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第9章 女の子とペンギンそれからスイーツ☆彡

 7月のとある日、百合園女学院に通う七瀬 歩(ななせ・あゆむ)のもとに1人の客がやってきた。
 いや正確にはそれは「1人」と数えられるようなものではない。やってきたのは、パラミタ大陸の征服を目指す謎の闇の悪の秘密の結社ダークサイズ、その組織が存在する本拠地――空京の東にある浮島「カリペロニア島」の南東部分にある訓練所にて飼われている「DSペンギン」1羽だった。
 だがこのDSペンギン、ただのペンギンと侮るなかれ。ダークサイズの戦闘員でありながら、なんと西カナンに存在する「砂イルカ牧場」の従業員を兼ねており、通常のペンギンと比べて賢く、手先も器用。熱々のおでん串を武器に目の前の敵に立ち向かう勇敢さも兼ね備えているのだ。とはいえ、所詮はペンギンであるため、契約者による本気の攻撃を受けたらひとたまりもないのだが……。
 そんなDSペンギンは、歩の住む学生寮のインターホンを鳴らした。
「はーい」
 呼び鈴の音に応じる一声と共に、歩は自室のドアを開ける。果たしてそこにいたのは、サングラスをかけ麦わら帽子をかぶった1羽のペンギン。
「あれ、この子は……、円ちゃんのペンギンだね」
 自分のことを理解してくれているということが嬉しいのか、ペンギンは口の端を吊り上げて頷いた。
 そこで歩は気づいた。そのペンギンはオープンリールのカセットテープデッキの乗ったプレートを抱え持っていたのである――正確には首の部分からベルトで吊り下げられていたが。またそのプレートには同時にどこかの店の物らしいチラシと、がま口の財布が置かれていた。
「カセットテープ……。再生するの?」
 DSペンギンが首をかしげる歩にデッキを差し出す。差し出されたそれを、歩は静かに再生した。
『……おはよう親愛なる我が友、歩くん、元気かね?』
 デッキから流れてくるのは、歩の親友である桐生 円(きりゅう・まどか)の声だった。
「ははぁ、最近流行のスパイごっこかぁ」
『7月下旬のこの暑さの中、様々なスイーツ店が客を呼び込もうとあの手この手を駆使しているのは君も承知のことだろう。もちろん我々も客としてそれに乗らない手は無い』
「確かに色んなケーキとか出てきてるよねぇ」
『そこで今回の君の使命だが、今一番HOTな有名洋菓子店で、新作ケーキを調査してきてもらうことにある』
「一番HOTっていうと……、あ、このチラシのお店だね。って人気店のケーキのリサーチなら一緒に行けばいいのに……」
 彼女たちが所属する百合園女学院、その学校が存在する水の都市ヴァイシャリーにはやはり女性客を狙ったスイーツ店が数多く存在する。円はその内の1つを言っており、歩が迷わないようにと、該当する店のチラシを用意していた。
 この暑気の中、出歩きたくないのだろうか。そんなことを考えながら歩がチラシに目を通していると、円の声が続いて流れてきた。
『買い物については安心したまえ、資金は当局が用意しておいた、ついでにサングラスも進呈しよう』
 その言葉と共に、DSペンギンは自分がかけていたサングラスと、プレートに乗っていた財布を差し出す。
「うんうん、使わせていただきます」
 財布を受け取り中を確認する。少々使い込んでも大丈夫な程度の金銭がそこに入っていた。なぜか受け取ってもらえないサングラスを、DSペンギンは必死で振るが、サングラスそれ自体が視界に入っていないのか、歩はその行動を無視した。
『行列が出来るお店なので長時間並ぶ事になるかもしれない、注意したまえ。こちらで麦わら帽子を用意しておいたので、それも活用したまえ』
 その言葉が聞こえると、ペンギンは自分がかぶっていた麦わら帽子を歩に差し出す。もちろんサングラスも同時に差し出すのだが、
「麦わら帽子……。そういうところはちゃんと考えてくれてるんだー。円ちゃん、優しいー」
 以前に買ったワンピースと合うだろうか。その場で麦わら帽子をかぶりながら歩は着飾った自身の姿を想像していた。ちなみにサングラスは想像に含まれていない。
『言うまでもないだろうが、君がメンバーや、当局の敵に捕えられ殺されたとしても当局は一切関知しないからそのつもりで』
(メンバーや、って……、そこはちょっと間違いじゃないかな……)
『なお、このテープは当局の諜報員が回収する。成功を祈っている』
