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第2章 恋の話と戸惑う狼 3

 真人に続けて、セルファが彼をちらちら見ながら口を開いた。
「そ、そうそう、恋なんて無理してどうにかできるものでもないわよ。それに……恋なんて落ちるときは一瞬よ。……私もそうだったもの。いつも素直になれない私が言うのもおかしいけど、感じたままに恋すれば良いんじゃない? 周りなんてほっとけば良いのよ。ゆっくりでも不器用でも自分のペースで恋していけば。そりゃ苦しいことも有るけど、私はアイツを好きになったことは後悔はしてないわよ。まあ、自分の行動には後悔すること多いけどね。……リーズが恋した時、後悔しない恋が出来ると良いわよね」
 セルファは彼女を励ますようにして微笑んだ。どうやら、彼女自身、自分の恋というものに色々と悩んでいるようだ。リーズはあまりそういったものに鋭くはないが、恐らくは――
「へえ、セルファに好きな人なんていたんですか。初耳ですね」
「……こ、この鈍感ッ!」
「な、なんで急に殴ろうとするんですかっ!?」
 ブルブルと震えたセルファが殴りかかると、真人はそれをかろうじて避けた。そんなセルファの姿は、リーズが見ていても、どこか可愛らしく思えた。まったく、彼女も苦労している。
「みんな……色んな恋をしてるんだ」
「恋をしたらね、世界が違って見えるんだよ」
 興味深く呟いたリーズに、同じ名を冠する少女、リーズ・ディライトが嬉しそうな笑みを向けた。
「胸の真ん中がほわ〜っと暖かくなって、ドキドキして、でも息苦しいわけじゃなくて……ん、んん、なんて言ったらいいのかな……?」
 彼女はぐるぐると頭を悩ませて、的確な言葉を探そうとした。だが、どうやら思考は堂々巡りを繰り返すばかりのようだ。
「んにぃ……う、上手く言えないけど、恋をするのってとても良いものなんだよって事かなぁ。そりゃ、苦しいこともあるけど……こればっかりは経験しないと何とも言えないよね」
 彼女の言葉は、彼女なりに誠意のもつ、正直な言葉だったのだろう。それを横で聞く陣は、朱に染まった顔を照れ臭そうにそっぽ向けていた。
 そんな二人と一緒にいる機晶姫は、リーズに優しげな瞳を向けた。
「お嬢様……もちろん、恋愛は必ずしも叶うわけではありません」
 仲間たちの言葉を思い返していたリーズに、真奈は少しばかり酷を感じさせる声で述べた。あえてお嬢様と呼んでいるのは、リーズ・ディライトと区別するためなのだろう。
「リーズ様のご主人様への気持ちも知ってましたから一時は諦める事も考えていました。その当時は、胸に棘が刺さったような苦しさや痛みがありましたね。でも、今は2人ともご主人様に受け入れて貰い、端から見れば歪かもしれないですが、幸せな日々を過ごしています」
 彼女の瞳は、確かにその『幸せな日々』を信じられるほど、穏やかで、それでいて美しい色を湛えていた。すっと、その瞳が切なげに変わる。
「もちろん、焦がれて、思いが伝わらなくて、胸が締め付けられ、切なくなるときもあります。それでも……恋をする事はとても素敵な事なのだと思いますよ」
 柔らかい笑みだった。
 リーズは、それはきっと真実なのだろうと思った。少なくとも、彼女たちの歩んできたそれに嘘偽りはなく、きっと正しいのだろうとも。
 だが、逆に……その気持ちがはっきりと分からない自分に、彼女は不安を抱いた。それが、両親が自分に対して恋を進めるのに反発する理由なのかもしれない。
 ふとそんな思いを口にすると、それまで傍らでみんなの話を聞いていたティーレ・セイラギエン(てぃーれ・せいらぎえん)が話しかけてきた。
「ふーん、好きな人とかいないの……。じゃあ運命の人はここにはいないのかもね」
「運命の人?」
 神々しさを持ちつつも、どこか胡散臭い響きの言葉にリーズが顔をしかめた。そんな彼女に、ティーレはあっけらかんとして続けた。
「そ。まあ、運命があるかどうかは別として大切な人って事よ。出会いがあって別れがあって、そこに良くも悪くも大切な人っていたでしょ? 自分の考え方や生き方が変わってしまうほどの人。そんな人が、もしかしたら運命の人って呼ばれるのかもね」
 ティーレは悪戯に笑った。
 彼女の言葉を反芻しながら、リーズはどこか心の奥で引っ掛かる何かを感じていた。それは、彼女自身、よく分からないものだ。ただ、誰かの哀しげで、美しく、澄んだ黄金色の瞳が、思い返された。
 言葉をなくしたように茫然としたリーズを見て、ティーレはささやくように言った。
「……一緒に生きていくぐらいの人なら、なんか感じるものってあるさ」
「一緒に生きてくぐらいの、人か……」
