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リアクション
『夜闇に秘められたもの・1』
裸電球の明かり一つが揺らめく倉庫に、きらきらと煙のような埃が舞っていた。
「すごい埃だな。たかだか一年放置しただけで、こんなになるものなのか」
藍澤 黎(あいざわ・れい)が、純白のハンカチで口元を覆いながら顔をしかめた。
現在、物置として使われているこの部屋は、もともと、前オーナーが私室として使っていた場所だった。だが、今では中身を満載した段ボールがそこいら中に山と積まれ、部屋としての役割はもう到底果たせそうにない。
「掃除をした様子もありませんし、よっぽど誰も入れたくなかったんじゃないですかね」
神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が、金細工のような長髪を後ろでまとめ、手袋をしながら言った。
「ミラさんのこと捕まえろーって言った割には、オーナーさん、秘密がいっぱいありそうだね。次に会ったら蹴っ飛ばしておこっかな」
榊 花梨(さかき・かりん)が翡翠の後ろで頬を膨らまし、
「おー。やったれやったれ」
その傍らで、レイス・アデレイド(れいす・あでれいど)がカラカラと笑った。
「今のオーナーが信用ならないことに関しては、まったく同意見だな。前オーナーの部屋をこんな粗末に使っているところを見ると、相当な恨みでもあったのか……」
黎の言葉に、レイスがどこか楽しげに答える。
「今のオーナーが、前のオーナーを事故に見せかけて殺したとかか?」
「……いや、いまはそこまで断言することはできんな。ただ、あらゆる可能性は考慮しておこう。さて、手始めにどれから調べようか」
「段ボールでも開けてみましょうかね」
翡翠の言葉に黎が頷き、レイスと花梨を加えた四人は、埃を舞い立たせながら手近な段ボールに手をつけ始めた。
※
黎たちが片端から段ボールを開けていく音を背中で聞きながら、遠野 歌菜(とおの・かな)は、部屋に据え付けられた古い書棚に手をかけた。
白い指が、書棚に並んだ本の上をするするとなぞってゆき、ひたと、一番埃の降り積もった手帳の上で止まった。
「――営業日誌、か?」
歌菜が抜き取った手帳をのぞき込み、月崎 羽純(つきざき・はすみ)が首をかしげた。
「……うん。前オーナーさんと、奥さんって、どんな夫婦だったのかなって、おもって」
沈んだ声でぽつぽつと言いながら、歌菜は、開いた手帳のページを繰った。
「……きっと、幸せな夫婦だったと思うぜ」
「どうしてわかるの?」
ページから目を上げもしないまま言った歌菜の言葉に、
「別に。ただの願望」
羽純はうめくように答えた。
「そっか……。うん、羽純の言う通りだよ。幸せな夫婦だったみたい」
歌菜の頬に、ほんのわずかだけ笑みが浮かんだ。
「奥さんは、パラミタであった戦のせいで亡くなって、それからずっと、地球をさ迷っていたんだって。声を聞いてくれる人もいない、自分に気付いてくれる人もいない。長い長い間、ずっと孤独で……はじめて、奥さんの声に気付いてくれたのが、前のオーナーさんだったみたい」
歌菜はページを一枚めくり、そこに書かれた文章にゆっくりと目を走らせた。
「二人はパートナー契約して、パラミタに渡って、二人でゆっくり暮らすために、この屋敷を作ったんだって。けれど、奥さんがあまりに前オーナーさん以外の他人を嫌い過ぎるから、ここを宿屋にして、奥さんと旅の人を触れさせる場所にしたみたい」
歌菜は、ほうとため息を吐いた。
「素敵だね……。この建物も、孤独だった頃から月見が好きだった奥さんのために設計したんだって。室内でも月見ができるように、大きな天窓を作って。前のオーナーさん、きと、すごくすごく奥さんのことが好きだったんだね」
