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恋歌は乾かない

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恋歌は乾かない
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chapter.6 探し行く果てに奏でし優しき音 


 青レンガ倉庫カフェエリア。いくつかの店が競い合うようにこのエリアにカフェを展開しており、メニューの多さや値段の安さでそれぞれ特徴を出している。

「リースさん、大丈夫?」
 その中のひとつでスイカジュースを飲んでいるリース・アルフィン(りーす・あるふぃん)に、パートナーの浅井 政奈(あざい・せいな)が心配そうな様子で声をかける。
「うん、ごめんね……私から誘ったのに」
「リースちゃん、どうしちゃったの?」
 顔色のよくないリースに、もうひとりのパートナー市宮 彩人(いちのみや・あやと)も椅子から体を浮かせて首を傾げている。
「ちょっと気分がすぐれないだけだから、大丈夫、すぐ治ると思う。でも、お買い物はまたの機会でもいいかな?」
 ついさっきまで、彼女たち3人は青レンガ倉庫のファッション・雑貨エリアで買い物をしていた。ところがその途中でリースが不調を訴えだし、政奈の提案でカフェに寄って休憩を取ることにしたのだ。
そもそもリースがここを訪れた動機は、イベントのちらしを見て、契約してまだ間もないパートナーとの仲を深めようという理由によるものだった。その目的に意識が集まるあまり、イベントの詳細をよく確かめないまま来てしまったことを、今になってリースは後悔していた。
「なんか、やけにカップルが多いね……」
 買い物中、ぽつりとリースは呟いていた。
「え? だって、そういう場所でしかもそういうイベントだよ?」
 彩人がそこでこのイベントの詳しい内容を説明し、初めてリースは自分に不相応なところなのだと気づかされる。
 グラスをテーブルに置いて、リースはカフェ内を軽く見回した。賑わう服屋や雑貨屋ほどではないが、ここも多くの男女がいる。リースは、はぁ、と小さく溜め息を吐いた。
「うー、まだ見てないお店もいっぱいあったから、もうちょっと見て回りたかったなぁ」
 リースの言葉に、彩人はがっかりした声をあげる。
「え、彩人君まだ見て回りたいの……? うーん、じゃあ私ここで待ってるから、政奈ちゃんとふたりで行ってくるといいよ。でも、あまり遅くならないでね?」
仕方ない、といった様子で彩人に言うリース。彩人はそれを聞いた瞬間顔をぱあっと輝かせ、政奈の腕を掴んで走り出した。
「いいの? やった! 政奈ちゃん行こっ!」
「わわ、そんなに引っ張らないで! リースさん、なるべく早く戻ってくるからね!」
 本当ならリースのそばにいるべきかもしれないが、彩人の相手も誰かがしなければいけない。今のリースにそれが無理なことを充分に察していた政奈は、仕方なく自分がついていくことにしたのだ。もっとも、彩人の方は一番の目的が政奈とべったりすることだったため、図らずもそれが叶ったのだが。
 バタバタと出かけていくふたりを見送りつつ、リースは無意識のうちに自分の胸に手を置いていた。この体調不良の原因がそこにあると、体が自然に教えているかのように。
「やっぱり、このへんが痛い気がする……なんでだろう」
毛糸の繊維に触れた時にも似たチクッとした痛みが、スイカの種をうまく吐き出せない時にも似たもどかしさが、彼女の内側から湧き立ち続ける。幸せそうなカップルを目にすると、それはより激しく彼女の中で溢れた。
 パラミタに来てから、リースはある人に告白した過去がある。告白は失敗に終わり、彼女はそれ以降ずっとその記憶を奥へ奥へと押し込めていた。今彼女が感じている痛みはそれが引き出されようとしているからなのだが、そのことに気づけるほど彼女の心は育ちきってはいなかった。
