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恋歌は乾かない

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chapter.7 熟れゆくも子に居座るも陽は沈み 


 みなとテラス。
 開けた中庭にはたくさんのイスとテーブルが無造作気味に配されており、訪れる者が気軽に腰を落ち着けることが出来るスペースとなっていた。

 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、パートナーのイオテス・サイフォード(いおてす・さいふぉーど)と優雅にシャンパンを飲み交わしていた。まだ辺りには、それほど人は多くない。
「どう? イオテス、貴方の来たがっていたみなとくうきょうは」
 目の前に座っているイオテスに、祥子が話を振った。イオテスは風で揺れるワンピースと麦わら帽子をそっと押さえながら、「とても楽しいです」と穏やかな笑顔を浮かべて返事をする。
「イルミンスールの精霊祭に行った時、初めて世界がこんなにも広く様々なモノに満ち溢れてると知りました。その時の気持ちに、ちょっと似ています」
 人間の世界をまだそこまで知らない精霊の彼女にとっては、目に映るもの全てが真新しく、刺激的なのだろう。
「……そういえば、イオテスと出会って半年以上経ったのね」
 祥子はイオテスの言葉で、つい昔を思い出した。人間と精霊の間でいざこざが起き、それでもどうにかふたつの種族が手を取り合えた時のことを。
「貴方と契約できて、本当に嬉しかった。せっかく出会えたのに、すぐに失われるかもしれなかった縁だけにね」
 そう口にした祥子は、シャンパングラスをじっと見つめている。たゆたう水面に、彼女は何を見ているのだろうか。
 くい、と口元に運んだそれを飲むと、祥子は静かに告げた。
「色んな相手とパートナー契約してきたけど、その中でもイオテスは特別なのよ」
「私にとっても、祥子さんは大切な契約者……いいえ、運命の人です」
 イオテスがその言葉に答える。祥子は目を細め、テーブルに置いてあったイオテスのシャンパングラスを自分の近くへ引き寄せた。
「……イオテス、もう少しこっちへ来たら?」
 少し驚いたイオテスだったが、彼女に言われるがまま素直にイスを隣へ持ってくる。肩が触れ合うか触れ合わないかのこの距離が、たまらなく愛しい。
 もっとそれを感じたくて、ふたりは互いにイスをくっつけた。
「祥子さん、もう一回、乾杯しませんか?」
「そうね、何に乾杯する?」
「それは、もちろん……」
 身を寄せ合っている自分たちに重ね合わせるように、グラスを合わせる。
 危険を共に乗り越え、守ってきたものがある。ずっと、ずっとそれを大切にしたい。祥子とイオテスはそんなことを思いながら、同じ風景を瞳に映していた。

 ビアガーデンの隅の方の席では、星渡 智宏(ほしわたり・ともひろ)がソフトドリンクを飲みながら、つまみをつついていた。自分の席の前を何組かの男女が通り過ぎるのを見て、智宏は小さく呟く。
「……カップル多いな」
 無論、ここがどういう場所かは彼も充分知っていた。しかし今日はひとり身のためのイベントだったはず……。智宏は今日見てきた男女が、やけに仲良さそうにしている様子に違和感を覚えていた。ナンパで今日出会ったばかりなら、もっとぎこちなさがあるのでは。
「まあ、うまいことやったのかもな。別に、羨ましくもないけど」
 ドリンクを一気に飲み干す。心なしか、結婚式の二次会で同僚を酒の肴にしているサラリーマンとダブって見えなくもない。追加でドリンクを注文した智宏は、ふと斜め向かいの席にひとりで座っている女性を見かけた。
「ひとりの女性もいるんだな。せっかくのイベントだし、声かけてみるのも悪くないか」
 二杯目のドリンクを店員から受け取ると、智宏はそれを持って女性の元へと出向いた。
「誰かをお待ちですか?」
 声をかけられた女性はおもむろに振り返る。それは、サイクリングロードでナンパされていた魔姫だった。
 彼女はあの後目的地の青レンガ倉庫に着いたものの、特に出会いもなく、無意味に歩き回ったせいで疲れてしまい、ここで体を休めていたのだ。
「……何言ってるの? 疲れたから休んでるだけ」
 疲労のせいもあって、そっけなく答える魔姫に智宏は爽やかな笑顔で会話を続けようとした。
「失礼、カップルが多いから、てっきり待ち合わせているのかと。お酒は飲まないんですか?」
「気分的には飲みたいけどね。でも疲れてるし」
 昼間サイクリングロードで変な人にナンパされたことを思い出し、魔姫は溜め息を吐いた。
「……何があったか分かりませんけど、俺でよかったら話聞きますよ?」
 自分よりも他人の話を優先させようとする智宏の大人びた振舞いに、魔姫はいつの間にか自然と言葉を交わしていた。
「随分大人っぽのね」
 ある程度会話が落ち着いたところで、魔姫が言った。
「まあ、学生じゃないですからね」
「あら、そうだったの? 通りで……」
 言いかけて、魔姫の言葉が止まる。智宏が、眼鏡を外してネクタイを緩めていた。
「ん?」
 自分をじっと眺めている彼女を、不思議そうに智宏は見つめ返した。
「どうかしました?」
「いいえ、なんでも」
 自分でもすっかり忘れていた。落ち着いた、大人な男性が好みであることを。
「ふうん。まあ、飲みましょうか」
 何杯目かのドリンクを、智宏が喉に流す。彼の中へ液体が入っていくように、魔姫の内側へも柔らかいなにかが入っていた。普段はもっと高飛車な彼女が大人しめなのは、きっとそれのせいだ。

