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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

リアクション

「偽物ってことはつまり、好きにボコっても良いってことだよな?」
 あてもなく闇を歩む間に状況を把握していた比賀 一(ひが・はじめ)は、彼のパートナーであるハーヴェイン・アウグスト(はーべいん・あうぐすと)の偽物が現れたところで、欠片も動揺することなく言い放った。
 虚勢や強がりといった類では一切ない事は、気負いなく構えられたライフルに現れている。その声を聞いたハーヴェインは、見えないと知りながらも呆れたように肩を竦めた。
『よくもまあ本人に丸聞こえの状況で、堂々と言えたもんだな』
「別にいいだろ、偽物なんだしよ。丁度退屈してたところだし、ヒゲをぶちのめせるいい機会だろ?」
『だからそれをよくも……まあ、いい』
 事も無げな一の様子に皮肉を諦め、ハーヴェインは己の前に立つ偽の一へと目を向けた。銃口を向けるその姿は、今の会話の後では本物と何ら差がないようにすら思えた。
『しかし本物じゃないとはいえ、“俺”がやられるってのは愉快じゃねぇな』
「お互い様だろ、折角だから選ばせてやるよ。派手に爆発する? それとも蜂の巣が御所望か? っと……遅かったか。案外脆いのな」
 戯けた言葉の途中で放たれた一の弾丸が、まさに彼へ迫ろうとした偽物の胸を正確に撃ち抜く。斧を振るう間もなく崩れ落ちるパートナーの姿をした偽物を何の感慨も無く眺めながら、一は欠伸を零した。
「そっちはどうだよ、ヒゲ」
『とっくに終わってるぜ』
 同じく躊躇いも無く偽物を切り裂いた斧を肩に担ぎ、ハーヴェインは軽い声音で返した。そしてほぼ同時に、二人は周囲を見回し始める。
「何も起こらねぇな。……他の連中に手貸してみるか」
『そうだな、こんな所にいつまでもいるのは御免だ』
 またも同時に肩を竦めて、二人はそれぞれの世界を歩み始めた。

「では、やるしかないみたいですね」
 武器を翳すパートナーを前に状況を把握した神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)は、マイペースな口調でそう言い切った。
『ああ、こんな悪夢はさっさと終わらせるに限るな』
 レイス・アデレイド(れいす・あでれいど)も溜息交じりに同意を返し、二人はそれぞれに武器を構えた。狙うべき対象も、翡翠は既に知っている。蝉を狙えばいいのだ。レイスの攻撃を避けながら。――それは、容易い事ではなかったが。
 油断していた訳ではなかった。ただ一瞬、好機が訪れたのだ。蝉ではなく、レイス本人を狙いこの引き金を引けば――銃を構える翡翠は、しかしそこで躊躇ってしまった。レイス本人を傷付ける事は、彼にはどうしても出来なかった。
「……あ」
 状況は一瞬にしてひっくり返る。辛うじて単音を零した翡翠が最後に目にしたのは、痛みも無く己の身体を貫くレイスの剣だった。
『おい、翡翠!?』
 僅か一音を残して声の途切れた翡翠に、レイスも平静を欠いた。隙を探りつつ行っていた回避行動が、ほんの一瞬遅れる。それは彼にとって、致命的な一瞬となった。
『っち……!』
 放たれた弾丸が、やはり痛みも無くレイスを襲う。悔しげな声を残し、レイスの意識もまた、ふつりと途切れた。

「……ああいうのが、蝉の狙いだったのかね」
 本体を倒した偽物が気を抜いた瞬間、一の手元で銃声が轟いた。緩やかに崩れ落ちるレイスの偽物を眺めながら、一はふと呟きを落とす。
『どういうのかは知らねぇが、少なくとも俺たちのようなのは想定しちゃいないだろうよ』
 呆れたように返すハーヴェインの斧もまた、翡翠の偽物を切り裂いていた。ヒールが間に合わなかったことを内心で悔むハーヴェインは、「そうだろうな」と納得したような一の声を傍らに、ふと空を仰いだ。
 先程よりも明るさを増しているように思える空。それが何を示しているのか、今の彼らに知る術はなかった。



