天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

蝉時雨の夜に

リアクション公開中!

蝉時雨の夜に

リアクション

「ニセモノか。ふーん…おっもしれぇ、全力で相手してやんよ!」
 蝉を伴い、正面に立ち塞がるパートナーの幻影。それが偽物であると気付いたウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)は、威勢よく手を打ち鳴らした。早速とばかりに放たれた闇術が偽物のヨヤ・エレイソン(よや・えれいそん)へ纏わり付き、その動きを止める。嬉々として距離を取るウィルネストの頭に、聞き慣れた声が響いた。
『……成程、偽のウィルか』
 低く呟かれたヨヤの言葉に、ウィルネストは何とは無しに背筋が冷えるのを感じる。
「ヨヤさーん?」
『偽物ならまあ、死ぬまで殴っても問題ないだろう』
 恐る恐る呼び掛けた声が届いているのかいないのか、一人納得したように淡々と呟くヨヤに、ウィルネストは今度こそぞっと寒気が走ったように感じた。それと同時に、纏わり付く闇を振り払ったヨヤの偽物が動き出すのが目に映る。
「【その身を蝕む妄執】! ってあー、効かねーのか」
 幻影に幻影は効かないのか、ヨヤの偽物はウィルネストの放つ技に応えた様子も無く距離を詰めようと駆け寄ってくる。身軽に飛び退いたウィルネストは、不意に耳に届くヨヤの満足げな吐息の音に目を瞬かせる。
「……よ、ヨヤさん?」
『どうした、ウィル。偽物はもう倒したのか?』
 何処か爽やかな声音で問い掛けるヨヤはと言えば、素早く偽ウィルネストの懐へ潜り込み、連続で【鳳凰の拳】を振るい続けていた。右、左、右、左、休む間もなくぼかぼかぼかぼかと打撃音が響き、その度にまるでサンドバッグのように偽ウィルネストの頭は左右に揺れていた。
「いや、何かすげー嫌な感じがするんだけ、ど!」
 ウィルネストの元には打撃音こそ聞こえないものの、代わりとばかりに時折ヨヤの愉しげな笑声が響いた。冷や汗を垂らしたウィルネストは笑みを引き攣らせ、言い放つと同時に偽ヨヤに向け火術を放つ。
『気のせいだろう。それよりも、この怪奇現象を何とかしなければな』
 ぼかぼかぼかぼか。
 偽ウィルネストに馬乗りになって、ヨヤはひたすら打撃を加え続ける。やがて偽ウィルネストが消滅した頃には、彼の表情にはすっきりとした笑みが浮かんでいた。


『……今の光景も、幻覚なのでしょうか』
 走り逃げる途中にヨヤの戦闘、否暴行に近いそれを目撃したヴラドは、呆気に取られて呟いた。殴られている偽物らしき存在は見覚えのある姿をしていたが、一切の躊躇なくかえって清々しいまでに拳を振るうヨヤの姿は、ヴラドの理解を超えたものであったらしい。
『どうなんだろうね……』
 並走するクリスティーも苦笑いを浮かべ、首を傾げた。
 そんな彼らの進む先から、不意に大きく声が響く。


