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ご落胤騒動

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ご落胤騒動

リアクション

   八

 辛うじて西の空に太陽が残っていた。しかし林の中ではそれもよく分からず、既に夜と言っていい暗さである。
「散れ!」
 九十九 雷火の命令で、忍者たちが辺りに散った。当麻とヒナタの情報を得るためだ。所々足取りが掴めるのだが、すぐまた分からなくなってしまう。雷火はイラついていた。更に面倒なことが起きているという報告もあり、彼はこのまま那美江の命令を遵守すべきか、そちらに回るべきか迷っていた。
「誰だ!」
 雷火は笄を抜き、さっと構えた。
 薄暗い林の中から、度会 鈴鹿と織部 イルが現れる。
「何者だ、お前たち」
「度会鈴鹿と申します。身分についてはお尋ねくださいますな。諏訪家のためでございます」
「大きく出たな。当麻を守る連中の仲間だろう」
「そのようなものじゃ」
 雷火は小さく笑った。だが、害意のない証に笄を戻し、
「俺に何の用だ?」
「ヒナタさんは見つかりましたか?」
 雷火は戸惑いの表情を浮かべた。彼はまだ、ヒナタが明倫館の人間と共にいると思っていた。一膳飯屋での出来事は、雷火の元に報告されていなかったのである。
 イルはすぐにそれを察した。
「ヒナタ殿は、そなたに奪われた守り刀を取り返しに一人で飛び出したのじゃ。おそらくはそなたに会おうとするのでは、と思うてな」
「生憎、あの短刀は那美江様にお渡しした」
「では、ヒナタさんはあなたの元へは来ていないのですね。よかった」
 明らかにホッとした鈴鹿に、雷火は眉を寄せた。
「分からんな。何故お前たちは、ヒナタや当麻にそこまで肩入れする?」
「他の方は存じません。しかし私は――」
 鈴鹿は俯き、口元だけの小さな笑みを浮かべた。
「ヒナタさんの気持ちが分かるのです。私も、とある方との間に授かった姫を手放しましたから……」
 おそらくは位の高い人物が相手なのだろうと雷火は察した。
 ヒナタが当麻と二人で生きてこられたのは、彼女に運とそれだけの努力と精神力があったからだ。鈴鹿も同じことが出来たなら、きっとそうしていただろう。
 だが、出来なかった。
 それだけに、ヒナタと当麻の親子には、末永く幸せであってほしい。自分には叶わなかった願いだけに。
「そなたは、当麻殿を殺す気なのかえ?」
 どうかな、と雷火は呟いた。
「俺としては、守り刀を奪い、小七郎様が養子となるまで二人を甲斐家から遠ざければすむと思っていたのだ。ヒナタ殿にその気はなかろうが、何かあればあの小僧が跡継ぎになりかねん。事実、主膳様はヒナタ殿に関する遺書を認めておられる」
「馬鹿な真似を……」
 イルは顔をしかめた。主膳の行いは軽率と責められてもいいものだ。
「確かめたのですか?」
「ああ。那美江様に頼まれてな。己の死後、ヒナタ殿が訪ねてきた時は出来うる限りのことをせよ、とな。もしそうなれば、確実に小僧とヒナタ殿は死ぬことになったろう」
 ヒナタの名を親しげに口にするのに、鈴鹿は気づいた。
「俺がガキの時分、しくじって飯抜きだった時、握り飯を差し入れてくれたことがある。俺とて何も、あの人が憎いわけではないのだ」
「ならばなぜ、那美江の命に従う?」
「俺の母は、那美江様の乳母よ。こう言えば分かろう?」
「乳兄弟……」
 乳兄弟の絆は強いという。有名なところでは、徳川家康と春日局の息子である稲葉家の兄弟がそれに当たる。彼らは決して互いを裏切らず、相手に尽くす。
「ヒナタさんのことを憎いと思うておられぬなら、お願いです、見逃してあげてください。当初の予定通り、遠ざけるだけでよろしいではありませんか。当麻くんとヒナタさんには、お互いしかいないのです」
 雷火はしばしの間、鈴鹿の顔を見つめていた。しかしやがて目を伏せ、フッと笑った。
「優しいのだな。だが俺は……迷っている。俺がなぜお前たちにここまで話したか分かるか?」
「わらわたちを、ここから去らせるつもりはないということかえ?」
「ご明察。しばらくは大人しくしていてもらおう」
「それでヒナタさんたちを助けて頂けるなら」
「……約束は出来ん」
 雷火が縄を手に鈴鹿とイルへ近づいたその時、鉄甲を両手にはめたエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が、三人の間へ拳を叩き込んだ。縄が千切れ、雷火は素早く後ろへ飛び退いた。
「九十九雷火!」
 ビシ! と人差し指を向け、エヴァルトは怒鳴った。
「跡目争いに興味は無いし、正義だ何だとのたまうつもりも無い。だが、人並みの幸せを願い、過去を消せぬと知りつつも、ひっそりと生きようとする者……それも女子供を襲うような奴は、気に入らん。自分勝手だ何だと言われようと構わない、義理人情こそ我が動機だ!」
 雷火は右半身を前にし、腰を落とした。刀の鯉口を切る。
 エヴァルトも構えを解かない。
 雷火が下がればエヴァルトが詰め、エヴァルトが近づくと雷火はするすると下がり、二人は己に最適な間合いを探りあった。
「ただ命令に従うだけが武士か? 命令なら女子供でも襲うのが武士と言えるか? 否、それはただの人形と同じだ。誇りを持って、自分の行いが正しいと思うなら、此処で倒れろ! 間違っていると僅かでも思うなら、退いて今一度考え直せ!」
 ぴくり、と雷火のこめかみが小さく動いた。あ、と鈴鹿は思った。
 フッと雷火はまた小さく笑みを浮かべる。――とその刹那、彼の刀が光の如く迸った。
 同時にエヴァルトは【ソニックブレード】で手刀を叩き付けた。
 キン――!
 軽やかな音が鳴り響いた。雷火の刀は切っ先五寸のところで二つに割れ、くるくると回って地面へと突き刺さった。
「南無!」
 雷火は呟いた。
 続けてエヴァルトは、ぐるりと身体を回転させ、雷火の懐へ飛び込もうとした。
 が、背後から「待ってください!」と声がかかり、その回転が不発に終わってしまった。
「待ってください。九十九さんは、もう戦えません!」
「馬鹿な! こいつは戦意を喪失していない!」
「確かに戦う気はある。だが今はその女に感謝して、退散するとしよう」
「逃げる気か!?」
「貴様も言っていたではないか。『考え直せ』とな」
「何――?」
 雷火は折れた刀を鞘に戻し、くるりと踵を返すとその場から走り去った。
 エヴァルトは無論追おうとしたが、鈴鹿の無言の圧力に屈し、やむなく諦めたのだった。