「その顔で貴様みたいなのが存在しているのは目障りだ。消えろ」
 低く呟いた如月 正悟(きさらぎ・しょうご)の刃が、容赦無い一太刀で偽物を切り捨てる。苛立たしげに周囲を見回すと、刀を片手に携えたまま、正悟は歩き始める。
「OK、取り合えず。どういう理由かは分からないけど、蝉の居る方を潰して回るか……まったくクソみたいな演出しやがって」
『偽者のあなたには負けてあげれないの。ここで終わらせてあげるから消えなさい!』
 憤りを露にした正悟の呟きに被さるように、エミリア・パージカル(えみりあ・ぱーじかる)が声を上げる。想像以上の偽物の強さに苦戦しながらもなんとかそれを倒したエミリアは、ふう、と深く吐息を零した。
『危なかった……。本物に殺されるならともかく、偽者にやられるわけにはいかないわ』
 エミリアの言葉に頷いた正悟の双眸が、すっと鋭さを増す。彼の視線の先では、源 鉄心(みなもと・てっしん)が一心に偽物の攻撃を回避していた。探るような彼の視線は、慎重にパートナーの偽物へと注がれ続けている。
『イヤだイヤだ。こんなのはイヤです……鉄心? ……ねぇ、どうしてこたえてくれないっ!!』
 彼の頭の中では、動揺に染まったティー・ティー(てぃー・てぃー)の声が絶えず響き続けていた。目の前の偽物を斬れと、一声言い放ったのを最後に、鉄心は黙ったまま彼女の言葉を聞き流している。その彼の視線が、静かに蝉へと向けられた。
(傷付く危険度の高い偽物が本体である可能性は、低い……なら)
 傍らに漂う、異様な生物。やるしかない、そう決めた鉄心は隠れていた物陰から躍り出ると、回避や防御は二の次に、真っ直ぐ蝉へ向けて雷術を放った。
 彼の読み通り、蝉を失ったまやかしは跡形も残さずに消えていく。はっと瞳を丸めると、鉄心は焦ったように姿の見えないティーへ向けて語り掛けた。
「ティ! 蝉だ! 蝉を狙え!」
『鉄心! 分かった、蝉、狙う』
 泣き声さえ零していたティーは、突然響いた鉄心の声に瞳を輝かせた。嬉々として放たれた爆炎波は滑らかに鉄心を避けて蝉を呑み込み、消えていく偽物の姿に、ティーは戸惑いを露に声を上げる。
『鉄心!?』
「大丈夫、俺は無事だ。さあ、合流する方法を探そう……」
 不安げに瞳を潤ませるティーの姿は見えないながら、鉄心には彼女の様子が手に取るように分かった。宥めるような鉄心の言葉に頷くと、ティーもまた暗がりの中を歩み始める。

「エクスの気はもっと温かい。……偽物なら、遠慮はしない」
 ガントレットを握り込み、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は不機嫌に呟いた。迷わず距離を詰める唯斗に構う事も無く魔法を準備するエクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)の偽物へ、素早く鳳凰の拳を叩き込む。
 咄嗟に半身を退く偽物の身体を、唯斗の拳は狂い無く貫いた。日頃の模擬戦のお陰か、アドリブの効かない偽物の動きなど唯斗には手に取るように分かった。
「……ふう」
 トドメの一撃が偽物の体を貫き、霧散するそれを眺めながら、唯斗は肩の力を抜いた。それと同時に、脳内に大きく声が響き渡る。
『いつも人助けばっかりで、偶にはデート位連れて行け!』
 かちかち。
「……ん?」
『他の女にも優しいのは良いが、妾も少しは嫉妬するのだぞ!』
 ばりばり。
「……おーい?」
『家だって睡蓮がいるのは解るが切ないんだぞ!』
 ごおお。
「エクス?」
『しかも……する時はSって反則だ!!』
 ごっつん。
「…………」
 荒々しい声、それと攻撃音。どうやらこちらに聞こえていることを忘れているらしい、と結論付けて、唯斗は小さく肩を竦めた。
「……エクス?」
『な、なんだ?』
 ようやく声が届いたらしい。息を荒げたエクスの返答に思わず口元を緩めながら、唯斗は何気ない声音で告げた。
「帰ったら一緒に寝よう」
『ば、馬鹿者! ななな何をいきなり!? 他の者に聞こえてしまうだろう!』
 対照的に動揺を露にしたエクスの苦情にも、唯斗は気にした様子も見せない。
「大丈夫、誰もいないよ」
 自分の側の世界を見回し、無責任に告げる唯斗に、エクスは頬を赤らめて押し黙った。



