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らばーず・いん・きゃんぱす

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らばーず・いん・きゃんぱす

リアクション


●トライアングルジェネレイター

 本日は、待ちに待った大学見学会、匿名 某(とくな・なにがし)結崎 綾耶(ゆうざき・あや)は楽しくキャンパス内を巡り歩いていた。
「さすが大学ってやつだなぁ。こうやってじっくり見て回る機会なんてそうそうないしな、ほら、次はあっち行ってみるか?」
「ですよねー。進学するかもしれないわけですし、今のうちに見たいところをできるだけ見てみたいと思います。公開している講義に出席してみます?」
「そうだな……って」
 足を止めて某は振り向いた。
「いつまでもむくれてないで、そろそろ加わったらどうだ、フェイ」
 その視線の先には、フェイ・カーライズ(ふぇい・かーらいど)がいるのだった。今日、黙ってフェイは彼らに付いて来たものの、和気あいあいとは真逆の対応で、やや距離を取って無言で歩くのみなのである。そればかりか、じったりと恨みがましい視線を背後から某に投げかけていた。
「むくれたりしていない。そもそもおまえは私を見るな。汚れる」
「汚れる……ってお前、オレはバイ菌か何かかよ……」
「黴菌のほうがまだマシだ。消毒すればいなくなるからな」
 嫌われることは何一つしていないつもりの某なので、ここまで純粋に悪意をぶつけられるとさすがに凹む。やや猫背になって綾耶に泣きついた。
「助けてー」
「まあまあ、フェイちゃんはいま機嫌が悪いだけですから」
「今だけか? ずっとこうな気がするぞ俺に対しては……」
 トホホな表情の某を軽くなだめて、綾耶はフェイの背を撫でるのだ。
「フェイちゃん、そんな顔しちゃダメだよ。せっかく買ったお菓子が美味しくなくなっちゃうよ?」
「……」
 するとフェイは無言で、わしっ、と右手で綾耶の髪、正確にはその結った部分を鷲づかみした。
 痛いと言えば痛いものの、その辺、理解がある綾耶は不平を言わない。
「これで機嫌直ったかな? なんなら、つかんだまま歩こうか?」
「……つかんだまま歩く」
 ずっと不満げだったフェイが、口調と表情を緩めるのが判った。ごくわずか、限りなくゼロに近いとはいえかすかに笑んでいるようにも見える。
「じゃ、このまま一緒に歩こうね。意地悪もなしだよ?」
「……わかった」
「約束破ったら『めっ』だからね? じゃあ行くよ」
 そして本当に、髪を手綱みたいにつかまれたまま綾耶は歩き出したのである。某は慌てて彼女と並んだ。
「なんだか綾耶は、フェイの前だとお母さんみたいだな」
 小さな子どもが母親のスカートをつかんで歩いている姿を、なんとなく某は連想していた。
「そこはお姉ちゃんって言ってくださいよぉ」
「いやぁ、母性を感じるね。とすると俺はお父さんになるわけか?」
「な、なにを言ってるんですか急に〜? 夫婦どころか私たちまだ……」
 ときとして鈍感なところもある某なのに、こういうときばかりは妙に耳ざとい。にやりと笑って問うた。
「おや、『私たちまだ』だって? 『まだ』なんだってのかなぁ〜?」
「そそそ、そんなこと言ってません、私!」
「いーや、俺は聞いたぞぉ。こういうときは決して聞き間違いはしないのだ、俺は」
 わざとらしく顎をさすりつつ、某は問いただすべく綾耶の手をさりげなく握った。そして、
「リアジュウ! シ! ネー!」
 例のアレの襲撃を受けたのである。といっても超人的な反射神経をもつ某のこと、
「な、なんだこいつ!?」
 と口走ったときには無意識下に綾耶の手を離し、ざっと二メートルほど飛びのいていた。
 ところがそれは綾耶にとっては災難、ピンクのゴムの搦め手を身に受けてしまったのである。
「ふぇ?」
 ゴム怪物はひたひたと冷たく、また奇妙な粘性があって、引き剥がそうとしてもそうはいかない。綾耶は抵抗虚しく、主として上半身を覆われてしまった。にゅるりとした触感は意外にねちっこくないのだが、吸い付くように肌にまとわりつき、首筋を、肩口を、舐めるように揉んでくるのがくすぐったい。
「ひゃぁ! ちょっと待……ぐにゃってしな……ひぁ〜」
 綾耶は膝を屈してしまい、どっと地面に押し倒される。ところが怪ゴムはいつの間にか背中にまで回り込んでおり、綾耶は自分の後頭部も、やわらかな感触の中にあるのを知った。ウォーターベッドに包まれてしまったような気分だ。伸びきっているためかゴムは半透明だ。ゼリー状したピンク色の向こうに、太陽がぼんやりと光っているのが見えた。
