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第5章 選定 1

 舞羽の傷も癒えて、昆虫型機晶生命体が全滅したことによって開かれた扉の先に、コビアたちは歩を進めていた。
 扉の先は階段であり、それが最下層へと繋がる道であった。コビアたちにそんなことを説明した小次郎であったが、何のための『試練の回廊』なのかなど、その目的や理由は彼にも判らないことであった。
 曰く、キリカ・キリルクはここを荒野の安全装置であると予想し、曰く、神拳 ゼミナーは機晶姫がマスターを選ぶための試練であると予想する。
 いずれにしても――全ては最下層で分かるだろうと、コビアはそう思っていた。
「なぁ、その女の子、無事だといいな!」
「そうだね。本当……無事でいるといいんだけど……」
 トーマ・サイオン(とーま・さいおん)の素直な言葉に、コビアもそう願う。きっと、この先に助けを求めたあの少女もいるであろうと。
「コビアくん……確か鍵を持ってたんですよね?」
「う、うん……持ってるけど……」
 トーマとは逆隣からコビアに離しかけてきたのは、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)であった。
「その鍵……ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「構わないけど……」
 ごそごそと鍵を取り出して、背丈の小さな彼女に手渡す。ノアはその鍵をまじまじと見ていたかと思ったら、何やら意味深なことを呟いた。
「ん……何か言った?」
「いえ、なんでもありません。あ、鍵、お返ししますね」
 コビアは結局彼女が何を言ったのか聞こえなかった。
 笑顔で鍵を返してくれたノアは、なにか考え込むように首を捻ったあとで、自分のパートナーであるレン・オズワルド(れん・おずわるど)の元に向かっていった。
「コビアさん、女の子を無事に見つけたら、どうするつもりなんですか?」
 感慨にふけるコビアに、ミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)が聞いた。そもそもキャラバンの護衛役としてジンブラ団についてきていたミュリエルとは、コビアは仲が良かった。
 純粋無垢な彼女の質問に、コビアは戸惑う。
「そりゃ、もちろん助けを求めてきたんだから、助けるつもりだけど……」
「そのあとは?」
「そ、そのあとって……」
 慌てたように取り繕うコビアの目に、ふと気になる顔が。
「え、エヴァルトさん……?」
 魔剣士の瘴気を全開にまで放出しているエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、まるで娘を見守る父親が嫉妬に狂ったような顔をしていた。彼のオーラは――コビア、それ以上ミュリエルに近づいたら殺す――と言わばかりである。
「あ、あはは……ミュ、ミュリエル、ほら、お兄ちゃんのところに行ってきたら?」
「……?」
「お、お兄ちゃん寂しいみたいだから、ミュリエルが行ってあげると嬉しいんだろうな〜」
 コビアがわざとらしくそう言うと、ミュリエルはぱぁっと明るい顔になってエヴァルトのもとに駆け寄っていった。
 ようやくエヴァルトの機嫌も落ち着いたようで、安堵の息を漏らす。
 するとそこに、ミュリエルと同じぐらいの少女が近づいてきた。
 そんな、ささやかな楽しさが過ぎていったとき、階段はついに扉の前に辿り着いた。
「ここか……」
 コビアの手が重く閉ざされていた扉を開くと――広がったのは、ドーム状の神殿のような場所であった。
「す、すごい……」
 これまでとは比べ物にならないほどに、精密で精巧な機械たちがむき出しに並んでいる。そして、その中央でコビアたちを見下ろすのは、彫像と思しき一体の巨大な影であった。
 呆然としてそれを見上げていると、彫像の目が突然光った。
「よくぞ参られた……試練を越えた勇敢なる少年よ」
「え……あ……」
 彫像――いや、それは機械で出来た生命体。機晶姫と呼ぶべき存在であった。ただし、その大きさはまさに圧巻であり、機晶姫には珍しい、男性型であったが。
「汝は数々の試練を越えて参られた。今こそ、最後の試練――至高の試練を受ける時」
「至高の……試練?」
「そう、至高を求める者たちが選ぶべき、最後の試練である」
 予想はしていたが、また何かを選べというのか。コビアは怪訝そうな顔をした。すると、彼の目の前の床から、二つの台座が伸びた。そこに乗っているのは――一対の剣と盾であった。片や一方には剣が。もう片方には盾が置かれている。
「さぁ、選ぶがいい。剣を取るならば……それは汝にとって『力』を意味する。盾を取るならば……それは汝にとって『優しさ』を意味する。『力』を取れば、我は汝の剣となろう。『優しさ』を取るならば、我は汝の盾となろう」
 機晶姫の声に、コビアは唖然とした。今度の選択は、意味合いが違うからだ。誰かの命をかけるわけでもなく、コビアの心を問うているに過ぎない。
