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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 後編

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3日目

第5章 猫、屋敷に散らばる

「おやまあ〜、これは桜井校長先生。それに百合園女学院の皆様方。本日は朝からよくお越しくださいましたわぁ〜」
 夜中の騒動から約7〜8時間後になるだろうか。静香と弓子、及び百合園女学院をはじめ、今日の依頼を知った契約者たちは、ヴァイシャリー有数の「猫屋敷」として評判のファイローニ家に集まり、当主のジルダ・ファイローニの甲高い声を目覚まし代わりに聞いていた。
 目覚まし代わりに、というのはあながち間違いではない。特に静香と弓子は、夜中の泥棒騒動の後、すぐにラズィーヤの私邸に帰り、風呂に入ってすぐに眠りにつき、朝早くに起きて支度をして、私邸から直接ここにやってくるという、少々ハードなスケジュールをこなしたのである。意外と夜中まで起きていることがある弓子はともかく、普段からお嬢様としての生活が身に染み付いている静香には少々苦行だったらしく、ファイローニ家に着くまでに3回ほどあくびをかみ殺せなかった。もちろん、ジルダ本人を前にしてこのような話をするなど許されるものではなかったが。
「ジルダさん、本日はよろしくお願いいたします」
「あらあら、相変わらず丁寧な物腰のご挨拶、本当に痛み入りますわぁ。こちらこそ、本日はどうぞ、よろしくお願いいたしますねぇ」
 確かに甲高い声をしてはいるが、ジルダという女性のその喋り方には嫌みったらしさがなく、いい人なのだろうなと弓子は感じていた。
「さて、この度の依頼について細かい説明をさせていただきますわね」
 そこでジルダは全員を見回した。
「え〜、本日、知り合いの貴族を呼んで食事会を開く予定である、というのは皆様ご存知ですよね」
 ジルダにはヴァイシャリーに貴族の知り合いや友人が多く、時折そういった貴族を呼び集め、親睦として食事会を開くことがある。それが今日行われる、ということなのだ。
「もちろんお呼びする貴族の皆様は、私が大の猫好きで、この敷地内にて猫ちゃんたちを放し飼いにしているのもご存知ですわ。とはいえ、さすがに食事中に猫ちゃんが歩き回るというのは、雰囲気としてはともかく、衛生面を考えれば厳しいところがありますわ」
 それはその通りである。いくら綺麗にしていても、猫である以上ノミはまだしも細かい毛が飛び散るのは避けられない。集まる知り合いには猫好きな者が多く、
「別に食事中でも猫の姿を見るのは大歓迎さ」
 という意見が多数を占めているのだが、そのせいで口の中に猫の毛が入り病気にでもなってしまったら目も当てられない。もっとも、それこそ本望であると言わんばかりの病的な猫好きも中にはいたりするのだが……。
「猫ちゃんたちは全部で60匹。それぞれに首輪と番号札をくっつけてありますわ。ですから皆様は、その猫ちゃんたちを屋敷1階の空き部屋に全て入れていただきたいのですわ。空き部屋と言いましても、中には猫ちゃんたちが退屈しないようにと爪とぎの柱がありますけどもね。ああ、それから、猫ちゃんたちは飼い猫ですし、非常に人懐っこいので、割と簡単に寄ってきますわ」
 それらを食事会が行われる1時間前までに行わなければならない、というわけだ。
 ちなみにこの「60匹」という数字は、頭に「現時点では」がつくものであり、これ以上増える可能性は確実にある。
「まあ食事会自体は夜の7時からですので、制限時間は今から9時間、夜6時までですわね。割とのんびり取り掛かっていただいても問題ございませんわ。昼食については……、申し訳ございませんけれど、各自負担ということでご容赦いただきたいのですわ」
 屋敷の使用人たちには、猫のいなくなった部屋――特に屋敷1階のロビーや食堂の掃除を行わなければならないし、厨房では料理人が食事会のための料理を作らなければならないため、とても静香たちの分までは面倒は見きれない、というわけだ。
 そしてそのあたりについて、どうこう言う人間はこの場にはいなかった。
「わかりました。では早速取り掛からせていただきます」
 静香のその言葉を皮切りに、集まった面々はそれぞれ所定のポイントに散らばっていった。