歌菜は目じりをぬぐって、鼻をすすった。
「すごくすごく好きだったんだ。……たとえ最後は、決して幸せとは言えないお別れだったけど……、それでも、すごくすごく好きだった二人の気持ちは……ッ、きっと、きっと、嘘にはならない……よね……?」
「……ああ。どんな別れ方をしたって、抱いてた気持ちまで嘘にはならないさ」
「へへ……ぐすっ、だよね……」
浮かべた涙で瞳をキラキラさせた歌菜が、気丈に微笑んだ。
羽純はそんな歌菜のことを複雑な表情で見つめて、そっと、歌菜の小刻みに震える肩に触れた。
「前オーナー夫妻だけじゃない、歌菜と、えっと、あいつも……上手く言えねーけど、いつまでも悩んではほしくねーけど、けど……思い合っていたころの気持ちは、決して消えたりはしないと思うぜ」
「うん……うん……へへ、ごっ、ごめんね。あたし、何泣いてんだろ……」
「別にいいよ、泣いたって。どうせ俺しか見てねーから」
「……あんがと。んー……、なんか、会ってみたかったな、この前のオーナー夫婦に。幸せだったのかな、どんな時間を一緒に過ごしてきたのかな……」
歌菜は一旦手帳を閉じて、片手でぐしぐしと目をぬぐった。
――と。
はらりと手帳の間から、なにか赤茶けた紙切れが一枚、こぼれおちた。
「ん? 歌菜、何か落ちたぞ?」
羽純は、はらりと落ちたそれを空中でキャッチして、ちらと見た。
途端、羽純が息をのむ。
「歌菜……これ……!」
羽純は、光沢のあるその紙を、涙に揺れる歌菜の目の前に突きつけた。
それは、セピア色に変色しかかったモノクロ写真だった。地球の技術がまだあまり流入していない頃の、パラミタの設備で撮ったのだろう、画質は悪いし劣化も進んでいるが、それでも、二人の人物が笑顔で写っていることははっきりと読み取れた。
一人は、線の細い優しげな顔の男性。前のオーナーだろうか、改装前の月楼館を背にしてやわらかく微笑んだその顔は、今のオーナーとどこか似ている。
もう一人は、おそらく白い着物に身を包んだ、少女のような女性だった。モノクロ写真でもわかるほどの艶やかな黒髪に、透けるような白い肌をしている。瞳は恐らく赤色で、どこか無感情そうな作りだったが、そこに不釣り合いとも思えるほどの、幸福な笑顔が浮かんでいる。
歌菜の目から涙が引っ込んだ。「まさか……」と吐息のようなつぶやきがこぼれ出る。
「これ……これ……オーナーさんが見せてくれた写真の人……」
「ミラ・カーミラ、だな。髪の色は違うが、あとはそのものだ。年をとった様子さえない」
「じゃあ、じゃあ……ミラさんは、前のオーナーさんの奥さん!?」
叫ぶような歌菜の声に、部屋にいた全員が手を止めて、振り返った。
「だろうな」
歌菜ははっとして、持っていた手帳を開いた。ばらばらと、ページを破けそうなほどの速さでめくり、文章に目をはしらせていく。
「どうした、歌菜?」
「ミラさんが前オーナーさんの奥さんなら……今度の事件のヒントがどこかにあるかも……あっ!」
ページを繰る歌菜の手が止まった。
めくるべきページが、もうなくなっていた。
手帳後半部分のページが、すべて破り取られていたからだ。
「うそ……なんで……?」
「胡散臭いな。どうにも胡散臭い。いったい何が、月楼館に隠されてるんだ……?」
羽純は胡乱げに目を細めながら、破られる前の最後のページ、おそらく前オーナーの文字だろう、繊細な筆致で書かれた文章を、声に出して読んだ。
「数日前から微熱が下がらない。風邪だろうか。妻にうつしてしまっては忍びない。明日、ザンスカールの魔女に頼んで診てもらおう。……日付は、二年ほど前だな」
歌菜はぎゅっと唇を引き結び、強い瞳で、破られた手帳のページを見つめていた。
※
「ミラはやはり、前オーナーの妻か……」