 リースは、ストローで氷を転がしながらふたりが戻ってくるのを待っていた。カラカラ、カラカラと。少しでも、周りで話す恋人同士の会話が聞こえてこないように。

 同じカフェの、離れた窓辺の席。この窓からは、ショッピングモールの一部を上から眺めることが出来る。今も窓から下を覗くと、たくさんの人が買い物を楽しんでいる景色が目に入る。
 その席に座っているのは、風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)とひとりの女性。なんとその女性は、式部だった。
「ですから、その……アレです。このパラミタに未開拓の地が多くあるように、自分が知らないものというのはたくさんあるんですよね」
「え? うん、そうね……」
 さっきから妙に熱心に語っている優斗を、式部が若干不審そうな目で見る。どうも何かを訴えようとしているようだが、濁したような言い方ばかりしているため式部にそれが全く伝わっていない。式部はお茶に口をつける。早くも彼女は、どのタイミングで席を立つか考えていた。
 そもそも、それほど女好きとも思えない優斗とプライドが人一倍高い式部が、なぜこのような形で同席しているのだろうか。それは、彼のパートナー諸葛亮著 『兵法二十四編』(しょかつりょうちょ・ひょうほうにじゅうよんへん)――通称リョーコが裏で一枚噛んでいるからであった。
「んー、優ちゃん優しいのはいいけれど、もうちょっとワイルドさがほしいところね」
リョーコは、ふたりが座っている席から2、3離れたところに座って、さりげなく会話をチェックしていた。リョーコは、さきほど式部と絡んだ時のことを思い出す。
それは、小一時間ほど前の出来事だった。
「モテモテになりたい子って、あなた?」
 プチサイクリングロードを抜けて青レンガ倉庫に着いていた式部に、リョーコは話しかけた。
「え、あ、うん、モテモテになりたい……っていうか、モテモテなはずだからね。源氏だし」
 突然の質問に少し面喰ったものの、式部がそう答える。それを聞き「変な子がいる」という話は本当だったんだ、と思ったリョーコは居ても立ってもいられなくなり、彼女の願望を達成させてあげることにした。
「源氏うんぬんはさておき、そういうことならラブ軍師であるわらわに任せて」
「ラ、ラブ軍師……?」
 なんともうさんくさい響きである。
「やっぱり、モテへの第一歩は色々な男性と積極的に絡んでいくことよね。ということで、ちょっと待ってて」
 そう言うとリョーコは、式部に背中を向け携帯で誰かに電話をかけた。出たのは、優斗であった。小声でリョーコが言う。
「もしもし優ちゃん? ちょっと精神的に不安定な子がいるから、助けてあげて。たぶん失恋でもしたんだと思う。励ましてあげれば元気が出ると思うのよ」
 人の良い優斗なら、そう言えば断れず人助けのため来ることは分かっていた。案の定すぐさま駆けつけた優斗は、式部を元気づけてあげようとカフェへと誘ったのだった。式部もまた、リョーコの強引な勧めにより「もう少し男性に絡む姿勢を見せよう」という思いを植えつけられていたためか、それに応じた。ようやく普通の、人の良さそうな青年が相手だったことも大きいかもしれない。
「つまり、何が言いたいかというとですね、土地のように男性も色々な人がいるということで……」
 その結果が、今のこの状況である。リョーコは込み上げてくる笑いをどうにか押さえつつ、携帯を開いた。
「あとは、このふたりが来ればもっと面白くなるわね」
 発信履歴を見るリョーコ。優斗の名前の上には、テレサ・ツリーベル(てれさ・つりーべる)ミア・ティンクル(みあ・てぃんくる)の名前があった。このふたりもまた、優斗のパートナーであった。そして、計ったようなタイミングでそのふたりが優斗たちの前に登場した。
「あーっ、優斗お兄ちゃん、ほんとにデートしてるー!」
