」
 益代が声にならない悲鳴を上げる。
 慣れているとはいえ、茜はちょっとうんざりした。何故もっと、初対面の人間に説明する必要のない無難な生き物になってくれないのだろう。
 逆立ちした巨大ネズミ様の生き物は、鼻から生えた四本の触手……正確には鼻そのもの……をつかってひたひたと、益代のほうへと歩み寄っていった。
「ッひゃあ!? なっ、なになにこの過剰進化生物!?」
 益代が飛びのいて、背後の窓に思い切り頭をぶつけた。鈍い音が響く。
「すみません……そいつが、パートナーのエミリーです。止めたんですけど……警戒しちゃって」
「警戒って何がひゃわぁッ!? お願いだから淘汰されてぇッ!」
 眼前に立ちはだかったエミリー・グラフトン(えみりー・ぐらふとん)の、異常に低い目線に見上げられて、益代はその場に縮こまった。
「お初にお目にかかるであります!」
 エミリーが、獣化時特有のキ−キー声で言った。
「それがしは、四鼻目ナベゾーム属ナベゾーム科がモルゲンシュテルンオオナベゾームの獣人、エミリー・グラフトンであります!」
 おお、自分で説明したか、関心。と思いつつも、その説明じゃ世の中のほとんどの人には何も伝わらないだろうと茜は思った。
「初めて足を……失礼、初めて鼻を踏み入れる場所ゆえ、しばらく厳重警戒形態を取らせていただきたい! 事後承諾で大変申し訳ないでありますが、許可を頂きたいであります!」
「断固拒否するわ。戻って」
「たとえ高名な占い師殿のお願いとあっても、身体の安全が確認されるまで獣化を解くわけにはいかないであります!」
「猟友会に……」
「万事了解! 獣化解除であります!」
 あわてて、エミリーが鼻を引っ込ませた。
 頭が大きくなり、首が細くなり、退化しかけだった四肢なにょきにょき伸びて、体毛が引っ込んでいく。
 三白眼の小柄な少年に変化したエミリーは、久しぶりに両足だけで、ふらふらしながら立ち上がった。
「……っと、ヒト化完了。害獣認定の撤回をお願いするであります」
「ええ、ええ、分かったわ。変身後と変身中の姿を二度とわたしに見せないと誓うんならね……」
 益代も、頭を抱えながらふらふらと立ち上がった。
「承知したであります」
 獣化状態よりは大分落ち着いたボーイソプラノで、エミリーが淡々と言った。
「それで……わたしは、何を占えばいいの……? エミリーさんが現代日本に適した進化を遂げる方法について?」
 まるで三日間も徹夜したような声で言う益代に、茜は「やっとか」と呟きながら答えを返す。
「いや、恋占いなんだけど」
「無理よ!」
 益代が叫んだ。
「わたしにナベなんとかの相性なんか分かるわけないじゃない! オスかメスかすらわかんないんだから!」
「いやその……あたしの恋占い」
「あなたの恋占い!?」
 信じられない、とでも言うように、蛍光グリーンの目がまんまるく見開かれた。
「じゃあ、エミリーさんは占いには何の関係もないわけ!?」
「……まあ、とりあえずは」
「じゃあ外で待たせときなさいよそんなの!」
「散々な言われようであります」
 エミリーが不服そうに唇を尖らせた。
 益代がぐっと口ごもる。
「あ……ごめんなさいエミリーさん。ちょっとあまりに未知との遭遇過ぎて……言い過ぎたわ」
「まったくであります。同胞の故郷たるハイアイアイ群島が現存していれば、ぜひ招待して、ハナアルキたちのすばらしさをご教授できるのに」
「それだけは、たとえそのナントカ群島が実在していたとしても絶対お断りするわ」
 益代がすげなく言って、視線を茜のほうに移してきた。
「気を取り直して、はじめましょう。どうぞ、楽にして」
