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第17章 放課後(4)

 鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)は、放課後が来るのを恐れていた。
 昨夜、部屋でメールが届いていることに気付いて、ああついに自分にもきたか、と思った。そのことを、だれにも言えなかった。言ったところで自分以外、だれにもどうしようもないことだったからだ。
 かといって、昼休み、全校生徒を前にしてのあの大騒ぎの中で告白する気には、どうしてもなれなかった。
 告白っていうのは、もっとこう、純粋で、不特定多数の目にさらされる場での見世物にするようなものじゃないんだ。
 かといって、スマキになるのも行方不明になるのも嫌だ。
 放課後にしよう。放課後、告白しよう。
 そう決めてからはもう、放課後が来るのが怖くてたまらなかった。
 そして放課後が来てしまえば、今度は告白の瞬間が怖くてたまらない。
 もんもんと1人教室でそのことについて考えていた虚雲は、人気の少なくなった校舎で、かなり派手な大捕物が繰り広げられていることに、全然気付けていなかった。
(とにかく、放送室へ行かなくちゃ。もう縁ねえには呼び出しのメール出しちゃったし)
 なぜ放送室か? それは、防音設備がしっかりしている部屋のひとつだったからだ。あと、思いつくのは英語のLL室だが、さすがにそこに呼び出すのはちょっと間抜けすぎるかもしれない、と思った。
(防音室なら叫んだって音がもれないし。もし犯人が来ても、ちゃんと告白したって説明できるし)
 犯罪者相手でも、嘘はやっぱりつきたくない。
「あ、虚雲。おまえ放送室行くのか?」
 後ろを走ってきて、追い抜こうとした放送部のクラスメートが、虚雲を見て足を止めた。
 なにしろこの先には放送室と準備室しかない。行き先をごまかす意味がなかった。
「うん」
「じゃあさ、悪りぃけどこれ放送しといてくんないかな? 環菜会長からの緊急通達だっていうんだけど、ちょっと俺、東校舎に見に行きたいんだよ」
「東校舎?」
「あれ? 知らないのか?」
「ああ」
 虚雲の返事に、クラスメートは奇妙な顔をした。
「いや、何でもない何でもないっ。おまえはきっと面白くないだろうからさっ」
(ヘタに教えて、こいつも行くって言いだしたら、俺が行けなくなっちまうからな)
「じゃ、俺急いでるからっ。頼むわ」
 顔の前で手を合わせ、拝みながら走り去るクラスメートから受け取った4つ折りの紙を見て、放送室を見て、はーっと息を吐き出した。
 胸ポケットに入れ、のろのろと放送室のドアを開ける。
(縁ねえが来る前に済ませておけばいいよな……ってもういるしッ!!)
「うわっ縁ねえっ!」
 ぱっと飛びのいて、虚雲は絶句した。
 放送室のブースの中に、佐々良 縁(ささら・よすが)が立っている。
「あ、虚雲くん。ここ、面白い機械がいっぱいあるのねぇ」
 虚雲が入ってきたことに気付いた縁が、手を振りながら笑う。
「縁ねえ…」
(逃げるな……逃げるな、逃げるな俺!)
 すうっと息を吸い込んで、虚雲はブース内に入って行った。