手帳を見据える遠野歌菜を、ちらと横目で見ながら、夜薙 綾香(やなぎ・あやか)は埃の積もったひと束の資料を叩いた。
「と……なれば、この資料がここにある理由もおのずと知れるか」
綾香が、片手で読み飛ばすように、資料の束をめくっていく。紙面には、手書きされた膨大な量の数式が、試行錯誤の過程を示すように幾度も横線でかき消されながら、羅列されている。
「……アポクリファ、一応確認したいんだが、この資料は何だと思う?」
綾香から資料を受け取ったアポクリファ・ヴェンディダード(あぽくりふぁ・う゛ぇんでぃだーど)は、資料を両手で抱えるようにして、冗談のような速さでめくっていく。あっという間に資料をめくり終えて、
「稚拙で不安定な魔術ですぅ」
一言で切り捨てて、綾香に資料をつき返した。
「稚拙かどうかはさておいて、それは設計図だろう?」
「そうですねぇ、これが『片思いのブラッドルビー』の設計図であることは、間違いのない事実ですぅ」
突き返された資料をもう一度めくりなおしながら、綾香は「うーん」と唸った。
「これがこの部屋にあると言うことは、あのピンキーリングは前オーナーが作り上げたもの、ということか。なら、ミラは夫の作ったリングを取り戻すためにここへ……いいや、それでは、今だにここにとどまっている理由が分からん……」
「マスター。その思考は不完全ですぅ。ブラッドルビーの効力を使って初めて実現できる事情を、ミラさまの目的に加算すべきですぅ」
「ブラッドルビーを使って、できること?」
「ですぅ」
アポクリファはこくこくと頷いた。
「その設計図を見る限り、考え方自体は間違ってはいない半面、無駄と危険が多く、回りくどい考え方が目立ちますぅ。それはひとえに、過程の合理化や安全性の確保を無視して結果だけを求めた証拠。つまり前オーナーは、とにかく早く、そのブラッドルビーを完成させたかったのですぅ」
「と、いうと?」
「つまりぃ、自分が死ぬ前にぃ、前オーナーはブラッドルビーを完成させたかった。ミラさまにこれを渡したかった。転じて、ミラさまはこのリングを手にすることで、前オーナーが想定した何らかの事情を果たすことができる、ですぅ」
「なるほど。では前オーナーも、ミラがブラッドルビーの『想い人を指し示す力』を使うことを想定して……むしろ、ミラが使うことを真の目的として、ブラッドルビーを作った、ということか……」
「ねえねえ親分、質問していーい?」
堅苦しい綾香とアポクリファの会話に割り込むように、エト・セトラ(えと・せとら)があっけらかんとした声を上げた。
「それだとさ、それだとさ、前のオーナーさんは、まるで自分がいつ死ぬか、自分で分かってたみたいだね?」
「――……あっ」
綾香は目を見開いて、アポクリファの方を見た。
アポクリファは、当たり前のように頷く。
「設計図に見られる焦り。ブラッドルビーの完成目標期間とぉ、前オーナーが亡くなった時期の一致を考えればぁ、この設計図を書いている時点で、前オーナーがタイムリミットにある程度の目測を立てていたことはまず間違いないですぅ」
「でもでも、たしか前のオーナーさんは事故で亡くなったんだよね? 病気とかじゃなくって」
綾香は、知らずごくりと、音を立てて唾を飲み込んだ。
きつく握りしめた資料が、くしゃりと音を立てる。
「そいじゃあさ、そいじゃあさ、まるで、前のオーナーさんは、事故が起こるのを知ってたみたいだね?」
エトのあっけらかんとした声に、綾香は返事を返さず、ただ、低い声で唸った。
「事故が起こるのを知っていた、と言うならぁ、それは死ぬ時期が分かっていたと言うよりぃ……」
アポクリファが一呼吸置いて、言う。
「殺されるのが分かっていた、って言った方がしっくりきそうですねぇ……」
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