 益代のマントの下で、指を鳴らす音がした。
 部室の四隅に、暖かな炎が灯る。
 ちらちらと揺れる暖かな光と一緒に、鼻の奥に引っかかるような臭いが漂ってきて、茜は眉をひそめた。
「なんだろ……この臭い……。鉄くさい?」
 茜が言うと、傍らのエミリーがきょとんと首をかしげた。
「鉄? それがしには、懐かしい匂いがするであります。青々とした枝葉と、良くすべる土の匂い……ああ、はるかなハイアイアイを思い出す……」
「茜さん、なにか見えてきたら教えてね。エミリーさん。何が見えても絶対に口に出さないでね」
『はい』
 茜とエミリーは、声を合わせて頷いた。
 茜の周囲からは、いつの間にか無限に続く荒野が広がっていた。
 荒野には、何か赤いものが、点々と色づいていた。
 茜は、さっきから鼻につくこの臭いがなんなのか、突然思い出した。
 これは、血の臭いだ。
 荒野のずっと向こうには、花畑のように真っ赤な塊が見えていた。
 蜃気楼かと疑うほどの遠くにある。おそらくあの赤色は、本当は花の赤などではないのだろうと茜には分かった。
 赤い塊の只中には、誰かが立っているようだった。
 女性だろうか。その細身の人影が紛れもなく微笑んだのを、見えもしないというのに、茜にははっきりと分かった。
「――はい、お疲れ様」
 益代の声で、茜ははっと周囲を見回した。
 ろうそくの明かりさえ消えた、薄暗い部室が茜の周囲に広がっていた。
 荒野も、赤い血も、血の臭いさえ、もうどこにもない。
「何が見えた?」
 益代が微笑んだ。
「見たこともないくらい真っ赤な太陽が……ハイアイアイの同胞達の上に……」
「エミリーさん、シャーラップ」
 がたがた震えるエミリーの言葉を、益代はぴしゃりと打ち切らせた。
「失礼。……茜さん? 何が見えた?」
「不毛の荒野です……。血のあとがたくさんあって、ずっと遠くに、おそらく女の人が、立っていました」
「その女性は、おそらくあなたと縁の深い女性何人かの、イメージの集合体ね」
 底冷えするような微笑みを思い出して、茜の肩が震えた。
「縁の深い女性の……」
「そう。あなたは、他人とはちょっとセンスの違う人に好かれる傾向があるみたい」
「なんか、ちょっと、怖いな……」
「あらそう?」
 益代が目を細めた。
「人とは違うことを追い求めるには、必ず強い思いが要るわ。胸に強く抱いた何かがある人と言うのは、それだけ、大切な誰かを想う気持ちも強いもの。……まあ、強すぎて困ることもあるけれど」
「人とは違う人……か」
「危険な出会い、奇人狂人との絆にこそ運命を見出しなさい。そして……あっさり刺されたりしないように気をつけるといいわ」
「……わかった。ありがとう」
 茜が頷くと、益代はかすかに目を細めて微笑んだ。
「それでは、またのお越しを」
「占い師殿! もし次があるならば……散り散りになったハイアイアイの同胞達の行方を、ぜひ占って欲しいであります!」
「お力になれなくって申し訳ないわ、エミリーさん。お元気で」
「殺生でありますよ!」
 そう言えばエミリーも、言いようによっては奇人狂人変ハナアルキの類だなぁと、茜はぼんやりした頭で考えた。



 三笠 のぞみ(みかさ・のぞみ)は暗幕に手をかけて、深く息を吸った。
「たーのーもー!」
 ずばーん、と暗幕を払い飛ばした瞬間、耳障りな断裂音と共に、のぞみの視界が真っ暗に変わった。
「うおっ! 目くらましの呪文!? 不意討ちとは卑怯なりっ!」
 頭の上に覆いかぶさった何かと必死に格闘していると、不意に足を引っ掛けられてすっころぶ。
「ぎゃふんっ!」