 彼らのように静かに、大人な会話を楽しんでいる者もいれば逆に子供らしい、恋にはまだ遠い会話をしている者もいた。
 蒼澄 雪香(あおすみ・せつか)は、ぶらぶらとテラスを歩いている時に妙にテンションが低めな少年を見かけて、気になるあまり声をかけてみた。ぱっと見、自分と同じくらいの歳の子だ。
「なんだか元気なさそうですけど、どうかしたんですか?」
 話しかけられたのは、青レンガ倉庫方面からやってきた榛原 勇(はいばら・ゆう)だった。勇は一瞬びくっとしたが、相手の歳や背が自分と近そうで、まともそうな雰囲気だと判別するとゆっくりと口を開いた。
「いえ、さっき青レンガの方で変な女のひとに絡まれてしまって……絡まれたというか、かつあげされたというか」
「ええっ!? かつあげ? 被害届は出してないんですか!?」
「あ、でも食べ物と交通費くらいだけなので、そんな大した額では……」
「そんな! 犯罪は犯罪よ! ちょっと従業員を呼んで……」
「わあっ、大丈夫です! いいんですもう!」
 雪香が近くにいた従業員のところに走り出そうとする。それを勇が、慌てて止めた。もう終わったことを、そんな大事にはしたくなかったのだろう。
「……でも、せっかく来たのに、楽しい思い出のひとつもつくらないまま帰るの、嫌じゃないですか?」
「それは……たしかに、友達ができたらなあ、ってくらいは思ってましたけど……」
 勇のそんな言葉を聞き、雪香の表情がぱあっと明るくなった。
「ほんと!? 私も友達増やそうと思ってここに来たの!」
 じゃあ、と雪香は近くのイスに座って、同じテーブルに座るよう勇に仕草を送った。誘われるがまま、勇がそこに腰かける。
「ここで、楽しい思い出つくろ? あと、友達も!」
 にっこりと微笑みかける雪香。それは、名前をそのまま表しているかのように純粋で何にも染まっていない笑顔だった。勇は、なんとなく思った。
 もし雪に匂いがあったら、すごくいい香りなのかなあ。
 そのままふたりは、ドリンクを飲みながら楽しく会話を続けた。雪香がおどけて言う。
「もう敬語じゃなくていいのよ?」
 困った顔でお茶を濁す勇。雪香の言葉は、既にもう大分砕けていた。
「が、頑張ってみます……」
「ほら、また敬語」
 そんなやり取りがおかしくて、ふたりは笑った。
 恋というには幼すぎる空気。けれど、勇も雪香も、今はその空気が心地良かった。

