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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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第4章 慈愛の空色

「大丈夫か、樹?」
 空京の街角で。
 ベンチでぐったりとうなだれた和原 樹(なぎはら・いつき)を、フォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)が気遣わしげに覗きこんでいた。
「と、とりあえずちょっと顔近い」
 樹は力無くフォルクスを押し返し、
「ちょっと毒気に中てられただけだから」
 弱々しい笑みを浮かべた。
「どこの画商もクセの強い絵画を次から次へと出してきましたからね」
 セーフェル・ラジエール(せーふぇる・らじえーる)はパタパタとその手で樹を仰いでいる。
「俺、アウグストさんの絵が見たいだけで、別にグロテスク絵に興味があるわけじゃないんだけどなぁ……」
「お前は、良いお客だと思われたのであろうな。『アウグストなんて値がつかない絵描きに興味を示すくらいだ、ここぞとばかりに不良在庫の在庫処分ができるかもしれない』……とな」
「ああ……納得……」
 フォルクスの言葉に、樹は空を仰いだ。
「だからといって律儀に全部付き合う必要はないだろう?」
「だって、アウグストさんの絵、見せてもらうのに……断ったらなんか悪いじゃないか」
「そのアウグストさんの絵も重い色遣いの絵、ばかりでしたしね」
 セーフェルは眉を下げて表情を曇らせた。
「まあ、ほとんど風景画だってわかって収穫だったよ」
「空京が海の底に沈んでたり、無人になってたり……あまり気分のいい物ではありませんでしたが」
「まあ、ね。それも収穫だったけどさ。今回現れたカンバス・ウォーカーは……未知の世界であるパラミタへの興味とか昔の何もなかった頃のこの場所への想い、機械の動く音や電子音に溢れた今の空京を苦々しく思う気持ちとか、そういうものなのかもしれないって思ったんだけどな」
「どうかな」
 考え込む樹の思考を、フォルクスが遮った。
「ん?」
「自分を受け入れない――自分の才能を認めない――そんな世界に対するただの恨み、妬み、嫉み……せいぜいそれだけのものかもしれないぞ。子供みたいな話だがな。ただ――それだけに純粋で、やっかいだ」
「でも……ナディアさんがいるのに?」
「それがどうした?」
「家族と呼べるような身内がいても、そんな厄介な絵、描こうと思うのかなって」
「さあな。そんなに深い心の闇まではわからない」
 肩をすくめたフォルクスは、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「だったらさ。なおさら気になるよ。そんな風にこの街が見えてしまう気持ち。いつか、もしかしたら俺にもそんな風に思うことがあるのかなって」
「お前には――」
「私達がいますよ。マスターが私達を必要としてくれる限り、私達はそばにいます。この気持ちが壊れなければ、私達が闇に墜ちることなどあり得ない……と、思いますよ?」
 語尾だけは少しだけ自信を欠いた響きとなったけれど、しっかりと視線を逸らさずに伝えるセーフェル。
「……ああ、セーフェル? そういうことは我が言うと決まっているのだが……いや、『私』ではなく『私達』と言ったのは評価に値するがな……」
 フォルクスは大振りにパタパタとその腕を振るって見せた。
 二人のそんな様子に、樹は柔らかな笑みを浮かべた。
 それから、急に気遣わしげな顔になって官庁街予定地の方を眺めた。