 転んだ拍子に顔面をしたたか打ち付けて、のぞみはさすがにダウンした。
 不肖、三笠のぞみ。卑劣な罠の前に惜敗である。無念。
「ちょっと。迷惑だからそこでのびないでくれる?」
 不意に、のぞみの視界を奪っていた呪文が取り払われ、辺りかいくばくか明るくなった。
 今こそ好機とのぞみは立ち上がり、きょろきょろと周囲を見回した。薄暗い部室に、無数の人影が立ち並んでいる。
「なにっ! 囲まれた!? く、くそう。あたしが気を失っているわずかな間に、こんなにも手勢を……」
「あなたが普段何と戦ってるんだか知らないけど、ここは池田屋でも忠臣蔵でもないから安心して! あと綾乃さん! 足踏まれたくらいでヒーヒー言わないっ!」
 薄闇に浮かんだ蛍光グリーンの目玉が、くぐもった声で叫ぶ。
「てゆーか、あなたは何? 道場破り? だったら武道館への地図書いてあげるから、今すぐ剣道でも柔道でも相撲でもラグビーでも好きなモンで勝負してきなさい!」
「ご名答。道場破りだよ! あたしの名前は三笠のぞみ! 所属学校はイルミンスール! 好きなケーキはウィーンの伝統ザッハトルテ!」
「言っとくけど、ザッハトルテどころかお茶も出す気はないわよ!?」
「さああんた、早く占い師の浦深益代さんを呼んできなさい。あんたみたいな目玉の使い魔じゃ相手にもならないから!」
「誰が目玉の使い魔よ!」
 どこからともなく現れた手が、目玉の下の闇をぐいと引くと、生白い顔がぼんやりと浮かび上がった。
「あんたが浦深益代? そんな風に自在に姿を消せるなんて、よほど高度な魔女なんだね……認識を改めないと」
「あーもー……じゃあそれでいいわよ……。ハァイ驚いた? わたしってばチェシャ猫の親戚なの!」
「成程それなら納得できる!」
「あっそう、信じていただけてなによりだニャ!」
 やけくそ気味に歯を見せて笑ってから、益代は口元のヴェールを乱暴に引き上げた。
「まあ、なかなか高度な特殊技能を持っているようだけど……そのくらいでこの勝負に勝ったと思わないでよね!」
「うん、そうね。まずは勝負のルールを教えて? なんの勝負なの? この勢いについて行けなくなったほうが負けなの? だったらわたし今すぐにでも負けを認めるけど」
「占い対決に決まってるじゃない!」
「占い対決……?」
 益代は、すっとぼけたように目を細めた。
「それは……どうやって決着をつけるの?」
「たとえば、当たり障りのない明日の天気とかを、あたしとあんたが占って、当たったほうの勝ちよ!」
「明日の降水確率は80パーセント。午後から晴れ間が覗くでしょう。じゃあね、三笠のぞみ。また明日、この時間にこの場所で、わたしが勝利した証を思うさま見ていくといいわ」
「ストップ! それって絶対気象衛星的なものに頼ってるでしょ!?」
「明日はお茶くらい出すから、あなたはザッハトルテ買って来てね、だってあなたが負けるんだから。ウィーンのオリジナルザッハーじゃなきゃダメよ。デメルも不可」
「じゃあこうしよう!」
 のぞみが、ぱんと手を打って会話を打ち切ると、益代はあからさまに面倒そうに目を細めた。
「聞いた話だと、あなたは、依頼者に未来の映像を見せる、なんていう胡散臭い方法で占いをやっているそうじゃない?」
「そーね」
「なら、あたしに未来を見せてみて! そんで、あたしがあんたの占いの、姑息なトリックを見破ったら、あたしの勝ち。もし、あたしがあんたのトリックを見破れなければ、あんたの勝ち」
「……それって、あなたが占いでわたしを負かしたことにはならなくない?」
「いいのさ、あたしがあんたの魔法を破れればそれで」