『てめー! 目の前の格好いいお兄さんが本物じゃないからってフルボッコとかひどいじゃねーかっ』
 不満げに叫んだマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)はしかし、言葉とは裏腹に真剣な面持ちでパートナーの偽物の出方を窺うと、手足を絡め取ろうと伸ばされる蜘蛛糸を素早く回避した。
「偽物なら、本気で倒しても構わないでしょう?」
 沢渡 真言(さわたり・まこと)は頭に響くマーリンの声に反論しつつも、いまいち攻撃のきっかけを掴めずにいた。偽物であると分かっていても、幻影はマーリンの姿をしているのだ。罪悪感が首を擡げ、どうしても攻撃に移れずにいる。
『ちくしょう見てろよ、こっちだって……決して口には出せないあんな事やこんな事をしてやるっ』
 そんな真言の葛藤を知ってか知らずか、彼女の頭の中には調子のよいマーリンの言葉が響き続ける。
『ったく、こう、もうちょっと相手にしてやりたくなるような体つきにだな……』
 めくらましのファイアストームと共に発されたマーリンの溜息に、真言の眉がぴくりと跳ねる。偽物のマーリンの攻撃をかわし続けていた真言の蜘蛛糸は、次の瞬間しっかりと彼の姿を捕らえていた。
「……少しでも申し訳ないと思ったのが間違いでした。偽物ですから、本気で倒させてもらっても、構いませんよね……」
『……おーい?』
 低く口にされた呟きに、マーリンは続けようとした軽口を寸でのところで呑み込む。
「それは酷い拷問的にでも、構いませんよね」
 今度こそ躊躇い無く言い放った真言は、容赦無く蜘蛛糸を締め上げた。悶える偽のマーリンからはやはり目を伏せつつ暫し引き絞るよう力を込めていると、不意に絡むものを失った糸が手元へと戻る。それを確認した真言がようやく顔を上げると、そこにマーリンの姿は無くなっていた。
「マーリン、聞こえますか?」
『お? なんだ、お兄さんを慰める気になったか?』
 真言の呼び掛けに、すぐに軽い調子の言葉が返る。真言は呆れた様子で小さく肩を竦めると、「あなたの偽物、蜘蛛糸で締め上げてしっかり倒しました」と報告した。
『……おまえ、もし俺が本物だったら……とか、考えなかったのか?』
 躊躇いがちな様子であった真言をけしかけたのはマーリンだが、流石にその容赦無い方法を聞くと背筋にぞくりと悪寒が走る。僅かに引き攣ったマーリンの声に、真言は薄く笑みを覗かせた。
「目の前のあなたが偽物であることくらい、分かりますよ」
 その言葉と同時、マーリンは目の前の偽物へと氷術を放った。逃れる間もなく氷付けになるかと思われた幻影は、しかしその途中で砕けるように光の粒子へと変わっていく。どこか幻想的なその光景を眺めながら、マーリンは擽ったそうに喉を鳴らした。


『すみませんそんなに不満だったなんて気付かなかったんです! 本気で怒ってるならちゃんと向き合いますから! だから鞭! 鞭下ろして下さい!』
 ぴょんぴょんと跳ねるように駆けていくアレフティナ・ストルイピン(あれふてぃな・すとるいぴん)の悲鳴が、辺り一帯に響き渡る。その後を追うスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)の手には、仕置きの鞭がしっかりと握られていた。
「だから、偽物だからさっさと蜂の巣にしてしまえと言っているだろうストルイピン!」
 何処か苛立たしげに言葉を投げるスレヴィもまた、機関銃を向けるウサギ、といった何処か異様なパートナーの偽物へと容赦なく鞭を振るっていた。喧嘩はあっても武器を用いての喧嘩に発展した事は無い、その思いの元振り下ろした鞭が偽物を捉えたところで矢張り痛みを訴える声が上がる事もなく、内心で安堵を覚えた矢先のことだった。
『本物にしか見えませんよ! ほら見て下さい、あの邪悪な笑み! 本物に違いありません! いえ、むしろ本物と変わりません!』
「何だと? ……去れや無礼者が!」
 アレフティナの必死の主張に不満げに問い返した直後、隙有りとばかりに襲い掛かる偽物へ、スレヴィは鞭を打ち付ける。日頃からかっているパートナーの事を、口にこそ出さないものの、スレヴィは気に入っていた。その偽物が現れ、スレヴィに攻撃を仕掛けたとたというのだから、苛立ちも当然のものだった。
 しかし仕置きとばかりに発された声も無論、アレフティナの元へ届くわけで。
『ほら! ごめんなさい落ち着いて下さい!』
「違う、いいからとっととブッ殺せ! 早くしないとアンタの弁当全部食うからな!」
 常日頃の態度が祟ったか、戸惑うアレフティナに声を荒げたスレヴィは、背負う荷物の存在を告げた。夏休みの自由課題のため、アレフティナの提案で蝉取りに来ていた彼らは、しっかりと弁当を用意してきていたのだ。
 その言葉に、アレフティナが目の色を変えた。
『お弁当を食べちゃうですって!? ダメです! 私のお弁当、返してくださーい!』
 言うや否や駆け出すと、もふもふとしたその身体で勢いよくタックルを仕掛ける。あくまで普段の喧嘩と余り区別の付いていないアレフティナは、偽のスレヴィへ馬乗りになると、ぽこぽこと彼の頬を殴り付け始めた。戸惑った様子で抵抗をしない偽物へ振り下ろした拳が、不意に空を切る。
『……あれ? スレヴィさん? どこ行っちゃったんですか、私のお弁当ー!』
 偽物を倒した事に気付かないアレフティナは、慌てたように叫ぶと、存在しないパートナーの姿を探して駆け出した。
「……まあ、良いか」
 ほぼ同時にスレヴィの目の前で鞭をくらい続けていた偽物も消滅し、恐らく彼もまた同じように偽物を倒したのだろうと予測して、スレヴィは疲れたように溜息を吐き出した。



