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なし

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白の夜

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白の夜

リアクション

「暖かいのは良いが……痒いな。あっ、こら引っ掻くな!」
 一人喚きながら相変わらずの全裸にマントという出で立ちで屋敷を訪れた変熊 仮面(へんくま・かめん)は、マントの中で蠢く野良猫へと声を掛けた。防寒対策として仕込まれたらしい猫たちは不思議と変熊に懐いている様子ではあったが、中には気性の荒い猫もいたらしい。八匹の猫のうち素早く駆け去ってしまう一匹の猫を物悲しげに見送りながらも、変熊は屋敷の中へと歩みを進めた。
「げほん、ごほん。……楽しませてくれるかい?」
 広間を満たす楽しげな雰囲気の中で、きょろきょろと周囲を見回した変熊はおもむろに黒崎 天音(くろさき・あまね)の声真似を始めた。彼を知る生徒が驚いたように目を向け、疑問気に辺りを眺めていくのが面白い。調子に乗って手当たり次第にそう声を掛けていると、振り向きざまに投げ掛けた最後の一人からは予想外の返答があった。
「完全なる美にひれ伏せ」
 どこか聞き覚えのある声に眉を寄せた変熊は、振り向いた視界に飛び込むまさしく天音その人の姿にぎょっと肩を跳ねさせた。気まずげに視線を逸らす変熊の様子を気にも留めず、天音は傍らのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が興味深げに鼻を近づけていたチョコレートをひょいと摘まみ取る。
「天音、それは……」
 慌てたブルーズの声にも構わず、天音はそのままチョコレートを口へ運んだ。困ったようにブルーズの尾が力無く揺れる。行儀の悪さを指摘する余裕も無い。それはナイトにひたすらじゃれつかれ続けるウィルネストの周辺から漂うどこか異様な雰囲気を訝しんだブルーズが、まさにその原因ではないかと疑念を抱いていた菓子だった。平然と咀嚼しながら「変熊も来たのかい」などと当たり障りのない会話を続ける天音の様子にひとまず安堵を抱いて溜息を零したブルーズは、次の瞬間の彼の行動に大きく紅の双眸を見開くこととなった。
「……過ごしやすくなってきたとは言え、寒くないのかい?」
 おもむろに変熊の正面に跪いた天音が、彼の股間へと手を伸ばしている。マントに遮られてよくは見えないが、その光景にブルーズは硬直した。愕然と目を丸めたブルーズの視界の中、天音は更に緩やかに手を動かす。
「可愛いね……少し震えてる?」
 何かを撫でるような天音の仕草に、応えるようににゃあと甘い声が上がる。動揺に包まれたブルーズにはそれが変熊の上げた声のように思えて、一層思考が停止へと向かって行った。
「……ふふ。ここは暖かくて柔らかいね」
 変熊の股間に貼り付いた猫の肉球をふにふにと弄りながら、天音はどこかうっとりとした声で呟く。彼の食べたお菓子には惚れ薬が入っており、それにより天音は変熊の股間の猫に一目惚れしてしまっていた。「それが、たまに硬くなるんだよなー」などと爪のことを話す変熊の所為で、ブルーズは石になったように動きを止めている。
「それも良いね、食べちゃいたいくらいだよ」
 常のものよりもどこか柔らかな微笑を浮かべた天音を止めたのは、ブルーズではなかった。
「そ、それはお宝じゃないぞ黒崎!」
 憧れる相手の異様な姿に慌てて駆け寄ってきた鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、迂闊に触れることも出来ず一歩離れた位置から天音へと叫ぶように呼び掛けた。彼の位置からもやはり、マントに隠れて天音の手元は窺えない。その声に我を取り戻したブルーズは、慌てて天音の肩を軽く掴んで引き剥がしにかかった。
「……何?」
 猫から引き離されて酷く不満げな天音の声に、ブルーズは困ったように黙す。その段になってようやく、彼の言葉も仕草も全て変熊の猫へ向けられている事に気付いたのだ。ぽりぽりと爪の先で頬の鱗を掻くブルーズが助け船を求めるように視線を移すものの、変熊は既にそこにはおらず、尋人は半泣きの状態で廊下の方向へと駆け去って行った。困ったように唸り声を零すブルーズの尻尾が、不意に別の尾に絡め取られた。
「お前……いい男だな」
 訝しげに振り返ったブルーズの視界には、瞳を蕩けさせたアイン・ディスガイス(あいん・でぃすがいす)の姿が映った。彼の後方では、携帯のカメラを掲げたラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)がにやにやと嫌な笑みを浮かべている。
「落ち着け、おまえは薬に騙されているんだろう」
 やや焦ったようにブルーズが説得を試みるものの、惚れ薬の効果ですっかりブルーズに惚れこんだアインには届かない。ぐるぅと甘い唸り声を上げて尾を絡めるアインはそのままふらふらと歩み寄り、おもむろにブルーズへ抱き付いた。
「何でもいいじゃねぇか。オレはおまえが好きなんだよ」
 しなやかな両腕を回して身を擦り寄せるアインに、ブルーズは戸惑いの眼差しを天音へ向けた。当の天音はと言えば、「へえ」と零すばかりで未だに先の猫を求めて視線を彷徨わせている。
「なあ、折角のムードのある夜なんだ。イイことしようぜ?」
 つんつんとキスの真似ごとのように鼻先をつつき合わせるアインに、ブルーズは弱り切った様子で肩を竦めた。平常ではない様子に、手を上げる訳にもいかない。緩く誘うように絡められる尾の感覚に、ブルーズは遂にその場を飛び退いた。
「済まないが、我には大切な相手がいる。不義理になるような真似は出来ない」
 届かないことを承知で言い聞かせ、ブルーズは俊敏な動きで逃げ出した。その後を、一歩遅れたアインが追い掛ける。
「はっはっは、やっぱり惚れ薬か。いい写真取れたぜ。あとはこれのバックアップを取れば……」
 ほくそ笑むラルクは、ブルーズへと絡むアインの写真を見ながら満足げに端末を弄っている。惚れ薬入りと読んだ菓子を他ならないラルク自身がパートナー二人に食べさせた結果が、現在のこれである。つい先日自身が惚れ薬に呑まれた所を撮影されたラルクとしては、こうして立場を変えた現状が酷く面白く感じられた。
「お、ここめっさお菓子あるな。……っと、オウガはどこだ?」
 その間にもお菓子を手当たり次第に食べつつ、ラルクはもう一人のパートナーであるオウガ・クローディス(おうが・くろーでぃす)を探して視線を彷徨わせた。つい先ほどまでアインと共に「ここのお菓子はなかなかおいしいですね」と穏やかに感想を述べていたオウガは、ラルクが惚れ薬入りのお菓子を盛って僅か目を離した隙に姿を消していた。
「しょうがねぇ、探しに行くか」
 歩き出そうとしたラルクは、ふと足に絡むものに気付くと視線を落とした。そこには見覚えのある衣服が上から下まで全て落ちている。それらはまさに今行方不明の、オウガの服だった。
「……あーあ」
 せっせと拾い上げた衣服と携帯をそれぞれ手に、ラルクはやや早足にオウガの姿を探し始めた。