 結局サングラスだけは受け取ってもらえないまま、DSペンギンはカセットテープを持って、「てこてこ」という足音を残しその場から立ち去っていった。
「よーし、【円ぺらーペンギン新入隊員】として頑張るねー!」
 気合を入れてひとまずは着替えるために自分の部屋へと戻る。ちなみに彼女の言った【円ぺらーペンギン】とは、空京のショッピングモール「ポートシャングリラ」にて起きたペンギン大量流入事件にて彼女たちが名乗っていたチーム名のことである。
 ちなみに円はダークサイズの幹部となる際に【DS幹部・円ぺらーペンギン王】という肩書きを手に入れている。この肩書き自体は同じ事件で円が名乗っていたものと同じものなのだが……。

「うーん、おいしー! やっぱりここのケーキは絶品だなぁ。並んだ甲斐もあったかも」
 麦わら帽子に似合うワンピースに着替え、歩は早速とばかりに件の店にやってきた。
 その店は最近になってヴァイシャリーに店舗を広げたもので、開店当初から一定の客の入りを見せ続けたという人気を誇り、ほぼ常に誰かが並んでいる状態だった。
 普通に並べば30分は待つであろうその行列に、歩は一瞬たじろぎはしたものの、それでもルールを守って並んだのである。熱中症対策として、いつでも歩と場所を代われるようにと、あらかじめ円が部下のDSペンギンたちを列に並ばせていたが、基本的には真面目な歩はそれを利用しようとはしなかった。おそらくペンギンの方が歩を無理矢理連れてこない限り、彼女は1時間でも2時間でも律儀に待っていたに違いない。さすがに生命の危機を感じたならば緊急連絡の1つは入れるだろうが。
 そしてその結果、歩はその店で売られている新作ケーキにありつけたのである。前に並ぶ客が一時的に新作を食べつくしてしまったが、店の方もそれを予想していたのか、すぐに次のケーキを用意して並べていったため、歩が食べ損なうという事態は免れた。ちなみに並んでいたペンギンたちは、歩が店に入るのを確認するとすぐさま主の元へと戻っていったという……。
「はぁー、幸せー。甘いものはいくらでも入っちゃうなぁ……」
 注文した数種類のケーキを次々と口に入れ、歩はそれはもう幸せそうにうっとりとした表情を浮かべる。
 だが途中で彼女はその手を止めた。ふと気づいたのである。これはいわゆるひとつの「食べ過ぎ」ではないのかと。
「……むむむ、そうか。この指令の本当の意味がわかったよ……」
 1人で深刻そうな顔をし、歩は自らの推理を――誰も聞いていなかったし、歩自身も誰かに聞かせようという意思は無かったが――披露した。
「女の子は基本的に甘いものに弱い。甘いものとは、すなわち砂糖や生クリーム。体の中に入った砂糖はエネルギーに変換され、生クリームは脂肪に変換される……。それら両方を運動などで消費することができればいいが、それができなかったら、結果的にどんどん太る……!」
 そこまで言って、彼女はどこにもいない観客に向かって――もちろん周囲の迷惑にならないように小声で――叫んだ。
「つまりこの指令は、それを実感させるために……、すなわちカロリー摂取を最低限に抑えるということを理解させるために仕組まれた、円ちゃんの罠だったんだよ!」
 この場に驚き要員がいれば「な、なんだってー!?」の合いの手を入れてくれたことだろうが、この場にはそれをやってくれるような者はいなかった。
「さすが円ちゃん、簡単そうな指令かと思ってたら、なんて深謀遠慮……! 策士……! いや、むしろ円ちゃん、あなたが孔明か!」
 円の深い思惑――実際にはそのような意図など全く無かったのだが――を知った歩は、目の前に残ったケーキを平らげてしまうかどうか悩んだ。このまま食べ続けていれば自分の体重は間違いなく増える。食べなければ増えずに済むが、その代わりケーキの味を楽しめない。
 数分間考えた後に、歩はケーキを食べてしまうことを選んだ。甘いものの魅力に勝てなかったというのもあるが、ここで残してしまうのは店員に申し訳なかったし、何よりこれは「リサーチを行う」という指令なのだ。
 ケーキを食べてしまった歩はその場で会計を済ませ、また同じケーキを、今度は百合園女学院の学生寮で待っているであろう円のためにテイクアウトした。
「すみませーん、お持ち帰りで新作のケーキ1種類ずつお願いしまーす」

「そろそろ来る頃かな……?」
 学生寮の1室にて、指令者である円は暇を持て余していた。