「今官庁街予定地にいるカンバス・ウォーカーは一体何を見てるんだろうな?」

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 一方、官庁街建設予定地。

「カンバス・ウォーカーさん!いなくなったので心配しました。どうしていきなり消えてしまったりしたんですか?」
 交錯する刃は物ともせずすり抜け、カンバス・ウォーカーの前に立った咲夜 由宇(さくや・ゆう)は心配そうな顔をしてカンバス・ウォーカーに問いかけた。
「あなたはどうして消えた物ものを追いかけてきたりするの?」
 依然、ペインティングナイフを構えたままのカンバス・ウォーカーが言葉を投げる。
「む。質問を質問で返しちゃいけないんですよぅ? でも特別に答えてあげます。遊びがまだ終わってないからです!」
 人差し指をピンと立てて、由宇は胸を張ってみせた。
「遊び……?」
「そう、遊びです。いいですか、皆さんがくたたになるまで楽しんで『面白かったね、また会おうね』って終わっていくのが遊びです。まだまだ、皆さん遊びの続きをしたがってますですよ。さあ、戻りましょう?」
 笑顔を向け、由宇はカンバス・ウォーカーの手を取ろうする。
 パン、と。
 カンバス・ウォーカーはその手を振り払った。
「カンバス・ウォーカー……さん?」
「三人もいて何をやっていたんだか……これだったらはじめから一点突破で空京を攻撃した方が良かったわね」
 まるで押さえつけるように片手で体をかき抱きながら、カンバス・ウォーカーは忌々しそうな表情を浮かべる。
「そうかい? あんたの中のたぶん一人……楽しそうだったがな。うまかったろ、牛丼」
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)は飄々とした様子でカンバス・ウォーカーに言葉を向ける。
「あんだけあんなにはしゃいでたんだ、楽しくなかった訳がねぇ」
「私とは関係がない話ね」
「でも、笑って、照れて、喜んでたサラはあんたの一部分なんだ。そんなあんたを産み出した作者の本懐が『破壊』だなんて、俺には思えねぇけどね」
 そこで、カガチは小さな紙を取り出すと、ヒラヒラと振ってみせた。
「まあ腹減ってると頭もうまくまわんねえもんだ。メシでも喰いにいかねえかい? さっき牛丼屋で割引券貰ったんだよ。系列のカレー屋の。そこ、甘めから10辛まで選べるからどんな奴でも美味しく食えるぜ。ああでも10辛は覚悟しとけよ、舌が爆発するから。あんた、負けず嫌いで無理しそうだからなぁ」
 からっと乾いた笑みを向けてみせるカガチ。
「ああ、それともあれか? お出かけにはお召し替えが必要かい、お嬢さん? まあその黒も似合っちゃいけるけど、ちょっと重い感じだねえ。また誰かに見立ててもらいなよ。さっきのイルミンの子らは……いねえか」
「はい、じゃあ私が! 見立てるですよぅ、かっわいいの!」
 由宇が勢いよく手を挙げた。
「おう、ちょうどいいじゃねえか。せっかくちっと大きくなったんだ。今度は少し大人っぽい髪飾りなんて見立ててもらっても良いんじゃねえか。行こう、サラ。ほら、意地張んねえで手、だしな?」
 由宇に続いてカガチが差し出した手を、しかしやはりカンバス・ウォーカーは打ち払った。
「ずいぶん手懐けてくれたもんだわ」
 嘲るような笑みを浮かべながらカンバス・ウォーカーは体を抱く手に力をこめた。
 折れもせず、悲しみも怒りも滲ませず、カガチは辛抱強くカンバス・ウォーカーの瞳を覗きこんだ。
「手懐ける? んな失礼なこたぁしねえよ。俺たちは、一緒に同じ時を過ごした――ごく楽しくな。遊び仲間ってやつだ。そして、さっきそこの嬢ちゃんが言ってた通り、まだ終わってねえ。まだまだあんたの知らないもんいっぱいだ、此処は。ごっちゃごちゃして煩い街だ……俺も最初はあまり好きじゃなかったけど、玩具箱みたいな街だよ此処は。有象無象石ころからきらきらしたもんまでいっぱい入った綺麗な箱だ。全部見せてやるよ、きっと気に入る。だから……来い」
「そうです! 楽しいことはまだたくさんあるんです! そんな危ないの振り回すより、私と一緒にギター振り回すです! 楽しいですよ!」
 カガチに続いた由宇は肩から提げたエレキギターをピックで人撫で。
 存在感のあるディストーションサウンドが大気をビリつかせた。
「終わりよ……遊びなんて!」
 しかし、まるで、自分の体で疼く物を振り払おうとでもするかのように、カンバス・ウォーカーはペインティングナイフを振りかぶり、カガチと由宇に躍りかかった。

「ダメだよ!」

 突如、カンバス・ウォーカーの前に小さな影が躍り出る。
 反射的に、カンバス・ウォーカーは突進を止めた。

「そ、そんなの由宇さんにぶつけたら危ないんだから」
 バッと両手を広げてカンバス・ウォーカーの前に立ちはだかったルンルン・サクナル(るんるん・さくなる)は、目と声を潤ませて、カンバス・ウォーカーを睨み付けた。
「カンバス・ウォーカーさんとはもっと一緒に遊びたかったのに。さりげなく仲間と同じような匂いがしてたから、仲良くなれるかなと思ってたのに。こんなの遊びじゃない……由宇さんをいじめるって言うなら……」
 徐々に、ルンルンの視線はカンバス・ウォーカーの手にするペインティングナイフを手元から刃の方向にと眺めていき――
「僕が盾になるよ! どんなに痛くっても……痛くっても……あ、それいいかも……それ、い、痛いよね……いけないよね……」
 なぜか、妙な期待の色へと瞳の色を変えた。
「……だったら、自分の身体で確かめてみることね!」
 再び気合をこめて、カンバス・ウォーカーは、ペインティングナイフを振りかぶった。
「姿は変われど、相変わらずだな。綻びだらけだ。貴様が世界を否定することそのものは不可能だろうよ。せいぜいが、世界を否定しようと行動をとるのが関の山だ」
 思わず頭抱えたルンルンの前に割り込んだアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)は紙ドラゴンを展開、カンバス・ウォーカーの一撃を叩き落とした。
 その行動に、言葉の意味に、カンバス・ウォーカーがキッとした視線を向ける。
「記憶は繋がっていないようだから今一度繰り返してやるがね……なに、その点は授業をするのとさして変わりない」
 アルツールはそこで、厳しい表情の中にごくわずかに、苦笑いのようなものをのぞかせたように見えた。
「美術品として発露させた想いを『誰かに見てもらいたかった』から、否定しているつもりの世界に『振り向いて欲しかった』からに他ならん……今の貴様がまさに『それ』だ。貴様は世界を否定するのと同時に、自分を見てもらえる世界を必要としている」
 ごく正確に。
 丁度教壇分の幅を行ったり来たりしながら、アルツールはよく通る声で整頓するように事実を並べていく。
「世界を否定するために破壊したいというのなら、姿を隠しながら密かに動き回っておれば良い。だが、実のところどうだ? 静けさを欲して大学に現れた方のカンバス・ウォーカーすら人前に姿を現し騒ぎを起こしながらでなければ動けなかった。貴様は否定したい世界に対し、その想いを『自分の行動を見て』とほとんど露悪的にアピールしながらでなければ世界を否定することが出来ないという絶対的矛盾を抱え込んでいるのだ」
 まるで出来の悪い生徒の間違えを教え諭すように、アルツールは射抜かんばかりの鋭い視線でカンバス・ウォーカーを捕らえた。

「どこまでいっても自己矛盾。どこまでいってもひどくアンバランス。貴様は、いったい、自身の片割れを……どこかに置いてきたのではないか?」