「流石に、これだけ人がいると賑やかだな。見ているだけで楽しいぜ」
「ええ、皆さん楽しそうですねぇ」
 そう述べたレイス・アデレイド(れいす・あでれいど)は、共にお菓子を食べる神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)へと何気なく視線を向けて、ぎょっと目を見開いた。平然とお菓子を口に運んでいた筈の翡翠は、酔ったようにぼんやりと目の焦点を失っている。彼の手元へと目を遣ったレイスは、そこに置かれた幾つものウイスキーボンボンに気付いた。どうやら、それと知らずに度数の高いボンボンを食べ過ぎたらしい。
 やれやれと肩を竦めたレイスは、ひとまず涼しい外の風を浴びせようと翡翠の片腕を軽く掴んだ。抵抗するでもなくついて来る翡翠を伴い暫し歩いた所で、不意に動きを止める。
「な……何だ、お前」
 彼の眼に映っているのは、生まれたままの姿を晒し、股間をいきり立たせてこちらへ駆け寄る赤い巨人の姿だった。流石に怯んだレイスに構わず、その横を通り過ぎると、獰猛な笑みを湛えたオウガは有無を言わさず翡翠の腕を掴む。
「よう。お前、気に入ったぜ」
 普段の丁寧な様子などどこへ行ったか、荒々しく告げたオウガは翡翠の反応も待たず唇を奪うように口付けた。酔いで思考の追い付かない翡翠は暫しぼんやりと視線を彷徨わせ、数秒置いてようやく現在の状態に気付いたのか、双眸を緩やかに丸める。
「え? あの」
「うるせぇ、こっちに集中しろ」
 焦った様な翡翠の声を気にも留めず、オウガはその逞しい腕で翡翠の腰を引き寄せると、彼の脚の間へと強引に自身の脚を割り込ませた。角度を付けて呼吸さえも奪うように口内を貪ると、舌を絡め取られた翡翠からはくぐもった声が漏れた。
 その現場へ、ようやくラルクが辿り着く。暫し呆然と全裸のパートナーを眺めたラルクは、止めるでもなく携帯の写真撮影モードを起動すると数回シャッターを切った。
「なかなか、キスが上手いじゃねぇか……こっちの方はどうだ?」
「え、そ、そんなことまで……」
 酔ってされるがままの翡翠の下肢へ、緩やかにオウガの手が伸びる。焦ったように翡翠の声が上がるものの、オウガは意に介した様子も無くにやりと不敵な笑みを浮かべた。そこでようやく我に返ったレイスが慌てて翡翠の肩を掴み、オウガの手を振り払うようにして自分の元へ引き寄せる。
「ちょっと待った! 翡翠の奴今は酔ってるから、また今度にしてやってくれねぇか?」
「お前には関係ねぇだろ? なぁ?」
 不機嫌に眉を寄せるオウガには、その巨体も相まって相当の迫力があった。何度もシャッターを切り続けるラルクを関係者だと判断し、レイスは声を張り上げて呼び掛ける。
「おい、そいつ何とかしてくれよ!」
「悪いが今おっさん撮影に夢中なんでな、いい所だから邪魔すんなよ」
 悪びれた様子も無く、むしろシャッターチャンスの妨害に不満げに唇を尖らせるラルクに、レイスはがっくりと肩を落とした。一拍置いて意を決したように目を細めると、翡翠を抱えるようにして勢いよく駆け出す。
「待て!」
 すぐに後を追うオウガだが、その巨体が今度は災いし、人混みに前進を阻まれた。手を伸ばし前へ進もうとするオウガの後姿も数枚撮影すると、ラルクはようやく満足そうに携帯を下ろした。
「さて、薬が切れるまで俺は菓子でも食ってるか」
 上機嫌に呟くと、ラルクは弾む足取りで何事も無かったかのように菓子のテーブルへと向かって行った。