「待つのが嫌なら探せば? あなたって待つタイプじゃないと思うけど」
「そんなの無理よ。第一、別に探したいとも思わないし、私は集落長の娘だしね……。この集落を離れてどこかに行くなんて、きっと考えられない」
「そうね、あなたの考えは尊い事だと思うわ。人それぞれ。でもこうやって私たちは出会えた。もう知らない者同士じゃない」
 くすっと、ティーレは微笑んだ。
「会おうと思えばいつでも会えるし、それだけで十分だとも言えるわね」
「そう……それで、私は満足よ」
 リーズはティーレに同意したが、なぜか、それが躊躇われるような気分だった。本当に自分は満足なのか? そんな問いかけに答える声は、今はない。
 ティーレと一区切り話を終えたリーズは、どこか遠くに思いを馳せた。すると、ティーレとともにいたランツェレットが、唐突に話を切り出してきた。
「そういえばこのあたりにわりと大きめな遺跡があると聞いた事があるのですが、なにか立派なものだとか。ご存知ありませんか?」
 小悪魔めいた顔は、嬉々としてその遺跡とやらにに興味を抱いているようだ。リーズは少し躊躇いを見せたものの、噂だけは聞いたことのある遺跡について話した。
「そうね……噂だけだけど、森の奥深くまで行ったところに神殿の遺跡があるらしいってのは聞いたことがあるわ。泉も湧いていて、美しい場所なんだとか。でも、今は行って帰ってきた者のいない、謎の多い危険な場所、行けば被害者のゾンビ達が徘徊していて、侵入者に襲いかかってくるそうよ」
「なるほどね……興味深い話だわ」
 返事を返したのは、ランツェレットではなかった。彼女とは反対側からリーズの傍に座っていた、スクルト・クレイドル(すくると・くれいどる)である。壮美とも言える土色の髪を後頭部で束ねている彼女は、知的な瞳でリーズを見つめた。
「そこはもしかしたら、何か特別なものであるのかもしれないわね」
 ザンスカールの森を守護するヴァルキリーは、推測して目を細めた。集落の戦士たちですらかなわないかもしれない穏やかな烈気が、その背後には見え隠れしている。リーズは自然と息を呑んだ。普段は戦士として集落を守る彼女だ。同じような立場にいる戦い人だけに、思わず体がうずいた。
 とは言え、リーズとスクルトは視線を交差するだけにその場は留めた。いつか機会があるならば、ぜひとも戦ってみたいものだ。
「貴重な情報ありがとう」
「ううん、大したことじゃないわ」
 ランツェレットはにこっと笑みを浮かべてリーズにお礼を言うと、スクルトやティーレたちとなにやら遺跡について話を始めたようだった。答えたのはいいものの、厄介なことにならなければいいが……。
「それにしても、リーズがもし恋をしたらどうなるかってのは、興味をそそるところよね〜」
 話題を変えるようにアルメリアが言った。そもそも、可愛い女の子が好きな彼女である。リーズの恋した姿を想像すれば、自然と顔もにやつくのだった。
「私の勘では、お嬢様は意外と献身的に尽くすタイプになるような気はしますね。好きな方の好みに合わせようと影で努力したりとか」
 アルメリアにつなげて、真奈が推測を告げた。すると、それを皮切りに彼女たちはリーズの恋した姿を勝手に想像してゆく。
「ボク的には、ぐいぐい引っ張って相手に惚れさせるような感じになると思うなぁ。なんだろ……格好いい系みたいな?」
「いや、通常モードの勝ち気な性格から察するに、寧ろ典型的なツンデレキャラになるんと違うか? 冷たくした後に裏で凹んだり、付き合ってからは砂糖吐くくらいド甘でベタベタになるっつー展開に100ペリカ」
 真奈に同調して、リーズ・ディライトと陣が勝手な予想を並べ立てていった。羞恥に赤くなるリーズをからかうべく、衿栖やセルファまでもそれに加わってゆく。
 そこに救いの手となったのは、横合いから差し出されたチョコレートバーだった。
「お待たせしましたー、チョコレートバーです」
「え、頼んでないですけど……」
 突然持ってこられたデザートに戸惑い、リーズはスタッフに振り返った。すると、そこには猫のような人懐っこい笑みを浮かべる少女、そして傍目からも仲が良さそうに隣り合う男女がいた。
「はじめまして、リーズ・クオルヴェルさん。私はルカルカ・ルー(るかるか・るー)、人呼んで密林の女豹よ♪」
 迷彩ズボンにランニングシャツを着た少女は、自前の猫耳カチューシャを見せつけるようにして自己紹介した。見知らぬ少女に挨拶されてリーズは困惑するが、どうやら、他の仲間たちは彼女のことをよく知っているらしい。
「ルカルカさん、それにアインさんに蓮見さん」
 仲間たちに迎えられて、ルカはにっこりと明るい笑みを浮かべた。