(「きれい……」)
 とうかつにも思ってしまった綾耶は、事態がそれどころでは済まないことを知った。
「ちょっと! あっ、やっ、なにするのっ!」
 じゅるじゅると水音のようなものを立て、桃ゴムは肌のぬくもりを求めるかのように、綾耶の肌をまさぐっていく。首のリボンを器用にほどくと、開いた襟首のところから、にょろにょろ服の中に侵入して来るではないか。
「あははははは、くすぐった……やめっ……あはは」
 冷たい感触が鎖骨、そして胸元に降りていった。それどころか怪ゴムは、ブラの肩紐までずらそうとしているではないか。
 そのとき、某は何をしていたか。
「あ、綾耶!? 今助け……」
 と駆け出したところで彼は硬直していた。
 桃色ゼリーの下に透ける、綾耶のあらわな肢体があまりに眩しかった。剥き出しの太股、乱れた髪、まくれあがったスカートに陥落寸前の胸元――弱き者よ、汝の名は男なり、実のところそれほど長い時間ではなかったものの、某は固まってしまった。つまり、見入ってしまったのだ。
 ならばそのとき、フェイは何をしていたか。
 フェイは黒ずくめの服装を基本としている。実は綾耶とほぼ同時に白ゴムに襲われていたのである。
 あまりくどくどしく不道徳な表現を書くのはよろしくないので委細省略、白ゴムは黒服を剥がそうという性質があるので、フェイはフェイで色っぽいこと……いや、困ったことになっていた。
「っ……!」
 上着を脱ぎ捨て自力で危地を脱すると、フェイは白ゴムの端を掴んでこれを振り上げ振り下ろして地面にビタンビタン叩きつけたうえ、最古銃を雨あられと撃ち込んでこれを倒した。当然、上着も穴だらけになるわけだが意に介さない。その勢いのままフェイは、桃色ゴムに飛びかかって綾耶を救出したのである。弾が尽きたのでこちらは、サッカーボールさながらに大振りの蹴りを見舞って吹き飛ばした。
 ここで、ハッ、と我に返ったのは、ぺたんと正座し半べそ顔で着衣を直す綾耶ではなく、しゃがみこんで綾耶を手伝うフェイでもなく、ただ呆然と、突っ立って見ていた某であった。
「だ、あ、その……ごめんな綾耶! さっきのはその……」
 取り繕うように口走る某に対し、綾耶は何も返事しない。涙目を吊り上げて彼を睨むと、ぷいと横を向いた。
 かわりにフェイが死刑宣告のように言う。
「このむっつり役立たず。そのまま硬直死しろ」
「いや、その、むっつりって……なぁ……もちろん助けるつもりだったんだぜ、それが遅れちゃって……」
 言い訳する某の顎に、カプチーノの入った紙カップが激突する。投げたのはフェイだ。フタが吹き飛んで中身が飛び散った。当然、某はぐしょ濡れになるわけだが、当然の報いと考えているのかしょげたままだった。
 ぬるいコーヒーがぽたぽたと頭から雫になって落ちる。甘く香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。
「なんだろこの香……あー、キャラメル入りなんだな。キャラメル・カプチーノってやつか……」
 という言葉が止むか止まぬかそのあたりで、某は飛来した褐色ゴム怪物に頭をすっぽり覆われてしまったのである。
「ぐあっ! なんだこれ!」
 完全な不意打ちだったので今度は避けられず、某はもんどりうって倒れた。
 褐色ゴムはおかまいなしだ。好物のキャラメル味を味わい尽くすべく、舌のように冷たい体をぬるぬるぴしゃぴしゃ、彼の体に、耳に、胸元に、這わせむさぼる。某の上着はあれよという間に奪われ、シャツもするすると脱がされ、ついにズボンのベルトまで……。
「って、このシーン誰得じゃあ! やめろおーー! 痛っ!!」
 のたうつ某ごと蹴りを入れてゴムを遠くに転がしてしまうと、フェイは綾耶をかばいながら立ち上がった。
 ふとフェイは視線を落とした。そこにはさっきの桃色ゴムが、息も絶え絶えといった感じで這い戻ってきていたのだ。
 フェイは桃ゴムをひろいあげた。ふにふにぷりんとした抱き心地である。蹴られて懲りたのか、それとも某の退場に『リアジュウ』消滅を見たのか、ゴムは無抵抗だった。
「……お持ち帰り?」
 その姿が気に入ったらしく、フェイは綾耶に問いかける。
「ダメよ、フェイ、ダメっ」
 えらい目にあった綾耶が許すはずもない。彼女は断固として首を振った。
 ところがフェイはあきらめず、今度は綾耶より低い位置に屈んで上目遣いでもう一回ねだった。
「……お持ち帰り?」
「ダメなものはダメ! めっ!」
 綾耶が叱りつけたので、フェイは諦めて桃ゴムを某のいるあたりに放ると、再び綾耶の髪をつかむのだった。
 今日はもう、帰ろう。