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第3章 ナイトパーティと変わる狼 6

「なんか……やっぱりスースーするなぁ」
 スリットの間から入ってくる夜風に慣れないリーズは、顔をしかめながら歩いていた。ふと、そこにぼさぼさの銀髪をした青年が目に入った。どこかで見たような気がしないが、かといってはっきりとした覚えはない。
 すると、向こうもリーズに気づいたのか、青年は一直線に彼女に向かって歩いてきた。
「久しぶりだな、クオルヴェルさん」
「お久しぶりー、リーズちゃん!」
 青年だけでなく、青年とともにいたゴテゴテの金属製ボディの少女も挨拶を交わしてきた。彼らの後ろでは、頭からクロワッサンのような角を生やした幼い少女が、人見知りしている恥ずかしげな青金石でリーズを見つめている。
「…………」
 まさか、本当に顔見知りとは思わなかった。確かに見たことがある気がするのだが、全く思い出せない。リーズは、失礼と知りながらも、おずおずと尋ねた。
「あ、あの……どちら様、ですか?」
「…………」
 今度は、青年が目をきょとんと丸くする番だった。青年は、何かあったかと暫く考え込む。と、そう時間も経たないうちに彼は納得言ったように頷いた。
「そういえば、あの時はパワードスーツ姿だったな」
「パワードスーツ…………あっ、もしかして、えーと、パ、パラパラミキサー?」
「パ・ラ・ミ・ティ・ール・ネクサーだッ!」
 いかにも弱そうな名前で思い出したリーズに、心外だといわんばかりの憤然でエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は怒った。そういえば、確かにエヴァルトの横にいるロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)にははっきりと見覚えがある。
 逆に、初対面なのは……
「ほら、ミュリエル、あいさつ」
「は、初めまして、ミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)です」
 エヴァルトと手を繋いだまま、ミュリエルはぺこりと頭を下げた。
 こうして出会ったリーズとエヴァルト。エヴァルトは、とにもかくにも、パラミティール・ネクサーの名前をはっきり覚えてもらうことを、最優先に話し始めた。

 パラミティール・ネクサー講座も終わったところで、エヴァルトはリーズが今回のパーティで色々と恋愛について考えさせられたことを知った。
「恋愛対象なしの俺が言うのもなんだが、一度くらいは恋愛した方が良い」
「あ…あの朴念仁なエヴァルトが恋愛について話してる!? ちょっ、待っ…む、無理っ、笑っちゃう! あはははははは、お、お腹がよじれるー!」
 文字通り抱腹絶倒して転げながら笑うロートラウトを横目に、エヴァルトは続けた。
「……あんな事言われたくなければな」
「……確かにね」
 二人の様子に、リーズはくすくすと笑った。笑顔の彼女を見ていると、エヴァルトも自然と顔がほころぶ。
「俺も、恋愛に興味が無いわけではないが……どちらかと言うと、良き好敵手である方が望ましいな。互いに競い合い、腕を高め合うような相手が。……クオルヴェルさん、貴女も相当の腕と見た。暇であれば、一つ手合わせを頼めないだろうか?」
 リーズは意表をつかれて言葉を詰まらせた。だが、エヴァルトの目は本物だ。リーズの髪よりも赤く、緋色に燃える瞳が、真摯な眼差しでリーズに訴えてくる。
 リーズとしても、それを無下に断るわけにはいかなかった。それに、エヴァルトは自分を一度助けてくれた相手だ。そんな相手と戦ってみたいというのは、戦士としての彼女の心をうずかせる。
「……いいわ。こちらからも、ぜひお手合わせ願いたいもの」
「決まりだな」
 エヴァルトは不敵に笑い、最初からこうなる予定でいたのか、用意していた木刀を手渡した。そして、自分自身は黒いグローブをはめて彼女と対峙する。