 一切の躊躇いも無く振り抜かれた妖刀村雨丸が、幻影の首を刎ね飛ばす。幻影は胴と頭とが別れを告げた瞬間にその断面から光の粒へと変わっていき、やがて名残も残さずにフィアナ・コルト(ふぃあな・こると)の視界から消え去った。それを完全に確認したフィアナは、そこでようやく口を開く。
『……なぶら、そちらは如何ですか?』
「大丈夫、問題無いよ」
 掲げた剣でフィアナの刀を受け、隙を探るよう守りに徹する。防戦一方かと思われた相田 なぶら(あいだ・なぶら)は、そんな状況とは裏腹に余裕の滲む声で答えた。
(フィアナは攻撃は強いけど、その反面防御は紙同然。特に光輝属性に対しては絶望的な弱さだ)
 しかし動きの素早い彼女を飛ばせる訳にはいかない。そこまで考えた直後、なぶらに好機が訪れた。焦れたかのようにやや過剰に振り被られたフィアナの刃が、真っ直ぐになぶらへと振り下ろされる。
(本物のフィアナなら、こんな隙は見せないだろうけど)
 小さく笑うなぶらの心中には、フィアナへの信頼と、それ故に彼女を乗り越えて見せたいとの思いがあった。魔法を面倒くさがりながらも地道に鍛錬を積んできた今こそ、彼女にそれを示す時だと。
 盾の代わりに片手に収めたソードブレイカーが煌めき、隙だらけの偽物の刀を弾き飛ばす。懐へ潜り込んでしまえばこちらのもの、零距離のその位置から、なぶらは魔法を叩き込んだ。
「バニッシュ!」
 直にそれを受けた幻影が、魔法の当たった腹部から緩やかに闇へと溶けていく。静かにそれを見送りながら、なぶらは得意げに口を開いた。
「俺だって、いつまでも魔法を使えないままじゃないよ」
『……そのようですね』
 柔らかな声音での同意が入り、なぶらは満足げに目を細める。そんな彼の瞳に、不意に紅蓮が映り込んだ。

「遠慮する必要はない、とは言いましたが……流石に輝夜さんの偽者、厄介ですねえ」
 放ったファイアストームをフォースフィールドに防がれたエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)は、嘆息交じりに呟いた。頭の中では、パートナーである緋王 輝夜(ひおう・かぐや)の『うわああ、ちょ、ちょっと! 本気のエルにあたしが一人で勝てるわけ無いじゃん!』といった悲鳴めいた声が響いている。苦戦しているのだろうかと、思いながらも手助けをする術は無い。自分が手を抜いたところで自分の偽物が弱体化する保証も無いのだから、エッツェルとしては早々に目の前の偽物を倒す他に無かった。
「……、と?」
 禍心のカーマインから放たれる銃弾を器用にバックラーで受け止めたエッツェルは、ふとおかしな存在に気付いた。偽物の傍らに絶えず付き従う蝉、そんなものを飼い始めたと聞いた覚えはない。
「所詮は虫……ですかね。やってみる価値はありますか」
 再び放たれたファイアストームは、やはりフォースフィールドの表面を舐めるのみに終わる。かと思われた次の瞬間、弾かれた火の粉がまるでそうなることを見越したかのように、蝉の姿を捉えた。
 火の着いた蝉は、悶える事も無くぽとりと地に落ちると、取り巻く火炎に呑まれ亡骸も残さずに消えていく。蝉が完全に消滅するのと同時に、エッツェルの読み通り、パートナーの偽物は一瞬にして消え去った。
「輝夜さん、蝉を倒せば偽物は消えるようですよ」
『そんな隙ないよ! わ、悪いけど巻き込んじゃうよ! 一人じゃ無理!!』
『……お困りのようですね』
 その声は、警戒を続けていたフィアナの耳に届いた。直後放たれたファイアストームを、アルティマ・トゥーレの冷気を纏った彼女の刃が弾き飛ばす。
「フィアナ、大丈夫か?」
『問題ありません。協力して片付けます』
「済みません、パートナーがお世話になっているようですね」
 そこへ、輝夜の言葉から大体の状況を把握したエッツェルが、なぶらの元へと歩み寄った。パートナーたちの世界で起こっている戦闘を目にすることはできないものの、互いのパートナーの発する言葉から、ある程度推測はできた。
「どうやら幻影は、蝉を倒すと消えるようですよ」
「蝉……? フィアナ、蝉を狙ってくれ」
 エッツェルのアドバイスになぶらはすぐに頷き、フィアナへと指示を告げる。見えないものと知りながら頷いたフィアナは、『私が隙を作ります』と輝夜へ告げると、バーストダッシュで一気に偽のエッツェルへと斬りかかって行った。
『え、……あ! 【カタクリズム】!』
 戸惑いを露に視線を彷徨わせた輝夜は、思い出したように声を上げた。それを切っ掛けに荒れ狂うサイコキネシスが石を岩を浮かせ、器用に味方を避けて飛び回る石片の一つが、見事に蝉へと直撃する。
 ジジジ、と羽音を立てた蝉は、それを最後にぽとりと落下した。フィアナの一撃を剣で受け止め、反撃の姿勢を見せていたエッツェルの偽物も、まるで元から何も無かったかのように跡形も無く消滅する。
『……はあ……助けてくれてありがとう』
『いえ、ご無事で何よりです』
 一仕事終えたパートナーたちの声に、エッツェルとなぶらも戦闘の終結を悟った。彼らの間に安堵が広がりかけた刹那、ふと聞き覚えのある声が届いた。