「あっそ……じゃあそうしましょ。なんかもう、喉がガラガラになってきちゃったし」
 闇の中で、指を鳴らすくぐもった音がした。
 部室の四隅に、淡いオレンジの明かりが灯る。
「――……さァ、三笠のぞみ。何のにおいがする?」
「ザッハトルテ」
「ああ……そう……。よかったわね……」
 のぞみが感じたままを言うと、益代は疲れ果てたようにため息をついた。
 炎の明かりが揺らめく中、周囲には甘いチョコレートケーキの香りが漂っている。
 のぞみは、意識を集中させて、周囲に満ちる魔法の気配を感じ取った。
 目の前の益代からは、当たり前のように強烈な魔力の威圧感がある。……けれど、周囲に漂う甘い匂いにも、揺らめく炎にも、魔法の気配は一切感じられなかった。
「おかしいな……うっ!?」
 突然、視界がぐにゃりとゆがんだ。
 足元が、白っぽい砂の街道に変わる。
 道の周囲には、明らかに日本のものではない、石と木の家が立ち並んでいた。
 細く長く伸びる街道の先には、二人の男が立っていた。
 ……いいや、あれは、男を模った銅像だ。
 のぞみは、彼らの名前を知っていた。
「グリム……グリム兄弟だ……! ここって、ウィーンのロマンチック街道!」
「なるほどね」
 益代の声と共に、周囲には薄暗い部室が戻ってきていた。
 ウィーンの町並みも、甘い香りも、もうどこにもない。
「さて? なにか見破れたかしら?」
「……くっ」
 のぞみは、がくりと床にひざをついた。
 ふらふらと浮遊感の残る身体に、床の冷たさが心地いい。
「……ひとつしか、見破れなかった」
「ひとつ?」
 蛍光グリーンの目が、意外そうに見開かれた。
「一体、何を見破ったというの?」
「あんたの占いは、魔法じゃないってこと。無論、占星術でも手相でもカードでもない……けど、インチキだっていう証拠は、結局つかめなかった」
「……なるほど。じゃあ、引き分けね」
 当たり前のように言った益代に、のぞみは眉をひそめた。
「それって……じゃあ、自分の占いがインチキだって認めるってこと?」
「さあね。別に、あなたの勝ちとまでは言ってないわよ? けど、驚くほど、的を射てる」
 むう……と唸って、のぞみはその場に倒れこんだ。
「引き分けじゃ意味ないんだよー! 蒼空の占い師をイルミンが倒して、あわよくばそのテクニックも奪ってやらなきゃ……遠征してきた意味がないのにーい!」
 じたばた、と手足をばたつかせるのぞみを見下ろしながら、益代が「ああ」と唸った。
「なんか、校長同士の小競り合いのこと? どーりで熱心だと……」
「――すばらしい心がけです!」
 いきなり、薄闇の中に突っ立っていた人形のひとつが大声を上げた。
 駆け寄ってきた長身の人形が、のぞみをぐいと引き起こす。驚く暇すらなかった。
「えっ、なっ、ナニモノっ!?」
「イルミンスールの志方綾乃です! 私もあなたと同じように、イルミンの隆盛と多少の私利私欲のために、ここで技を盗ませてもらっているのです!」
「ええっと、あたしはそこまでイルミン至上主義じゃ……」
「あなたもぜひ、ここで一緒に浦深師匠の技を盗んで帰りましょう!? ねえ、いいですよね?」
 綾乃に水を向けられて、益代は短く頷いた。
「えっ……でも、いいの?」
 のぞみは首をかしげた。
「あんた蒼空の生徒なのに、イルミンに手を貸すようなまねをして」
「別に構わないわ。だってわたし、環菜校長もエリザベート・ワルプルギスも嫌いだもの」
「……どうして?」
「顔がいいから」
 きびすを返して、破れた暗幕を直し始めた益代の小さな背中を、のぞみはぼうっと眺めていた。