「俺も剣士の家系だが、才能がからきしなのでな……こっちのほうが性に合っている」
 未だにひーひー笑いを堪えるロートラウトを尻目に、二人は距離をとってお互いを見据えた。
 肌で感じる。ビリビリと焼きつくようなそれは、エヴァルトの放つ烈気によるものだ。その空気の動きこそが、相手の行動を予見する手がかりとなる。リーズは、木刀を片手で正眼に構えた。本来は西洋剣を得意とする彼女であるが、刀もたしなむことはあった。獣人の中にあって類稀なる脚力を誇るリーズは、エヴァルトの烈気がわずかに揺らいだのを感じて――跳んだ。
「はぁっ!」
 気合一閃。木刀の剣線がエヴァルトを斬り裂こうとした。だが、剣先が裂いたのは彼の残像に過ぎない。烈気を揺らがしたのは、エヴァルト自身が作った偽造の隙であった。
「甘い……っ!」
 背後に回っていたエヴァルトの拳が、リーズの脇腹を狙って風を凪ぐ。それをかろうじて避けて、地に手を着いて後方回転するリーズに、拳の追撃が連続した。
「…………!」
「はあああぁっ!」
 髪先をかするほどの僅かな差で拳を避けながら、リーズの心は躍動していた。
 剣舞とはまた違った、戦士としての戦いだ。相手を本気で潰そうとする、力と力のぶつかり合い。
 こちらの迅さを超えるほどの怒涛の追撃に、ついにリーズは避けきれなり、両腕を交差させてそれを受け止めた。恐らくは、直撃を受けたら立っているのもつらいほどの重み。それがずしりと腕に圧し掛かり、リーズを弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
 だが、それで終わるほどリーズとて甘くはなかった。
 エヴァルトは続けざまに弾き飛ばした彼女を追って地を蹴ったが、それは同時に、僅かに宙に浮いた時間を作り出すことに他ならない。
 リーズは、地を踏みしめた直後、柔軟なその体を利用して大開脚を試みた。
「…………っ」
 縦型に開かれた大股が、直接地面に着くほどにリーズの体位が低くなった。エヴァルトの拳は、それまでリーズの上半身があった空気だけを貫く。
 刹那――
「…………」
 上方へと振り上げられた木刀はエヴァルトの首筋の前で静止し、エヴァルトの咄嗟の判断で振りぬかれた脚が、リーズの首をへし折る寸前で止まっていた。
「引き分け……かな?」
 ロートラウトの声を合図に、戦いは終わりを告げた。
 二人はふっと笑みをこぼすと、お互いに烈気を無くして手を差し出し、握手を交わす。
「いずれ、貴女に相応しい相手は現れるだろう。何時になるか分からないが、それまでは何を言われても気にすることはない。運命とは、なるようにしかならんからな」
「なるようにしか……か」
 どうにも、皆に自分は頭が固いと思われているようだ。リーズは自嘲めいた笑みを浮かべて、エヴァルトとの握手を終えた。
「恋とかって、厄介だけど、悪くはないんだよね、これが」
「そうです。きっと、リーズさんならとっても素敵な人が現れるって思います」
 ひとしきり笑い終えたロートラウトと、とことことエヴァルトのもとに歩いてきたミュリエルが言った。リーズに可愛らしい笑顔を見せて、ミュリエルが続ける。
「昔、一緒なら何でも楽しいって人とか、いませんでしたか?」
「楽しい人……そうね、楽しくなれば、よかったんだけど」
 リーズは、そう尋ねてきたミュリエルに、静かに微笑んでみせた。
 楽しい人……ではないが、確かに、心にはずっと誰かがいる気がする。だけど、その人は、誰かと楽しい時を過ごすことなく、消えてしまった。
「ところで、お兄ちゃんはよく『ろりこん』とか『しすこん』って言われるんですが、どんな意味か、知らないですか?」
「って、ミュリエル、そんな意味はまだ知らなくていいッ!」
 エヴァルトが首をかしげて尋ねてきたミュリエルの言葉を遮るのを見て、リーズは苦笑いし、ロートラウトは再び笑い転げていた。