 親友の歩にケーキのリサーチを頼んだのはいいが、彼女が服を選ぶ時間、彼女が店に到着するまでの時間、彼女が店に並んでいる時間、彼女が注文したケーキをじっくりと食べる時間、これら全てを合計すると果たしてどれだけの時間が経つことになるのか、円はそれを失念していた。緊急交代要員として部下のペンギンたちを列に並ばせておいたのはいいが、それが使われなかった場合、歩はどれだけの間、日光にさらされるのだろうか。その辺りも計算して、円は暇潰しの手段を用意しておくべきだったのである。
 一応自室に置いてあるマンガを読んで待つ、ということは考えていたが、数冊読んでしまうと飽きてしまい、床に寝転がって時間を潰さざるを得なかった。こういう時に【桐生組】の誰かが来てくれればゲームにでも誘って暇を潰すのだが、今日は誰も来るような様子は無く、また1人で遊んでいる気にもなれなかった。
 遅まきながら歩の行動に関する時間計算を終えた円は、彼女がやってくるタイミングに合わせて紅茶を用意することにした。無論、多少の誤差はあるだろうが、その辺りは諦めるしかない。
 そうして暇な時間を「待つ」ということで潰していると、不意にインターホンが鳴り響いた。
 待望の親友がようやく来たのである。
「いらっしゃい歩くん〜」
 ドアを開けるとそこには、ケーキの箱を片手に提げ、麦わら帽子をかぶり、それに似合うワンピースを纏った七瀬歩の姿があった。
「円ちゃ……、じゃなかった、円ぺらーペンギン王ちゃん。ケーキのリサーチ終了しました!」
「まったく遅かったじゃないか。っていうか『王』にちゃん付けはいらないと思うよ?」
「えへへ、ごめんねー」
「さて歩くん……、事情を説明してもらおうか……」
「へ、事情?」
「こんなに遅くなっちゃった事情に決まっているではないか」
「えっとね、お店に人がたくさん並んでて、それで順番待ちで30分もかかっちゃいました。その上、ケーキを食べるのに時間かけすぎちゃいました。いま少し時間と予算をいただければ――」
「弁解は罪悪と知りたまえ!」
「親友の苦労も知らないで勝手なことをー」
 そのような軽口を叩き合いながら、円は素直な親友を部屋に招き入れた。
「今紅茶も出来上がった頃だろうしね。早速いただきますかな」
「うん、どうぞどんどん食べちゃってね。これ野菜使ってるんだけど、全然そんな感じしなくておいしかったよー」
「……野菜が?」
「うん、野菜」
「そうか、野菜かぁ」
「うん、野菜だよー」
 その単語を耳に入れた瞬間、円の表情に影が差し込んだ。百合園女学院に通っているくせに、お嬢様とは思えないほどにひねくれ、ワガママで、内蔵料理を好み、ピーマンが大嫌いな彼女にとって、野菜という言葉はできれば敬遠したい存在だった。もちろん野菜全てが嫌いなのではなく、あくまでもピーマンだけが嫌いだったのだが。
 問題は歩の買ってきた新作ケーキの中にピーマンが含まれているかどうかだった。あの苦味の強い野菜をケーキの材料にするなどとは考えにくいが、それでも万が一ということがある。
「……あ、さすがにピーマンは入ってなかったよ?」
「おっと、そいつは一安心。ま、まあ最初から予想はしてたけどね」
 円のピーマン嫌いを知る歩は、彼女の暗い表情からそれを察したのか、ケーキの中身を挙げていく。ピーマンのピの字も含まれていないと知ると、円は露骨な安心は示さず、普段通りの斜に構えたような口調で不安を振り払った。
「いくらなんでも円ちゃんが嫌いなものを持ってきたりしないよー」
「え〜、そう? そんなこと言っちゃって、実は内緒で食べさせようとかそういう策でも考えてるんじゃないの?」
「しないよー。孔明には勝てないしー」
「……なんで孔明?」
「だってこの指令って――」
 そう言って歩は自らの推理を披露する。その荒唐無稽な理論に対してか、あるいはその理論を並べ立てるこの能天気な親友に対してなのか、円は自然と頭が痛くなるのを感じていた。
 だがその反面、円はそんな彼女を期待してもいた。やはり歩は素直で能天気であることが一番。真面目な事件を前にして作るような深刻な表情は似合わない。
「っていうか、サングラスはかけなかったんだね」
「え、サングラスって何のこと?」
「……存在にすら気づいてなかったんかい」
 ダメだこの能天気、だが何とかする気にはならない。
 こういう会話を交わして思う。やはりこの少女と親友になってよかったと。
 もっとも、そのようなことを口にするような円ではなく、彼女の視線は、自然と歩の持ってきたケーキに注がれていくのであった。