「えっ、写真撮影?」
「はい、ぜひともやらせてほしいんです!」
 静香と弓子も捜索に乗り出そうとしたその時、橘 美咲(たちばな・みさき)がデジカメを手に2人に迫っていた。
「私もコントラクターの端くれ。本当なら事件解決に奔走するべきなんですけども、それよりも大事なことってあると思うんですよ」
「と言うと?」
「今日は、弓子さんと過ごす最後の1日です」
「…………」
 その通りだった。
 初日に百合園女学院という学校の雰囲気を味わい、2日目には泥棒から物を守るという戦闘シーンを楽しんだ。そしてこの3日目の依頼が終わってしまえば、弓子は成仏し、ナラカへ行くことになっている。
 別れを惜しむ者は多いだろう。だがそれでも弓子は、自分は成仏するべきなのだと思っていた。死者がいつまでも幽霊のまま現世に留まっているのは不自然なことだから。死者はいずれその未練を全て晴らし、今まで生きていた世の中に「さよなら」を告げなければならないのだ。幽霊となった以上、その気になればこのまま静香に取り憑いて百合園生として過ごすこともできるだろう。だがそれでは、いつまでも静香を拘束することになってしまう。
 自分の欲望のために他人の人生を踏みにじる。たとえその他人が気にしていなくとも、弓子自身がそれを許せないのだ。
 だからこそ弓子はあらかじめ「2〜3日」と制限を設けた。せめてこの間だけ、百合園女学院・吉村弓子として過ごすことができれば、それでいい。
 そしてその期限が迫ってきていたのだ。
「その1日を、私は大切にしたいんです。静香校長のお手伝いをするのは当たり前ですけど、それよりも事件解決に挑むみんなの色んな表情をカメラに収めたいんです」
 デジタルのデータでも、ネガフィルムの写真でも半透明の状態で写る弓子。彼女を写せば文字通りの心霊写真となってしまうが、だからといって、一緒に遊んだり、事件解決に奔走したりしたその光景を怖いなどと思わない。
「ですから、写させてください!」
 言って、美咲は頭を下げる。どうしてもこの写真は撮らなければならないのだから。
「うん、いいよ」
 静香はその申し出を2つ返事で承諾した。
「あ、ありがとうございます、静香校長! というわけで早速!」
 静香に向かってまた頭を下げたかと思うと、美咲は目の前の2人に対してデジカメのシャッターを切った。
「素早いなぁ、もう撮っちゃったなんて」
「こういうのは鮮度が大事ですからね。あ、そうだ、弓子さん」
「はい、なんでしょうか」
「いえね、突然ですけど、地球にいた頃の住所を聞いてもいいですか?」
「……はい?」
 本当に突然、いやむしろ「唐突」と言うべきだった。今のデジカメの写真と、地球の住所と何がどう繋がるというのだろうか。
「あの、お教えするのは構わないんですが、どうしてまた?」
「ちょっと変な感じですけど、遊びに行かせてもらおうと思いまして。っていうかお墓参りに行きます!」
「お、お墓参り、って、それまさか、私の……?」
 一体何を言ってるんだこの大正時代の女学生は。弓子は呆然と口をあけて美咲を見つめた。
「ああ、怒らないで聞いてくださいよー。撮った写真はちゃんとご両親にお渡ししますから」
「え……」
「……突然だったんでしょ?」
 いつもの底抜けに明るい雰囲気を少し抑え、美咲は声量を落とした。
「いきなり死んで、何も言えないままお別れしちゃったんでしょ? だったらお別れの言葉、ってわけじゃないですけど、死んでも元気だったことくらい伝えないと!」
「…………」
「自分の娘は、死んでも自分の娘だったってわかるくらいの笑顔を見せてさ! 大丈夫、『笑う門には福来る』って言うじゃないですか!」
 その辺りでようやく美咲の意図が理解できた。彼女は弓子の「笑顔の写真」を手に入れて、それを地球にいる両親に届けると言っているのだ。
 確かにそれができれば、弓子は両親に言えなかった言葉が言えるかもしれない――実はすでに同じ意図をもって動いている人物がいるのだが、それを知る者はこの中にはいない。
「……どうして」
「うん?」
「どうして、私なんかにそこまでしてくれるんですか?」
 たかが2〜3日一緒にいただけの幽霊風情に、なぜ目の前の彼女はこれほどまでに動いてくれるのだろう。自分のように、何かしらの打算をもって動いているというわけでは無さそうだと弓子は思っていたが、美咲はあっけらかんとした笑顔で言い放った。
「だって短い間だったけど、私は弓子さんの友達だって思っているからですよ。友達の力になってあげたいって思うのは、当然じゃないですか!」
「…………」
 友達だから。そう、美咲はたったそれだけの理由で動いていた。そしてそれを、当然のことだと言い切ってしまった。
 そこまで言われてしまえば、弓子は嫌だとごねることはできなくなってしまった。
「吉祥寺」
「は?」
「私の家は、吉祥寺にあるんです」
 弓子は素直に自分の住所を話すことにした。そこに両親が住んでいることと、自分が通っていた学校は近くにあること。知っていることを、彼女は話すことにした。
「さすがにお墓の場所まではわからないんですけどね。そこまで確認しませんでしたし」
「まあ、その辺は追々わかりますよね」
 聞き出した情報を美咲はメモにとる。弓子が成仏してしまった後で場所を忘れてしまっては目も当てられないからだ。もっとも、静香に頼めば「百合園見学者リスト」から弓子の名を探すことができるのだが。
「ところで美咲さん、地球に行くっていうのはいいけど、平日だったら欠席扱いに――」
「そこにぬかりがあるとでも?」
 笑顔のまま美咲が静香に突きつけたのは、休学届だった。
「……!」
「写真は鮮度が命ですからねぇ。事が済んだら、すぐにでも私は飛んでいきますよ。ああ、もちろん夜中に訪問するっていうのはありませんけどね」
「……受理します」
 美咲の周到さに、静香は許可を出す以外に選択は無かった……。