「なんてもどかしいんだ……あのくらいの歳の子供ってのは、大体あんな感じなのか?」
「ふふー、予期していなかった出会いにときめいている男女。でもまだ慣れないふたりの間。これが一番見ていて面白いのでござるよ」
 カモフラージュや隠れ身を使って自身の姿を周りから見えにくくし、ひそひそ声で勇と雪香のやりとりを見ていたのは閃崎 静麻(せんざき・しずま)とパートナーの服部 保長(はっとり・やすなが)だった。
 静麻はこの施設に似つかわしくない、スナイパーライフルを構えている。
「お、静麻殿、いよいよやるでござるか?」
 保長がやたらわくわくしながら言う。
「こういうのにハプニングってのは必要だろうからな。ま、最悪失敗しても後で話のタネにでもするさ」
 そう言って静麻は、雪香のいる方向に銃口を向けた。銃声がほとんど鳴らないタイプの銃。そこから、一発の弾が放たれた。
「わっ!?」
 直後、雪香が大きな声を上げてのけぞった。見事命中である。
 ――と言っても、もちろん雪香に弾が当たったわけではない。静麻が狙ったのは、彼女の飲んでいたジュースが入ったグラスだった。当然割れたグラスからは中身が飛び散り、雪香の服に軽くかかってしまった。
「な、なんでいきなりグラスが割れたの? っていうか服がっ……!」
 勇は慌てて服の染みを拭いてあげようとするが、こんな時に限ってハンカチもタオルも持ってきていなかった。と、奇跡的な場所とタイミングで、彼の背後にハンカチがぽとりと落ちていた。しかも、ご丁寧に地面で汚れないよう袋で包装までされていた。
「と、とりあえずこれで染みが残らないように拭いてください!」
 迷わずそれを取り、雪香に渡す勇。雪香は備えの良い勇に感心しつつ、服の汚れてしまった部分をハンカチで拭きとった。
「ありがとう、えっと、これ、洗って返すね!」
 それでも友達という意識に変化はないが、よりふたりが仲良くなるきっかけになったのは確かだった。
「うまくいったみたいだな」
「ハンカチを置いてくる時、見つからないかひやひやしたでござるよ」
 ふたりのところから戻ってきた保長が、静麻に答えた。もうお分かりの通り、先ほどのハンカチは保長がさりげなく勇のそばに置いたものだった。
「しかしあのふたり、どうやら今は恋愛まで気持ちを進める気はないようでござるよ?」
「なんだ……そうなのか?」
「雰囲気が、そんな感じでござったな」
 保長の報告を聞いた静麻は、参ったな、といった様子で軽く頭を掻いた。
「ピエロ役を狙ったつもりが、それ自体がピエロだったってことか」
「それもまた一興でござるよ」
 苦笑いを浮かべてそんな言葉を交わしつつ、静麻と保長は静かにその場を離れていった。