「んと、それで話って?」
(虚雲くん、なんだかすごくあらたまった感じなんだけども……なんだろうなぁ?)
「緑ねえ。俺たち、これまでいろんな事あったよな…」
「え? あ、そうね」
「えーと…約半年と2ヶ月前から俺は、縁ねえのこと…!」
 ギュッと目をつぶり、虚雲はガシっと縁の両肩を掴んだ。その力がちょっと強すぎて、押された緑がガタンっと机に腰をあてる。そのままそっくり返らないよう、思わず後ろに添え手をした緑の手に、何かがパチンと当たった。
「あれ? ちょっと、なんか、虚雲くん?」
 手に当たって入った気が…。
「俺…ッ! 俺、もうずーっとずーっと緑ねえのこと、好きだったんだ! 緑ねえのこと考えだすと、もう緑ねえのことしか考えられなくなって、それで、勉強も手につかないし、何食べても味分かんないしっ。俺――」
「虚雲くん、ストップ」
 緑の手が、告白する虚雲の唇に触れた。
 そのひんやりとした指の感触に、虚雲の心臓がバクンと跳ねる。
 力んで告白するあまり、グングン緑を押していたのだ。緑はいまや、机の上に座っていた。
 顔も、互いの吐息が感じられるくらい、ほんの数センチ先まで近づいていた。
「……緑ねえ……俺…」
 指先をどけて、顔を近づける虚雲。
「……虚雲くん……その……放送入ってる、みたい…。スイッチ」
「へ?」
「ON AIRって赤いランプが付いてるの、あそこ」
 と、虚雲の背中側の壁を指す。
「い、いつからっ?」
「んーと。虚雲くんが私の肩を掴んだときから」
 つまり最初から。
 バッと手を放し、虚雲は真っ赤になって飛びのいた。
(あ、あ……死にたいっ、真面目に死にたいっ!)
「虚雲くん……あのぅ…」
「いっ、今の、嘘、じょーだんだからっ」
「……え?」
「メール、来たんだ、昨夜。俺んとこ。だから、何か言わないとって思って、それで……それで――」
「でも犯人捕まったよ?」
「って……えっ? つかまったあぁっ?」
 すっとんきょうな声を上げたのが自分でも分かった。
「犯人、環菜会長の命令で、東校舎から吊るされるんだって」

『ちょっと俺、東校舎に見に行きたいんだよ』

 放送室に入る直前のクラスメートとの会話を思い出して、ハッとした虚雲は、あわてて胸ポケットから預かった紙を取り出す。それは、環菜からの犯人逮捕とその刑に対する通達文だった。
(そんな……じゃあ俺、一体何のために…)
 もちろん、自分のためだ、虚雲。
「……そっか。嘘だったんだ、さっきの…」
 ぽつり、緑が小さく呟くのを聞いて、虚雲はあわてて緑に向き直った。
 緑はまだ机の上に腰掛けたまま、俯いてしまっている。
「み、緑ねえ、ちがっ…」
「私、見抜けなくて。うれしいなんて考えてた。ばかだなぁ…」
 その自嘲的な笑みと、頬を伝う涙を見たとき。虚雲の頭は完全に吹っ飛んでしまった。
「違うんだ! 俺がばかなんだ! 俺が全然意気地なしで、ばかで、最低なんだ!」
(そうだ、逃げるな俺! 緑ねえを好きなことから逃げるな!)
「本当だよ! 本気で好きなんだ、緑ねえのこと! この世のだれより、一番好きだ! 俺なんかの命より全然大切だ! 大、大、大好きだーっ!!!」
 うわーーーんっ
 自分への情けなさやら緑に対する思いやら、放送事故やら、グッチャグチャに感極まって、虚雲はやっぱり走り去ってしまった。
「虚雲……くん…?」
 虚雲の言いっぱなし告白に圧倒されたまま、とにかく机から降りて立とうとした緑だったが、すっかり足がゴムになって、立つことができなくて、結局へたりこんでしまう。
 グラグラ、世界が揺れている。
「……どうして……こうなったん?」
 全くわけが分からない。分からないけど……ああ、もう…。
「はうう…」
 うれしいよぉ。
 真っ赤になった頬を押さえ、緑はそのまま床に突っ伏した。

