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リアクション
第3章 ナイトパーティと変わる狼 3
書類にペンを走らせるアリア・セレスティの手が、最後の一筆を終えてようやく止まった。
「うーん、あぁ……」
体を伸ばすと、よほど体の節々が固まっていたのかぎちぎちと音が鳴っているような気がした。そんな彼女の目の前に、かた……と紅茶が置かれる。
「リベルさん」
「ご苦労様」
リベル・クオルヴェルは、柔らかに目を細めた。
「わざわざ手伝ってもらってすみませんね。大変だったでしょう?」
「あ、いえ……ちょっと量には驚きましたけど、私も初めてこんな仕事に関われて、新鮮で楽しかったです」
笑顔で答えたアリアに嬉しくなったのか、リベルはとても優しい微笑みで彼女の対面に座った。自分の分の紅茶もテーブルに置いて、しばし二人で穏やかな時間を過ごす。アリアは、感慨深そうに呟いた。
「もうすぐ、パーティも終わりますね」
「そうね……。あの娘が少しでも楽しんでくれているといいのですけど」
愛娘に思いを馳せて、リベルはそっと口元を緩めた。
するとそこに、奥の部屋からアールド・クオルヴェルが戻ってきた。
「ん……休憩中だったか」
「いえ……もうお仕事は終わったのですか?」
「一通りはな。もうパーティも終わりに近い。残りは明日へ回すとしよう」
リベルに答えて、アールドは自身もテーブルの席にどさりと座った。仕事の疲れを吐くように息をつき、遠くを見るような目つきになる。
「あの娘への触発は……無事に進んでいるだろうか? 悪い虫でもついていなければいいが」
「ふふ……心配しなくても大丈夫ですよ。悪い虫を追い払えうぐらい、あの娘なら造作もないことでしょう?」
「う、うむ……」
苦しい顔をして、アールドはうなった。どうやら、恋愛に積極的になって欲しいとは思う反面、変な男には引っかかって欲しくないようだ。そんな彼を見ていると、アリアはついつい顔をほころばせて笑ってしまう。
「きっと、熱々のカップルを見て今頃羨ましく思っているはずですわ」
「なにを言ってるんですか、ラブラブを見せつけるカップルはここにもいるじゃないですか」
「ん?」
アールドは、にこにこと笑うアリアが自分とリベルを見ているのに怪訝そうな顔をした。
「あら、確かにそうですね」
すぐに事態を飲み込めないアールドに反し、リベルは面白そうに微笑んだ。いたずらな目で見つめてくるアリアと、くすっと笑うリベル。アールドは、ようやく事を察して顔をひきつらせた。
「う、ううむ……では、私はそろそろ仕事のほうに……」
「アールドさん、駄目ですってば。ささ、2人がラブラブしている間は、私がお仕事しますから。その為に今日一日、お側でお手伝いさせてもらったんですよ」
「し、しかし……」
「あなた、観念しないといけないようですよ?」
有無を言わせないアリアの行動に、リベルは終始面白がって笑っていた。そんな彼女はアールドを引っ張られるようにして外の方へと向かう。途中、リベルはアリアに振り返ってくすっと笑った。
それに同じくアリアは微笑んで、せっかくのナイトパーティなのだから、二人が楽しんでくれることを願った。
「さ、お仕事お仕事」
再び、彼女は新たな書類に向かってにらめっこを開始した。その新たな書類、資金計算書類をもとに計算を始めてて頭が痛くなるのは、その数分後のことだった。
完全に、出るタイミングを逃してしまった。
「あ、あれって……」
若長の家に向かって行く途中、人気のない岩場でイチャつくカップルに目をやれば、そこにいたのは自分の両親だったのである。リーズは、さすがにその光景には口をあんぐりと、目をぽかんとさせて立ち止まるしかなかった。
「うわぁ……すっごいね」
リーズと同じように茂みからクオルヴェル夫妻を覗く菫は、感嘆の息を漏らした。
普段はあれだけ厳格かつ凛然としているアールドに、リベルが妖艶にも似た甘い表情で寄りかかっている。いや、寄りかかるだけでなく、その腕はアールドの首に回され、まるで圧し掛かるような姿勢になっていくではないか。
「うわわわ……なんか、大人って感じじゃん。いいなぁ……あたしもあんな風にイチャイチャする彼氏が欲しいぜ」
「案ずるな椿よ。わしは独り身の者の味方だ。椿が恋に悩むときがくるならば、わしはそれに全力の努力を惜しまぬぞ」
「あれ? でも、神田明神の縁結びって大黒さまの方じゃないっけ?」
「…………」
力いっぱい拳を握って宣言していた椿は、菫にツッコまれて固まった。よくよく自分でも思い返してみて、彼女はズンと沈んでしまう。
「おいおい……なんであんなこと言うんだよ」
「いや、だって思ったんだもん」
敬一に注意されるものの、菫はけろりとして返答するだけだった。
沈んだままの小次郎に椿たちは心配になるが、突然、彼女はがばっと顔を上げ、敬一とアールドを交互に見つめた。
「こ、これは……!」
それを見た菫だけは、彼女が何をしようとしているのか理解したようである。
小次郎の中で、絶大なる腐女子パワーが増幅されていく。沈んだ自分を回復させようと、敬一とアールドをネタに文章では書き記すこともはばかられる何かを妄想しているようだ。やがて……
「ふう、復活。ご迷惑をおかけした。もう大丈夫だ」
清清しい顔で小次郎は頷いた。
「おい、なんか俺はすげー複雑な気分なんだが」
敬一は顔をしかめて言うが、元気になったのだから良しとしよう。
「それにしても……ほんと、ラブラブね」
「そうね……」
相変わらず二人でイチャつくクオルヴェル夫妻を見て、菫、そして娘であるリーズは引き込まれるように呆然と呟いた。
まさか、二人がこんな風に愛し合うところなど見たことがなかった。リーズは、まるで見てはいけないものを見たかのような気分になる。それでも、どこかそんな二人が幸せそうで、羨ましいという気分にも、ならなくはなかった。
「好きな人が出来たときは、あんな風に後悔しないぐらい思い切り恋愛するべきなのだろうな」
どこか遠い目をして、小次郎がそっと呟いた。
もしかしたら、そこにいる四人は誰もが確かにそう思ったのかもしれない。リーズは、二人を見ていると怒りなどとうになくなったようだった。
あまり邪魔をしては悪いと、四人は気づかれぬようにその場を後にした。
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