「全力全開、フルパワーでいかせてもらおうか!」
 無限 大吾(むげん・だいご)の声に、飛鳥 菊(あすか・きく)は静かに頷き、オルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)は躊躇いがちに頷いた。大吾のカーマインから放たれるスプレーショットがまやかしを攪乱している隙に、菊はゆっくりと銃口を向ける。
「俺の相棒になりきったつもり、ってか? はっ……裏社会なめんな!」
 偽物へ向け苛立たしげに語り掛けながら、菊の放つ弾丸が次々に彼らのパートナーの偽物を撃ち抜いていく。昼身動きを止めたまやかしを呑み込むのは、オルフェリアの放った【破邪の刃】だった。
「おおお落ち着いて下さいミリオン! な、何故にそんなに怒っているのですか!」
 しかし彼女はと言えば、脳内で発されるミリオン・アインカノック(みりおん・あいんかのっく)の言葉を宥めるのに精一杯だった。
『ははははははは! 神よ! 貴方を殺さなくても解決できる方法があったのですね!』
 牽制のつもりの弾でオルフェリアの偽物を倒してしまったミリオンは、すっかりブチ切れてしまっていた。手当たりしだいに全ての蝉を駆逐すると豪語するミリオンに、オルフェリアは焦ったように声を掛ける。
「無理ですよ、そんなの! 何匹いると思ってるんですかー!」
 おもむろに大吾が片手を挙げて合図を送ると、悲鳴紛いの声を発しながらも、オルフェリアは速やかに破邪の刃を放った。その光に被さるように、菊の銃弾が偽物の体を穿つ。
「……Addio。良き来世を……」
 呟いた菊の言葉を菊余裕があったのは、しかし大吾のみであった。
『幻とは言えオルフェリア様を殺させたこと、後悔させてやる……!』
「ミリオン、落ち着いて下さいって! 私生きてます! ほら、困ってる皆さんのお手伝いしてきましょう!」
 どこか噛み合わない二人の会話。その傍らでは、菊の脳内にエミリオ・ザナッティ(えみりお・ざなってぃ)の低音が届いていた。
『許さんて思った相手は、滅多におらんのにな……』
 偽物を叩き潰したハンマーを担ぎ上げ、エミリオは独り呟いた。その傍らを駆け抜ける西表 アリカ(いりおもて・ありか)の負傷に目を留めると、彼は咄嗟に地面をハンマーで勢い良く叩く。
『菊、兄ちゃんここにおるからな! ほらそこの少女、回復は任せぇ!』
『んっ? ありがとう! なら全力全開、フルスピードでいかせてもらうよ!』
 土煙で目くらましをした隙に放たれたエミリオのヒールがアリカを包み、機敏な動きを取り戻したアリカは刀を手に怯むことなく偽物へと切り込んでいく。脳内、実際、それぞれに響く様々な声に耳を傾けながら、なんだかんだで双方共に連携の取れているらしい状況を眺め回し、大吾は穏やかに笑みを浮かべた。
「俺たちも、伊達に十年付き合ってはいないさ」
 思わず呟いた大吾の言葉を合図にしたように、アリカの刃が勢いよく偽物を切り裂いた。

 ぴろぴろぴろ、張り詰めた戦場に、どこか場違いな音が響く。
(参りましたねぇ……)
 フルートを吹きながら歩くラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)は、のっぴきならない状況に内心で独りごちた。【恐れの歌】の効果か、偽物のシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)が一定の距離よりも近寄る様子は無い。しかし、それだけだ。演奏を止めればたちまち偽物は襲い掛かってくるだろうし、故に誰かに助けを求める事も出来ない。
(まぁ、とりあえず笛を吹いてる間だけは襲ってこないようですし、偶にはこういうのもいいかもしれませんね)
 呑気に考えながらひたすら歩むラムズの頭に、ふと手記の声が届いた。
『ラムズ、耳障りじゃから演奏を止めよ』
(演奏を止めたら私の心臓まで止まるので、手記の意見は却下しまーす)
 声に出せないその言葉は、手記へ届くだろうか? 届くだろうな。内心で軽い思考を働かせながら、ラムズはひたすら歩んでいく。呆れたように止んだ手記の声が、やや色を変えてラムズの頭に響く。
『ラムズ。今からぬしを喰らうが、異存はないな?』
 偽物のラムズを異様な触腕で絞め上げながら、事も無げに手記は問い掛ける。
(偽物の方なら、構いませんよ)
 対するラムズの声にならない声にも、然程気にしたような響きは無かった。一つ頷くと、手記は緩やかに偽物の体をローブの中へと引き摺り込んでいく。しかしその端が呑み込まれ掛けた刹那、偽物は光の粒へと弾けた。
『……ラムズ。おかわり』
 食べる直前で獲物を奪われたような手記は、不満げにそう呟いた。
(左手でも差し上げましょうか?)
「……っと」
『……どうした?』
 冗談の響きを含まないラムズの言葉に機嫌を直した手記が答えようとした最中、オルフェリアの放った破邪の刃が偽物の手記を呑み込んだ。ようやく演奏から解放されたラムズは、ふう、と吐息を零す。
「いやあ、助かりました。ありがとうございます」
 トドメを刺したのは、菊の銃弾だった。切羽詰まった様子もないラムズの様子に戸惑いを覚えながらも、大吾が労うように彼の肩を叩く。
『くくくっ、それはぬしが扇を持つまでの楽しみとしてとっておこうかの』
 呟かれた手記の呟きに首を傾げるラムズは、しかし暫し問い返す機を失することになった。