「なんだって? 犯人が捕まったぁ?」
 正門前、帰宅途中の女生徒をくどいている最中に、ヒューリ・ウィデルオルス(ひゅーり・うぃでるおるす)はそのことを知らされ、愕然となった。
「ええ」
 あっけらかんと、セレナリス・ヴァズダ(せれなりす・ぶぁずだ)は駄目押しする。
「そんなばかな……俺様のデスティニー・マイハニー獲得計画が…」
 両手を見て、わなわなと震えるヒューリ。
(このメールが来たからには、合法的な告白の場を得たようなもんだぜ! ハッハァ! テンションが上がって来たぞ!! だれか運命の子を見つけて叫べば、今日で彼女無し生活ともオサラバだァ!!)
 そう思ってこの半日、ずーーっと目につく限りの女生徒に「きみこそ俺様の女神、ただ1人の運命づけられた恋人」と言い続けてきたのだ。なのに。
(もう時間切れになったってか?)
 だれにでも声をかけるからだれにも相手をされないのだと、早く気付けば良かったものを。ヒューリは「ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる」が座右の銘らしかった。
 というか、多分、だれが運命のハニーかなんて分からない、ルーレットだって1点張りより多点張りの方が当たりが出る確率が高いのだ、という考え方なのだろう。
「まだマイハニーと出会っていないというのに…」
 くっ。運命とはなんて残酷なんだ。
「あら。それは全然大丈夫。かないますわ、ヒュー様」
 にこにこ。笑ってセレナリスは自分を指差す。
 私こそ、ヒューリの運命のマイハニーと言わんばかりだ。
 それに対してヒューリは
「嫌だ」
 ぷい、と横を向き、あっさり拒絶した。
「なっ、なぜですの? ヒュー様! こんなにお慕い申し上げていらっしゃいますのに!」
「とにかくおまえは嫌だ」
 と、顔をそむけた先で、さらさらと流れる黒髪の美女を発見する。
「おおおおおっ! ついに出会えたぞ! あれこそまさに地上に降りた最後の天使! 俺様のマイハニーにこそふさわしい! 
 なぁなぁ、そこのすてきな天使ちゃんっ。俺様と話をしていかないかぁー?」
 ドピュンッ。
 黒髪美女を見つけた3秒後には、その手を握り締めてくどく早業。まさに生まれながらのナンパ師の素質は大アリだったが、しかし! 残念ながら、ヒューリには悲しくなるほど詩才がなかった。
「マイハニー!! きみのことをずっと愛してきたんだ!」
「……あなた、今お見かけしたばかりですけど〜?」
 黒髪美女があきれたように答える。
「フッ。出会う前から愛していたのさ。そう、俺様たちは前世から定められた運命の恋人同士! やっと2人、巡り会えたんだよ、マイハニー! 
 大丈夫! きみに分からなくても、俺様には分かってるから! 心の底からきみのことを愛してる!! だから結婚してくれえぇぇ!!!!!」
「――メール、関係ないじゃありませんの…」
 ゴゴゴゴコ…!
 今日1日で蓄積されたセレナリスの怒りが噴火のようにあふれ出す。
「このぉぉぉ!!! ヒュー様の裏切り者おぉぉぉぉ!!!!」
 仕込み竹箒を振り上げて、ヒューリに殴りかかっていくセレナリス。
「どわっ! あぶねっ!
 おまえ、それでよく俺様が拒絶するのを「なぜ?」って言えるなっっ」
 ギリギリで飛びのいて避けるヒューリ。しかし返し手で、避けきれず何発かくらってしまった。
「いてっいてっっ」
 思わずしゃがんだところで、さらに叩かれる。
「うわーんっ! ヒュー様ぁ! なぜですのーっ! こんなに大好きですのにいぃぃっ!
 ほんとにほんとに大好きですわぁぁぁぁ! 結婚してくださいましー!!!!」
 バシッバシッ。
「おまっ、言ってることとやってることが違うぞっ!」

「……なんなんだ? あの妙にハイテンションな2人は」
 全くついていけない、と呟くルーツ。
「さあ〜?」
 いきなり手を握られ、天使ちゃんだの、マイハニーだの、運命の恋人だのまくしたてられたアスカも、男の関心が自分から離れたのを境にさっさとこの場を立ち去ろうとしたのだが。
「やめろって!」
 男の方がテレキネシスを使い、仕込み竹箒攻撃を止めたのを見て、ピタリと足を止めた。
「アスカ?」
 つかつか歩み寄り、ヒューリを真下に見下ろす。
「あなた、お名前は〜?」
「……ヒ、ヒューリ・ウィデルオルス…」
「そう、ヒューリさんね〜? 私は師王 アスカ。あなたのハニーではありませんが、ちょっとお力を貸していただけますぅ?」
 にっこり笑うアスカをぼうっとなって見上げながら、ヒューリは、やっぱり彼女こそマイハニーだ、と考えていた。
 多分、彼は明日にはまた別の運命のハニーを追いかけているのだろうが。