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黎明なる神の都(第1回/全3回)

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黎明なる神の都(第1回/全3回)

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 復讐を、果たしたいでしょう?

 長く降り続いていた雨が止み、灰色の空気の中に霧が立ち込めていた。

 あたしが、力を貸してさしあげますわ

 心身ともに疲れ果て、絶望と不安と失望感に満たされていたその心に、その言葉は、とても甘く響いた。

 あなたはただ、あたしを側に置いて、あなたのものをひとつだけ、あたしにくだされば、いいのです

 ――頭がぼんやりとする。
 ただ、目の前の少女が、美しく微笑むのだけが、

 さあ、あなたのその目にかけて、誓いの言葉を



 第1章 オリヴィエ 

 空京郊外。
 契約者以外の者もこの世界の庇護下に置く、空京の結界も届かず、かつて、訪れる者も殆ど無くひっそりと佇む屋敷があった場所には今、頻繁に遊びに来る者のある、仮住居として利用されている傾いた飛空艇がある。
 そこには、一人のゴーレム技師と、空京に家はあるものの殆ど住み込みと化している彼の助手、そしてパートナーを失うこととなったとある事件以来、彼の元に居候となっている一人の少女が住んでいた。

「元気じゃったか、ハルカ!」
 この日、光臣 翔一朗(みつおみ・しょういちろう)とパートナーの魔鎧、アーヴィン・ウォーレン(あーう゛ぃん・うぉーれん)は、ハルカからのバレンタインのチョコのお返しを持って訪れていた。
 途中で出会った、近くまで来たので遊びに寄ったという、黒崎 天音(くろさき・あまね)達も一緒である。
 何故今頃お返しかと言えば、翔一朗達にチョコを贈る際、盛大に道に迷ったハルカが結局チョコを届けられたのが、4月に入ってからだったからだ(連絡を貰って取りに行った方がよっぽど早かった)。
 料理はできてもお菓子を作ったことはなかったが、ここは奮い立ち、お返しのクッキーは手作りである。
 初めてなので、多少形はぎこちない物になったものの、試食してみたところ、味は問題無いだろう。及第点。
「ほらよ。こないだのお返しじゃ」
 出迎えたハルカにそう言って渡すと、
「ありがとうなのです!」
とハルカは嬉しそうに受け取った。
「お茶を淹れましょう」
と、ヨシュアが先に中へ入って行く。
「茶なら我が淹れよう」
 毎度客のもてなしをさせるヨシュアに、たまには休めと、天音のパートナーのドラゴニュート、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が言う。
「ハルカ、お前も淹れ方を覚えるか?」
 声を掛けられて、ハルカは
「覚えるのです!」
と顔を輝かせ、
「みっちゃん達は居間で待っててくださいなのです!」
と言って、ブルーズと共に厨房の方へ跳ねるように歩いて行った。

「君も元気そうだね」
「お陰様で。クロサキさんもお元気そうで何よりです」
「ところで、博士は? その後ちゃんと食事はとっているのかな」
 天音は、残された翔一朗達と共に歩き出しながら、ヨシュアに訊ねた。
「あの人は、水と空気だけあれば生きていけるんじゃないかと時々思いますね」
 ヨシュアは肩を竦める。
「去年から取りかかってた仕事を終わらせて、三日前から寝てます。
 そろそろ起き出す頃じゃないでしょうか?」
「あの時やっとったヤツ、今迄かかっとったんかい」
 確かクリスマスに訪れた時も、彼はその仕事をしていたと思い出し、翔一朗が軽く驚く。
「……まあ、プラモデルでも凝っとるやつぁ、何ヶ月もかかるちうけえ、ゴーレムともなると、もっとか」
「文句なんて言いませんけど、ハルカちゃんが寂しがっちゃってて。
 皆さんが来てくれてよかった」
 ヨシュアがほっとしたようにそう言って、そいつぁ、と翔一朗の表情は剣呑となった。
「是非とも起こしてこんといけれんのう」
「部屋は2番目を右折した一番奥です」
 廊下の奥を指差して、さらりと言ったヨシュアに、わかったと軽く腕まくりをして、翔一朗は歩いて行く。
「さてと、僕達は居間で待つことにしようか」
 残された天音がのんびりと言った。


「はかせ、おはようなのです」
「……久しぶり」
 寝起きのゴーレム技師、オリヴィエ博士は、ハルカから紅茶を渡されて苦笑した。
「ハルカが淹れたお茶だ。味わえ」
 ブルーズに言われて、オリヴィエはへえ、とハルカを見る。
「いい目覚めだったみたいだね」
 天音の言葉に、「お陰様で」とオリヴィエは肩を竦める。
「そろそろ起きようと思ってたところだったんだけどなあ」
「はかせはいつもお寝坊なのです」
 笑いながら、ハルカは天音と翔一朗の前にもお茶を置く。
「お客さまが増えてるのです」
 お茶を淹れている途中で、ヨシュアに頼まれていた追加のお茶を、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とパートナーのヴァルキリー、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の前にも置いた。
 空京に本部のあるロイヤルガードに所属している二人は、割と近くにいるのだし、たまには、と、休暇を利用して遊びに来たのだ。
 かつて、自らの無力さに悲観し、仲間達に助けられながらここへ来たコハクは今や、西シャンバラロイヤルガードの制服を授けられるまでになっている。
 その姿を見てもらおうと、制服姿でここへ来たのだった。

