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第四章 いつか誰かの涙のもとで 4


 閃光が落ち着き、視界が元の世界を取り戻したとき、心はまだ夢を見ているかのようであった。
 ゼノは語った。かつて、シアードと自分は英雄になることを誓い合ったと。そして、それは、ガオルヴに向けて語られた言葉だった。
 レンは、自分の憶測が当っていたとはいえ、どうにもやるせない気持ちだった。もちろん、それは、レンだけに限らない。その場にいた者たちが皆、ガオルヴの過去に戸惑いを覚えている。
 だが、そんな中で動き始める者がいた。
「ガオルヴ……」
 ガオルヴは、おぼつかない足取りでリーズへと近づいていった。それまでの畏怖と威圧を感じさせる圧倒的な存在感はなかった。少なくともリーズは、ガオルヴの顔が穏やかな人間のそれを持っているように思えたのである。
 ガオルヴの目は、リーズの目に注がれる。
「リーズ……」
 レンは気づいた。
 リーズは泣いていた。ゼノと同じような、一筋の涙が彼女の頬を伝っている。
 全てを知って、彼女は泣いていた。こみ上げてくるのは、悲しみ。剣を構えるには、自分はこんなにも儚く脆い。誰かの幸せのために、誰かが犠牲になる。英雄とは、そういうことなのか? それが、自分の求めているものなのか?
 違う。
 リーズは泣いた。目の前で傷つき、苦しむ誰かを救えない自分の無力さに、自分の不甲斐なさに、彼女は、泣いた。
 そんなリーズの前で立ち尽くすガオルヴは、彼女の涙を爪先で拭った。そうする行為そのものが、彼の本能に邪魔されるものなのだろう。ガオルヴは、苦しそうに彼女の涙を拭うと、リーズの剣を見つめた。
 それは、いま、唯一理性を取り戻している彼の会話に他ならなかった。
「そんなの……そんなのって……っ!」
 リーズは悲痛な叫びをあげて、それを拒んだ。
(少女よ……その涙が……)
 泣き叫ぶリーズに、静かな声が聞こえた。いや、それはリーズだけでなく、誰しもの頭に響く、意思の声。
(その涙が、『英雄』たる証なのだ。誰かのために涙を流せるのなら、誰かの幸せを願うのなら、きっと、そこに……道は開かれる。私は救われる。これで、いいのだ……)
 その、最後の気力を振り絞る苦しそうな声が、ガオルヴのそれであるということは、誰しもが理解できた。彼は、言葉を発する。人の言葉を知っている存在なのだ。
 リーズは、止まることのない涙で顔をくしゃくしゃにしていた。
(さぁ、斬るのだ……。それが、英雄の孫たる、お前に課せられた使命……! 奴の託した、役目なのだ)
 リーズは、無理だと声を張ろうとしていた。だが、喉はそれを拒んでいる。彼女は、戦士だ。そして、ゼノの孫だ。彼女は理解していた。この剣でガオルヴの命を絶つことこそが、彼自身、そして、ゼノと彼の絆が望んだ結末なのだと。
 リーズの腕が、剣を振りかぶる。涙が、剣に零れた。
 ――次の瞬間、ゼノの剣はガオルヴの体を貫き、呻くような声をあげるガオルヴは、自らが生きてきた魔獣としての証を残すかのよう、咆哮をあげた。どく……と流れ出る血と僅かにしか動かなくなった体が、彼の死が側にあることを意味している。
(これで……)
 ガオルヴの最後の声は、かすれて聞こえなくなっていった。同時に、リーズの目の前で沈むガオルヴの体が、光に包まれていく。心を温かく包み込むような穏やかなその光は、やがて神殿の全てを包み込んでいくほどに大きくなっていった。
 そうして、それが淡く消え去ったとき、神殿の瘴気は浄化され、ガオルヴは消え去っていた。
 リーズは立ち尽くしていた。ガオルヴの消えた跡を見下ろして、彼女は、悲壮な姿で立ち尽くす。その姿に、声をかけられる者はいなかった。しばらく、どれだけの間、戦士たちは佇んでいただろうか。やがて――
「……うん」
 リーズは、瞳に浮かぶ涙を拭って、力強い声を発した。
「終わった。これで、終わったんだ」
 彼女は振り返り、どこか踏ん切りをつけた決然たる微笑を浮かべた。
 そう、終わった。ガオルヴの恐怖は、なくなったのだ。
 リーズはその場から立ち去ろうとした。だが、それまで自分の足を支えていた気力が一気に抜けたのだろう。彼女はがくっと膝を崩して剣を支えに倒れ込んだ。
「は、はは……なんか、力が……」
 そんな彼女に近づいていった影は、さらうように、彼女を背中に乗せる。それも、有無を言わさずだ。
「ちょ、ちょっとぉっ……」
「役得はあっても良いのでは?」
「役得よりも先に伝える事があるでしょうに……。リーズさん、お疲れ様」
 森で最初に出会った緋山 政敏、そしてカチェア・ニムロッドは、ずっとリーズを見てきたのだ。こうなることぐらい、予想は出来ていた。彼は太陽のような微笑を浮かべて、リーズを担いで歩く。
「ま、なにはともあれ、早く元気な姿を若長や村の人達にも見せてやろう」
 こうして、戦士たちは帰路に着く。
 いや、彼らはきっと、人のために涙を流すことのできる。だとしたら、それはきっと、英雄なのかもしれない。