「あやつが俺を襲ってくるなど、まず有り得ん。幻影の選択を間違えたな」
 ジークフリート・ベルンハルト(じーくふりーと・べるんはると)は、居丈高に言い放つと、おもむろに背後へと氷術を放った。彼の読み通り、正に隠れ身からの不意打ちを狙った偽物のパートナーが、四肢に纏わり付く氷に動きを阻まれ立ち尽くす。
「つまりここは悪しき夢の世界……魔法を名乗る俺が、悪夢になど負ける訳にはいかぬ」
 悠然として告げるジークフリートは、立て続けに雷術を発動した。身動きがまともに取れないまま雷を浴びた偽物の動きが一層鈍り、そこへジークフリートが素早く距離を詰める。
 鋭い牙を立て、【吸精幻夜】で血を吸い上げる。彼の目論見通りとはいかず、蝉の魂を探る事は叶わなかったが、口内へ広がる偽物の血液からは、何とは無しに寂しげな味が広がった。それも通常の血液のように糧となる事は無く、すぐに霧散してしまう。
「……蝉よ、安心するが良い。この一夏確かに生きたお前たちの想いと生き様はこの魔王の胸に留めておこう」
 はっきりと紡ぎだされた言葉と共に、放たれたサンダーブラストの一撃が幻影を貫く。静かに消えていく幻影から逸らされた青の双眸に、見覚えのある二人の影が映った。
「お前たちも来ていたのか」
 なぶらとエッツェルを見留めたジークフリートが驚いたように呟くと同時、その声にかぶさるように、彼の脳内で声が響いた。
『あ、魔王様がいる……って、待って魔王様! お仕置きですか? ち、ちょっと嬉しいです……』
 戸惑いながらも照れたように紡がれるシオン・ブランシュ(しおん・ぶらんしゅ)の言葉に、ジークフリートは肩を竦めた。
「違う、それは俺の偽物だ。倒せ、シオン」
『魔王様! じゃああの魔王様は偽物なんですね! ……と言われても、魔王様を攻撃するなんて……』
『あの蝉を倒せば、偽物は消えるよ!』
『蝉? あ、あいつが原因なんだね! ありがとう、絶対に許さない』
 躊躇うようなシオンの言葉にジークフリートが説得を重ねるよりも早く、何やら納得したようなシオンの声が再度脳内へと響いた。訝しげに首を捻るジークフリートへ、エッツェルが説明を添える。
「どうやら、私たちのパートナーがシオンさんの近くにいるようですよ」
「そうなのか。それにしても、ここは一体……?」
 改めて疑問気に周囲へと視線を巡らせ、ジークフリートは呟いた。なぶらも疑問気に首を傾げ、「何だろうね」と肩を竦める。
『魔王様への絶対の忠誠心! 見せてやるー!』
 その間にも、シオンの放った雷術は真っ直ぐに蝉を貫いていた。幻影が消えた瞬間、ジークフリートはぴくりと双眸を細める。
「……僅かながら、闇が薄れたな」
「……言われてみれば、そのようですね」
 エッツェルも同意を示し、なぶらも首肯を返す。緩慢に夜明けを目指すかのように、ほんの僅か薄れた夜闇を見上げ、三人は今後の方針を話し合い始めた。