「ハルカ、これ僕からお土産。両手を出して」
「はいなのです」
 お茶を配り終わって座ったハルカは、天音の言葉に素直に両手を出し、天音は二番煎じで申し訳ないけど、と笑いながら、その手にピンクと水色の二つの包みを乗せた。
「こちらは空京で評判の洋菓子店で買ったクッキーで、こちらがブルーズの手作りクッキー。
 ブルーズが『我の作った菓子の方が美味い筈だ』と主張して譲らなくてねえ。
 ハルカに鑑定して貰おうと思って」
「その物真似は全然似ていない」
 憮然としたブルーズの突っ込みが入る。
「それに、説明が逆だ。水色の包みの方が、我が作った物だぞ」
 説明が間違っていたら、判定の意味がないだろう、とブルーズは文句をつけた。
 そうだっけ? と天音はどこ吹く風で肩を竦める。
「いただきますなのです」
 ハルカは2つをそっとテーブルの上に置いた。
(テーブルが傾いているので、気をつけないと床に落ちてしまうこともあるのだ)
 がさごそと両方の包みを開けると、順番にひとつずつ食べてみる。
「両方ともおいしいのです。
 でも、ブルさんの作ってくれたクッキーの方が、あったかい味がするのです」
「あったかい味?」
「幸せな味なのです」
 ハルカは、嬉しそうに笑ってそう言った。
「でも、どっちも嬉しいのです。ありがとうなのです」
「……それ、全部一人で抱え込む気なの。太るよ」
 翔一朗から貰ったクッキーと、天音から貰ったクッキーを、全て自分の前に広げているハルカを見て、オリヴィエが笑う。
「ハルカが貰ったのです。
 でも、どうしてもと言うなら、少しだけおすそ分けしてもいいのです」
 これと、これが、あったかい味なのです、と、ブルーズと翔一朗のクッキーを指差す。
「遠慮しておくよ」
「お土産、私達も持ってきたんだよ」
 美羽が箱をテーブルの上に置いた。
 空京ミスドのロゴ入りだ。
「ドーナツなのです!」
「皆で食べるように、いっぱい買ってきたよ。ハルカも食べてね!」
「太るよ」
 目を輝かせるハルカに、天音とオリヴィエが苦笑した。


「ゴーレムといえば……」
 何ヶ月もかけてひとつの仕事を終わらせた、という話を聞いた美羽が、しみじみオリヴィエを見た。
「ゴーレムを作るのって、大変なんだね」
「まあね」
 オリヴィエは肩を竦める。
「そういえば、以前頂いたゴーレムを、結構な頻度で任務に連れて行っているのですが」
 続けてコハクが言う。
「良かったら、痛んでるところがないか、見て貰えませんか?」
「構わないよ。
 無茶な使い方をしなければ、メンテナンスなんて100年単位で構わないんだけどね。
 まあ、人型で外見を精密に作ってるものは、その分耐久性に劣るものだし」
「おお、そうじゃ、俺のんもついでに見てくれぇや」
 翔一朗が思い出したように言う。
 いいよ、と頷いた後で、オリヴィエは、何かを思い付いたように考え込んだ。
「……今年って何年だっけ」
「……2021年ですが」
 溜め息を吐いてヨシュアが答える。
 その言葉に更に少し考えて、
「ちょっと出掛けて来ようかな」
と、オリヴィエは言った。
「どこにです?」
「アフターサービスのメンテナンスに。留守番よろしくね」
「留守番なのです?」
 ハルカが目を丸くする。
 やっと引きこもりから出て来たばかりだというのに、と、寂しげな表情がちらついた。

「ちいと、待ちぃや」
 翔一朗が低い声を出した。
「あんたが一人で行くとか、黙って聞いとれんわ」
 迷子癖のあるハルカだけではない。単独行動が危ぶまれるのは、この男も同様なのだ。
「護衛も必要じゃろ。俺もついてくけえ」
 翔一朗は、ハルカとヨシュアを見た。
「おまえらも一緒にどうじゃ」
「そだね! ハルカも一緒に行こうよ!」
 既に美羽も、共に行く気でいる。
 ブルーズは、嫌な予感と共に天音を見た。
 視線を受けて、天音は意味深に微笑む。
「行くのです!」
 ハルカは即答で答えたが、ヨシュアは苦笑した。
「慎んで、遠慮させて貰います」
 皆さんが一緒なら、心配することもないでしょうしね、と、ヨシュアは言う。
「そっか……。じゃ、ヨシュアは留守番ね。お土産買ってくるね!」
 美羽は少し残念そうにしたが、すぐに切り替えて言った。