「剣となり、盾となるか……やはりマスターを選ぶための試練だったってことか?」
 エヴァルトが呟く。
 確かに、その言葉はマスターになる者を試そうとしているかのようだった。
「力か優しさ……俺なら迷わず、力を選ぶな。極悪非道、人非人と蔑まれようと……友を、仲間を、それで助けられるのならば……優しさなど喜んで捨て去ろう。守るべき者の為、心さえも捨てる……それが、俺が魔剣士になった理由だからな。矛盾しているかもしれないが、俺は口下手でな……こうとしか言えん。……コビア、お前はもっと器用に生きることだ」
 エヴァルトは、どこか哀しげな目でコビアを見た。
 エヴァルトの心は、たとえ誰かに違うと言われようとも、信念が満ちている。そんな彼の言葉は聞けば、確かにコビアは、それが答えとも思えなくはない。
 だが――御凪 真人(みなぎ・まこと)が言った。
「力だけでも……優しさだけでも……俺は駄目なんだと思います。欲張りかもしれませんが俺はその両方は捨てることは出来ませんよ。……意思無き力に何の意味があるのでしょうね。優しさの無い力などただの暴力でしかありませんよ」
 決して声を荒げるでもなく、冷静な物言いで彼は言う。常に心を水のように穏やかに保っている真人にとって、確かにそれは、彼らしい答えでもあった。……トーマは、そんな彼だからこそ、きっと一緒にいることを選んだのだろう。
 冷静沈着で整然とした態度を崩さない真人に対し、久途 侘助(くず・わびすけ)は飄々としたものである。
「んー、選ばんといけないのか。……じゃあ、俺は力選ぶから、火藍は優しさってことで」
「アバウトに答えを割り振らないでくださいよ……」
 呆れたように香住 火藍(かすみ・からん)にツッコまれて、侘助はぽりぽりと頭を掻いた。きっと、彼なりに考える節はあるのだろう。ものぐさで何も考えていないようにも見えるが、たまに見せる真剣な眼差しを、コビアはこの試練の中で垣間見てきた気がする。
「ま、力か、優しさか。その2つは同じものじゃないのか? 今回ここに来たやつらは、コビアを助けようとする優しさがある。それに、試練や魔物を恐れずコビアを助けようとする勇気だってある。暴力だけ振るうことだってできるが、それは本当の力なんかじゃないと思うな。……だから、俺は両方を選ぶ」
 彼がここまでまともに回答を述べるとは思っていなかったのだろう。開いた口がふさがらない火藍は、なんとかいつもの調子で彼に口を開いた。
「あんた、これ一応二択なんですよ? 両方ってなんですか、両方って」
「だってなぁ……ホントにそう思うんだからしょうがない」
「まったく……まあ、俺なら……優しさを選びます。皆が優しさを持てば、戦争も、諍いも無くなると思いますし。きっと力がいらない、優しい世界になると……信じたいですね。……まぁ、これは俺の理想ですかね」
 彼は少しばかり苦笑した顔で、理想という言葉を口にした。
 そんな彼らの横では、自信満々に気合を入れた答えを述べるルカルカ・ルーの姿。
「力! 力無き正義は無力。暴力は真の力じゃない。勇気と誇りを持ち守る為に使われる物こそ真の力。心、命の意思よ!」
「なるほどね……。俺は優しさだな。力は強大であればあるほど、振るうべき時と相手を見極めなくてはならないしな……」
 ルカの意見を尊重しつつも、エースは自分の意見も確固として持っているようだった。
 きっと二人の関係性は、そんな、違う意見だとしても一緒にいられる信頼で成り立っているのだろう。コビアは、そんな二人の関係が、少し羨ましく思う。
 こうして思えば、多くの者たちが、多くのことを考えている。そこにあるのはきっと、コビアの知らない彼らの過去であり、今だ。
 コビアは、彼らを見て思った自分の心に、自嘲のような苦笑を浮かべた。
「……さて、では、汝はどちらを選ぶ? 多くの仲間によって汝はここまで辿り着いた。その答えをいま、見せよ」
 彫像は問いかける。
 コビアは、静かな自信に満ちた顔で、それに答えた。
「どっちも、いらないよ」
「…………なに?」
 思わず、そこにいた誰もが聞き返していた。機晶姫も、そしてエヴァルト、侘助、真人たちも同様に。
 コビアは、穏やかに微笑んで、続きを述べた。
「ずっとここまで来て、なんとなく思ってたことがあるんだ。みんな、力も優しさも、それ以外もたくさん僕にはないものを持ってて……ジンブラ団のみんなも、僕にはない強さをたくさん持ってる。だから、ずっとこんな小さな自分が嫌だったんだ。弱くて、何も出来ない自分が。でも……みんながいた。みんながいたから、僕はここまで来れたんだ。そう思うと、もう僕は必要なものなんてないよ。力も優しさも、どっちももう、僕は選んでるから」
 コビアの微笑みは、きっと、仲間たちに出会えた喜びを、噛みしめていたのだろう。
 だが、彫像はそんな彼の笑みを壊すかのように、憤然とした怒りに打ち震えた。
「選ばぬだと……! 選択はないだと……! 認めぬ。そんな答えは認めぬっ!」
 それまでの冷厳とした立ち振る舞いは消えて、まるで地を震わすような声音を吐き出す。その様相の変化に、コビアたちは戸惑いを隠せなかった。
 すると、そこに現れたのは――