 結果として撮影許可が出された美咲は、すぐさまカメラを手に静香たちから離れ、敷地内を駆け回ることとなった。集まった学生たちは、この依頼中、突然撮られる記念写真に困らなくなったのである。

「まいごのネコちゃん、にゃんにゃんにゃ〜ん♪ こっちでいっしょにうたいましょうにゃ〜ん♪」
 某神社の巫女がつけている猫耳を頭に乗せ、屋敷から借りてきたハタキを猫じゃらし代わりに振りながら「幸せの歌」を歌っているのはヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)。屋敷の1階ロビーにて彼女は屋敷内外に散らばった猫を探していた。
「あらヴァーナーさん、おはようございます」
「ヴァーナーさん、おはよう」
「おはようございます、弓子おねえちゃん! 静香校長せんせー!」
 ハタキを振るのをやめ、ヴァーナーはすぐさま立ち上がったかと思うと弓子に抱きついた。
「むぅ……おとといもですけど、弓子おねえちゃんやっぱりちょっとつめたいです」
「まあ幽霊ですから」
 身長的な意味でその幽霊より32cmも低いヴァーナーは、それでも離れたりはしなかった。
「知ってるですか、弓子おねえちゃん。からだがつめたい人って、こころはあたたかいんですよ?」
「……それって、冷たいのは『手』だったような」
「それもまちがいじゃないです」
 そんな冷たい自分の体にしがみつく彼女の頭を弓子は優しくなでてやる。すると、そこに先日とは違うものがあることに気がついた。
「あれ、可愛い猫耳ですね」
「えへへ、ネコちゃんをつかまえるおしごとなので、せっかくだからつけてきました」
 もちろん猫耳があるからといって猫が寄ってくるというわけではないのだが、その辺りは気分的なものだろう。
「おっと、いけません、今はおしごとちゅうなのです。弓子おねえちゃんにハグしてるばあいじゃなかったのです」
 自分が何しにここに来たのかを思い出し、ヴァーナーは弓子から離れ、またハタキを振り出した。
 そもそもヴァーナーがこの依頼に参加した理由は単純だ。たくさんの猫を捕まえるのが、可愛くて楽しそうだから、である。何しろ10匹単位で大量に存在する毛皮の塊、子供的に可愛いものが大好きなヴァーナーにとっては、まさに宝の山も同然であった。
「まいごのネコちゃん、にゃんにゃんにゃ〜ん♪ こっちでいっしょにうたいましょうにゃ〜ん♪」
 そうして歌いながらハタキを振っていると、どこからともなく猫がやってきた。ある猫はヴァーナーの振るハタキにパンチを繰り出し、またある猫はそれを無視してヴァーナーや静香、弓子の足にまとわりつく。
「わわわ、さっそく4匹もあつまってきたです!」
「人懐っこいって聞いてはいたけど、ここまで簡単に寄ってくるなんてね」
「うわ、手を出しただけで頭すり寄せてきますよ、この子たち」
 高い声で鳴き、尻尾を立てながら体を寄せてくる猫の集団に、3人は顔がほころんでくるのを自覚した。
 だがずっとそのまま和んでばかりはいられない。この猫たちを部屋に送る仕事があるのだ。
「それでは、ボクはネコちゃんたちをへやにおくってくるです」
「行ってらっしゃい」
 4匹の猫を引き連れ、ヴァーナーは空き部屋へと向かっていった。