 旅行ではなく仕事だからと、オリヴィエは今回一人で行こうと思っていたのだろう。
 展開を、口を挟む猶予もなく眺めていた彼は、最後まで一言もないまま、まあいいか、と最後に軽く溜め息をひとつだけついた。
「じゃあ行こうか」


「……旅支度などして来ていないぞ」
 お茶を飲み終わり、では出発、という展開に、ブルーズは、半ば諦めていながらも、一応そう言ってみる。
「着の身着のままで、旅に付き合うつもりか」
「いつこういうことがあってもいいように、換金できるものは常に持ち歩いているよ」
 天音は何事もなさそうに微笑む。
「最低限の荷物さえあれば、何処にでも行けるでしょ、僕達は」
「……旅慣れるのも問題だ」
 ブルーズは溜め息を吐き、諦める。
「そうそう、余計なものなど持ち歩かない方がいい」
 そう言ったオリヴィエの、旅支度とはおおよそ言い難い手荷物を、天音はひょいと彼の手からブルーズの手に移し、全く余計なところで気の合う二人だと、ブルーズは今更ながらに思うのだった。



 出掛ける準備をしているところで、樹月 刀真(きづき・とうま)が、パートナーの剣の花嫁、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と共に訪れた。
 メンテナンスに行くという話に、月夜が興味を示し、二人も護衛として同行することにする。
「とーまさん達も一緒なのです!」
 また皆で旅行だと、ハルカは嬉しそうだ。
「最近、どこも物騒ですから、気をつけるんですよ? 分かりましたね?」
 刀真はハルカの頭を撫でながら言った。
「はいなのです!」
と、いつも返事だけはいいハルカである。
 勿論既に、翔一朗はハルカが常に持つお守りに、『禁猟区』を施し済だ。

「――ところで、何処へ向かうんです?」
 メンテナンスと言うので、どんな道具を持って行くのかと思えば、オリヴィエが用意したのは、小さな手荷物がひとつだった。
 出発の際に刀真は、不思議に思ったのと興味とで、オリヴィエに行き先を訊ねる。
「ヒラニプラからずっと下って、大陸の端の、更に先に、ファリアスという浮き島があってね」
 そこへ、と、オリヴィエは言った。
「どんなところなんです?」
「鉱山があるよ。銀とか、宝石とか、その辺だったかな」
「メンテナンスするものは、何なの?」
 月夜の問いに、オリヴィエは不思議そうに首を傾げる。
「私が扱えるものは、ひとつしかないよ」
 つまり、それはゴーレムということだ。
「顧客ですか」
 行きすがら、世間話のように刀真は訊ねた。
「まあね」
と、オリヴィエは、その詳細については口にしない。
 気にはなったが、刀真は深く訊ねることはしなかった。


 浮き島ファリアスに向かうにはまず、ファリアスへ定期便を渡しているタラヌスに向かう。
 そこから、飛空艇に乗って行くのだ。
 オリヴィエ達は、タラヌスを殆ど素通りで、浮き島ファリアスへと渡った。
 そして、飛空艇を下り、ファリアスの町へ入ったところで、コハクが顔色を変えた。

「……ハルカは?」

 全員が、はっと周囲を見る。
 決して油断していたわけではなかったのに、いつの間にか、ハルカの姿が無い。
 次の瞬間、がばっと全員は一斉に翔一朗を見た。
「うおっ」
 何じゃ、と視線を受けて翔一朗はうろたえる。
「……何ともない」
 月夜がぼそりと言った。
「何ともなって無いね」
と美羽も神妙に頷く。
「ハルカに危険なことは起きていないみたいだね」
「俺ぁ何かの探知機かい!」
 天音の言葉に翔一朗は叫ぶが、誰もそんな抗議は聞かない。
 天音が一同を見渡した。
「とにかく探そう。
 みっちゃんはパンツのゴムが切れたらすぐに連絡を」
「誰がみっちゃんじゃ!」
 そもそも毎回ハルカの危険にパンツのゴムが切れるわけではない。
 そしてこの町では、パートナー同士以外での携帯は通じなかったので、彼等は時間を決めて落ち合う場所を決めた。


 コハクと美羽はファリアスの町を走り回って程なく、ハルカの姿を見付けた。
「ハルカ!」
 叫ぶと、ハルカは振り返って
「みわさん」
と手を振る。
「仲間か?」
 ハルカの傍らには、うんざりした表情の、一人の男が立っていた。
「観光客が、簡単に迷子になってんじゃねえよ」
 左目に包帯を巻いた、長い黒髪の男は、美羽達にハルカを押し付けると、そう吐き捨てて身を翻し、足早に雑踏の中へ消えた。
「心配したよ、ハルカ」
 コハクの言葉に、
「ごめんなさいなのです」
とハルカは謝る。
「今の人は?」
「一緒に来た人の特徴は、って訊かれたのです」
 それで、一緒に来た全員の特徴を語っている内に、先に美羽に発見されたのだ。
「とにかく、皆と合流しよう。皆心配してるよ」
 そうして三人は合流場所に戻ったが、待ち合わせの時間になって、皆が集まっても、一人だけ、いつまで待っても戻らなかった。

 ――オリヴィエだけが。