「リョーコさんの言っていたことは本当だったのですね……」
 店内で大声を出すミアと、悲しそうに呟くテレサ。ふたりを見て優斗は驚き、席を立った。
「え、テレサ? ミア? なんでここに……?」
 もちろん、リョーコが呼び出したのだ。「優ちゃんがナンパした子とデートしてる」という微妙に曲げられた情報を流して。
「優斗お兄ちゃんは僕と婚約しているんだから、デートをして良いのは僕だけなんだよ!!」
「いや、婚約って、それはちが……」
 しどろもどろな優斗を、ミアに続いてテレサも攻める。
「べ、別に私は優斗さんが私以外の女性とデートをして欲しくないって思っているとかそういうことではなくて、今日の勉強が済んでいないのに遊びに行ったから……注意して連れ戻さなければいけないと思って来たんですよ! 本当ですよ!!」
「テレサまで……。誤解です! 僕は傷心の女性を励まそうと、人助けの一環としてこうしているだけで……!」
「言い訳は聞きたくありません!」
 テレサが光条兵器を取り出し、殴ろうとする。慌ててかわす優斗だが、背後から鋭い視線を感じ振り返る。それは、式部のものだった。
「傷心って……? 別に傷ついてないんですけど。むしろお情けみたいな扱いを受けてたことに今傷ついたんですけど」
「あ、いや今のはそういう意味ではなくて……!」
 まさに四面楚歌の優斗。その後頭部にテレサの武器が当たり、優斗は気絶したままテレサとミアに運ばれていった。そんな一連の流れを見て、リョーコはひとり楽しそうに笑っていた。



 優斗たちが去った後、式部はひとりカフェに残りお茶の残りに口をつけていた。ぼんやり窓の外を眺めながら。
「ん……? あの黒くてウェーブがかった長い髪は……」
 たまたまカフェを通りがかり、それを見かけた五月葉 終夏(さつきば・おりが)は勢いよく店内に入り、式部のところへ駆け寄った。
「ルー、見つけたー!」
 後ろから声がかかり、式部が振り返る。終夏は「あ、あれ?」とその顔を見て短く声を発した。
「え、えっとごめん、人違いだったみたい。はぐれちゃった私のパートナーと髪型が似てたからつい」
 ははは、と苦笑しつつ、終夏は式部に頭を下げた。大丈夫、と手で返事をした式部。終夏は心の中で呟いた。
 あれ、なんだか、髪型だけじゃなくて雰囲気もちょっと似てるかも。
 終夏は式部の向かいの、空いている席に腰かけながら改めて彼女に話しかけた。
「ここ、いいかな? これも何かの縁だろうから、ちょっとお話しようよ」
 にっこりと微笑みかける終夏に、式部の警戒心も少し薄れたのかゆっくりと頷いた。
「へー、そうなんだ。自分のモテ具合を確かめたくて……」
 話し始めてから数十分。終夏は式部がここに来た理由を聞き、興味深そうにしていた。
「良い出会いがあるといいね。私も何か手伝えることがあったら手伝うよ?」
「ど、どうも……」
 遠慮がちに頭を下げる式部。終夏は彼女と話すのにいつの間にか夢中になり、はぐれたパートナーを探すことをすっかり失念していた。終夏がそれを思い出したのは、そのパートナーが彼女の前にやって来たからだった。
「お、おーちゃん、もう会えないかと思ったっ……」
 終夏を見るなりその手を掴み、ぶんぶんと振るルクリア・フィレンツァ(るくりあ・ふぃれんつぁ)
「わあ、ごめんルー! この人と話しこんじゃっててつい」
「あら……ど、どちら様で……?」
 手を式部の方に指し示す終夏と、軽く頭を下げる式部を見比べてルクリアが尋ねる。その後終夏が仲介ポジションとなり、それぞれの紹介を済ませた。
「ところでルー、どこ行ってたの?」
 一通り挨拶が終わり、終夏がルクリアに尋ねる。
「え、えっとあのね、ナ、ナットくんとミーナちゃんに会いたくて、写真を一緒に撮りたくて、それで探してたら……」
「はぐれちゃったんだね。でもアレ、そんな会いたくなるほど可愛かったかなあ……」
 終夏はルクリアの美的感覚を、一瞬疑った。