 暑さはピークの時間帯を越え、陽も沈みかけてきた頃。
 夜の気配が近づいてくるのを待ってましたと言わんばかりに、意識を周囲に張り巡らせている女性がいた。秋葉 つかさ(あきば・つかさ)と、もうひとりは天津 のどか(あまつ・のどか)だ。
 既に何杯かお酒を飲んでいるつかさは、自分にねっとりと絡んでくるような視線を感じていた。それを辿った先にいたのが、のどかである。一方ののどかも、つかさのとろんとした目と火照った顔を見るとぞくりと震えるものを覚えた。
 最初はある程度離れたところに座っていたふたりだったが、どちらからともなく近づくと、ふたりはテラスの中央で相まみえた。
「ふふ、あなた様の視線、体の隅々まで触られているようで気持ちよかったですよ?」
 つかさがつう、とのどかの顎に手を当てて言うと、のどかも負けじとつかさの髪を撫でながら言う。
「あなたのその表情だって、媚薬のように染み込んできてますよ?」
 のどかはそのままつかさを手を引くと、みなと公園の方へと連れ出す。
「ここの公園、夜になると蛍が出て綺麗なんだそうです」
「あら、それはそれは……」
 つかさがその腕に柔らかい感触を覚える。のどかが、ぎゅっと胸を押し付けていた。
「でもまだ、蛍が出てくるにはちょっと早いかもですねー」
「それは、誘ってるんですか?」
 つかさの甘い言葉に、のどかは挑戦的な笑みを浮かべた。
「とりあえず、あっちの茂みで休みましょうか」
 テラスで見つめ合っていた時から、お互いに何か感じとるものがあったのだろう。
 これで伝わりますよね? そう間接的に問いかけているようなのどかの言葉に、つかさは艶のある声で返事をした。
「面白い方ですね、ふふっ……」
 夕日を浴びた草木は赤く、扇情的にすら思える。さわさわと耳に届く風の音に混じって、しゅる、と衣服を脱ぐ音が聞こえた。
「さあ、全て脱いで温もりを貪りあいましょう……」
 のどかの顔が、ぐいっとつかさに迫る。その時だった。
 つかさは近くに数人の気配を感じ、咄嗟にのどかの唇を指で塞いだ。
「……? どうかしました?」
「あちらの方に、誰かいるみたいですよ」
「私は構いませんよ? 誰に見つかっても」
「ふふ、私も露出系は臨むところですが……もし警備の方だとしたら、後々困ることになるかもしれませんし」
 ふたりはひとまず乱れた服を整え、茂みから近づく気配を確認することにしたようだ。が、直後、つかさはそこにいた思わぬ人物の思わぬ行動に茂みから声を漏らしてしまった。
「未沙様!?」
 そう、そこにいたのはつかさの知人である朝野 未沙(あさの・みさ)だった。未沙はどういうわけか、3人のパートナー朝野 未羅(あさの・みら)朝野 未那(あさの・みな)孫 尚香(そん・しょうこう)たちと折り畳み式のテーブルを囲んで麻雀をしていた。いくらつかさでも、まさかこの施設で麻雀をしている者がいようとは夢にも思っていなかった。そういう場所ではないのだから、当然である。
「あっ、つかささん! ちょうどいいとこに! ねえ、麻雀やろうよ!」
「……何を言ってるんですか? この人は。お知り合いですか?」
 のどかが呆気にとられて隣のつかさに聞く。つかさは一言で簡潔に答えた。
「ヤバい方です」
 彼女がやばいというからには、よっぽどである。
「あっ、未羅ちゃんまだツモっちゃだめですぅ。今姉さんの番なのですぅ」
「えっ、あっ……未那お姉ちゃん、またやっちゃったの。なんだかこれの数も多い気がするの」
「あら未羅、それ多牌ね。仕方ない、戻しちゃいなよ」
 未沙がつかさを勧誘している間にも、後ろで3人はわいわいとはしゃいでいる。
「すみませんが、私たちやることがありますので……」
 すごすごとその場から去ろうとするつかさとのどかだったが、未沙はふたりの着衣の乱れを見逃さなかった。彼女の甘い一言が、ふたりに降りかかる。
「振り込んだら一枚脱ぐっていう、脱衣麻雀なんだけどなあ」
 ピタ、とふたりの足が止まった。未沙は彼女たちの心の揺れを察し、勝ち誇ったような顔で卓に座りなおした。
「待っててふたりとも、今ちょうどオーラスだから!」
 未沙が手牌をさっと整え直すと、同卓している3人に告げた。
「みんな、この局はノーゲームよ」
「えっ?」
 声を揃えて不満そうに言う未羅、未那、尚香。
「いいから手牌を開けてみてよ。3人とも、もらったあ! って顔してるよ」
 未羅が手牌を倒す。
 暗刻が手牌で3つ出来あがっており、残りは2対子……ツモり四暗刻だった。
 未那も続けて手牌を倒す。
 萬子だけで構成された13枚のそれは1から9まで綺麗に組み込まれた平和に一気通貫付きの清一色だった。
 最後に手牌を倒した尚香に至っては、国士無双を一筒で待っていた。
「わあ、みんなすごい綺麗な手なの」
 未羅の言葉の後、未沙が手を晒す。それは何の役もない、ただのペン三索待ち聴牌だった。
「姉さんずるいですぅ。みんなの手が高いと思って、あがられないためにノーゲームですかぁ?」
「つかささん! それと、そちらの可愛い女の子!」
 未沙が、山に手を伸ばす。そして、手元に勢いよく牌を引き寄せた。それは、三索だった。
「麻雀は、いやらしいことにフタをして、どれだけ牌に魂を注ぎこめるかよっ!」
 まあ、脱衣麻雀の時点で全然フタは出来ていないのだが。
 この後つかさとのどかは半ば強引に卓につかされ、夜まで麻雀をさせられたという。
 もっとも、振り込む度に服を脱いだり脱がせたり出来るので案外嫌々というわけでもなかったようだ。
「あっ、それロン!」
 暗くなった空に、黄色い声が響いていた。