「ま、でもある意味そのお陰でこうして式部さんとも会えたんだしね!」
「し、式部じゃなくて源氏だけどね!」
 すぐさま式部の訂正が入り、終夏とルクリアは笑った。
「あら、おーちゃん、しーちゃん、アレ、何かしら……」
 和やかな会話の中、ルクリアが窓から見える景色にふと目を留めた。ふたりもその言葉に反応し、窓から下の景色を眺める。
「人だかりが出来てるね……ん? 誰か、歌ってる? ちょっと行ってみよう!」
 カフェを出ると、3人は上から見ていた場所へと向かった。そこはショッピングモールの開けた一角で、ちょっとしたスペースがあった。その場所には数十人の人だかりが出来ていて、中心には子供を抱きかかえて綺麗な声で歌を歌っているアズミラの姿があった。隣では氷雨も声を合わせている。
「私は探し続けるの たとえ今は見つからなくても いつか巡り合えるはずだから so I search fou you about 3 hours」
「……なんか最後の方の歌詞、ちょっと変だったね」
 それもそのはず、彼女たちは未だ見つからない迷子の親をどうにか探そうと、勝手にコンサートを開き人を集め、親に見つけてもらおうという目的で歌っていたのだから。歌詞にはこれまでの苦労や疲れがたっぷり込められていた。とはいえ、その叙情的な歌声が充分人々の注目を集めていたのも事実である。
「でも、なんだか楽しそう! 混じって演奏したいなあ。そうだ、式部さんもあそこで一緒にやろうよ! もしかしたら式部さんを見た誰かが、声をかけてくるかもしれないし!」
 言うが早いか、終夏はヴァイオリンをどこからともなく取り出し、アズミラの元へ向かうとアドリブで音を奏で出した。さらに盛り上がる観客。
「し、しーちゃん行かないの……?」
 その輪に入っていけずただ見ているだけの式部に、ルクリアが誘いかける。詩に自信はあっても歌には自信がないのか、遠慮がちに首を横に振る式部。それを見てルクリアは、ちょっと勘違いしてしまった。
 きっとしーちゃん、もっと刺激が欲しいのね。
 ルクリアは、後ろからそっと弱めの雷術を式部に放った。恋は電流のように体を走るって言うし、これで目覚めてくれれば一石二鳥よね、とルクリアは思った。何が一石二鳥なのかはよく分からないが。
 しかし、幸か不幸かその電流が式部に流れることはなかった。
「そこの黒髪美人、オレにいろいろのぞかせて……うおおっ!?」
 突然ルクリアと式部の間に割って入るように現れたアズミラの契約者、弥涼 総司(いすず・そうじ)が代わりに直撃を受けたからだった。
 昼頃にも別な女性をナンパしようとしたが軽くあしらわれた彼は、こうして収穫ゼロに終わった。なおこの後、偶然人だかりの中に親がいたことで無事迷子の子供は親元に保護されたのだった。
 臨時コンサートもその役目を終え、終夏と式部が別れの挨拶をして解散する一方で、アズミラは肩の荷が下りたとばかりにふうと一息吐いていた。そこに、氷雨がとてとてと歩いてくる。
「あの子、ちゃんと戻れて良かったね!」
「え? ああ、そうね、まさかあの歌で発見出来るとは思ってなかったけど」
 長時間の捜索とライブで疲れたのか、近くのソファーに座りこむアズミラ。しかし氷雨は、その手を取ってすぐに彼女を立ち上がらせた。
「じゃあ、次はボクのお買いものに付き合ってもらう番だね! 最初は雑貨屋さんに行きたいなぁ。ボクね、新しい髪飾りが欲しかったんだ!」
 そうだった。約束してたっけ。アズミラは思わず苦笑した。こんなに動いてもまだ元気な氷雨の姿、そしてこの子の頭にはどんな飾りが似合うのかをなんとなく想像した自分に。
「ほらほら、早く! その後は、ぬいぐるみを見て、おいしいお菓子を食べて、あとねー……」
 片方の手だけでは足りず、両手の指を折る氷雨。最終的に握りこぶしになったそれを氷雨は高々と上にあげ、明るく告げた。
「よーっし、しゅっぱーつ!」
 少し落ち始めた陽が影をつくり、倉庫の青い壁は微かに濃さを増していた。